第4話 ヤンデレはご遠慮させてください

 カチャリと音を立てて扉が開く音が聞こえ、私は呆然としていた意識を取り戻した。

 お姉様が部屋を後にしてから、どれだけ経ったのだろう。目が覚めたときは明るかった景色も、薄っすらと暗くなり始めていた。


「リーシャル嬢、具合はどう?」


 眉尻を下げて心配そうに私を覗き込むジークロイン殿下を目にして、部屋に訪れたのは彼だったのかと内心安堵した。

 嬉しそうに出ていったお姉様が、何をしているのか気になるけれど、それ以上にそのことを知るのが怖いとすら思えてしまうのだ。


「君の母君が、君を連れて帰りたいと医師に言っていると聞いて、気になって来たんだ」

「それは……」


 どういうことなのか聞こうとして、お姉様がお母様に私を連れて帰る様に言っていたのを思い出した。

 今、邸に帰ったら私はどうなってしまうのだろうか。きっと、お姉様は私を今まで通りになんて扱ってくれないだろう。

 ……何より、さっきのお姉様を思い出すと――。


「いや、帰り、たくない……」


 予想外の言葉だったのか、ジークロイン殿下は目を見開いた。そして、思案する様に顎に手をおいた。


「何かあるのか?」

「……っ」


 流石に知り合ったばかりのジークロイン殿下に、お姉様のことを言うこともできないし、どうしようと思い悩んでいると、扉が勢いよく音を立てて開いた。

 ビックリして目を瞬く私を見てから扉に視線を移したジークロイン殿下は、ため息を付いた。


「ここは病室だぞ」

「そんなことより、ジーク!マリアーヌ嬢がリーシャル嬢は喋れなくなったから、婚約者には相応しくない。魔法を使えないリーシャル嬢よりも、自分の方がジークに相応しいと言っていると聞いたんだが、どういうことなんです!?」

「リーシャル嬢が、喋れない……?」


 話しながら此方へやって来たルイス様の言葉を聞いて、目を瞬いたジークロイン殿下は、ルイス様から私に視線を移した。

 ルイス様もジークロイン殿下から私に視線を移して、気まずい空気になる。


「お姉さまは、私が話せないと、思っているのです……」

「何故?」


 目を伏せた私に向けて、ジークロイン殿下が疑問の声を投げかけた。


 何故?お姉様を前にすると震えて声が出なくなるから。

 だって、お姉様は私を……。

 階段から落とされた時を思い出して、視界が滲んだ。滲んだ視界をどうにかしようと目を瞬くと、目尻から温かい雫が伝っていく。

 あぁ、”わたし”の中の”私”が泣いている――……。


 私が突然、泣き出してしまったためか、二人は目を見張った。

 どちらだろうか、口を開いて音にしようとした瞬間、私の目の前に薄っすらとした綺麗な精霊たちが現れた。


『泣かないで、リーシャル。いつもみたいに笑顔になって。泣かないで』


 温かい風が私の頬を撫でて、部屋の中いっぱいに花と花弁が降り注いだ。

 色とりどりの花々が室内いっぱいに舞い散るその様は、幻想的でとても美しかった。


「こ、これは……!?」

「やはり、リーシャル嬢は愛し子だったのか……」


 美しく幻想的な光景を見て、ルイス様は驚愕の声を上げ、ジークロイン殿下は優しい笑みを浮かべた。


――愛し子?


 その言葉に私はハッとした。何故なら【恋する魔法と精霊の国】のヒロインが、そう呼ばれていたから。精霊の愛し子様と。

 でも、精霊の愛し子は稀有な存在で、ゲーム内でもヒロイン以外にはいなかった。

 そもそも何故、愛し子が重要視されているかと言うと、魔法が扱える貴族であっても、人の身には一つの属性の魔法しか扱うことが出来ない。けれど、愛し子は精霊からの祝福を授かっており、全ての魔法が使えるのだ。


――だからこそ、私は愛し子ではない。


 何故なら、愛し子は魔法が使える。けれど、私は産まれた時に魔力無しの”ムショク”と言われたから。

 魔法が扱えることこそ貴族である証とまで言われていて、爵位が高いものほど魔力量が高い。だからこそ、公爵家に産まれたのに魔力のない”ムショク”の私は、人目に触れないように生きてきたのだ。

 それなのに、どういう事なの?


ガタッ


 突然、扉の方から物音がした。

 ルイス様が入室した後、扉の閉まる音がしなかったから、この部屋の前を通った人が、この光景を見てしまったのだと思ったけれど、それは違った様だ。お母様とお姉様、それに美しい黒髪の美女が部屋に入って来たことで、この部屋に用事があって来てみたら、今の状況に出くわしたと思うべきだろう。

 部屋に入ってきた皆は、花の降り注ぐ光景を目にし、一様に目を見開いている。

 その中で、お姉様だけがギリリと奥歯を噛んで、疎ましげに私を睨みつけた。


「なんです……これは?」

「母上、リーシャル嬢は精霊の愛し子なのです。是非とも私との婚約を、お認め頂きたい」


 ほぅ……と見惚れながら呟く黒髪の美女に向け、ジーク様が口を開いたことにより、その人物が誰であるのかを理解した私は目を見張った。けれど、それ以上に婚約という言葉を聞いて、お姉さまからの視線が更に痛く突き刺さることに、私の精神は悲鳴を上げた。


