第4話 初陣そして引退

 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 六月。女子バレー、野球、陸上の春大会から、その延長線上にある全ての試合が終わった。残りは中学の最後、夏の大会を残すだけとなった。

 七月にある最後の大会の初日に向けて、毛利先生はチームでミーティングを行うよう指示を出した。雪村に聞く限りこのようなミーティングを開いたことはなく、海港中学バレーボール部史上初のこと。さらにまずは男女別に話し合い、その後男女混合で話し合うという二段階方式での行われることになった。

 男子のミーティングでは、そもそも試合のレギュレーションをみんなが知らないこともあり、わかりやすく説明することがミーティングの始まりだった。

「それで伊野部、全国に行くにはどれくらい勝てばいいんだ」

 開口一番、神田がバカげたことを言いだした。そもそもバレー部としての練習は今年の一月から始めたばかりで、途中テストの点数が悪く空白の時期もあった。そんな急造チームで全国という単語が真っ先に出てくるとは完全に予想外だ。

「全国大会に出るには東北地方や関東地方や近畿地方などの地方代表にならなきゃいけないんだ。そのためにはまず地方大会の出場権を獲得するために都道府県大会で上位に入ること、都道府県大会に出るためには市町村大会で上位に入る、市町村大会に出るためにはその下の地区大会で勝たなきゃいけないんだけど、海港中学がある市は出場校が少し多めで地区大会の前に地区予選があるんだ」

 バレーボールという競技の競技人口は減少しているが、出場校数は都市部ではまだ比較的多い。昔はもっと多かったと言うのだから試合の数はもっと多かったのだろう。勝ち上がるまでに何回も大会を勝ち抜かなければならないことを考えると、全国大会という頂点の大会までの距離は多少短くなっているのかもしれない。しかし、それでも遠いことに変わりはない。

「野球部でもそうだろ。勝たなきゃ上には行けない。だからとにかく勝てばいいんだよ」

 村山の言葉に神田は「そうだな」と納得した。

「それで、他に大会について質問はあるか?」

 特に質問はないのか、みんな静かだ。

 それもそうだ。みんな野球部と陸上部で勝たなければ次の大会に進むことができないことはわかっている。それがバレーボールでも変わらないことがわかれば、もう細かい確認事項以外は質問せずともわかるのだろう。

「伊野部は?」

 逆に問われて、一つどうしても聞いておきたいことがあり、その質問をみんなにぶつけた。

「みんな、掛け持ち無しでバレー部になったって本当なのか?」

 どうしても聞いておきたかった質問。野球部と陸上部の十一人は力強く頷いた。

「山辺の演説、伊野部にも聞かせてやりたかったよ」

「演説?」

「そうそう、やるなら本気でやれっていうアレな」

 野球部だった六人が顔を見合わせて笑った。

「山辺らしくない演説だったな。俺ら六人を春の大会ではフル出場させるけど、それが野球部としての引退試合で夏の大会は使わないってな。バレー部を手伝う気があるなら本気で手伝いに行かないと失礼だろってさ」

「まぁ、野球部としての試合は全力でやったし、バレー部の試合も全力でやらなきゃいけないからこれで良かったと思うぞ」

 どうやら野球部監督の山辺先生が、野球部員達に何かを言ったらしい。その結果、彼らの現在の所属は野球部ではなくバレー部となった。

「それだったら俺らも田原に呼び出されて話したぞ」

「真剣にバレー部を手伝う気があるなら少しでも多くバレーボールができる環境に身を置くのが普通だって言われたな」

 詳細はよくわからないが、山辺先生も田原先生もここに集まったメンバーは春の大会を中学最後の試合として、夏の大会はバレー部に専念させる考えのようだ。

「もともとテストの点数が悪いと掛け持ちはダメだって言いだしたのって、山辺と田原だろ? 何かあったのかな?」

「さぁ? 掛け持ちじゃなくて完全にバレー部になるのは良かったってことか?」

「かもな。でもそうなると野球部と陸上部での最後の試合ができなくなるんだぞ」

 何か考えが変わるきっかけがあったのか、もともとそういうつもりだったのか、直接山辺先生と田原先生に聞かなければわからないことだ。しかし聞いたところでそう簡単に、それも詳しく教えてもらえるとは思えない。

「まぁ、春の大会で最後だって言われて納得して試合に出たわけだし、後はバレー部で全国目指すだけだ」

「全国って言っても野球部の時ですらかすりもしてないだろ」

「だから目指すんだよ」

 根拠や自信があるようには見えない。ただ意気込みとしては全ての大会の頂点である全国大会を目指すというのは悪くないのかもしれない。

「あっ、そうだ。みんなはしばらくバレーの練習ができていなかっただろ? それのに、下手になってないよな?」

 むしろ技術の面では少し成長しているような気がした。警察沙汰とは少し違うが、陸上部の五人のように夜間に個人練習でもしていたのだろうか。

「それならあれだよ。ほら、あの太いコーチの人」

「持田コーチ?」

「そうそう。あの人、ママさんバレーチームに所属しているだろ?」

 実際に練習している場面を見たことはないが、そういう話は聞いたことはある。

「そのママさんバレーの練習場所が夜の海港小学校だって聞いて、時間があればそこでボールを使わせてもらったんだ」

 バレー部としての活動は認められていないが、地域のママさんバレーの練習に参加するのは禁止されていない。そう言うつもりなのだろうか。

 しかし彼らが人の目を盗んで練習をしているとは驚いた。

「俺にも声をかけてくれればよかったのによ」

「伊野部は怪我だったからな」

「そうそう、それにサプライズ的な意味合いでは良かっただろ?」

 練習の蓄積にサプライズを求めるのはどうか、とため息が漏れる。

 しかしママさんバレーとは盲点だった。男子中学生のレベルでは、もうママさんバレーの練習はあまり役に立たない。しかしバレーボールの経験値が低く毎日練習できないメンバーなら、基礎的な力をつけることやボールの扱い方を忘れないことなど、大いに役立つ点が多々ある。バレーボール経験者の男子が混ざるには物足りない環境も、バレーボール初心者の男子が混ざるのには意味があったのだ。

「しかしママさんバレーか。よく思いついたな」

「いや、雪村が教えてくれた」

「雪村が?」

「そう、雪村が、な。今より下手になりたくなかったらボールは触り続けた方がいいって言われて、海港小学校でママさんバレーをやる日を教えてくれたんだよ」

 どんなスポーツでもそうだが、練習をしなくなると感覚が鈍くなる。特に習得したばかりの新しい技術ほど、身体に馴染ませたり深く覚えさせたりしないとすぐに忘れてしまう。バレーボール初心者の彼らは練習を少しサボっただけですぐに下手になってしまう。それを防ぐために、雪村が一肌脱いでくれたようだ。

「後で礼を言わなきゃな」

 雪村に大きな借りができてしまった。




 ~雪村聡美(海港中学三年・女子バレーボール部キャプテン)~


 男女で別れてのミーティング。男子が何を話しているかはひとまず置いておき、女子は女子で確認しておきたいことがある。

「それじゃあミーティングだけど……」

 集まっている女子部員全員を一度見渡し、キャプテンとして自分の掲げる目標を全員にはっきりと告げる。

「私は全国大会に行く気でいる」

 反応は様々。上級生は頷いたり驚いたりしているが、この春中学生になったばかりの新入部員は全国大会という言葉の重みがよくわかっていないようだ。

 中学生の大会では全国大会は一年を通して最後の夏の大会しかチャンスがない。つまり一年に一回、三年で三回しか挑戦できない。一年生の頃から試合に出てきて、去年は伊野部のおかげもあって海港中学としても過去最高戦績だったらしい。なら、その最高戦績を更新することは目標としては当然で、問題は目標をどこに定めるか。その目標設定を全国大会出場というラインにしたいと、キャプテンとしてみんなに告げたのだ。

「私はいいと思うけどね」

「賛成、全国目指そうよ」

 セッターの梨子、リベロの恵那。二人して賛成票を投じてくれる。

「全国か。行きたいけど、道は険しいよね」

 沙百合は賛成票を投じてはいるが、現実的に厳しいという見方をしている。

「もちろん、普通に今まで通りやっていても無理だと思う」

 去年の過去最高戦績は練習相手に男子が一人いたことで、女子の常識に当てはまらない攻撃に対応することが出来るようになったことが過去最高戦績の要因の一つだと考えている。なら、今は男子の数は去年より多い。もちろん対戦相手として申し分のない選手は伊野部しかいない。しかし考え方次第では、素人とはいえ男子チームの存在は他校のチームにない大きなアドバンテージとも言える。

「今まで通り上級生チームと下級生チームに分かれてのレギュラー強化も、チームを半分に分けての紅白戦も、いいところはある。でもレギュラー強化のための相手チームの力不足はどうしても避けられない。だからまずは私たちで、できる限り男子を強くする」

 三月頃、男子のチームはようやく試合をできるようになった。技術や駆け引きははっきり言って素人同然だが、運動能力が高いメンバーが揃っていたこともあり、攻撃力という点では女子チームを大きく上回っている。

 技術や駆け引きが上手く成長すれば、おそらく女子がどれだけ頑張っても勝てないチームになるはずだ。世界各国の女子の代表チームが日本で世界バレー大会をする際、強豪の男子高校生のチームと練習試合をすると聞いたことがある。世界バレーに出場する世界各国のナショナルチームにとって、日本の高校生男子の強豪校はいい練習相手になるらしい。各学校の強さ次第ではあるが、世界の女子のナショナルチームを圧倒することも珍しくないそうだ。

 男子と女子で確かなチーム作りをすると、高校生が国の代表レベルを倒してしまう。それが男子の強さ。相手チームとして男子が強ければ強いほど、毎日強い相手と練習試合をすることができる。素人同然の男子チームも練習試合を通してバレーボールという競技の技術や駆け引きを学ぶ。男子を強くするという計画は良いことが多い。

「男子は強くなると思うけど、間に合うかな?」

 目下の問題は時間、これしかない。時期はすでに六月。七月には夏の大会が始まってしまう。それまでに男子が強くならなければ、練習相手として不十分の相手と毎日練習試合をすることになってしまう。

「間に合うか間に合わないかはわからないけど……間に合わせるしかない」

 男子としても試合経験は少しでも多い方が良い。女子としても強い相手と何度も試合ができる環境は良いに越したことはない。残された時間は少ないが、男子のメンバーはみんなスポーツ経験者で運動能力が高い。間に合わせることができる可能性は十分にある。

「じゃあ、今まで通りじゃダメだよね」

「うん。女子中心の練習の合間に男子がコートを使う。そんなのじゃダメ」

 女子バレー部しかなかったこともあり、コートの使用は女子が中心になっている。男子はコート外で基礎練習をすることが多く、今まではなかなか試合のような練習はできなかった。しかし聞くところによれば、男子のメンバーも本腰を入れてバレーボール部として活動するようだ。試合も控えている。なら、女子がコートを占有し続けるわけにもいかない。

「男子にもしっかり練習してもらうよ。男女でコートをフルに使ってね」

 女子にあっけなくやられた三月頃の強さのままでは男子も納得しないはずだ。まずは女子と同じように全体練習をして、練習試合を重ねる。双方のプラスになるようにするには女子チームの頑張りが重要になってくる。

「聡美さぁ、前からこうするつもりだったの?」

 梨子の問いに「考えてはいたよ」と返すと、なにやら納得したように頷いていた。

「だから男子の練習にママさんバレーチームを紹介したんだ」

「だからってわけじゃないけど、しばらく練習しなくて下手になられるとまた基礎からでしょ? そうなるとこっちも迷惑だしね」

 それに本気でやろうと考えている人がいたのなら、手を貸してあげたいと考えるのは自然なことだろう。

「じゃあ、目標は全国。そのためにまずは男子には普通のチームになってもらおう」

 ミーティングでひとまず方向性が決定した。あとは男子チームがどれだけこちらの思いに応えてくれるかだが、ずっとスポーツをしてきたメンバーばかりだ。多少の不安はあるがそこまで心配はしていない。

 それに一緒に練習してきたからこそ彼らにも最低一勝はしてもらいたい。そのためにまだしあげられることもあるが、これはもう少しチームとして形ができてからでなければ無駄に混乱させてしまう。

 今は、彼らのチームの形作りにできる限り協力しよう。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 春から続いていた大会は終わり、これで女子は本格的に夏の大会に向けてチームを作っていくことになる。一方で男子だが、野球部と陸上部の掛け持ちだったメンバーは全員が男子バレーボール部となった。

 職員室で最初に山辺先生と田原先生から聞いたときには少々驚いたが、これが彼らの考えと決断というのであれば尊重する。それにバレー部にとってもこれは悪い話ではない。今までは掛け持ちだったこともあり、練習時間は本来所属している野球部と陸上部の方が長かった。このまま夏の大会の日になるまで同条件で練習を続けても、大きな進歩は見られなかっただろう。

 しかしバレーボール部に所属することになったことで、全ての時間をバレーボールの練習時間に使うことができる。今までできなかった練習に加え、試験の点数の関係で中断を余儀なくされたチーム練習にも時間を割くことができるようになる。

