第16話 嬉しい不死身ハプニング
心身疲れ切った俺は宿屋に辿り着いて、ダンと別れると部屋に戻った。
「ただいまー」
「おう、お帰りって!? ケ、ケルベロス、どうしたんだよ!?」
「? どうしたって何が?」
「いやいや、お前自分の見た目ヤッバイからな! マジで!」
既にトラウマから立ち直っていたユーマに驚かれて何事かと自分の体を見た。
……ああ、これは確かにとんでもない事になっている。
服はあちこちに穴が開き、破れていた。そして服を、いや全身を真っ赤に染め上げる自身の血。ここに心身共に疲れ切った顔色の悪いであろう自分を組み合わせれば、下手をするとゾンビと勘違いされたかもしれない。
「ダンと訓練したんだろ? チョーキツイけど、こんなになった事ねえよ。お前、まさか訓練中に逃げ出そうとしたんじゃね?」
「そりゃ逃げるだろ。あんなの拷問じゃねえか!」
つい声を荒上げてしまった。先程までの訓練という名の拷問を思い出せば、それも無理もないと思う。不死身でなければ、確実に百回は死んでいたのだから。不死身だからやったのだろうけど、限度というものがある。
「おいおい、初日だから死に慣れる訓練っしょ? 最初はコエーけどジッとしてればサクッと殺して貰えるのに」
「あんなの耐えられるか! 最終的には森の中で猟奇殺人犯に追われている気分だったぞ!」
そういえば訓練から逃げようとしている最中、脳裏に何故か白いマスクを被った大柄な男が過ぎった。きっと失った記憶に関するとのだと思うのだが、それがなんだか分からない。だが、白いマスクの大男と追ってくるダンと酷似していた。
「新しく入った団員は皆あんな事しているのか? 下手をすると、傭兵の仕事をする前から戦場に出る事が嫌になるぞ」
幸い俺は耐え切れた。自分の強靭な心を褒めてやりたい。
「一応、あの訓練を受けた者で傭兵としと働けなくなったものは居ねーよ。なんやかんやダンもしっかり限界見極めて加減してるんだろうよ」
「加減!? あれが!? 背中に何本も槍や剣が刺さった状態でも頑張って逃げようとしたところを容赦なく両足を切断したダンが!?」
「よくそんな状態で逃げようとしたな!? そんなんだから容赦なかったんじゃね!?」
っ! た、耐えれば、あれほど酷い訓練にはならなかったのか……。次からは……次? 次もあるのか、あの訓練? 今日の訓練終わり、としか言われてない。え、どんくらいやるの?
「俺、最初から逃げてたから、そのまま避ける訓練に入ったんだけどさ……」
「あー、そんな訓練もしたなー、うん。散々即死攻撃を受けて来たのに、避けろって言われてな……マジ半端なかった。イラッとしたけど、とにかく逃げまくったわ」
「それ、どれくらいやった?」
「あれは……一ヶ月くらいだったか?」
「…………」
マジか。あれを一ヶ月も。
やりたくない、逃げ出したい、逃げていいよね、うん逃げよう。
「逃げようとか考えない方がいいぜ。逃げれば更にキツくなるぞ、マジで。誰かに助っ人頼んで二倍死にかけるだけだっての」
「あああああああああああっ……」
八方塞がりだ。現状よりも酷くなれば完全に逃げる事は不可能。最悪だ……。
「まあ、新人なら誰しも通る道。ケルベロスは根性あるみたいだし、まあ絶対大丈夫っしょ!」
落ち込む俺にユーマは優しい目を向けて来た。
彼も新人の時に同じ経験をして来たに違いない。仕方ない、俺も頑張るか。たぶん耐え切れなくて逃げるけど。
「ほら、風呂に入って血を落としてこいよ。髪の毛にも血がこびりついて酷いぞ」
「ああ……。あ、ユーマ、悪いけど服を貸してくれないか?」
「ん? あ、そっか、服ねーよな。オーケーちょっと待ってなー」
俺の所持品は、このボロボロとなった服だけで、替えの服なんてない。着替えや日用品は揃えないといけないな。でも金なんかないし、どうするか……。
とりあえずユーマから服を貸して貰い、風呂の場所を聞いて部屋を出た。
「さてと、確かこっち、だよな……」
風呂はどうやら一度に何人も入れるよう広いようで、足を伸ばして湯に浸かれるらしい。汚れを落としたらゆっくりと浸かろう。
疲労のあまり足に力が入らず覚束ない足取りだったが、なんとか浴場に到着する。
脱衣所で手早く血塗れの服を脱ぐ。これだけボロボロだと着る事はできないと思い、その場にあったゴミ箱に放り込んだ。
脱衣所には姿見があったので、そこに映り込んだ自分を見てみる。
……うん、容姿はそこまで悪くない。少なくてもロリコンには見えないはずだ。
ユーマにロリコン扱いされた事が気になっていたが、大丈夫だ。イケメンとは言わないが、平均的な顔をしている。
そんな事を確認し終えると、いよいよ風呂に入ろうと浴場の扉を開けた。
確かにユーマの言っていた通り、浴槽は広く三十人は余裕で入浴できそうだ。既に誰かが浸かっているらしく、浴槽の縁に頭を乗せて寛いでいる姿が…………あれ?
