第18話 サラがご立腹です

「あー、怖かったー……」


 浴場を出て俺は部屋へと戻ろうとしていた。

 フェルの俺の匂い大好きクンカクンカの鬼気迫る様子に、別れた今でも恐怖のあまり体が震える。


 フェルは浴槽の底で脱いだ服を濡れたまま身に付けて、俺の服を抱き締めながらご機嫌で何処かへ持って行ってしまった。

 彼女、目が正気ではなかったように見えたけど大丈夫だろうか。オッサン、いったいどんなふうに育ててきたんだ? いや、この場合はオッサンではなく、俺の匂いに問題があるのか。…………普通の体臭だよな?


 まるで中毒者のような執着心だったが、俺の体臭には危険な成分が含まれているのだろうか。それとも本当に彼女の好みだからというだけか……俺の汁が染み付いているとか言っていたけど、今後俺の血を求めて来たりはしないだろうな……。

 渡した服の匂いが薄くなってきたらマズイかもしれない。気を付けておこう。


 マリアのおっぱいが思い出せなくなるくらいのフェルは衝撃的だった。恐怖で鳥肌を立たせながら部屋に戻ると、ユーマがアクセサリーを布で磨いていた。


 どうやら俺を待っていたようで、部屋に入るとその手を止める。


「おお、ケルベロス!飯行こうぜ」

「……おう」

「ん? 元気ねえな。どした?」

「いや、まあ、ちょっとな……」

「? よく分からんねえな。ま、行こうや」


 こうしてユーマに連れられて食堂へと向かった。

 食堂はイモータルの団員で賑わっていて、大抵が酒盛りをしていた。不死身だからどれだけ食事が偏っていても体調を崩したりしないだろうが、理性を失うほどは飲まないで欲しい。


「ケルベロス! こっちで一緒に飲もうぜ!」

「いや、今日は疲れてるからやめとくよ」


 誘ってくる団員が居たが、俺は断った。訓練で心身共に疲れているところに酒を入れれば、タガが外れてしまいそうだ。


「おいおい、つれねえじゃねえか!」

「そうだ! 新入りのくせに生意気だぞ!」


 すっかり酔っている一部の団員が、声を荒上げ今にも掴み掛かって来そうだ。

 だが、すぐに他の団員がそういった奴等を落ち着かせる。


「おいおい、落ち着けよ。あいつ、今日はダンの訓練を受けていたみたいだぜ」


 どうやら一部の人には俺が訓練を受けた事を知っているようだ。

 その言葉で声を荒上げていた一部の団員が静まった。


「訓練を受けてるのか? でもよ、あれって色々な方法で死にかけるだけだろ?」


 死にかけるだけでも充分大変だぞ。不死身歴が長いと死にかける事なんて大した事ないように思えてしまうんだな。


「それに、こいつダンから逃げようとしたらしいぜ」

「おいおい、ダンの訓練から逃げようとするなんて」

「ああ、普通は無理だな。だけど、ダンの視界から逃れて、訓練の間はずっと森中を逃げ回っていたらしいぞ。何度も死にかけてるっていうのに」

「マジかよ。タフなんだか、逃げても意味のない事を理解できない馬鹿なのか……」


 うるさい! ほっとけ!

 だが、おかげで飲酒を辞退した事を咎める者は居なくなった。


「おうい、ケルベロスー。こっちの席を取ったぞ」


 ユーマが少し離れた席に着いていた。

 ……お前、俺が絡まれた時、真っ先に離れていったけど見捨てた訳じゃないよな? 本当に席を取る為に俺から離れたんだよな?


 自分の身は自分で守るという言葉が身に染みた。


 問い質そうと思ったが、それよりも飯だ。飯を食べて早く寝よう。


「ケルベロス!」


 だが、椅子に腰を下ろそうとして声を掛けられる。

 食堂の出入口び方を見てみれば、そこにはサラが居た。何故だか分からないが、俺に怒りに満ちた顔を向けている。それはもう、衝動的に人を殺してしまいそうな顔だった。


 ……俺なんかした?