 しかし少々練習時間が増えたくらいで、今までずっと練習してきている他校のチームに勝てるわけがない。そんなことが起こるのは映画やドラマや漫画やアニメなどの創作物の中だけだ。

「毛利先生。あいつらのこと、よろしくお願いします」

 職員会議が終わって職員室から体育館へ行こうとしたところ、山辺先生と田原先生がやってきて頭を下げる。

「おう、みっちりしごき倒したるわ」

 彼らはこれから男子バレー部として本格的に、そして本気で練習に挑むことになる。クラブの顧問としても手加減は無用だ。むしろ手加減をしている余裕などない。

「二人がらしくない男気を見せたわけやし、あいつらもやる気がある。後悔するような試合をさせるつもりは一切ないからな」

 山辺先生と田原先生。二人は春の大会で偏ったメンバー選考をした。バレー部を掛け持ちするメンバーを春の大会で優先的に選んだのだ。理由は引退試合。夏の大会には出さない代わりに、春の大会には出場させた。春の大会には出場させる代わりに、夏の大会はバレー部として全力を尽くせと指示を出したのだ。

 二人がこのような判断を下したのには理由がある。試験結果が悪くて掛け持ちが許されなくなった後、掛け持ちのメンバーの小さな努力が目に留まるようになった。授業の合間の休み時間に復習をして、小テストでは良い点数が増えた。クラブ活動でも野球部と陸上部での活動は真面目で、練習が終わったらすぐに帰っていた。おそらく帰って勉強をしているのだろう。

 彼らの努力の甲斐があり、テストの結果も良かった。そこまで真剣にバレーの試合に出たいというのであれば真剣にバレー部として活動をしろと、両クラブの顧問は今回の決断に至ったわけだ。

「野球部と陸上部、そっちに戻りたいって泣きを入れてくるくらいやったるわ」

 そう言って笑うと、山辺先生と田原先生も笑う。ちょっとした冗談を言って笑い合ったような会話だ。しかしバレー部として勝ちに行くには、最低限がそのレベルでなければ間に合わない。

「あいつらのこと、見守ってやったってくれや」

 バレー部としての練習量は尋常ではないものになるだろう。職員室を出る直前、カレンダーがあり目が留まってしまう。ついつい無意識に、試合の日まで何日あるのかを数えてしまう。

 体育教官室につくなり、余計な荷物は全て放り投げるように置く。今頃ミーティングをしているか終わった頃くらいだろう。ウォーミングアップが終われば、今日から自分も練習参加する。自然と身体に力がこもる。

 体育教官室から体育館へ行く前に、机の引き出しを開ける。提出されることのなかった春の大会のメンバー登録用紙。それを見ると自然と感情が高ぶってくる。

 心身共に燃え上がるような感覚をまとい、体育館へと踏み込んでいく。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 毛利先生が体育館にやってきて、ミーティングの内容について質問された。男子も女子も何故か全国大会という結論に達したことに毛利先生が笑っていた。女子は真面目に目指しているのに対し、男子は気概だけで言っている。それは全員わかっている。

「ここにおる全員が全国狙いやな。ようわかった」

 毛利先生はそう言っていつも通り、ソファーに腰掛ける。そしていつも通り練習が始まるのだが、練習開始直前に雪村が肘で小突いてくる。

「なに?」

「男子全員に言っておいて。毛利先生、動く気満々だから覚悟しておいてって」

「え?」

「靴、ゆったり履いてないから」

 言われて視線を毛利先生の足元へ向ける。履いている靴はいつもと変わらないが、いつもより靴がギュッと締まっているのがわかる。

 毛利先生が動くというのは、野球部で言うなら顧問の先生が直々にノックするようなもの。コートに守備練習として数名を立たせ、毛利先生が自らボールを打つ。その練習は頻繁に行われるわけではない。二年の春に入部してから数えるほどしかなく、行われるきっかけは練習の雰囲気が緩んでいたり、試合などでイージーミスが連発したりした日の翌日などに限られていた。

 夏なら全員が大量の汗を流し、床を拭くモップと雑巾の出番は急増する。ある程度時間が経つとネットを挟んで反対側のコートへ移動し、空いたコートの汗を拭く時間を取る。しかし練習は止まらず、また汗で床が濡れるとコートを移動する。その練習が長く続くため一度毛利先生が動くと、終わった頃には部員全員の体力が限界に近づき休憩が必ず必要となるのだ。

「おい、毛利先生、本気みたいだぞ」

 ウォーミングアップが始まる。先に心の準備だけでもしておいてもらおうと、男子メンバーに小声で声をかける。彼らはまだ毛利先生が自ら動いた練習をはっきりと見たことはないのだ。

「上等だよ。やってやる」

「そうじゃなきゃ勝てないんだろ」

 口々に強気な言葉が出てきた。練習が始まった現時点の彼らのこの強気。これが練習終了時に残っているかどうか、不安を感じながらの練習は始まった。


 練習開始から一時間半ほどだった頃、存分に動き回った毛利先生が教官室へと引き上げていく。

「五分休憩や。次は男女で試合や」

 教官室に毛利先生の姿が消えた後、男子メンバーはみんな体育館の床に座り込んだり倒れ込んだりしている。バレーボールの厳しい練習にまだ身体が慣れていないのでしかたないとは思うが、慣れているはずの女子や自分でさえ膝に手をついて荒い呼吸を整えようとしている。存在だけでなく練習の厳しさも鬼だ。

「五分で体力戻らねぇよ……」

 愚痴のような弱気発言。野球部や陸上部出身なのに足にもかなり疲れが見える。使う筋肉やなれない動きはやはり相当身体に堪えるらしい。

 さらに休憩時間は五分と短く、休憩が終わった後は試合形式で対戦する。ほとんど休むことなく練習を続けるのもかなり厳しそうだ。

「お前ら、水は飲んどけよ」

 汗をかいた服を着替えて、コーヒーを片手にソファーに座る毛利先生。男子も女子も全バレーボール部を相手に動き回った当人が一番疲れていそうなものだが、涼しい顔をしてコーヒーを飲みながら休憩時間が終わるのを待っている。

 この人は体力まで鬼なのか。初めて人外に出会った気分だった。

 まずボールを打つ速度が速いコートに三人から四人、守備練習で入っていても全員に待ち時間がない。さらにコートを左右へ駆け回り、ボールは強打と軟打を打ち分け、打つ場所によって強弱まで変えている。真正面なら強く、少しズレた位置なら弱く、離れた場所なら緩く、とにかく芸が細かい。持田コーチにコーチングを教えてもらい、多少上達したとは思っていた。しかし毛利先生はその数段上で、持田コーチすら及ばない。

 さらに練習中に声の強弱や言葉も選んでいるように感じた。練習は厳しく体力的に厳しいものだったが、精神的に盛り上げたり周囲を煽ったりするのが上手く、気が付いたら体力をギリギリまで使ってしまうように雰囲気に流され乗せられているように感じた。

「おーし、そろそろ時間や。試合形式の練習に行くぞ」

 コーヒーをゆったり飲んでいる毛利先生とは対照的に、次の練習に移ろうとする選手達の動きは重かった。

「スタメンどうする?」

「俺、先に審判したい」

「俺も……」

 練習になれていない男子メンバーは少しでも休憩を長く取りたいのか、試合形式の練習のスタートの六人から外れようとしている。女子はレギュラーメンバーがほぼ決まっていることもあって逃げられないし、男子の中でずっとバレー部だった自分も逃げられない。残りの五人を誰にするかが話し合われる。

「じゃあ俺は先に行く」

 身体能力がみんなより頭一つ抜けている神田が一番に手を上げた。みんなより体力があるのか、それとも疲労が抜けるのが早いのか、それとも練習にもうなれてきているのかわからない。しかし神田は自ら行くと手を上げた。

「おい、男子」

 残りの四人を誰にしようかと悩んでいると、ソファーに座る毛利先生の声が響いた。

「伊野部はセッターや。お前は打たずに他のメンバーに打たせろ」

 試合形式で得点を取るには試合の流れの中でスパイクを打つしかない。そのためには高い技術でトスを上げられなければならない。唯一長くバレーをしていることから、試合形式になるとよくセッターを命じられた。

「伊野部セッターで二セット、伊野部がスパイカーで二セット、メンバーを変えながらやるからな。後はまた指示する」

 体力の消費が激しい練習後に練習試合を四セット。さらにその後がある。そう聞いてしまうと精神的に辛い。しかし練習をすればするほど勝利に近づくと思えば、練習にだって身が入る。

「よし、じゃあ身長が高いメンバーでまずチームを組もう」

 身長順ではないが、バレーボールという競技は高さが命だ。身長の高いメンバーを優先的に選出して、試合練習へ挑む。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 ひとまず四セット。それを終えて休憩と水分補給をさせている。今見た試合形式の練習の結果を分析すると、男子は伊野部がセッターをしている方がわずかだが強い。


・練習試合の結果

「伊野部がセッター」

 男子 0(13-25・14-25)2 女子

「伊野部がスパイカー」

 男子 0(10―25・11―25)2 女子


 スパイクが打てなければ得点は伸ばせない。そのために良いトスを上げるために伊野部をセッターにするのは、現時点では有効なポジション設定だろう。伊野部はスパイクの技量もメンバーの中で一番だ。そうなると伊野部をスパイカーとして使えないとなれば、普通は攻撃力が下がる。しかし打てるトスが上がらなければスパイクそのものが打てない。つまりトスが上げられなければどれだけ有能なスパイカーがいても得点には繋がらないのだ。

 つまり伊野部にこのままセッターをさせて、多くのスパイクを他のメンバーに打たせてチームの強化を図るか、もしくは伊野部にスパイカーをさせて他にセッターを育ててチームの強化を図るか、判断しなければならないことになる。

 伊野部の次にスパイクが上手いのは神田だ。いや、神田はほぼ全てのプレーで二番手と言って良い。伊野部をどう使うかで神田のポジションも変わってくる。そしてその判断一つで試合がどう動くかも変わってくる。勝利という目標を目指す以上、少しでも勝率の高い状態で挑みたい。

「次は神田がセッターやってみろ」

 しかし判断を焦ってはいけない。まずは誰がどのポジションに適していて、誰がどのプレーが上手いかを見定めなければならない。素人同然の中でも運動能力の高いメンバーだ。必ず最適解が見つかるはずだ。

 そのためには数をこなさなければならない。全員に全ポジションをさせて、向き不向きを見定めてチームを作る。時間は多く残されてはいないが、焦ってしまえば勝利は遠のいてしまう。

 慎重に急がなければならない。そんな難しい状況でいかにして問題を解決するか、監督としての実力が問われている。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 過去最高に長かった練習が終わった。学校内で灯りがついているのが体育館だけという状況。着替えて体育館の前に全員が集まり、毛利先生の本日最後の話を聞く。

「試合まで後だいたい四十日くらいや。もう時間もないんやから、明日からは今日の慣らし運転みたいな練習じゃ済まんから、今日はさっさと帰ってよう休め。以上や」

 毛利先生の話はそれだけ。全員で一礼して帰路につくが、その帰り道の会話は自分の身体の疲労の蓄積具合自慢に終始した。

 そして翌日、本当に昨日の練習が楽だと思えるくらいの猛練習が待っていた。昨日を格段に超えるテンポの速さと練習の種類の切り替わりの速さ。あまりの密度の濃さに時計を見ることすら忘れ、立ち上がるのも億劫なほど疲れ、気が付けば試合形式の練習の時間になっていて、その時に足腰の限界が近いことを再確認する。

 それだけ疲労困憊になってからの試合形式は辛かった。バレーボールをずっとやってきた自分が辛いのだ。野球部や陸上部から移ってきたメンバーはもっと辛かっただろう。それでも女子を含めた全員でなんとか二日目を乗り切り、三日目四日目と時間が過ぎていく。

 週末は学校が休みでも朝から一日練習で、午前中だけですでに体力は限界。昼食を食べ終わると昼寝をしたり、そもそも食欲がなく昼食を食べるのに時間がかかったり、昼休憩の様子からも練習の厳しさがよくわかる。

 そして昼からの練習が始まる。午前中のように徹底的に厳しい練習をするのかと思いきや、昼からの練習は普通の練習とは少し様子が違った。

「持田、審判任せたで」

「はい」

 週末で練習に来ていた持田コーチが審判を務める視界形式の練習。

「試合前の練習と公式練習、タイムアウトもメンバーチェンジもコートチェンジもあり、セット間の時間も全部計った、完全に公式戦風にした試合練習や」

 模擬公式戦を男女の練習試合で行うという。タイムアウトの権限はキャプテンが持ち、公式戦通り一セット二回まで。メンバーチェンジの回数も決まっているルール通り。完全に公式戦を想定した練習試合だ。

「女子は今まで公式戦を経験しとるが、男子は経験しとらんからな。本番の予行演習は必要やろ」

 余計なことに頭を使ったり気を取られたりすると、試合に集中できなくなってしまう。特に公式戦初経験となるメンバーが十二人中十一人の男子は、もし全員が試合に集中できないという状況になると致命的だ。ただでさえ他校のチームより練習時間か短い急造チームだ。全力で戦えないとなれば勝利どころか、そもそもバレーボールの試合として成立する内容になるかすら危うい。

