第15話 転移というもの?

 自分が動いてもいないのに周りの景色が目まぐるしく変わっていくという現象は、吐き気をもよおすものでした。

麻子は思わず目を閉じてしまいましたが、オープンリールのテープが巻き戻るようなキュルキュルという音までは締め出せませんでした。


音が止まったと思った瞬間に、座っていた椅子がなくなってしまったようで、麻子は体勢を崩してお尻を思い切り冷たい地面に打ちつけてしまいました。

「痛っ!」

両手で身体を支えながら恐る恐る目を開けると、目の前には暗い洞窟の入り口があったのです。


?? どういうこと? 

「また、ダレン村に戻ってきちゃったの?」


麻子が呆然としながらも、冷たい地面から起き上がって、泥だらけになった手やお尻をハタいていると、ポケットの中にいた白竜のエスタルが外に出てきました。

そして眩しい光を放出しながら変形していくと、真っ白い髪の少年になったのです。肌も服も白いので、二つの目だけが異様に黒々としているように感じました。


「エスタルさん……?」

「いかにも。魔女アサコよ、ここは我の住処にあらず。リーンの洞窟じゃ」


フフフ、クックック


洞窟の中から響いてくる笑い声は徐々にこちらに近づいてきているようです。

鈴を転がすような高く澄みきった美しい声でした。


エスタルがジリッと足を踏ん張った時です、麻子の頬をスッと撫でる長い指の感触がありました。


「姿ぐらい現したらどうじゃ?」

「フフフ、久しぶりね、エスタル坊や。そして異世界からのお客様、麻子といったわね。うちの娘が惚れ込んだだけはあるみたい。マキシーにぴったりの魔力波動ね」


声がした場所の空気が歪んだかと思うと、陽炎かげろうのようにゆらゆらと揺れながら女性の姿が現れてきました。

硬質な光沢がある金色の布のようなものを身体にまとっています。空気は冷え込んでいるのに、すらりと伸びた白い脚には何も履いていません。細い足首に鈴のアンクレットだけをつけていました。


「リーンよ、そなたも娘も何を考えておる? 原始魔法爆発は禁忌じゃ。それはそなたが自ら決めた自然界のことわりであろう」

言い聞かせるようなエスタルの言葉を聞きながら、リーンと呼ばれた女性は両手の指先を合わせて自分の顎のところに持っていきました。そして美しい目を一度閉じてしばらく考えると、眉をしかめて薄目を開き、再びエスタルを眺めました。

「ええ、それは坊やに言われるまでもないこと。でもね、やむを得ない事情といったらどう?」

「まさかここの世の終わりが近いのではあるまいな?」


え、世の終わり?!

マキシーが誰なのかを考えていた麻子の耳に不穏な単語が聞こえてきました。


「ほらほら、そんなことを言ったらお嬢さんが心配するでしょ。まだ手当はあるの。それがこの子とマキシーの肩にかかってるわ。でもね、そのためにはタイミングと素早さが要求される。だから原始魔法爆発もやむを得ないのよ、エスタル」

「フンッ、我は反対じゃ。終わりは人間どもが選んできた選択の結果じゃ。それにそこな魔女は、ケンドリックス・ウランジュールにこそ相応ふさわしい。なにせ我の土地の者であるからして……」


また新しい名前が出てきちゃった。

エスタルもこの女の人も、いったい何を話しているんだろう?


「もうっ、あなたは子どもの癖に変なとこにこだわるんだから。そんなことを言ってる場合じゃないの。坊やだって子孫の飛び竜たちのことは心配でしょ? 私も一からやり直すのもめんどくさいし、このタイミングに賭けるしかないのよ~」


「あの……世の終わりとか原始魔法爆発とか、マキシーにケン……なんとかさんとか、なんかよくわからないんですけど……それに私は普通の日本人で、魔法とかも使えませんし……」

麻子が二人の話に割り込むと、女の人は微妙に微笑んで口をつぐみました。しかしエスタルは頭を振って、麻子に向き直ったのです。


「このリーンはここの世を造りしものじゃ。どうも世が終わる危機が迫っておるようじゃな。原始魔法爆発というのは空間をひずませる。ほれ、一瞬にして都の茶店からビューレ山脈のリーンの洞窟に我々を運んだであろう。これを何度も使っていると、世界のタガが外れていくんじゃよ」

「少しのひずみなら回復力があるわ。そんなことよりもマクシミリアンを起こさなきゃ! ケンドリックスには荷が重いのにあのバカ者どもったら……」


エスタルが言った『ここの世を造りしもの』って、神様のこと?!なんて驚いている場合じゃなかった。


「い、今、マクシミリアンって言いました?! それって、マクスのことですよね! マクスはどこにいるんですか? 怪我をしてるんですか?」


麻子の矢継ぎ早の質問と迫ってくる勢いに、リーンは目を見開いて驚いていたが、ドヤ顔をしてエスタルの方を見た。

「ほぉらね。うちの娘もいい仕事をしたわ」

エスタルはチッと舌打ちをして、光を放ちながら段々と大きくなり、やがて最初に見た時の白竜の姿に戻りました。


「魔女、アサコよ。我はまだ諦めんぞ」


そう言って、物凄い風を巻きあげながら空に飛び上がって行ったのです。


「やれやれ、頑固な坊やだこと。まだ千年紀代だから幼いのよ。もう少しして万年紀を超えると少しは分別が出てくるんだけどね。ところで麻子、あなたは魔法が使えるのよ。別の世界からやって来た魂にはここの世にない量の魔力が宿る。想像してごらんなさい? あちらの世の人間は大きな想像力を持ってるでしょ?」


リーンの声が響き合いながら洞窟の中に消えていくと、彼女の姿も徐々に揺れて空気の中に溶けていきました。


一人で取り残された麻子は、しばらくの間ブルブルと震えながら暗い洞穴を凝視していました。


何だったの?


夢か現なのかわからないような一時の出来事でしたが、最後に聞いたリーンの言葉が催眠術のように麻子を取り巻いていました。


想像する。

想像…………私は、魔法が……使える。


手のひらを目の前に出し、震える声で「光よ! なぁんちゃって……」と言った途端、手のひら全体から光の奔流が噴出してきました。


「うわわわわっ!!」


マジですか…………


どうやら、本当に麻子は魔女になったようです。

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