第3話 お姉様は悪役令嬢

 ぼーっとゲームの内容を思い出していると、ジークロイン殿下が、ズイっとルイス様を隠すように前に進み出てきた。


「リーシャル嬢!!」

「は、い……?」


 何を焦っているのか、ジークロイン殿下は更に私に近寄って、頬を上気させていた。

 気合を入れるかのように、揺らいだ紫の瞳が、私をジッと見つめた。


「私と……婚約していただきたい」

「…………ぇ?」


 ジークロイン殿下の言葉の意味を、直ぐには理解する事が出来ず。漸く、その意味に気づくも私が返せたのは、か細い疑問の声だった。

 熱を帯びるジークロイン殿下の紫の瞳を直視出来ず、少しだけ視線を下げた。


 ジークロイン殿下と婚約?

 まって、もし、ここが本当に私の知っている【恋する魔法と精霊の国】だとしたら、ジークロイン殿下の婚約者って、ヒロインをひたすら虐める悪役令嬢ではないのだろうか。


――私は悪役令嬢に転生してしまったの?


 それは嫌だ。だって、あのゲームの悪役令嬢は、どのルートでも破滅する。 ……良くて身分剥奪からの追放。

 それに、下手をすれば命すら―……。

 一気に血の気が引いて、寒くてブルリと震えた。その拍子に体が痛み、思わず呻き声が漏れた。


「どこか痛むのか!?医師を呼ぼう。それと、リーシャル嬢の母君と姉君も心配されて王宮に滞在されている。直ぐに呼ばせよう」


 母君と姉君……?

 なんで、お姉様が?だって、お姉様が私を……私が必要ないからじゃないの?

 どんどん寒さが増して、カタカタと体が震え、鈍い痛みが私を襲う。

 脳裏に赤が浮かんでくる。弧を描いた……とても嬉しそうでいて、くっきりとした赤が2つ……。

 2つ……?


「ど、どうした!?やはり、具合が!?ルイ、急いで医師を呼べ!」


 ジークロイン殿下の命を受けて、ルイス様が扉を開く音が聞こえたが、扉の閉まる音はしなかった。

 痛みに耐えながら、それを疑問に思っていると、聞き慣れた声よりも少し高くなった声が聞こえた。出来ることなら、聞きたくなかった声。


「まぁ、ルイス様。如何なさったのですか?」

「マリアーヌ嬢。丁度、リーシャル嬢がお目覚めになられましたよ」

「……リーシャルが? 良かったわ。もう目を覚まさないかもしれないと……私、心配でしたの」


 ルイス様は側に居た侍従に指示をすると、お姉様を連れて私が横になっているベットへと戻ってきた。


 声しか聞こえなかったお姉様の姿が、視界に入ると、私は息を飲んだ。「本当に目を覚ましたのね。良かったわ、リーシャル」と、口元は弧を描いているのに、その瞳は最後に見た時と同じ、暗く澱んだ瞳だった。

 まったく嬉しくなさそうな、お姉様の瞳は私の側にいるジークロイン殿下に気がつくと、パッと色を取り戻し、傍に駆け寄った。


「ジークロイン殿下、わざわざ妹のお見舞いに来てくださっていたのですね。いつも、ありがとうございます。おかげで妹も目を覚ましたみたいで、私とっても嬉しいですわ!」

「いや、私がしたくてしていたことだ。気にしないでくれ。だが、リーシャル嬢が辛そうで……医師は、まだ来ないのか!?」


 お姉様に視線を向けずに私を見ながら返事をしていたジークロイン殿下は、焦れたようにルイス様に視線を向けた。


「先ほど使いを出したばかりですよ、まったく。もう直ぐ、来られるでしょう」

「そ、そうだったな……」


 呆れたように、ため息混じりに返されたジークロイン殿下は、狼狽えながらも視線を私に戻し、「大丈夫か?」と、ひたすら私に声を掛け続ける。

 その横で、お姉様は必死にジークロイン殿下に声を掛けるも、一向に視線すら向けてもらえず、次第に肩を落としていった。

 そして、チラリと私に視線を向けると、暗く澱んだ瞳で私を捉えた。


「……リーシャル、そんなに辛いの?大丈夫?」


 心配からなのか、思っていない言葉だからなのか、その声は震えて掠れていた。


「――顔色が、ずいぶんと悪いわね……」


 お姉様の真っ白な手が、そっと私の顔の前に寄ってくる。ジリジリと熱を感じて、私は口を震わせた。


――恐い


 その言葉で私の頭の中は、いっぱいになった。

 そして、掠れゆく視界の中で、血相を変えたジークロイン殿下の顔が、やけにくっきりと記憶に残った。






 意識を手放した私の頭の中は、お姉様のことで、いっぱいになっていた。


――お姉様、マリアーヌ・スタネリアは、スタネリア公爵令嬢である。

 父親はスタネリア公爵であり、アスタベルト王国の現宰相。母親は、社交界の華と呼ばれるほど、とても美しい女性であった。

 そんな二人を両親に持ったマリアーヌは、母親譲りの輝くウェーブでクルクルとしたプラチナブロンドに、父親譲りの少し吊り上がった真紅の瞳を持つ美しい令嬢で、沢山の人々の期待の中で、その生を授かった。