 本番の日に試合以外のところで狼狽えないように、公式戦がどういう流れで進むかをあらかじめ知っておくというための練習だ。

「始めろ。二セット先取の三セットマッチ、日が暮れるまでや」

 練習の様子は少し違うが、練習の密度の濃さは相変わらずのようだ。

「とりあえず昨日の練習試合で一番点が取れたポジションをスタメンでやってみるか」

 日々練習を積み重ね、毎日試合形式の練習を繰り返す。最初は全く女子チームの駆け引きやテクニックに相手にならなかった男子チームだが、少しは太刀打ちができるようになってきた。それでもまだまだ得点差はある。試行錯誤を続けて一番良いポジションを見つけ出す為にも、練習をひたすら積み重ねるしかない。

 今日も一日、日暮れまでバレーボール漬けだった。




 ~雪村聡美(海港中学三年・女子バレーボール部キャプテン)~


 練習が終わって自宅に帰ると、まっすぐ風呂場に直行する。練習終了と共に妹に連絡を入れて、風呂に湯張りをしてもらうのだ。そして帰宅するなりすぐに風呂に入って汗を流し、足をマッサージして疲れを取る。ここ数日はこれが日課になっていた。

「お姉ちゃん、お風呂上がった?」

「うん、今日もありがとう」

 妹には色々と手伝ってもらっている。そのおかげで選手として全力でバレーボールに打ち込めている。自宅に帰るなり身体のケアを行うのも、バレーボールをする選手として競技を一番に考えてのことだ。

 しかしただ選手として競技中心の生活を送っていればいいというわけではない。女子チームのキャプテンでもあり、一応バレーボール部の生徒の中では男女含めて一番上に経っていることになっている。バレーボール部全体にも目を配っておかなければならない。

 そしてその立場だからこそ、こういうこともやっておかなければいけないのだ。

「仁美、ちょっとテレビ借りるから」

「また? 私がお風呂から上がる頃には終わってよね。ゲームしたいから」

 妹の仁美は完全なインドア派。運動はしないで家に籠もってゲームばかりしていることが多い。もしくは深夜にハードディスクに録り溜めしたアニメを消化しているかのどちらかだ。そのせいかただでさえ姉妹で似ていないと言われていたのが、最近は体型も横に太くなってきてますます見た目が遠ざかってしまっている。

「ゲーム、ねぇ。これはなんてゲーム?」

 テレビの前に座り込んでずっとゲームをしている仁美。面白いのだろうけど、やりたいと思わないのは何故だろうか。ゲームをしている妹を間近で見ているからか、妹がしているゲームの種類に問題があるのか。

「恋愛ゲームだよ」

「恋愛ゲーム?」

「そうそう、ギャルゲー。主人公が大勢いる女の子を攻略していくゲームね」

 恋愛ゲームと聞いて、クラスメイトもスマホなどでしている子はいる。しかしほとんどが女主人公で多くの男性キャラとの恋愛を楽しむものだった気がするのだが、何故か妹は男性主人公で多くの女性キャラとの恋愛を楽しむ方を選択している。

「あんた女でしょ?」

「そうだけど? あっ、お姉ちゃんもしかしてボーイズラブ派? だったら良いのあるけどやる?」

「やる余裕ないし、時間が合ってもやらないから」

 元々見た目も父親似と母親似で違っていて、身長や骨格も似ていなかった。それでも姉妹として一緒に暮らしているが、ここまで趣味趣向がかけ離れていると姉妹かどうかを疑ってしまう。

「今日も試合の分析?」

「そう。もうすぐ夏の試合の抽選が決まるからね」

「ふーん、大変だね」

 そう、キャプテンは大変なのだ。特に勝利を目指すと決まったチームのキャプテンは、ただチームをまとめるだけでなく勝つために一番努力しなければならない。

「お姉ちゃんに言われて試合の撮影まで行ったけど、どうしてそこまでするの?」

「勝つため」

「ふーん」

 相手の情報がわかればそれだけ勝率が高くなる。分析が確かならそれだけ相手の攻撃手段がわかり、弱点を突くことができる。試合とはただ練習した結果が出るだけでなく、どれだけ試合以外のところでも勝利に貪欲になれるかも重要なのだ。

「まぁ、私はお礼に今度ゲームを買ってもらうからいいけどね」

 妹に撮影を頼んだとき、あからさまに嫌そうな顔をされた。そこでお礼として夏の最後の大会が終わったら好きなゲームを小遣いで買うという約束をしたのだ。そうすると妹は手のひらを返して言うことを聞いてくれた。痛い出費だが、これも勝利という結果のためだ。

「それで試合会場で何か情報はあった?」

「バレーボールに詳しくない私にそこまで聞く?」

 インドア派ゲーマーの妹にそこまでの情報を求めるのは間違っていたのかもしれない。

「何でも良いから。変わったこととか、目立ったこととか、何かなかった?」

「うーん、面白そうなカップリングもなかったしなぁ」

 本当にただ試合の映像を撮影しに行っただけのようだ。これ以上何かを聞いても妹の口から有益な情報は得られそうにない。

「あっ、そうだ。桂北中学のキャプテンのエースが都道府県選抜候補とかって話は聞いたよ」

「へぇ、都道府県選抜候補、か」

 思わぬところで情報が手に入った。キャプテンを務めるエースが都道府県選抜候補。そうなれば試合中の攻撃は一人に偏る可能性が高い。その点も注意して試合を分析するとより深くチームの情報が手に入るかもしれない。

「ありがとう」

「どういたしまして。じゃあお風呂行ってくる」

 姉妹の部屋から出て行った仁美。しかし間髪入れずに再び部屋に顔を出す。

「ところでお姉ちゃん、どうして男子の試合を分析しているの?」

「勝つためって言ったでしょ」

「……ふーん、まぁいいか。じゃあお風呂行ってくる」

 仁美の言い方がなにやら気になったが、部屋に一人という集中できる環境になった。試合の映像をテレビに流して、男子の試合を見ながらデータとして紙に色々と記録していく。誰がどこからどういうスパイクを打ったか、どこのミスが多かったか、誰がチームの主軸になっているか。

 最後の大会の抽選結果が出る前に、分析を終わらせなければならない。少々焦りはありながらも試合のデータを細かく取っていく。バレーボール部の勝利のために。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 七月に入り、試合まで残り二週間。体育館にやってきた毛利先生が全員に一枚ずつ紙を配った。

「地区予選の抽選結果や」

 一枚の紙の上下に男子と女子の組み合わせが乗っている。男子の地区予選への出場チームは六校。対して女子は十三校。競技人数に差があるのは知っていたが、ここまで如実に差があると目で見て確認したのは初めてだった。

 女子は地区予選レベルなら有利な組み合わせになるシード権を持っている。過去の大会を見てきた経験から言うと、おそらく市大会も突破するのはそこまで難しくはないはずだ。そうなると気になるのは男子の抽選結果。

「桂北中学、海港中学、大島東中学の総当たり戦……か」

 対戦相手が決まった。しかし残念ながら他校の男子のチームの強さがよくわからない。女子なら桂北中学は強かったが、男子も強いのだろうか。一年以上バレー部にいたが、他校の強さに関する情報は女子の分しかなかった。

「ボーッと抽選結果見とっても何も変わらんぞ。練習や、ほら始めろ」

 とりあえず抽選結果の紙は鞄に入れ、今日の練習を始める。

「伊野部、帰りに少し良い?」

「良いけど、どうかしたのか?」

「ちょっと渡したいものがあるから」

「わかった」

 それだけのやり取りのあと、すぐに今日の練習に取りかかった。


 練習終了後、雪村は紙の束とDVDのディスクを二枚、渡してきた。

「これは?」

「桂北中学と大島東中学のデータと試合の映像」

「……は?」

 いきなりのことで雪村が言っている意味がよくわからなかった。

「妹に頼んで春の大会の試合を撮影してもらっていたの」

「へ、へぇ、お前に妹いたのか」

 雪村に試合の映像を渡されたことで動揺しているのか、全く話題にする必要のないことを口走っていた。

「それでどうしてこれを?」

「勝つために決まっているでしょ?」

「それはそうだけど、どうしてわざわざ男子の試合まで?」

 雪村は男女両方のバレー部を統括している部分もあるが、女子のチームの選手でありキャプテンだ。わざわざ男子の対戦相手の映像を用意するだけでなく、データ分析までして渡してくれるとは予想外だ。

「本気で勝つ気があるみたいだから、私にできることをしてあげただけ」

 女子のキャプテンとして、男子の勝利にもできる限り手を貸す。そう言う考えのようだ。

「ありがとう。絶対に勝ってみせるからな」

 なんとなく勝てそうな気がしてきて、力強く雪村に言い切った。すると返答の代わりのように、彼女は大きなため息を漏らした。

「それはどうかと思うけど?」

 勝つという意気込み。それを削ぐように、彼女の雰囲気は少し暗かった。

「男子の地区予選の出場校は桂北中学、大島東中学、大島南中学、川壁中学、高江中学、そして海港中学の六校。二週間後の地区予選は三チームで総当たり戦をして、上位にチームが翌日に地区大会のトーナメント戦をして市大会出場チームが決まるの。つまり最低でも一勝しないと翌日に進めないわけ」

「わかってるよ。だから勝つって」

「簡単に言うけど、この地区の五校を強さ順に並べると桂北、川壁、大島東、大島南、高江、そしてあなた達。特に桂北は頭一つ抜けて強くて、川壁と大島東が二番手を争う三強状態なの。大島南と高江はそこまで強くないから、くじ運が良ければどちらかと当たると思ったけど、そうはならなかったの」

 三チームで市大会出場枠の二チームを争う力関係。その強い三チームのうち、二チームと戦って最低一勝しなければならない。厳しい戦いが予想される。

「さらに抽選順が桂北、海港、大島東でしょ? 一回戦が頭一つ抜けて強い桂北として、二回戦は連戦で大島東とするの。強い桂北とやって体力を減らして手の内をさらした状態で大島東との連戦。三回戦の桂北と大島東の試合が翌日のトーナメント戦の位置を決めるだけの順位決定戦ってことも十分あるわけ。わかってる?」

 翌日の試合に進めるのは二チーム。対戦相手が悪いだけでなく、対戦順も最悪。くじ運は海港中学男子チームにとって最悪の結果だと言っていい。

 しかし抽選に文句を言ってもしかたがない。抽選だけはどれだけ努力しようと変えることができないのだ。なら決まってしまった抽選結果の中でどれだけベストを尽くせるかだ。

「じゃあ、桂北相手に勝ちに行くしかないな」

 同地区内で頭一つ抜けて強い桂北中学。そこに勝てば次の大島東も上手く勝てるかもしれない。

「そう、じゃあまず私たちに勝ってからにしてよね」

 試合を二週間前に控え、まだ女子相手に勝ててはいない。三セットマッチで一セットを取ることはできても、三セットマッチで勝てていなかった。得点は僅差なので少しの違いで勝つことができそうだが、その少しが上手くいかなかった。これが長年公式戦で戦ってきた試合経験の差だとするなら、他校の男子チームと戦って勝つなど夢のまた夢だ。

「ポジションはだいたい固まってきたんだよな。でもさすがに経験値不足はどうしようもないな。細かいミスや駆け引きでの負けが問題だってわかってはいるけど……」

 緩いボールをセッターポジションに丁寧に出さなければ、セッターはトスを上げるのに苦労する。苦労して上げたトスは綺麗なトスとは言い難く、スパイクのミスが起こりやすくなる。そういったミスがどうしても治らないのだ。

 さらにフェイントやツーアタックなど、意表を突いた攻撃にもなかなか対応できないでいた。試合中に相手が行ってくる駆け引きの全ての読みが甘いのは経験不足だから。原因はわかっているがそれを補うために必要な練習時間はない。

「上手く付き合っていくしかなさそうね」

「そうだよなぁ」

 時間と数をこなして上手くなっていくプレーはどうしても間に合わない。間に合わないものはどうしようもない。なんとか弱点を隠しつつ、強みを生かして得点を重ねるしか方法はないだろう。

 技術が足りないためコンビネーションも時間差攻撃も使えない。攻撃手段はほとんど高くトスを上げるオープンスパイク。このバレースタイルでどこまでやれるかわからないが、やれることはやって勝ちに行くという気持ちは揺らがない。

「相手のエース以上に打って得点を重ねるしかないか」

「へぇ、すごい自信ね。じゃあ都道府県選抜候補相手に打ち勝てるかどうか、楽しみにしているから」

「え? 選抜候補? なんだそれ?」

「データに書いてあるからよく読んだら? じゃあね、確かに渡したから」

 雪村はそう言って帰っていくが、こっちは雪村を見送るどころじゃない。相手チームのエースが都道府県選抜候補だとは思わなかった。大慌てでもらったデータに目を通す。

「マジかよ……」

 強い相手だとは思っていたが、もしかするととてつもない相手なのかもしれない。勝つ気は揺らがないが、自信は少し揺らぎかけていた。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 夏の試合まで後十日ほどと迫った頃、ようやく男子チームが女子相手に三セットマッチでの練習試合で勝利を挙げた。女子のスパイクは決まりづらくなり、男子のスパイクは決まる確率が高くなった。女子はフェイントやツーアタック、コンビネーションに時間差攻撃など、戦術や技術やチームワークを前面に押し出した攻撃で勝ち続けてきたが、男子がその攻撃に少しずつ慣れてきたのが理由だろう。