ここは宿に泊まっている客なら誰でも利用できる。だから自分以外が居てもおかしくない。だけど、今浴槽で寛いでいる人は……女性だ。しかも見た事がある。
「……ん? あらぁ、ケルベロスじゃないですか」
俺の気配に気付いたらしく、お湯に浸かったままこちらに振り向いて微笑む女性はマリアだ。当然ここは風呂である為、彼女は服を着ていない。幸いお湯は白濁で大事なところは見えていない。残念、いや良かった。
慌てて股間をタオルで隠しながら確認する。
「あ、あれ? 今って男湯じゃ」
この宿屋の浴場はこの大浴場ただ一つ。だから時間で男と女の利用を分けている。今は男の利用時間のはずだ。
「え? もう時間なの? ごめんなさい、うっかり長く浸かり過ぎたみたい。えっと…………今何時くらい?」
「今は六時だ」
「あら、じゃあ前の前の女湯の時間から入ってたみたい」
「は?」
男女それぞれの湯の利用時間は二時間ほどだ。だからマリアの言う事が本当なら四時間……いや、間に男湯の時間を含めると八時間だ。もしマリアの言う事が本当なら男湯の時間にも居た事になる訳だが……誰も入って来なかったのか?
「気分悪くなっちゃってね。意識を何度か失って……」
「あー」
そういえば彼女は不死身であるが、不治の病に侵されていると言っていた。体調が悪くなって意識を失い、ちょうど男湯の時間の時はお湯の中に沈んでいたのか。白く濁っていて底が見えない為、今まで発見されなかったのだろう。
「でも、そんなに前から入ってるなら、とっくに回復してるんじゃないのか?」
「うん。体調が治って何度か出ようかと思ったんだけどね。お風呂が気持ち良くって、なかなか出れなくてね。気付いた時には他の女性も居るし、まだ女湯の時間なんだなーって、ずっと入っちゃって」
「いや、出ろよ。溺死しかけても入ってるって、どんだけ風呂好きなんだよ」
「ええ、お風呂は大好きなの。お風呂は休みの日には一日中入っている時もあるくらい。病気のせいでいつも肌寒いんだけど、こうしてお湯に浸かっているとポカポカして生きてるーって感じがするの」
だが、風呂の底に沈んでいるのを発見した人は心臓に悪いだろう。不死身である事を知らない人にとっては、どう見ても溺死体。
人が死んだ風呂なんて悪評が立っていないか、彼女がこれまで利用した宿や公衆浴場が心配だ。
「でも、男湯の時間なら一回出ましょうか」
そう言って、浴槽の縁に手を掛け立ち上がる。
白濁のお湯に包まれていた、女性らしい丸みを帯びた肢体が晒され慌てて目を背けた。
そんな俺の反応を見て、マリアは裸を晒している事には気にしていないようだが、何かに気付いたように手を叩く。
「あ、ごめんなさい。長く生きていると羞恥心が薄くなっちゃうの」
「い、いえ、お気になさらず」
俺に配慮してか、自分の胸と股間を手で隠したマリアは、小走りに通り過ぎ「ごっゆくり」と一言俺に声を掛けて浴室から出て行った。
脱衣所から衣擦れの音がし、暫くして人の気配がなくなる。
彼女が居なくなると、ようやく体にこびりついた血を落とそうと浴槽の脇で膝をついて、洗面器でお湯をすくって掛ける。
不老不死で長い時間を生きていると、やはり普通の人とは少し違ってくるんだなと思うのと同時に、彼女の普段は色白なマリアの火照った裸が頭から離れなかった。
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