第17話 ナイススメルと彼女は言う

「ふうっ……」


 熱過ぎず、温過ぎず。良い塩梅の温度の湯は何度も死にかけた俺の体を癒してくれる。このままずっと浸かっていたい。マリアの場合は度が過ぎていたが、長風呂してしまう気持ちは分かる。


「マリアか…………良いおっぱいだった」


 先程から風呂でまったりしながら、マリアのおっぱいが頭から離れなかった。普段は色白な肌が、火照っていたのが余計に魅力的に見え、素晴らしいおっぱいだったので脳内での会議の結果、永久保存を至った。


 不老不死になってダンの訓練を受けて気付いたのが、死ねない辛さだ。いくら苦しんでも、いくら死にたいと嘆いても、死という、この世から脱する手段は取れず、永遠に現実からは逃れられない。今回の訓練でその辛さを骨の髄まで味わった。


 だが、俺は不老不死の辛さと共に素晴らしい発見をした。


 先程マリアのおっぱいを見て気付いたのだが、老いないという事は、おっぱいは最高なまま永遠に残り続けるという事だ。他の団員は分からないが、少なくてもマリアの素晴らしいおっぱいは、歳を取るにつれて共にボリュームや瑞々しさが失っていく事はない。


 不老不死、なんて最高なんだ!


「……ん?」


 不老不死の美点に気付いて気分が良くなっていたが、ふと脱衣所から聞こえた物音に気付いた。気のせいではなく、誰かの声が微かにだが聞こえる。だが、声は一人分だけだ。おそらく機嫌が良いのか、鼻歌交じりに服を脱いでいるのだろう。


 一人風呂を充分に満喫した事だし、そろそろ出るか。


 次なる入湯者に一人風呂を譲ってあげようと、浴槽から立ち上がって脱衣所へと通ずる扉を開けた。


「クンクンクンクン……ふわぁ、やっぱり良い匂いだなぁ」

「…………」


 扉を閉めた。


 ……いや、なんか変なものを見た気がしたんだ。うん、目の錯覚である可能性は充分にある。今日はダンに刺されたり、斬られたりで何度も死にかけては復活し、死にかけては復活のハードな一日だった。精神的に疲れているのかもしれない。きっと疲れてる。だから扉の向こうにおかしな幻を見てしまったんだ。


「……よし」


 深呼吸をして自分を落ち着かせる。大丈夫だ、俺は至って冷静。先程のような幻は見る事はない。気を取り直して、俺は再び扉を開けた。


「クンクンクンクンクンクンクンクンクンクン、ふわぁ最高っ……クンクンクンクン……」


 誰か、この状況を説明してくれ!


 落ち着け、落ち着け俺。一つずつ確認しようじゃないか。まず目の前に居るのはフェルだ。本日俺に向かって飛び込んで来た、オッサンのペットで犬から人になったという少女。そんな彼女が目の前で何をしているかと言うと、ゴミ箱に捨てたはずの俺の血塗れの服を抱き締めて、顔を埋めては恍惚な笑顔を浮かべている、と……。


 ……駄目だ。状況を一つずつ確認したところで意味が分からない。


「わふっ? あ、ケルベロスだ!」


 気付かれた。そして、こちらに向かって走って来る。フェルまっしぐらだ。


「そうはいくか!」


 床から足が離れ、飛び掛かって来たところを俺は横に跳んで避けた。

 一度窓から落ちた事もあって、この行動は読めていた。それにダンに追い掛け回された事で避ける事が体に染み付いていた……一応訓練の成果はあるようだ。


「わふぅぅぅぅ!?」


 俺に避けられて咄嗟に反応できずなかったフェルは、浴場へと突入し、そのまま浴槽へとダイブした。


「おおお……、大丈夫か?」


 あまり深くない浴槽に勢いよく頭から突っ込んだので心配になり声を掛けた。放置すれば、もしかするとマリアのように底で沈んだまま長時間過ごす事になるかもしれない。意識を失っていれば、正当な行為だったが避けた事に罪悪感が湧く。