 おそらくこのまま試合形式の練習を続ければ男子の勝率が上がっていくだろう。もちろん試合に向けて自信をつけるという意味では、女子に安定して勝てるというのは重要だ。しかしそれだけでは勝利するのは難しい。

「ネットの高さを上げてスパイク練習や」

 男子にはさらに自信をつけさせなければならない。高いネットでスパイクを打てるようになってこそ、試合でも良いスパイクを打つことができる。

「あの、もうすでに男子の高さなんですけど……」

 いつも試合形式の練習が終わった後、男子のネットの高さにしてスパイク練習を行っている。男子は男子の高さで打てるように、女子はより高い位置でボールを打つことができるように。

 その練習の最中にネットを上げろと言ったことで、男女ともに戸惑っているようだ。

「高校男子の高さにしてスパイク練習や。ブロックが三枚ついた状態やと思って全員思い切り打て」

 中学生男子の高さから高校生男子の高さまでネットを高くする。さすがにここまで高くすると女子のスパイク練習にはならない。よってスパイクを打つのは男子だけだ。

「女子はボール拾ったれ。時間が勿体ないから男子はさっさとスパイク練習するんや」

 高校生男子のネットの高さでのスパイク練習は最初、伊野部ですらなかなか良いスパイクを打てなかった。しかし数をこなしていくうちに伊野部は打てるようになり、続いてか神田も打てるようになってきた。伊野部は当然として、やはり神田は他のメンバーよりも運動能力という才能は秀でている。

「よし、今日はそこまででええやろ」

 通常のスパイク練習以上に高い位置でボールを打たなければならない。女子のネットの高さで基本を学び、男子の高さで基本ができるようになった。ならさらに高い高校生男子の高さで同じように基本ができるようになれば、さらなる強化に繋がる。そして男子が良いスパイクを打てるようになれば、それを試合形式での練習で相手をする女子の守備力も向上していくだろう。

 試合十日前で、ようやく男子も男子チームを相手に戦えそうなチームになってきた。

「今日は終わりや。クールダウンして後片付けや」

 選手達に指示を出して教官室に引っ込む。鞄から携帯電話を取り出すと、メールが一通届いていた。注文した商品がいつ届くかという連絡だった。

「おお、そうや。一件電話しとかなあかんかったな」

 メールが届いていたことで連絡をしなければならない相手がいたことを思い出した。試合まで後十日で相手がどう判断するかわからないが、まずは当たってみなければ始まらない。相手の番号を電話帳データから探し出して、電話をかけた。




 ~神田啓介(海港中学三年・男子バレーボール部)~


 試合前日。女子相手に負けることが少なくなって自信も出てきた。スパイクの技術も上がって得点力は高くなっているし、レシーブ力も最初の頃とは比べものにならないくらい向上している。

 後はこのまま試合会場に行って対戦相手に全力で挑むだけ、と思っていたがそうではなかった。試合前日は翌日に疲れを残さないため、最終調整と確認のために三セットマッチを一回行っただけで練習が終わった。外がまだ明るいうちに学校を出るのはいつぶりかと思っていると、男子全員が伊野部の家に誘われたのだ。

 遊び半分で伊野部の家に行くと、そこで見た対戦相手の試合映像が流された。対戦相手の実力を映像で見て、高まっていた気持ちが急激に勢いを失っていくのを実感している。

「これ、強いよな?」

「ああ、間違いなく強いな」

 今年バレーボールを始めたばかりの人間でも、対戦相手が強いチームだというのがわかった。特に背番号一番のスパイクが異次元で、打てばほとんど決まってしまう。ボールの速さや角度やコース、どれをとっても真似できそうになかった。

「こいつヤバすぎるだろ」

 野球の試合では一人すごいピッチャーがいれば、相手チームを無得点に抑えることができる。陸上のリレーでもすごい奴がアンカーにいれば、最下位からの大逆転で一位を取ることだってできる。一人すごい奴がいればそいつの活躍だけで試合の勝敗が決まってしまうということは珍しくない。

「桂北中学はこの都道府県選抜候補のエースを中心にけっこう市内でも勝っているらしいんだよ」

 伊野部が手元の紙を見ながら相手チームのデータを話している。しかしそんな細かいデータを言われても、試合をした経験が女子チームしかない自分たちにはピンとこない。

「とにかく、このエースをなんとかするしかないんだな」

 伊野部が力強く頷く。勝つには相手のエースをいかにして潰すかだ。それなら野球でもある。エースになるべく球数を多く投げさせて疲弊させて後半勝負に持ち込んだり、バントや盗塁を駆使してキャッチャーや守備を乱れさせたりする手もある。

 バレーボールにはどういう手段が有効かわからないが、相手チームのエースをどう潰すかというのが勝利への鍵のようだ。

「それで、どうやって潰すんだ?」

 この質問に伊野部は口を閉ざした。

「おい、伊野部?」

「……ああ、いや、正直どう潰せばいいかわからなくて悩んでいるんだ」

「方法がないのか?」

「いや、方法が無いわけじゃないんだけど……こっちの実力的に作戦が成立するかどうかわからないんだ」

 バレーボール初心者を集めて短期間練習しただけのチームだ。女子相手につい最近までいいように遊ばれていたレベルだ。そのメンバーで作戦を立てても成立するかどうかわからない。伊野部の不安はもっともだ。

「それでもやるしかないんだろ?」

 試合でどこまで作戦を的確に実行することができるかどうかわからない。しかし無策で挑んで勝ち目があるような相手でもない。それなら確率は低くても、作戦を立てて挑む方がまだマシだ。

「じゃあ、このデータを元に俺が立てた作戦を話す。わからなかったら何でも質問してくれ」

「おう!」

 バレーボール部として最初で最後の夏の大会。その前日の練習は早く終わったが、みんなが帰宅する時間はいつもとそう変わりはなかった。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 夏の大会の試合当日、試合会場設営も大詰めを迎えている。すでに一年生と二年生だけで全ての裏方が可能になっている。自分たち三年生が引退しても大丈夫だろう。

 それよりも今日は一つ不確定要素がある。同じ地区に新しいチームがエントリーしてきた。海港中学は女子が強いという話は聞いているが、今まで男子チームは存在しなかったはずだ。それが急にチームを作って試合に出てきた。三年生の最後の大会になっていきなり出てきたことで、どんなチームか全くわからないままし合いに挑まなければならない。

 夏に新チームとして参入するくらいだ。おそらく四月に入学した新一年生を中心としたチームだろう。それなら四月の大会への出場はなく、この夏の大会に出場した理由に納得がいく。しかし海港中学近辺の小学生バレーチームは女子しかなかったはず。何故男子のチームが出場するのかはわからないが、新一年生ばかりのチームならそこまで脅威に思う必要はないかもしれない。

「ちょっと慎重になりすぎか?」

 今年こそはもう一つ上の大会に進出したい。都道府県の強豪レベルではなく、全国を狙える強豪レベルとして上を目指したい。

 今まで惜しいところまで来ているのだ。しかし惜しいと言うだけでもう一つ上に行くことができない。去年も一昨年も、最後の夏は毎年惜しいで終わっている。それを自分たちの代で変えるのだ。

「すみません」

 会場設営中に聞き覚えのない声が聞こえてきた。体育館の入り口にやや背の高い、見覚えのない男が立っていた。

「海港中学です。どこで着替えれば良いですか?」

 背は高い方だろうか。体格も悪くない。スポーツを長年やってきていることは間違いなさそうだ。

「案内します」

 動こうとした後輩に会場設営を続けるよう指示を出し、みんなより一足先に初戦の相手である海港中学と対面することにした。

「更衣室はこちらの教室を使ってください」

「ありがとうございます」

 海港中学の人間をよく見ると新一年生には見えなかった。三年生だろうか。そうなるとバレー部がどうして今までなかったのか、疑問が尽きない。

「おーい、ここで着替えるんだってよ」

 他の海港中学のメンバーが呼ばれて集まってくる。総勢十二人。登録メンバーは十二人なので十二人いることは何もおかしくはない。人数は何もおかしくは無いのだが、彼らの風貌がおかしかった。

「あざーす」

「おっしゃ、さっさとアップしようぜ」

「まだ早い、落ち着け」

 口々に話す海港中学の面々。そのメンバーの十二人中十一人が、室内競技らしからぬ日焼けした肌が目立ったのだ。しかも全員の平均身長が高い。日本人の平均身長が約170と少しだが、それと同じかそれ以上あるかもしれない。十二人全員が、もれなく背が高いのだ。

「全員バレー部……ですか?」

 無意識に、ついつい聞いてしまった。

「そうです」

 唯一バレー部らしそうな色白の男がそう答えた。

「そ、そうですか。では……」

 日焼けだらけのメンバーでみんなバレー部。もしかしてビーチバレーのチームはあったのだろうか。室内競技の試合に出ていないだけで、屋外のビーチバレーの試合には出ていたのかもしれない。

 最後の夏の大会当日の朝。不可解なチームを目の当たりにして、気味の悪さが不安を煽りかき立ててくる。深呼吸をして心を落ち着かせようとするが、なんとも言えない感情はそう簡単に収まってくれないのだった。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 ユニフォームではなく練習着に着替えて、桂北中学の体育館の中に入る。全員で試合会場となる体育館を見て、少しだが安心できた。体育館の天井の高さはほとんど変わらない。会場全体の広さもあまり変わらない。署名は少し暗めだが、大きな違いはない。海港中学の体育館で練習していた環境と大差なかった。

 何故か桂北中学の面々にジロジロと見られたが、特に話しかけられることもなかったのでスルーした。

「おい、お前ら。荷物運ぶの手伝え」

 桂北中学の体育館にやってきた毛利先生に呼ばれ、十二人全員で駐車場へと移動する。そこで毛利先生の車から荷物を降ろす。バレーボールにボールを入れる籠、スポーツドリンクが入った段ボール、そして何が入っているかわからない軽い段ボールが一つ。

「毛利先生、これは何ですか?」

「ユニフォームや」

「え? でもユニフォームは前にもらいましたけど?」

 試合数日前に全員の背番号を決めてユニフォームを配った。四月の大会に間に合わせるために作った試作品のようなユニフォームで、白いシャツに「海港」という文字と番号が入っただけというシンプルなものだった。雪村に聞くとシンプルなユニフォームは珍しくないらしく、納得して受け取っていた。

「複雑なデザインの奴は時間がかかる言われたんや。四月の試合前は急いどったし、これだけ注文したんやが、今回は時間があったからもう一つ注文したんや」

 段ボールを開けて中野ユニフォームを取り出す。上は赤地に白と黒の派手なデザイン。下は白のシンプルなデザイン。下の白のシンプルなデザインはひとまず置いておき、上野赤地に白と黒のデザインはどこかで見たことがあるような気がした。

「女子も新しく一つ注文したんや。女子は下も赤やけどな」

 全員が自分の番号のユニフォームを手に取る。どうやら上のデザインは男女で同じもののようだ。

「伊野部、どうした?」

「いや、このデザインどこかで見たことがあるような……」

 見たことがあるデザイン。しかしどこで見たのか思い出せない。バレーの試合の動画はたくさん見てきた。その中のどれかだとは思うが、答えが思い当たらない。

「前回のワールドカップの時の日本代表のデザインに一番近い奴にしたんや」

 考えても答えが出なかったところに、毛利先生が答えを教えてくれた。そしてその答えはまさかの日本代表のユニフォームだった。

 見たことあって当然だ。テレビで放送される試合だ。現役の選手であれば代表戦はまず間違いなく見る。

「日本代表とほぼ同じデザイン……」

 ナショナルチームのユニフォームに近いデザインと聞いて、なんだかとんでもないものを持っているような気がした。ユニフォームを持っているだけで気後れしてしまいそうだ。

「何やお前ら。ビビっとんのか?」

 毛利先生は心の中を見透かしたかのように、こちらの心境を的確に言い当てた。

「お前らに怖いもんなんか何もあらへんやろ。むしろ新参者に負けるかもしれへんって怖がるのは対戦相手や」

 言われてみればそうだ。失うものなど始めからありはしない。今年結成されてブランクを挟んだ急造チームだ。ランキングを作れば間違いなく最下位だし、実力で見ても今日は相手の方が上だ。なら、そもそも恐れるという感情を抱くこと自体が間違っている。

「お前らはお前らのやれることをやったらええんや。前評判も経歴も関係あらへん。勝負の世界は勝ったらええんや」

 できることは限られている。それを精一杯やって、その結果が勝利になれば良い。最初から恐れていては勝てるものも勝てないし、萎縮して勝てるような状況にいない。なら博打のように勝負を仕掛けに行くだけだ。