 高位の爵位のものほど魔力が強く、公爵の父と元辺境伯令嬢の母との子であるマリアーヌは、その期待に応えるように、高い魔力を有して産まれた。

 その翌年には現アスタベルト王国、国王陛下の第一子であるジークロイン殿下が産まれ、その妃候補として有力視されていた。


 期待に応えるように、マリアーヌはジークロイン殿下に初めて出会うと、一瞬にして恋に落ちた。マリアーヌの猛烈なアタックに心動かされたのか、ジークロイン殿下の方からスタネリア公爵家に婚約の申し入れをし、幼いながらに二人は婚約者となった。

 婚約者となった後も、マリアーヌのジークロイン殿下に対する思いは日に日に増していったが、ジークロイン殿下は他者を寄せ付けず冷めた人間で、婚約者であるマリアーヌに対しても、とても冷めた対応をしていた。


 婚約後、アスタベルト王国では大飢饉が起こり、多くの人々が犠牲となった。

 それと時を同じくして、スタネリア公爵夫人が懐妊。出産は命がけとなり、跡継ぎである男子を出産し、公爵夫人は儚くなってしまう。

 その後、父親であるスタネリア公爵は跡継ぎである弟ばかりを相手にするようになり、マリアーヌは苛烈さを増していった。


 そうして、マリアーヌが魔法学園に入学した1年後にジークロイン殿下が魔法学園へ入学すると、彼にベッタリとつきまとう様になる。

 同時に入学したヒロインに対しては、庶子でありながら精霊の愛し子として注目を集めることに嫉妬し、嫌味を言ったり取り巻きに命じて虐めをするようになる。

 次第にその虐めは悪化していき、ヒロインが入学するゲーム開始から、2年後のマリアーヌの卒業式で、断罪イベントが起こり、どのルートでも良くて身分剥奪からの追放である。

 お家おとりつぶしや死亡ENDもあり、なかなかに苛烈な人物であるのが、ゲーム【恋する魔法と精霊の国】の登場人物のマリアーヌ・スタネリアである。


――そう、私のお姉様は悪役令嬢だった。


 でも、ゲームには悪役令嬢に妹なんていなかった。

 それに、私には何故かここと似た世界のゲームをプレイした前世の記憶がある。ただ、転生しただけと言うなら分かるのに、ゲームの登場人物と同じ名前と姿の人々が暮らす世界に転生するなんて、偶然だとも思えない。

 それだけではない、ゲーム内では悪役令嬢である、お姉様がジークロイン殿下に婚約の申し込みをされるのに、私に婚約の話が来るし……。


――どういうことなの?






 グルグルと思考の渦にのまれていると、聞き覚えのある声がしてきて、私の意識は覚醒した。


「……シャル、リーシャル!目が覚めたのね!良かったわ……」


 ボンヤリとした視界の中で、不安そうだった声は、私が目を開くと徐々に嬉しそうに私の名前を呼ぶ声に変わった。私は声のする方へと視線を向けると、いつも私を気遣ってくださるお母様が、少し窶れた顔で涙していた。

 嬉しくて「お母様」と、声をかけようと口を開きかけると、その横にお姉さまが居ることに気がついて、私は息を呑んだ。

 私を見下ろすお姉さまは、据わった目でこちらを見据えていた。


「お母様、リーシャルも目が覚めたことですし、一緒に屋敷に帰りましょう?その方がきっと、リーシャルもゆっくりできますもの」

「そうね、お医者様に伺ってみましょうね」


 お姉様の提案を聞いたお母様は、私を見るために俯いていた顔を、パッと持ち上げて応え、そのまま部屋から出ていってしまった。

 お母様と一緒に部屋から出ていくと思ったお姉様は、何故かそのまま部屋に残り、ジーっと私を見つめてくる。


「まさか、しぶとく生きているなんて……まぁ、いいわ、貴女の方から婚約はしたくないと、ジークロイン殿下におっしゃいなさい」


 地を這うような声で呟かれ、私はゾクリと身を震わせた。

 ガクガクと震える体をいくら叱咤しても震えは収まらず、その振動で体全身から悲鳴のように痛みが押し寄せてくる。

 何か言わなきゃいけないと思っているのに、唇もガクガクと震えて、声をだすことは出来なかった。


「だって、そうでしょう?貴女のような醜い子が、王太子であるジークロイン殿下に見初められるなんてこと、あるわけがないでしょう?」


 そんなの、分かってる……。

 皆、私が醜いから、私を見ると固まってしまうもの。家のもの以外で喋ったのなんて、ジークロイン殿下とルイス様だけ。


「お茶会だって、私と婚約したくて召喚してくださったのよ? なのに、こともあろうに王宮で貴女が怪我をしたから……とてもお優しいジークロイン殿下は、責任を感じて何の取り柄もない貴女を婚約者になどとっ!」


 あぁ、だからゲームでは、お姉様に婚約を申し込んだのに、私に申し込まれたのね……。

 でも、私は怪我をしたくてしたわけじゃない。お姉様が私を呼び出して、突き落としたのでしょう?

 ……そう言いたいのに、お姉様を前にすると、私の体は嘘みたいに震えて、声すらも出せない。


 そのまま時間が経つと、お姉様は私を訝しげに見つめてから、首を傾げた。


「――リーシャル、貴女、もしかして口がきけなくなったの?――それなら、いいわ!フフフ……」


 それはそれは嬉しそうな声で、表情を歪ませたお姉様に、私は冷や汗をかいた。

 全身から不快な汗がジワジワと滲み出てきて、目を瞬かせることしか出来ない私を、お姉様はニンマリと見てから「こうしちゃいられないわ」と、ウキウキしながら部屋を後にした。

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