 だが、そんな心配は杞憂だった。すぐには出て来なかったが、フェルは怪我なくお湯の中から立ち上がって姿を見せた。生まれたままの姿を。


「服はどうした!?」


 先程まではフェルは間違いなく服を着ていた。

 だが、お湯の中から出て来ると服を一切身に着けておらず全裸だ。


「服? ケルベロス、知らないの? お風呂に入る時は服を脱がないといけないんだよ」

「正しいけど、今は間違ってる!」


 フェルは首を傾げて、不思議そうに俺を見る。


「間違ってる? 何が間違ってるの?」

「何をって……」


 異性の前で服を脱いじゃ駄目、と言えば分かってくれるだろうか? だけど、彼女は元々犬だ。服の概念がなかったはずだ。だが、オッサンが話したのか『お風呂に入る時は服を脱がないといけない』という教えは身に付いている。この教えに沿った言い方をすれば分かってくれるに違いない。


「えっと……別にフェルは風呂に入ろうとした訳じゃないだろ? だから服を脱ぐのはおかしいじゃないか」

「でも、今は風呂に入ってるよ。だから脱いだんだよ」


 ……教えに沿ったのは失敗だった。彼女の中ではお風呂に入る=脱衣のようだ。

 ここで異性の前で裸になってはいけないとしっかり教えるのも可能だが、フェルにそれを教えるには時間が掛かる気がする。そもそも上手く説明できる自信がない。


『異性の前で裸になっちゃいけない』

『どうして?』

『恥ずかしいだろ?』

『別に』

『…………』


 うん、駄目だ。簡単にシミュレーションしてみたけど、俺は人に教えるのは不向きだ。オッサンやサラに任せよう。

 それにマリアやクレアなどの発達した体をした女性ならマズいが、フェルは子供だ。子供の裸にそういちいち目くじらを立てる事もないか。


 フェルに服を着るよう説得するのはとりあえず諦めて俺は質問をする。


「なあ、どうして俺の捨てた服を嗅いでたんだ?」


 フェルの未発達な体よりも俺は先程の彼女の行動が気になっていた。


 俺の問いに対して、屈託のない笑顔でフェルは答える。


「良い匂いがしたから!」

「血塗れの服が!?」


 良い匂いって……血の匂いが? ええっと、もしかして犬から人になっただけでなくて、吸血鬼になったのか? デュラハンが居るのだし、吸血鬼が居ても不思議ではないけど……。


「えっと……フェルって、血の匂いが好きなのか?」

「違うよ。好きな匂いはケルベロス!」


 俺の匂いが好き? いや、まあ臭いとか言われるよりか良いけど……。


 自分の体臭が好きと言われて、どのように反応すればいいのか困っているとフェルは興奮気味に話す。


「あのね、ケルベロスの歓迎会で初めてケルベロスを見た時から良い匂いだなって思ったの! これまでお肉が焼ける匂いとか、お花の匂いとか、甘いお菓子の匂いとか、色々と好きな匂いはあったんだけど、ケルベロスの匂いはね、全く違うの! 甘いような、酸っぱいような、苦いような、辛いような、優しいような、不憫そうな、女運悪そうな、馬鹿そうな……色々な匂いが混じった複雑な匂いでね、とっても良い匂いなの!」


 それ本当に良い匂いなの!? というか後半悪口言われているようにしか思えないんだけど!? 馬鹿そうな匂いってどんな匂い!?


 などと叫びたかったが、フェルはまだ話し続けるので叫ぶ隙がない。


「すぐにでも近寄って思いっ切り匂いを嗅ぎたかったんだけどね、ユイカに投げられて嗅げなかったの。で、次の日にケルベロスに跳びついて、ようやく近くで胸いっぱい嗅げたんだけどね。やっぱり良い匂いだった! ずっと嗅いでいても良いと思えるくらい良い匂いだったの! でも、すぐにサラに引き剥がされちゃって、窓割ったの怒られちゃって。もう一度匂いを嗅ぎたいなーと思ったんだけど、ダンと訓練に行っちゃうでしょ。だから戻って来るまで我慢してて、さっき戻って来たのが分かったから部屋に行ったの。そしたらユーマがお風呂に行ったって教えてくれて、それでお風呂に来たらゴミ箱にケルベロスの服が捨ててあってね。ケルベロスのお汁がいっぱい染み付いているからかな? すっっっっっっごく濃くてね、良い匂いがするの! 頭がとろけちゃうくらい! ねえねえ、この服貰っていい? 貰っちゃ駄目? 捨てるからいいでしょ? ね、お願い!」

「……あ、うん。そんなもので良ければ、どうぞ」


 興奮気味に語るフェルに対して、俺はそれしか言えなかった。


 フェル、もしかすると彼女こそがイモータルの中で最も危ないかもしれない。マヤと博士より俺は実の危険を感じてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る