「よっしゃー! じゃあこのユニフォームであいつらボコりに行くぞ!」

 ひときわ大きな声が桂北中学の駐車場に響いた。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 荷物を選手に預けて体育館へ。桂北中学の体育館も体育教官室が体育館と一体化している。そして海港中学と一緒で、試合前に体育教官室で各校の監督が体育教官室に集まる。

「どうも毛利先生」

 桂北中学男子バレーボール部顧問の江川美代子が出迎えてくれる。

「この度は海港中学の男子チームでのエントリー、ありがとうございます」

 何故か深々と頭を下げられた。

「礼を言われるようなことは何もしとらんで」

「いえいえ、野球やサッカーなどメジャー競技の人気と少子化で選手の獲得が難しくなるばかりの男子のバレーボール。そこに新規参入してきてくださったのですから、同じ男子のバレーボールに携わる人間としてお礼は言っておかなければなりません」

 桂北中学の江川美代子。彼女は男子バレーボール部の監督を務めているのだが、男子バレーボール部の監督を務めるようになった経緯は実に単純だ。前任の男子バレーボール部の監督が抜けたため、その空いた穴を埋めるために監督に就任した。

 桂北中学はそういった方式でクラブ活動の穴を埋めていくため、桂北中学の女子バレーボール部の監督は男の先生が務めている。

「僕の方からもお礼を」

 大島東中学の男子バレーボール部の監督を務める春日健剛。数年前に就任して上手くチームを強化した、指導力のある若手の監督だ。

「うちの男子チームはおそらく来年はあらへんで」

「それでも、ですよ。競技人口を増やして裾野を広げていかなければ、バレーボールをする男子がいなくなってしまいます」

 大会に出場するチーム数も減ってきている。この辺りはまだ人口の多い土地のためそれなりにチーム数はあるが、田舎の方へ行くとかなり悲惨だという話を聞いたことがある。

「それに毛利先生のチームとは一度対戦してみたいと思っていました」

 大島東中学の春日先生が握手を求めてくる。

「いくつかの学校を渡り歩いてその全てで高い戦績を残してきていると聞いています」

「女子だけやけどな」

「はい、そして海港中学でも残念ながら女子の監督でした。ですがそんな毛利先生のチームと戦える機会が巡ってきて嬉しい限りです」

 にこやかに握手をしているが、言葉の端々になんとなく挑戦的な雰囲気を感じる。

「何はともあれ、連盟の方では地区の再編をする話も持ち上がっている中ですが、海港中学のエントリーは歓迎します」

 出場校数の減少で地区の再編が行われる可能性については聞いていた。しかし女子は出場校数がまだ多いため、再編されるのは男子だけになるのではないかと言われている。今日明日のうちに大きな変化が起こる話では無いが、近い将来何かが起こる可能性は十分考えられる。

「それでは今日は互いにベストを尽くして、良い試合をしましょう」

「そうやな。まぁお手柔らかに頼むわ」

 良い試合をしようとか、戦えて嬉しいとか、そうは言っているがどちらの監督も負ける気は毛頭無いのだろう。夏の最後の大会で負ければ三年生は終わりだ。当然二項とも勝つ気でいる。

 もちろん海港中学の勝率が一番低いのもわかっている。しかしこちらも格上のチームに一矢報いて、牙をむいてかじりつき、隙あらば勝利をもぎ取る気でいる。

 試合前、和やかとは到底言えない空気が体育教官室を支配していた。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 一言で言うなら、異様。

 試合会場内で練習する海港中学。日焼けした長身選手ばかりが揃っているこのチームは全てが異様だ。

 まずかけ声がおかしい。様々な試合会場で多くのチームと対戦してきた。練習試合で高校生と試合をしたこともあるし、高校生の試合を見に行ったこともある。そのどこでも聞いたことのない、そのどことも似ていない、そんなかけ声があまりにも異様だった。

 そして試合前の練習が異様だった。普段は海港中学の女子チームの監督をしている毛利先生。大会レベルが上がれば男女が同じ会場で試合をすることもあり、見たことがある強面の先生。その先生が試合前とは思えないほど激しく動き回り、その激しい練習を慣れないかけ声や声援で周囲が盛り上げている。

 そして今行われている合同練習の時間が終われば公式練習が始まり、その後すぐに試合開始だ。それなのに海港中学側の観覧席にはまだ誰も座っていない。相手チームの観覧席がゼロという光景も初めて見た。それなのにチームの十二人は大盛り上がりだ。

 とにかく、異様という言葉以外に当てはまる言葉が見つからない。

「桂北のキャプテン」

「はい」

 海港中学で唯一色白の選手が声をかけてきた。

「そろそろスパイク練習に移りますか?」

「そうですね、じゃあスパイク練習で」

 時計を見れば合同練習の時間は半分近く過ぎていた。どうやら相手の異様さにいつも通りの精神状態ではないようだ。落ち着こうと深呼吸を繰り返すが、どうしても気になってしまい試合前だというのに今ひとつ集中できないでいた。

 スパイク練習に入ると海港中学の異様さは一段と増した。レシーブ練習は盛り上がりや声の大きさに比べてそこまで上手いとは言えなかった。しかし一変してスパイクは全員が力強く鋭い。市大会でもなかなか見ないレベルのパワー系スパイクを当たり前のように打っている。

 こちらも負けじと力を込めてスパイクを打つ。負けてはいない。むしろ自分一人であれば勝っている。しかしチームとして見たとき、全員のスパイク力の平均値は負けているかもしれない。

「いったい何なんだ? このチーム……」

 チームメイトからも動揺の言葉が漏れる。初出場で初対戦の相手とは思えない。身体能力や筋力はしっかりしているし、先ほど激しいレシーブ練習をしていたにもかかわらず、全員が平気そう顔をしてスパイクを打っている。体力も十分のようだ。

 会場校であり地区大会予選ではシード権を持つ身でありながら、突如現れた新参チームの空気に飲まれかけている。そんな自分たちの状況もまた、異様だった。




 ~伊野部香奈子(伊野部俊の母)~


 試合会場の桂北中学の駐車場。試合開始までもう間もなくというところで、ようやく数台の車が到着した。

「いやー、すみません。試合で他の学校に行くことが今まで無くて遅れてしまいました」

「だからナビをつけたらっていつも言ってるのに」

 陸上部からバレー部に移ってきた生徒達の保護者達。陸上部は大きめの競技場などに集まって一気に競技を行うことが多い。そのため近隣の中学校に保護者が行くことはあまりないのか、桂北中学という車ならそれほどかからない学校に来るのに手間取ったようだ。

「それより早く行きましょう。もう始まってしまいますから」

 今日の試合のメンバーである十二人。その保護者が来られるだけ集まった。補欠や後輩はいないが、これで少しは応援席が賑やかになるはずだ。

 駐車場から体育館へ移動する最中、駐輪場に海港中学の名前が入った鞄を持った数人がちょうど到着したところだった。

「あれ? 久司? 何してるの?」

「ああ、母さん。何って応援に決まってるだろ」

 野球部からバレー部に移ってきた神田君のお母さんと話している。どうやら神田君の弟のようだ。

「練習は?」

「朝一番に明日の試合のメンバーと背番号を聞いて、その後は各自自主練習だって」

「自主練習? じゃあ練習しないとダメじゃないの」

「先輩と一緒に兄ちゃんの応援に来たんだよ」

 どうやら野球部の三年生が数名、そして一年生で神田君の弟の久司君が応援に来たようだ。

「これも練習ってことできました」

「メンタルトレーニングっすよ」

 三年生が笑いながら話している。モノは言いよう考えようだと思った。

「でも応援に来てくれて助かります。やっぱり応援は多い方が良いですから」

 保護者だけでなく試合に出る選手と同年代であったりクラスメイトであったり、そういったメンバーが応援に駆けつけてくれると心強い。

「あっ、まだ来ますよ」

「え?」

「俺ら、自転車で練習に来ていた組で、先に来たんですよ」

「他の奴ら自宅まで自転車取りに帰りましたから、そろそろ来る頃じゃないですかね」

 ここにいるのは中学校まで練習に行く際に自転車を使っていた中から、バレー部の応援に行くことにしたメンバーのようだ。徒歩で練習に向かっていてバレー部の応援に来てくれるメンバーがまだ後から来るらしい。

「あらら、これは賑やかな応援になりそうね」

 応援に駆けつけた保護者達が試合を前に盛り上がった。しっかり応援をしてチームに勝ってもらおうと意気込んでいる。

「でも皆さん、もともと野球部と陸上部だったわけですけど、よかったんですか? その、バレー部に入っちゃって……」

「いいのよ、本人がやりたいって言ったわけだし」

「そうそう」

 保護者達の意見は特に今回の件に対して悪いイメージは無いようだ。ずっと俊から話を聞いていて、チームを決せ強いた後に活動ができなくなった。もし本気でする気が無ければそこで諦めていたり、止めたりしていただろう。けれども今日、試合をするために来たメンバーは本気でバレーボールをしにやってきたのだ。

「チームメイトの保護者として、みんなで頑張って勝ちましょう」

 来てくれた保護者に感謝していると、海港中学の鞄をもった生徒達が何人も自転車で駆けつけてくれた。この地区では長らく安定した強さを誇る桂北中学は部員数もそれなりに多い方だが、これだけ集まってくれれば心強かった。

 保護者と生徒が揃って、決戦の地である桂北中学の体育館へと向かう。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 合同練習と公式練習が共に終わった。監督バッチをつけてベンチに座っている毛利先生のさいごの言葉を聞き、スターティングーメンバーがコートに立つ。観客席にはいつの間にか保護者だけでなく、見知った同級生の野球部のメンバーがいた。見慣れない人も何人かいるが、応援席がこんなに人で埋まるのも予想外だった。

 野球部の応援グッズのメガホンまで持ち出して何をやっているのか、と思ってしまう。選手より応援の方が盛り上がっているのではないかとも思ってしまう。

 それが余計に頭を冷静にしてくれた。赤いユニフォームが気を引き締めてくれ、試合に入る精神状態としてはおそらく最高の状態では無いだろうか。

 審判を務める大島東中学の監督が両チームの背番号などを確認する。


 スタメン(サーブ順)…5・中野雄二 1・伊野部俊 2・村山鉄也 3・近藤幸樹 4・神田啓介 6・清水健一 

 リベロ…7・柴田正裕 8・椎名隆一郎

 ベンチ…9・時任大 10・芹沢疾風 11・五間仁介 12・日暮徹人


 確認が終われば海港中学のサーブから試合が始まる。サーブ順は元野球部でセッターをしている中野から。

「中野! いきなりミスするなよ!」

「うっせぇ、黙ってろ!」

 観客席の野球部員から味方にヤジが飛んだ。味方じゃないのかとも思ったが、付き合いはバレー部の自分よりも野球部のメンバーの方が長い。観客席も中野も、野球部から移ってきたメンバーもみんな聞き慣れているようで安心した。

 審判の笛が鳴り、試合が始まった。

 試合開始の最初、中野のサーブはそれほど強いサーブでは無かった。やや緩めでコートの奥を狙った平凡なサーブ。それは桂北中学のリベロに綺麗にレシーブされ、綺麗な放物線を描いてセッターへ。そしてセッターがチームの大黒柱であるエースにトスを上げた。

 そのトスを予見していたかのように、前にいる三人は綺麗に敵エースの前に立ちふさがり、三枚ブロックでスパイクコースを完全に塞ぐ。強烈なスパイクも長身の三枚ブロックであればさすがの都道府県選抜候補選手でも決められず、ブロックに当たって緩いボールが返ってきた。

「俺に任せろ!」

 神田が緩いボールをパス、セッターを務める中野に綺麗に渡った。中野はコンビネーションを全く無視し、高いトスを上げた。天井すれすれまで上がった高いボールにタイミングを合わせ、助走から踏み込んで全力で飛び上がった。高校生男子のネットの高さでのスパイク練習のイメージで、高さを意識しての全力スパイク。桂北の三枚ブロックに当たったボールは大きくコートから外れて、体育館側面の壁に当たった。

「よぉしっ!」

 無意識に声が漏れた。最初の一点が入ったことで、チームメイトも控えも観客席も大いに喜んだ。

「このまま行くぞ!」

 ハイタッチをして互いに声を掛け合って、二点目を取るために位置につく。

 喜ぶ声や周囲の雰囲気とは別に、なんとか一点目は作戦通りに取ることができてホッとしていた。桂北中学は絶対的なエースを中心にチームを作っていて、試合開始の一点目はエースが取ってチームに勢いをもたらすことが多いというデータがあった。実際にもらった映像でも一点目はコンビネーションが使えてもエースにトスが上がっていた。そこに賭けて三人でブロックに行くことを決めていたのだ。そしてその作戦が見事に当たった。

 しかし喜んでばかりはいられない。あくまでこれは一点目の話だ。二点目以降は桂北もコンビネーションや時間差攻撃を使ってくるだろう。さすがに速いトスワークについていくことはできない。今後はどのようにブロックが敵の攻撃をマークするかが重要になってくる。

「……二点目もエースに三人で行く。三点目以降は割り振るから」

「わかった」

 ブロックの指示は経験者である自分が出して、みんなはその指示に従う。読みや駆け引きが得意でないチームメイトの個人技に任せるより、経験値のある自分が逐一指示を出す方が良いのではないかという考えによる作戦だ。