「愛し子……?恐れながらジークロイン殿下、娘であるリーシャルには、魔法の適正が無いのです」

「そうですわ!お母様の言うとおり、リーシャルは魔法が扱えませんの……それなのに、愛し子な訳がありませんわ!」


 驚いて事実を口にするお母様に続いて、お姉さまはきっぱりと言い切った。

 それを聞いたジークロイン殿下は、顎に手を当て考えながら口を開いた。


「……確かに、それはおかしいな。だが、リーシャル嬢が愛し子であることは、この光景が物語っている」


 いつもなら人前では現れないはずの精霊たちは、いまだにこの部屋に花を降り注いでいて、私の心を癒してくれる。

 ジークロイン殿下の言葉に静まり返った部屋に、凛とした声が響いた。


「……そうね。確かに、この光景は過去の愛し子様の記述にもある通りね。リーシャルは愛し子なのね?良かったわ」


 王妃様は隣りにいるお母様に向けて、優しい笑みを浮かべた。

 お母様は数秒、呆然としたかと思うと、エメラルド色の瞳をしっとりと濡らして、その流麗な目元からポロポロと雫を流した。

 一瞬目を見開いた王妃様は、そっとハンカチをお母様に手渡して「えぇ、良かったわね」と、慈愛のこもった声で囁いた。


 その場が落ち着くと、医師が患者の前で騒ぐのは良くないと言って、皆を別室へと移動させた。

 一人になると、緊張がほぐれたのか、瞼が重くなってきた。それに抗うことはせず、私は眠りについた。






 手に温かさが伝わってきて、心地よさから目を覚ました。

 目を数度瞬くと、そこには穏やかな表情をしたジークロイン殿下が居た。


「すまない、起こしてしまったか?」

「いえ……」


 優しい声音に安心する。それに、穏やかな空気が心地良い。

 ふと、ジークロイン殿下に視線を向けると、彼は真摯な瞳で私の視線を受け止めた。


「……話をしても、良いだろうか?リーシャル嬢の今後の事について、伝えたいんだ」


 私が寝てしまっていた間に、皆で話し合っていたのだろう。

 出来ることなら、暫くはお姉さまから離れていたいと思うけれど、それは私の我儘でしかない。それに、王族の決定を覆す事など出来まい。

 私が肯定すると、ジークロイン殿下は一度、嚥下してから続きを話し始めた。


「まず、怪我の治療に関してだが、王宮内で起こったことだ。我々の不足の致すことであり、リーシャル嬢の治療は王宮医師に委ねる。よって、完治するまでは王宮内で客人としてもてなすこととなった」

「ですが、もうすぐで社交シーズンも終わり、領地に戻るのでは……?」

「あぁ、リーシャル嬢以外の家族に関しては、通常通り領地へ帰還いただく。と言っても、宰相であるスタネリア公爵は別だが。そして、リーシャル嬢に関しては、次の社交シーズンに入り、家族皆が再度王都に来るまでは、王宮に滞在していただく」


 寝込んでいるために、今がいつなのか正確には分からないけれど、私が怪我をする前のお茶会の時点で、今年の社交シーズンは終わりに差し掛かっていた。

 この世界では春が社交シーズンで、夏になる前に貴族は領地へと帰るのだ。そして、秋は領地で収穫祭を行い、冬に備える。そしてまた春になると王都へ召喚される。

 お父様は領地の仕事をお祖父様にお願いして、王都で宰相職を努めているのだけれど。

 つまり、次の春までの約一年を、私は王宮で過ごすということ?その間、お姉様に会わないで済むと思うと気が楽ではあるけれど……。


「よろしいのですか?」

「むしろ、そうしてもらえると嬉しいのだが」


 柔らかく微笑んだジークロイン殿下を見て、ドクンと胸が波打つ。

 だが、その胸のトキメキは、次のジークロイン殿下からの言葉で消え失せた。


「そして、私と婚約してもらえないだろうか?」


 真っ白になった私の頭の中に、サァーっと浮かんだのは、ゲームの中のジークロイン殿下の姿だった。


「ヤンデレは、ご遠慮させてください!」


 ポカーンとしたジークロイン殿下の顔を見て、思わず心の声を口に出してしまっていたのだと気付いた。

 やってしまった……。穴があったら入り込みたい。いや、寧ろ穴を掘ってそのまま……。

 そんな妙なことに頭を悩ませていると、困惑したジークロイン殿下の呟きが聞こえた。


「ヤンデレ……?」


 その疑問には、残念ながらお答えできません。むしろ、知らなくて良かった。不敬罪どころの話ではない。






 それから、ジークロイン殿下と話している時にお姉様がやってくると、私が真っ青になって喋れなくなってしまうのを見た彼は、最初こそ困惑していたものの、何かを察した様に、その後は私からお姉様を引き離してくれる様になった。

 そして、お母様が見舞いに来るときには必ずお姉様がいる為、真っ青になって喋ることが出来ず、結局、私が言葉を交わしたのはジークロイン殿下とルイス様、それと医師のクレイシス様だけである。


 社交シーズンも終わり、領地に帰還する前に家族が私の元を訪れた。家族といっても、相変わらずお父様は私のもとへはいらっしゃらないので、お母様とお姉様だけだけれど。

 お姉様と言えば、帰るギリギリまで「リーシャルが王城に居るのなら、心配だから私も残りますわ!」と我が儘を言っていたけれど、お母様が諭して半ば引きずる様に領地へと帰って行った。

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モブですらない悪役令嬢の妹に転生したようです 沙羽 @sawa-rudo

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