第15話 訓練という名の地獄

 ダンの言葉に俺は未だかつてないほどの衝撃を受けていた。


 まさか吸い心地とはな……。


 おっぱいで最も重要な事、それは吸い心地。

 ダンの意見を聞いた時、雷が落ちたかのような凄まじい衝撃が全身を駆け巡った。


 俺は忘れていた。そう人類、いや母親の腹から産まれる生物のおっぱいの原点は吸う事であると。歯も生えていない小さな小さな、まだ蝋燭の火のような弱々しい命だった頃、皆おっぱいを吸っていたんだ。おっぱいは生まれた時の初めての食事であり、おっぱいを吸う事がまさに命そのものの原点。そうか、おっぱいで一番大切な事、それは吸い心地……。俺とユーマもまだまだケツの青いガキだったんだな……。


 俺の前を歩くダンの背中が大きく見えた。

 さすが長い時を生きてきた男…………この人のもとで訓練をすれば俺は成長できるかもしれない。傭兵として、一人の男として。


 俺はダンの特訓が例えどんなに辛いものであっても、食らいついてやると決意した。


 そして街の外にある、森の開けた広場で特訓が行われるのだった。


「よし、不死身の傭兵としてまず最も大事なのは死に慣れる事だ」

「……ほう」


 ダンによるレクチャーが始まった。死に慣れるというのは……ちょっとよく分からないが、不死身の人間にとってはきっと必要不可欠なものに違いない。ダンの言う事に間違いはないはずだ。


「だからイモータルの最初の訓練は……色々な死に方を経験するぞ」

「ほう…………へ?」

「よしっ! 歯を食い縛れっ!」

「は? ぐぼっ!?」


 次の瞬間、腹部と腰部に熱を感じ、その次に激痛を感じた。見るとダンの肘までが俺の腹に埋まって、いや貫通して腰のあたりから俺の血で赤く染まっている手が飛び出していた。


「ダ、ダン……これは?」

「お、意識を保ってるなんてタフだな。それとも既に二、三回死んでるから多少は慣れたか?」


 まるで俺の体を自分の腕で貫通させている事が何でもないかのように、そんな感想を呟きながら腕を引き抜いた。


「げほっ!」


 膝をつき口から血の塊を吐き出す。そして腹部と腰部からは血がダバダバと流れる。血の流出の勢いは止まる事はを知らない。そして血を流し過ぎたせいか、寒く、頭が回らなくなった。


 バチャッ、と周囲に血を飛び散らせながら、自身の赤い水溜まりへと倒れる。


「失血死ってところだな。まあ、失血死なんて不死身になりたての奴だけだ。不死身の力が安定したら、血が流れ過ぎる前に回復するぜ。意識を失っても起こしてやるから安心しな。訓練、頑張ろうな」

「…………」


 ……訓練? 拷問の間違いじゃない?


 そんな事を思いながら意識を失った。

 そして体感で十分くらいだろうか、目が覚める。ダンは倒れた俺を見下ろしていた。


「おっ、目が覚めたか。早かったな。体は回復していたようだから起こそうと思ったんだが。さあ、次やるぞ」


 自分の血で赤くなった体を起こして俺はゆっくりと立ち上がる。そしてダンに背を向けた。


「断る!」


 俺は街へと向かって走り出した。


 こんな訓練受けてられっか! 色々な死に方を経験する訓練て何だ! 戦場に行く前にトラウマものじゃい! 精神に異常起こして発狂するわ!


 傭兵としての成長? 男としての成長? はっ、そんな苦労するくらいなら成長なんてしなくていい。むしろ退行してやる!


「逃がすかよ!」

「ごふっ!?」


 またしても腹部と腰部に熱を感じ激痛が!?

 腹部から突き出ていたのは槍だった。何処から取り出したのか分からないが、ダンは槍を投げて来たようだ。ただ、槍の勢いが強くて俺の体を突き抜けて木に刺さる。


「こ、これしきの痛みで怯むか!」

「がっはっは! 新人のくせに根性あるな! 普通だったら痛みのあまり倒れてるぜ!」


 逃げ切れるか? そう思いチラリと愉快だとばかりに笑い声を上げるダンを振り返る。すると空中に魔法陣が浮いており、ダンはそこに手を突っ込んでいた。


 あれは……収納魔法だ。生物以外のものを収納する事ができる空間を作り出す魔法。出し入れは自由で、込める魔力量によって収納量が変わる。おそらく先程の槍もあそこから取り出したのだろう。


 何を取り出すのかと思えば、引き抜かれた手には二振りの剣を指に挟まれていた。


「これならどうだっ!」

「っ!?」


 指に剣を挟んだまま、その手を勢いよく振り下ろす。

 すると剣は指から放たれ、勢いよく回転をしながら俺に迫って来た。


「マジかよ!?」


 俺は横に跳んで避けようとした。だが、避けた先へと追い掛けるように剣の軌道が変化する。その結果、一つは回避できただが、もう一つは回避しきれず右足を膝の上の部分から綺麗に切断されてしまう。