 敵のスパイクは打たれれば全て決められると覚悟している。それを防ぐためにブロックとレシーブがいる。そのブロックとレシーブで相手の攻撃を上回ることができれば、強い相手であっても勝機が見えてくる。

 笛の音が鳴って、二本目のサーブが桂北中学のコートに飛んでいった。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 最悪の出だしだった。二本連続で三枚ブロックに阻まれてスパイクを拾われ、相手の攻撃を二回連続で決められてしまう。その後ようやく三度目の正直で初得点を決めた。ここから連続で得点が欲しいところだったが、せっかくセッターポジションにサーブレシーブを返し損ねたボールを決められてしまった。

 試合開始直後からペースを握れていない。聞き慣れない海港中学の応援のリズムや声にも調子を崩し、なんとなくいいところもないまま試合が進んでしまう。

「タイムをお願いします」

 点数が5―2で負けているところで、江川先生は早めのタイムアウトを取った。シード権を持つ会場校として試合をしているのに、まさかの出だしで最初にタイムアウトを取らされてしまった。

 ベンチにいる江川先生の元に集まると、先生はいきなり大きなため息をついた。

「あんた達、負けたいの?」

 当然否定の意言葉が出る。首も横に振った。

「全然試合に集中できていないじゃないの。勝つ気がないのかと思ったよ」

 江川先生の言葉が痛い。試合に集中し切れていないのは確かで、なかなかリズムや調子がつかめていないのも確かで、上手くいっていないという感覚がより一層チーム全体に焦りをもたらしていた。そしてそれが自分のファーストプレイが原因だということもわかっている。

「いい? 相手はそこまで強くないし上手くもない。ただあなた達が勝手に色々と考えて浮き足立っているだけだから」

 そう言われて、確かに勝手に色々と考えすぎていたことを冷静に思い返せた。見慣れない日焼けした長身集団に、バレーの試合会場では聞いたことのない声援。そして試合開始直前までガラガラだった相手チームの観覧席は、開始直前にいきなり座りきれないくらいの人数が入ってきた。

 何もかもが普通じゃ無かった。だけど普通じゃ無いというだけでそこまで気に病む必要のあることでもなかった。日焼けしているということは屋外に長くいたというだけのことだし、聞き慣れない声援はバレーボールの試合でよく使われる声援じゃないというだけのこと。観覧席が急に埋まったのもたまたま応援に来る人がギリギリになっただけだろう。

 点数でリードされているのもエースである自分に三枚ブロックのマークがよくついてきて、スパイクを決めることができていないから開いただけだ。チームとして良いプレーが全くできていない。

「いい? いつも通り落ち着いて、いつも通り丁寧にバレーボールをしなさい。ここはあなた達が練習し慣れた体育館で、あなた達はチームとして確かな実力を持っているのだから」

 何かが吹っ切れたような気がした。余計な何かが身体から離れて行き、不必要な重りのようなものがなくなったような、そんな感覚だった。

「ほら、しっかりやってきなさい」

 江川先生に送り出されてコートに戻る。試合開始時の自分とは違う、いつも通りの自分に近い状態で試合に挑める。大きく深呼吸をして、ネット越しに相手をまっすぐに見る。点数は負けているがまだ序盤でたった三点差。これなら十分逆転できる。

 審判の笛が鳴り、タイムアウトで中断していた試合が再開した。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 出だしは良かった。いや、むしろ良すぎた。この地区で最も強い相手に序盤から連続得点を重ね、一回目のタイムまで取らせたのだ。このまますんなりと勝たせてもらえるとは思っていない。そのために桂北はタイムアウトを取ったのだ。しかしこの勢いを相手の思い通りに潰されるわけにはいかない。

 タイムアウトでどういった指示が監督から出たかを考えるのだ。エースを叱咤激励したのか、もっとコンビネーションを多用するように言ったのか。いや、どちらかと言うよりどちらも監督として動いたと考えるべきだ。こちらがつけ込む隙を残してくれているという甘い考えをしても、良いことなど何も無い。

「伊野部、次は?」

 ブロックをどうマークするか。今までエースを中心に攻撃を組み立てていたが、そろそろエース偏重は一度収まるはずだ。そうなるとコンビネーションや時間差攻撃を重点的にマークした方が良いだろう。

「エース以外をマークして、高いトスが上がったらなるべくエースにブロックに行く」

「了解」

 すでに後衛に下がっている自分はブロックにつくことができない。なるべく味方のブロックを見て有効な位置でレシーブをしなければならない。

 審判の笛が鳴ってサーブ順が三番手の村山のサーブ。何の変哲も無いサーブで、桂北には簡単にセッターポジションへ返す良いレシーブをされてしまう。そしてそのサーブレシーブから前衛の三人が同時に動き出す。そして素早いクイック攻撃を簡単に決められてしまった。

「速っ……」

 コンビネーションや時間差攻撃など、女子に散々こっぴどくやられた。それである程度対応はできるようにはなっていたが、さすがに男子チームの攻撃を女子と同じように対応していては難しい。

「落ち着いて。相手のクイック攻撃には必ず一人ブロックを跳ぶ。相手が三人の時はマンツーマンで最低限一人がブロックに跳んでいる状態にするんだ」

 試合開始直のスタートダッシュをエースで決めたいという考えが無くなった桂北。エースだけをマークしていてはクイック攻撃が素通りになるし、エース以外をマークしてエースに決められ続けると試合のリズムを握られてしまう。ここは状況に応じてブロックのシステムを状況に合わせて細かく変えて対応するしか無い。

「あ、でも相手のエースが次はサーブだぞ」

 桂北のエースが後衛に下がった。これで相手のスパイクの攻撃力は下がったが、ここで一つ越えなければならない山がやってきた。

「よし、次のサーブはの中央付近に上がったらいいからな。セッターポジションとか考えなくて良いから、レシーブが上がったら神田にトスを上げて打つ。これだけだ」

 桂北のエースは今年の桂北中学のメンバーの中で、唯一ジャンプサーブを打つ。しかもそのジャンプサーブは速く、女子相手の練習では体験できなかった。映像で見てはいるが、体感するのは初めてだ。

 なるべく失点を最小限に試合を進める。全員にレシーブに集中するように声をかけた。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 タイムアウトは取らないで済んだ。しかし点数は6―6と同点となってしまった。サービスエースを二本、その後なんとかボールを返したがスパイクを決められて逆転された。運良くそこで相手がサーブミスをしてくれたので同点で済んでいるが、もう一点取られたらタイムアウトを取る予定だった。

 点差は無くなり、試合は振り出しに戻ったかのようだ。つまりここからが本当の勝負になる。ここからどれだけ桂北に食らいついていけるか。それでこの試合がどういった展開を迎えるかが決まる。

 桂北はさすがに地区の強豪だけあって攻撃手段が多彩だ。高いトスも低いトスも速いトスも遅いトスも、基本的に全て攻撃になる。一方でこちらはコンビネーションを会わせる余裕は無かった。高くて遅いトスを上げて打つしかない。相手のブロックはこちらがスパイクを打てば打つほどタイミングや位置取りに慣れてくるだろう。そうなってしまえば得点力は大幅に落ちる。

 控えの選手を見て、交替させても戦力に大きな差は無い。レシーブが比較的上手かった野球部の二人を二人ともリベロにして、少しでも多く守備のマシなメンバーをコート内に置いておくという手段も、レギュラーと控えに力量差がほとんど無いから行ったことだ。

 レギュラーと控えに大きな力量差は無い。しかし選手個人には得手不得手がある。それがどこまで相手に通用するかわからないが、集まった十二人をフル活用して得点を多く取って失点を少なくするしかない。

「お前ら、いつでも行けるように準備しとくんやぞ」

 控えのメンバーに声をかけ、試合の流れを見逃さないためにも、試合に集中する。




 ~江川美代子(桂北中学バレーボール部顧問)~


 杞憂だった。

 最初こそ躓いたが、山場はひとまず乗り越えた。得点は一時三点差で負けていたが、タイムアウトから立て直して追いつき、追い越した。二点リードの10―8。このままじりじり点差を広げて行ければ、二セット目は楽な戦いになる。

 そもそも海港中学は全体的に技量が足りていない印象だ。パスやサーブ、トスにスパイク。それらの動きが固い。緊張している固さでは無く、プレーに馴染んでいない固さだ。唯一動きが柔らかいのが日焼けをしていない背番号一番の選手。どうやら彼を中心に付け焼き刃の即席チームを作ったようだ。

 最初こそ選手達に戸惑いがあってスタートで躓いた。けれども体勢を立て直すことができたなら、後は地力の差で得点を重ねれば良い。毛利先生が何かしらの手段を講じてきたとしても、確かな地力の差がある以上はそうそう簡単に試合が覆ったりはしない。

「はい、ここ一気に点数を取って突き放すよ!」

 そして相手に有効な手段をとる隙を与えないように、タイムアウトを取らないでベンチから指示を送る。即席チームにしてはかなり強い方かもしれないが、公式戦で勝つにはまだまだチームとしての力は足りない。

 地力の差というものを見せつけて、まずは初戦を勝利させてもらおう。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 得点が14-10とまた少し開いた。また少し点差は開いたが、大差がつくような気は残念ながらしない。四点差で海港中学の一回目のタイム。ベンチに戻ってチームメイトと戦ってみてどうか、話し合ってみた。

「相手の両エースはすごいな。オープントスしか打ってないのに良く決まる」

「一番と四番だろ。両エースって言うか、この二人しか打ってない」

「ああ、一番と四番はポジションが対角だ。前衛にいる方が打つことになっているんだろう」

「それはわかってはいるんだけどさ。三枚ブロックでも怯まないし、全力で打ってきてブロックをはじき飛ばされるんだよな」

「そうそう、あいつらフェイントとか全然しないからやりやすいけど、それでスパイクをポンポン決められるのは納得いかないよ」

 口々に海港中学というチームに抱いた印象をみんなが話す。単純なオープンバレーチームで前衛にいるエース一人しか打ってこないから対応するのは楽。しかしそのエースが止められない。高さとパワーで無理矢理ブロックを吹っ飛ばしている。そんな印象さえあるスパイカーだ。

「ブロックをもっとしっかり指先まで力を入れるように心がけよう。打たれたら決められると思って、相手にスパイクを打たせないような試合展開にするしかない」

 淡々と普通に試合をしていてもこのまま勝てそうな気はする。しかし序盤の躓きによる連続失点は痛い。もしそれが終盤に起これば、追いつかれたり逆転されたりする可能性だって無いわけではない。

 エースに打たせない。それだけでおそらく海港中学の攻撃力を大きく削ぐことが出来るはずだ。これから地区大会だけでなく市大会、さらにその上へと勝ち進んでいくことを狙っているのだ。試合の中で見つけた攻略法を徹底的に突き詰めていって勝つ。そういう勝ち方も必要になってくる。

 海港中学はその勝ち方の練習をする良い相手だ。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 一回目のタイムが10-14の四点差。そして二回目のタイムが12-18の六点差。さすがにこちらのバレースタイルにも慣れてきて、どう戦えば効率よく勝てるかも知られてしまったようだ。

 応援の声は尽きないし、タイム中にベンチに下がってきている選手達に諦めた様子は無い。しかし駆け引き勝負や意表を突いた攻撃などで守備を崩され、伊野部と神田が打てる状態まで持って行けない。これではどう頑張ってもこちらが有利に得点を重ねていくことはできない。

 海港中学は伊野部という経験者と神田という優れた身体能力保持者がいて、初めて得点を取ることができるチームだ。必然的にその二人は攻撃に重点を置かざるを得なくなるのだが、守備も実はその二人に頼る形になっている。よって守備で動きを封じられれば有効な攻撃ができない。

 ならそれを打開するしか無い。このままでは勝ち目が無いため、控え選手をフルに使って動くしかない。

「タイム開けに中野を芹沢、清水を時任に代える。その後のサーブと守備に五間と日暮を使うからな」

 ここの総合的な能力に大差は無い。しかし得手不得手はある。

 セッターをしている中野は背が高いためブロックでの活躍があった。しかし相手が攻め手を変えてきたからにはブロック力を維持していても意味がない。芹沢は中野に比べて背は低くブロックでは劣るが、レシーブとトスは上手い。守備力とトスの制度がこれで多少上がるはずだ。

 清水は背が少し低いが動きが軽快で守備力があった。それを守備力は多少落ちるがパワータイプの時任を入れる。これでさらに今まで伊野部と神田が打つためのサポートに回っていた村山にもスパイクを解禁する。村山と時任はパワーでは伊野部にも勝る。技量で劣る分をパワーで補い、伊野部と神田に三枚ブロックがマークにくる相手チームの守備パターンを崩すのが狙いだ。

 さらに五間と日暮は攻撃ではあまり活躍できないが、守備はそれなりに上手い。そして何より二人は良いサーブを打てる。ピンチサーバーと守備固めのレシーブプレイヤーとしてなら活躍できるはずだ。