 サラの怒りの形相を見て逃げた方がいいか、と一瞬思ったが相手の方が行動は早かった。


「お前、何してんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「げふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?」


 さすが不死身の傭兵団の一員である。一見非戦闘員に見えるサラから繰り出された跳び蹴りを、まともに受けてしまい体を壁に打ち付けた。さすがに宿屋の倒壊を引き起こすほどではなかったが、少し壁が破損する。


 周囲は「おお、良い蹴りが入ったな」「あの蹴りは中々お目に掛かれねえぜ」「いったい何をしたんだ新入り?」「サラの下着を盗んだ」「あー、それだ」などと俺の心配は一切してくれない。そりゃ、不死身だから死ぬ事はないけどさ! それと不思議じゃないってどういう事だゴラァ!


 一部の団員に怒りを覚えたが、それよりも目の前のサラだ。

 拳を握って構える彼女は俺に追撃を仕掛けるつもりらしい。痛いのは嫌なので、追撃を回避する為に彼女の怒りの原因を突き止めなければ。


「ど、どうしてそんなに怒ってんだ? 俺、何かしたか?」


 全然覚えがないが、彼女がここまで怒るという事は何かしてしまったんだろう。


 すると肩で息をしながらサラは怒りの原因を話し始めた。


「さっき衛兵が来て苦情を言われたんだ。イモータルの団員と思われる人が血だらけで歩いている姿が目撃されて、ゾンビが街の中を歩いているって話が流れて住民が酷く怯えているとな。戦場での活躍は知っておりますが、もう少し配慮して貰えませんかって、それだけ言って帰った。だがな、言葉には裏があるんだ。本当に言いたかったのは、何度目ですかいい加減にして下さい……だ。私は何度も謝ってるんだよ……」


 それは申し訳ない事をした。彼女の苦労は痛いほど分かるので、正直ダンのせいでもあるが謝ろうとするのだが、まだ話は終わりじゃなかった。


「だがな、ゾンビ騒ぎなんてどうでもいいくらいの事が起きたんだよ」

「え?」


 ゾンビ騒ぎがどうでもよくなる事? それが俺に関係しているのか? だが、血だらけで街を歩いた以外で何かした覚えは全くない。強いて言うならフェルか。フェルの裸を見た事を怒っているのか? だとしたら不可抗力だし、断固抗議したいところだ。


 だが、そうではなかった。


「街の近くの森で凶暴なモンスターが現れたらしい。普段はもっと街から離れたところに生息するモンスターらしいんだが、何故か街の近辺に現れた。モンスターに警戒しながら調べてみると、森のあちこちに人間のものと思われる肉片が散らばっていたという話だ。それも複数人と思われるほどの大量のな。そのモンスター、人の血の匂いに引かれる習性があるらしくて、原因はそれだろうと……いったい誰の肉片なんだろうな?」

「…………」


 俺を咎めるようにジッと見るサラの目から逃れるように顔を逸らした。


「誰の、肉片なんだろうな?」


 顔を息の掛かるほどの距離まで近付けてジッと俺を見続けるサラ。


 サラは美人でこんな至近距離に顔があってドキドキする……なんて事はない。今は眼鏡の奥にある冷たく、暗く、躊躇いもなく人を殺せそうな目が恐ろしくてドキドキしている。ドキドキし過ぎて吐きそうだ。


 俺はなんとか声を絞り出す。


「……ダ、ダンが、そのままで良いって言った」


 せめてダンに非がある事をサラに告げるが、彼女の様子は変わりなかった。


「散らかしたのはケルベロスだろう……散らかしたものは責任持って片付けろ!」


 まるで子供に遊んだものは自分で片付けなさいと言っているようだが、そこに母親のような慈愛はない。あるのは責任取って片付けないと殺すぞという殺意しかなかった。


 このままではマズイと思い、誰か助けてくれないかと食堂を見渡すが誰も目を合わせてくれない。わざとらしく「なんか外で飲みたくなったなー」「あー、そういえば、俺良い店を見つけたんだー」などと会話して出て行ってしまう。


 薄情者め! でも、まだ俺にはユーマが……ユーマ?


 先程まで居たはずのテーブルにユーマの姿はなかった。食堂をくまなく見渡すが、奴の姿は何処にもない。


 ……あいつ、後で泣かす。


 サラは顔を離すが怒りは収まってはおらず、相変わらず俺に殺意に満ちた目を向けたままだ。


「ケルベロスにはこれからイモータルの傭兵としての仕事をして貰う」

「え、で、でも俺は暫く仕事は」

「あん?」

「いえ、何でもないです」


 イモータルの責任で不死身になったのだから暫くは仕事しなくてもいい、その約束はなかった事にされた。

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