 このままだと、また失血死を味わう事に、いや。この程度なら死には至らない。おそらく、もうひと手間加えられる事になる。その証拠にダンは既に次なる獲物を手にしていた。

 

 ハンマーだ。鉄製の。それを両手で持ちながら俺を見る姿は、恐怖でしかない。


「諦めてたまるか!」


 切り離された右足を咄嗟に掴み、そのまま左足で跳ねながら森の中へと逃げ込んだ。


「おいおい、あの状態で逃げるかよ……。ついでに教えてやるけどな! 切れたばかりなら切断面を合わせろ! くっつくから! 一から元に戻るとなると時間が掛かるぞ!」


 そうなのか。だが、今は距離を取らないと。このままでは、あのハンマーの餌食だ。


「うおおおおおおおおおおおおおっ!」


 俺はおそらく生涯で初めて死ぬ気で片足飛び、別名ケンケンをした。

 意外と全力ケンケンは速かった。命からがらケンケンをしているからか、両足で走っている時とあまり変わりないかもしれない。この速さならダンから逃げ切れるかもしれないと希望が湧く。


「がっはっは! ケルベロス、お前スゲーよ! 新人で、特訓中に俺の視界から逃れる事ができたのは、お前が初めてだぜ!」


 森の中を懸命にケンケンしながらダンの大声を背中で受ける。褒められているようだが、嬉しくない。褒めなくていいから訓練をやめてくれ。


「だけどよ。この訓練は必要な事なんだよ。俺達、不死身にとっちゃ。死なないというのは強力な武器になる。だけどな、死を理解していないと肉体を回復させるまでに時間が掛かるもんなんだ。肉体的にも精神的にも死を理解する事で肉体の回復は早くなるし、隙も最小限に抑えられる。相手に拘束されるっていう最悪なパターンも防げる。だから死に慣れるのは大事なんだよ……だから」


 突如、強い風が吹いた。木々の葉が激しく震え、俺は思わず目を瞑った。そして目を開けると。


「死んで貰うぜ」


 目の前にはハンマーを振り上げているダンが居た。

 そしてハンマーが俺の頭に向かって振り下ろされるのを最後に見て、意識を失った。確実に頭蓋骨はグチャグチャだ。間違いない。


 それから俺は目を覚ますと再び逃げ出してはダンに捕まり死を経験し、逃げ出しては死を経験するを繰り返した。その結果、広場を中心に森のあちこちが血だらけだ。地面や木々に血が付着し、まるで何十人もの人がここで殺されたような凄惨な現場となっている。


「や、休ませて……せめて、休ませてくれ……」

「おおっ、いいぜ。そして喜べ。死に慣れる訓練は終わりだ!」

「マジで!?」


 訓練を始めて三時間くらい経過しただろうか。数分に一回の割合で死に掛けては復活、死に掛けては復活の繰り返しだった。ようやくこの理不尽な輪廻から解放されるのか……。


「次の訓練は、死に慣れてしまったから、俺が殺しに掛かるから死を回避する訓練だ」

「死に慣れさせておいて何を口走ってんだテメエ! しかも、やる事は結局変わらねえじゃねえか!」


 怒声を上げる俺に対して、平然とした様子でダンは訓練の説明をする。


「充分に肉体も精神も死に慣れたからな。これで少しは回復の速度が上がるだろう。だが、結局のところ死ななければ良い訳だ。だから、今度は全力で死から逃げろ」

「いや、さっきから俺逃げようとしてるからな! 死に慣れながら逃げてたんだから、この訓練はいらないでだろ! というか、やる事は今までと全く変わらないだろ、それ!」

「まあまあ。日はまだ高いんだから、いいじゃないか。ボーナスステージだと思え」

「こんなボーナスステージいらない!」


 俺は逃げた。だが、ダンからは逃げられない。

 こうして日が沈むまで、みっちりと何度も死を味わった結果、精神と肉体が鍛えられ、痛覚が多少麻痺し、体に穴が開いた程度ならすぐに塞がるようになった。着実に普通の人間ではなくなってるな……俺。


 そして森はあちらこちらに俺の肉片や血が散らばっていた。ダンは動物やモンスターが食べてくれるだろうと言って、特に何もしなかったが、誰かが食べているところを目撃したらどう思うだろうか。


 行き倒れの死体を食べているのだと思ってくれればいいが、凄まじい血肉の量だ。凄惨な事件が起きたと思うだろう。だが、心身共に疲れ果てた俺にはそんな事を気にする余裕はなく、鉄臭くなった森を後に宿へと帰る。


 途中、門番に俺の血塗れの姿を見て、血相を変えて引き留められたが「イモータルの傭兵だ。訓練してた」とだけ言うとすんなり通してくれた。イモータルは昔から領主と関わりがあるらしいから慣れているのかな? 何だか怯えているようにも見えたけど……まあ、通してくれるのだから別にいいや。


 とりあえず部屋に戻ったら寝よう。今日は疲れた……。

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