「これから村山と時任もスパイクを打て。相手が守りやすいパターンを崩すで。ええな?」

 六点差程度で諦めるようなメンツでは無い。こちらの問いかけに力強い返事が揃って返ってきた。まだまだこちらの士気は高い。やれることもまだある。六点差だが、勝負はまだ着いてはいない。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 海港中学は二回目のタイムアウトの後に二人をメンバーチェンジで入れ替えた。特に変わったことは無いと思っていたが、海港中学の攻撃パターンは一変した。

「なんだよ。一番と四番だけじゃなかったのか?」

 一番と四番に完全にマークを絞っていた。そのため高いトスが逆方面に上がった時、全く反応することができなかった。そして一番や四番に劣らない強烈なスパイクが、コートに叩きつけられたのだ。

「二番と九番も打ってくるぞ! 速いトスは無い。一番と四番に二枚、二番と九番に一枚が最初からマークして、高いトスが上がれば着いていってブロックしろ」

 脅威なのは一番と四番であることに変わりない。しかし二番と九番も無視できない。強烈なパワースパイクは中途半端なブロックだと簡単にはじき飛ばされてしまう。

 今までいくつかの強豪校と戦ってきた。パワースパイクを打ってくる選手は強豪校に一人はいてもおかしくはない。一人はいてもおかしくは無いのだが、四人もいるとなるとさすがにこれはおかしい。

 試合を有利に進められるようになって海港中学のチームスタイルをわかった気でいたが、どうやらそれは単なる思い込みだったようだ。海港中学はまだまだ何をしてくるかわからない、異様なチームで間違いない。




 ~江川美代子(桂北中学男子バレーボール部顧問)~


 まだ桂北が21―17でリードしている。特別点差が縮まったというわけではない。しかし試合の流れは大きく変わった。

 攻撃をしてくる人数が二人から四人になった。今まで海港中学の一番と四番のスパイクを封じる作戦が成功していたのは、他に効果的なスパイクを打てる選手がいないということが前提にあったからだ。しかしその前提が崩れ、常に前衛には二人のパワースパイカーがいる。どちらかのスパイクを封じても、もう一方がブロックをものともせずに打ち込んでくるのだ。

 駆け引きや戦術戦略で優位に立ったはずだったが、逆に少しでもトスにできるようにボールを拾われると一回のスパイクで得点されてしまう。

 守備力を多少下げてでも攻撃力を上げた。効果的なスパイクを打てる選手が少なければ守備力が下がれば攻撃にまで繋がらない。しかし打てる選手の数が多いなら、少々守備力が下がっても攻撃力で補える。

 さらに海港中学は高いトスしか打たないオープンバレーだ。必ずしもセッターポジションにボールを返す必要は無く、必ずしも綺麗なトスを上げなければならないわけではない。力でブロックをはじき飛ばすパワースパイクでしか点が取れない古典的なバレーボール。クイックや時間差攻撃を用いない1960年代以前の戦術。それを割り切って使ったことで、海港中学の強さは格段に上がったと言える。

「相手は高いトスしか打ってこない! しっかりブロックについて、逆にトスが上がっても素早くついて行きなさい!」

 あのパワースパイクをレシーブだけで対応するのは不可能だ。しっかりとしたブロックがあり、きちんとレシーブのポジションに着いた完璧なレシーブがなければならない。そのためにはブロックがしっかりと跳んでいることが大前提となる。

 強力なスパイクを防ぐには、しっかりと練習を積んだ確かなブロックが必要不可欠なのだ。よって選手達にはブロックを頑張ってもらわなければ、最悪の展開だってありえる。しかしそれだけは絶対に、許されてはならない。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 試合の流れは変わった。しかしこちらがリズムを掴むのが少し遅かった。桂北リードの23―20で迎えた試合終盤。こちらの超攻撃型スタイルに対抗するかのように、桂北中学はエースが後衛からもスパイクを打ってくるという新たな攻撃手段を見せてきた。

 さすがにバックアタックに対応する練習はしていなかったため点数を取られて24―20となり、桂北のサーブから一点をもぎ取るも最後はエースにバックアタックを決められて第一セットが終了した。

 得点は21―25で桂北が取った。点差としては次のセットで巻き返しができない点差ではない。しかしこちらができる攻撃手段はすでに出し尽くしたようなものだった。

「二セット目はこのまま行くで。ただ中野の清水も準備はしておくんやぞ。相手の出方次第ではすぐに出すからな」

 善戦できたことでチームの勢いはまだまだ衰えない。観客席からの応援に後押しされ、二セット目開始の合図となる笛を待つ。

「……お前ら、ちょっと聞け」

 セット間、毛利先生が全員を集めた。

「お前らに出来ることってなんや?」

 突然の毛利先生の問いかけにみんな黙った。勢いに乗っている試合中に、いったいどういう考えで問いかけてきたのか。

「お前らはバレーボールをやっとる。せやけど、ずっとバレーボールをやってきたわけやないのはわかってるな?」

 全員が頷く。野球部と陸上部から移ってきたメンバーだ。バレーボール歴はみんな浅い。

「それやったら綺麗にバレーボールをしようとすんな。綺麗にバレーボールをしようとするからお前らは縮こまっとるんや」

 言われてみて、確かにみんなバレーボールをしようとしている。バレーボールの試合なのだからそれは当然だ。当然だが、バレーボール歴の長い相手にバレーボールで挑んでも勝つのは難しい。

 体育の授業で野球部に野球で勝てない。卓球部に卓球で勝てない。相手がずっと練習してきた得意分野で挑んでも、相手が有利だと言うことは変わらないのだ。

 しかしここはバレーボールの試合会場。そして今はバレーボールの試合中だ。ならバレーボール以外に何ができるというのだろうか。

「ワシが許す。お前ら……遊べ」

 全員が「は?」という表情をしているのが見ていなくてもわかる。

「バレーボールというルールの中やったら好き勝手にやってええ。遊べ、そして楽しめ。今日の試合が人生で一番おもろかったって大人になって言えるくらい、思いっきり遊び倒してこい」

 スポーツの監督をしている人が言っていい台詞なのだろうか。指導者として教職に就いている人が言っていい台詞なのだろうか。

 そんなことを数秒悩んだが、その悩みは一瞬で消え去った。要は「お前らの好きなように思いっきりやって来い」ということだ。

「はいっ!」

 自然と力強い返事が飛び出した。




 ~神田啓介(海港中学三年・男子バレーボール部)~


 後が無くなった第二セットに選手を送り出す監督の言葉が「遊べ」だった。意表を突かれたこともあってか、後が無くなって勝たなければならないという重圧は消し飛んだ。監督自ら発した指示に思う存分応えてやろうと、一セット目を取られたにもかかわらずわくわく感が止まらなかった。

 それは他のメンバーも同じだった。みんな後が無いというのにどこか楽しそうで、何をしてやろうかといういたずら小僧のような顔をしている。

 二セット目は桂北中学のサーブから試合が始まる。エースのジャンプサーブ以外はなんとか対応できる。サーブレシーブで綺麗にセッターの芹沢のところにボールを運べた。すると芹沢はトスを上げずに、緩いボールを桂北のコートに返した。

「え?」

 体育館全体の時が一瞬止まった。ボールはあっさりと桂北のコートに落ち、二セット目の先制点を手に入れた。

「うおー、芹沢! お前ツーアタックとかいつの間に覚えたんだよ!」

 コート中央に集まって、まるで試合に勝ったかのような勢いで芹沢をみんなでもみくちゃにしていた。

「いや秋本に練習試合で散々やられただろ? いつかやってやろうって思ってたんだよ」

 男女の練習試合で女子にはかなり苦しめられた。バレーボールはレシーブとトスとスパイクという三回で返ってくるのが基本だ。その基本を裏切って二回で返すツーアタック。これにかなり苦しめられた。ツーアタック自体練習はしていないが、散々やられたことでみんな夢に見るほど覚えている。

「向こうは俺らがただ高いトスを打ってくるだけのチームだと思ってる。これはすごい有効かもしれないぞ」

 伊野部の言葉で気がついた。確かに一セット目はとにかくボールを上げて、とにかく高いトスを打って得点を取っていた。そのプレーに桂北が慣れていたからだろう。緩いツーアタックに全く反応できていなかった。

「よーし、もっと遊ぼうぜ」

 先制点を取ったことでさらに勢いに乗った。一セット目を取られているということが気にならなくなり、ただ純粋にこの試合を面白おかしく楽しんで遊び尽くしてやろう。そんな意思統一ができていた。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 海港中学にやってきてバレーボールができなくて、様々な試合の映像をネットで検索しては見ていた。その全ての試合を思い返して持ても、こんな試合は見たことがなかった。

 自分たちのベースを維持して試合を進めようとする桂北中学。対する海港中学はもうやりたい放題だ。村山がスパイクを決めたかと思うと、応援席に向かって煽るように手を上げる。応援に来ている野球部員は阿吽の呼吸で一斉にわき上がる。神田がスパイクを決めたらまるでサッカーのゴールパフォーマンスのようにポーズを決めて、応援席と一体になって喜びを爆発させていた。

 その盛り上がりは激しく、一点取っただけで大会に優勝したかのような喜びが毎回観客席から飛び出す。それにつられるように選手達も喜びを爆発させ、相乗効果でとんでもなく盛り上がっていた。それにつられて自分も今まで出したことの無い雄叫びのような声まで飛び出し、とにかく試合をしているのが楽しくてしかたがなかった。

 序盤から勢いと流れに乗ってリードを奪い、またしても桂北に先にタイムアウトを取らせることができた。

「おい、これ行けるぞ」

「このまま勝つぜ」

「おーっ!」

 毛利先生はもう何も言わない。言う必要が無いのだ。選手は観客席も巻き込んで一体化しており、その勢いは大きな大会の決勝戦に挑むほど。そこに余計なことを言って気を削ぐことがあってはならない。毛利先生は何も言わず、ただ選手達をコートに送り出してくれた。

 まだ序盤だが8-5の三点差でリードしている。このまま勢いに乗ってこのセットを取り、フルセットの第三セットまで勢いで取って勝ちたい。いや、それが今ならできる。そういった強い思いが、身も心も軽くしてくれる。今ならどんなスパイクでも拾えそうだし、どんな悪いトスでも決めることができそうだった。




 ~武田幸司(桂北中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 何が起きているのか、よくわからなかった。海港中学は一セット目の途中でメンバーを入れ替えてガラッとチームが変わった。その追撃から逃げ切って、二セット目には対策を用意して挑んだが、開始と同時にまたしてもガラッとチームが変わったのだ。

 さらに応援まで巻き込んでお祭りのような大騒ぎ。ただでさえどういうチーム戦術に変わったのかわからないのに、応援席まで巻き込んだお祭り騒ぎはかなり精神的に厳しかった。

「落ち着きなさい。盛り上がってはいるけど、相手のメンバーは一セット目の後半と替わっていない。基本戦術は一セット目の後半のままで、軟打やフェイントが増えたと思ってしっかり対応しなさい」

 相変わらずクイックや時間差といったコンビネーションは無い。攻撃パターンはオープントスからのパワースパイクという単純なものだが、それがなかなか止まらない。そしてそこに小技を盛り込んでくるようになった。正直、対応しろと言われても厳しいものがある。

「水田、全部俺にあげてくれ。全部決めるから」

 タイムアウト中、セッターの水田にトスをエースである自分に集めて欲しいと要求した。

「でもコンビは有効だろ? わざわざマークされやすい攻撃を使わなくてもいいだろ」

「いや、俺が打って勝つ」

 このままではいけない。相手の攻撃に対応する守勢ではこの試合は勝てない。多くの試合を経験してきた自分の直感がそう告げていたのだ。

「選抜に選ばれようとしている俺が、こんなところで打ち負けていいわけがない」

 相手にとんでもないパワースパイカーが四人もいて、全員平均的に背が高くて、会場校でシード権を持っているのにアウェーのような状況だが、それを理由に負けて良いことはない。エースならエースらしく、相手と真っ向から打ち合って勝たなければならない。今までもそうやってたくさん勝ってきたのだ。

「わかった。でもコンビはしっかり使っていくからな」

「ああ、そこは任せる」

 トスの采配はセッターの水田に任せるが、自分はエースとして相手のスパイカーに打ち勝つという強い信念を持って試合に挑む。それがエースでありキャプテンであり、選抜に選ばれる人間なのだ。

「頼りにしてるぜ、キャプテン」

 水田が背中を叩く。他のメンバーも背中を順番に叩いてくる。海港中学のような大きな声援はないが、そんなものはなくていい。背中を叩いてくれるチームメイトと共に戦って勝つだけだ。




 ~江川美代子(桂北中学バレボール部顧問)~


 試合は一進一退の壮絶な打ち合い合戦の様相を呈していた。

 海港中学が四人のパワースパイカーでブロックをはじき飛ばして得点を重ねる一方、こちらは大黒柱のエース一人に重荷を背負わせてしまっている。選手としての質はこちらの武田の方が圧倒的に上だ。レシーブもサーブもトスもスパイクもどれも上手い。対して向こうはなんとか拾ってつないで、四人のうちの誰かが打って得点を挙げるというものだ。選手としての質もチームとしての質もこちらが勝っているのは揺るぎない事実だ。

 しかし得点は拮抗している。海港中学はレシーブ力があまり高くない。だからイージーなミスでボールを落とすこともよくある。しかしブロックは高くスパイクは強い。簡単なボールが相手コートに返れば、ほぼ確実に一点を奪われてしまう。一方でこちらはコンビネーションを駆使しながらエースで得点を重ねるスタイルだ。的確に得点を重ねられる一方で、一回で決まらなかった時のカウンターは手痛い。

 単純なスパイク合戦による得点の取り合いでシーソーゲームとなっている。タイムアウトを取るタイミングも見つからず、試合は壮絶な打ち合いを繰り返して得点だけがドンドン積み重なっていく。

「そろそろ終盤だけど……」

 あまりにも試合の内容が拮抗しすぎていて、ベンチの入り込む隙間が無い。それは相手側も同じようで、毛利先生もベンチに座ったまま動きが無い。このままこのセットの勝負が決するまでお互いのベンチは見守るしかないのだろう。

 選手達を信じて試合を見守ると決めた二セット目の終盤。突如として長い笛が鳴った。

「え?」

 ついさっきまで動きが無かった、動かないと思っていた毛利先生が、動いていた。




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 得点は桂北リードの22―21。僅差だが試合終盤の一点は重い。それに今までずっと休み無しで試合をし続けていた。ここで一息ついて、最後の采配に勝敗を賭けるしか無い。

「よーし、お前ら。ええ感じやな」

 呼吸の荒い選手達を労いつつ、最後の采配を全員に伝える。

「相手のエースが前衛や。それで芹沢から中野に戻して高さを上げる。時任と近藤は五間と日暮を入れて守備を固める。攻撃は今まで通りや」

 相手のエースが多く打ってくる場面だ。前衛にブロックの能力が高い中野を入れて、後衛は守備の能力が高い五間と日暮を立て続けに投入してリベロの柴田と椎名でなんとかつなぐ。守備能力の向上は微々たるものだが、チームの雰囲気と勢いが後押ししてくれている。女子相手ですら上がらなかったボールが今は上がっているのだ。

「後ろの奴は死にものぐるいでボールを落とすな。前の奴らは何が何でも点を取ってこい」

 監督としての作戦ではなく、気合いや根性といった言葉しかかけられない。今の選手達に余計な言葉は勢いと雰囲気を壊してしまうだけだ。

「お前ら、勝ってこい!」

 審判の笛で選手を送り出す。後はワンプレーごとに適したメンバーチェンジを行うだけだ。

「ボールを落とすなよ。落とさん限り、負けはないんや」

 バレーボールとは落とさないという意味の「volley」が語源だ。バレーとは日本語読みでそう呼ぶようになっただけ。つまりボールを落とさない競技で、落とした方が負けなのだ。

 守備力に難のあるこのチームは超攻撃的な考え方で攻め続けるしか無い。こちらのコートにボールが落ちるのは致し方ない。しかしそれ以上に相手のコートにボールを落とせばいいのだ。

 選手達の最後の力に全てを委ねた。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 桂北のエースのスパイクが止まらない。ブロックに当たっても明後日の方向に飛んでいくし、ブロックの間を抜けるとレシーブで拾うこともできない。

 だからこそこちらもスパイクを拾われるわけにはいかないし、止められるわけにもいかない。男子高校生のネットの高さで打つイメージで、相手のブロックを粉砕するイメージで、思い切りボールを打ち付ける。一点はいれば勝ったかのように喜び、一点入れられれば次は取り返すと闘志を燃やす。

 また得点が動く。桂北リードの24-23。ここは絶対に一点が欲しい。桂北のサーブをなんとかコートの中央に上げる。そしてそのボールが高いトスとなった。

「伊野部!」

 チーム全員の思いを背負って高いトスに向かって踏み込む。そして今日一番のジャンプで、今日一番のスイングで、完璧なスパイクを桂北のコートに打ち込んだ。

「上がった!」

 今まで数多く決めてきたスパイク。それがこの土壇場で相手のエースにレシーブされた。拾われたらしかたがない。全力で守ってもう一度打つしか無い。前衛三人はもう言葉を交わさなくても桂北の次の攻撃はエースだとわかっている。それに備えて三人が揃ってブロックを跳んだ。

 桂北のエースが放ったスパイクは三枚ブロックの手に当たって大きく弾んだ。そのボールは大きく弧を描き、桂北中学体育館の隅へ跳んでいく。野球部と陸上部出身のチームメイトは足に自信がある。彼らが拾ったボールを相手コートに返して、もう一度ブロックで勝負する。

 そのためにブロックから着地して振り返り、ボールが繋がるのを待った。繋がるのを待ったのだが……ボールは無情にも体育館の床に落ちてしまった。

「……」

 言葉が無かった。敵も味方も観客も、全員が一瞬の無音の空間の中にいた。そして審判の笛が鳴ると同時に、明暗の分かれた両チームを歓声が包み込む。

「負けた……」

 敗北を実感した。その瞬間、身体や足が今まで経験したことのないくらい重く感じた。

「整列だ」

 審判の笛に従って整列。そして試合終了の挨拶をして、毛利先生の元に集まった。

「惜しかったな。でもまだ終わったわけやないのはわかってるな?」

 そう、この後連戦で大島東中学との試合が残っている。その試合に勝てばまだ翌日に駒を進めることができる。だからまだ終わったわけではない。終わったわけではないが、あの激闘で体力を相当消費してしまった。

 まるで優勝したかのように喜ぶ桂北中学。次の試合のために練習を始める大島東中学。その両校を尻目に、体力のほとんどを使った海港中学は床に座り込んで休憩していた。

 応援に駆けつけた面々からは次の試合も頑張れと声援が届く。その声援に後押しされてもう一試合、今と同じような試合ができれば明日に繋がる。そう思ってはいるのだが、なかなか身体にたまった疲労は厄介だった。

「水……」

 休憩するチームメイトから離れて、空になったボトルを新しいものに変えようと動いた。そこに一人、背の低い丸々とした人が駆け寄ってきた。

「これ、差し入れです。どうぞ」

「え? あ、あありがとう……」

 渡されて無意識に受け取ってしまった。渡してきた背の低い丸々とした人は観客席に戻っていく。

「差し入れ?」

 渡されたのは袋。中をのぞくと栄養ドリンクが入っていた。

「ははっ、次も頑張れってか」

 ちょうど十二本入っている栄養ドリンク。ありがたく使わせてもらおうとみんなに一本ずつ配った。疲労困憊の身体に栄養ドリンクが効いている、気がした。

「大島東より桂北の方が強いんだよな」

「そうらしい」

「じゃあ、次は勝とうぜ」

「おう」

 栄養ドリンクを一気飲みして、次の試合のために身体を少し休める。そして連戦のためにウォーミングアップに取りかかるが身体は重かった。

 連戦での大島東との試合はなんとか食らいついた。しかし手の内を知られていたことと体力の消費が激しかったこともあり、桂北中学と戦ったような試合ができなかった。メンバーを変えたりポジションを変えたりして異論だが、残念ながらこちらもセットカウント2-0のストレート負けを喫してしまう。

 連戦を連敗したことで海港中学男子バレーボール部の最後の夏の戦いは幕を閉じるのだった。


・試合結果

第一試合 桂北中学 2(25-21・25-23)0 海港中学

第二試合 大島東中学 2(25-18・25-17)0 海港中学

第三試合 桂北中学 2(25―21・25―19)0 大島東中学




 ~毛利喜多郎(海港中学バレーボール部顧問・生徒指導教員)~


 善戦及ばず。結果は結果で負けは負け。できることは全てやったし、してやれることは全てしてやれたと思っている。当人達の実力だけで試合をすれば十点差以上の差がついた大敗だっただろう。しかし応援や相手が打ち合いの乗ってきてくれた試合展開など、様々な理由で惜敗にまで持ち込めた。

 ただ、贅沢を言えば勝たせてやりたかった。勝ちに値する試合だったと思うし、買っていても不思議では無かった。しかし負けてしまった。だから潔く負けを認めるほか無い。

「毛利先生、少しよろしいですか?」

 第三試合の審判を終えて、生徒達の帰り支度を待っている間。一人の初老の男性が声をかけてきた。

「初めまして。法条高校バレーボール部顧問の伊勢崎清彦です」

 言葉で言ったとおりの内容が書かれた名刺が差し出された。こちらも返さなければ失礼に当たるため、名刺を出して交換した。

「中学生の女子バレーで有名な毛利先生からのいきなりの電話には驚きました」

「ああいうのはまず当たってみなわからんもんや」

 海港中学が勝ち上がる可能性は低い。しかし伊野部はバレーボールの選手として優れている。そういった優れた選手には優れた環境が似合う。そのためにスポーツ推薦などで進学して、バレーボールを続けられる環境に身を置ける可能性を模索した結果、強豪校の先生に直接コンタクトを取ることになった。

「お電話で聞いた伊野部君、背番号一番の選手ですね」

「見てどうやった?」

「良い選手だと思いました。是非うちの高校に来ていただきたい」

 伊野部の技量は高校の強豪の監督の目から見ても評価されたようだ。

「それと他の選手は? もう進学先が決まっているんですか?」

「他?」

「ええ、四番の選手もなかなか見所がありました」

「ほんまか? 今日のメンバー、伊野部以外バレーボール初めて半年足らずやぞ」

「……は、半年?」

 伊勢崎監督にチーム結成に至った経緯を簡単に説明した。今年の一月に結成して、途中ブランクがあっての海港中学男子バレーボール部だ。

「半年でここまでできるとなると、他の選手も欲しくなってきますね」

 どうやら強豪校の監督から見ても、集まったメンバーは豪華だったようだ。

「まぁ、当人らに聞いてまた連絡するわ」

「ええ、よろしくお願いします」

 簡単に頭を下げて伊勢崎監督は歩き去って行く。おそらくこちらに来る前に桂北のエースの選手にも声をかけていたことだろう。今日桂北中学へ来たことは伊勢崎監督にとっても無駄では無かっただろう。

「……終わってもうたな」

 手の中にある伊勢崎監督の名刺。それを見ていると、男子バレーボール部が終わってしまった寂しさがグッと押し寄せてきた。




 ~伊野部俊(海港中学三年・男子バレーボール部キャプテン)~


 着替えを終えて、応援に来てくれた面々に挨拶をして、毛利先生のところ二十二人が集まった。

「負けて終わってもうたけど、お前らの人生はまだまだ先があるんや。ここで負けたことにへこまんと、次は自分の目指す道で勝てるように頑張るんやぞ」

 毛利先生の話は申し訳ないがあまり頭に入ってこなかった。試合に負けて最後の大会が終わってしまった。勝利という目標に届かなかった。それでもまだ自分は試合をしている最中のような、変な高揚感が心の中に渦巻いていた。

「あー……でも今日、絶対勝てたよな」

 誰かが言った。今日の試合、第一試合の桂北中学戦。十分勝ち目はあった試合だった。それだけに悔しい。もう終わったと割り切れない悔しさがずっと心に残っている。

「惜しかったよな」

「もうちょっとだった」

「あと少しで勝てた」

 みんなが口々に言う。今日の試合は間違いなく勝ち目があったと。そして何かが少し変わっていれば勝てたと。止め処なく言い続ける彼らを見て、みんな自分と同じ気持ちなのだとわかった。

 みんな、悔しいのだと。

「俺、高校行ってバレーしようかな」

 突如、神田がバレー部を継続しようかと言いだした。

「神田、甲子園目指すんじゃ無かったのか?」

「甲子園目指すのもいいけどよ、バレー面白かっただろ? もっと続けたいって気にもなったんだよな」

 神田ならどんなスポーツでも短期間である程度できるようになるだろう。その競技にバレーボールを選んでくれるのであれば、バレーボールをずっとしてきた人間としては嬉しいことこの上ない。

「まぁ、今日はその話はええやろ。今日はみんなよう頑張った。帰ってゆっくり休め」

 今日この日を迎えられたのも毛利先生のおかげだ。海港中学男子バレーボール部全員で「ありがとうございました」と深く頭を下げた。


 夏の大会が終わり、みんなが進路を真剣に考え始める九月。体育教官室で毛利先生と進路について話をするため、体育館へとやって来る最中、雪村と出くわした。

「伊野部もスポーツ推薦の話?」

「ああ、初戦敗退のチームンキャプテンに推薦の話が来ているんだってさ」

 地区大会予選を連敗で敗退が決まった。しかしどうやらその試合を高校の監督が見に来ていたようで、スポーツ推薦の話が来たらしい。

「だから言ったでしょ? 毛利先生は良い先生だって」

「……そうだな」

 チームとして試合に出場することすら危うかった。そんなチームの進路まで考えて高校の監督に見に来てくれるよう頼んだらしい。本来なら何の実績も無い学校の生徒を強豪校の監督が見に来るなどあり得ない。しかしそれを成し遂げてしまうのが毛利先生という存在のようだ。

「そうだ、雪村もスポーツ推薦なんだよな?」

「そうだけど」

「どこに行くんだ? 都道府県選抜に選ばれたから、あちこちから声もかかったんだろ?」

「声はかかったけど、行くのは双葉女子学園に決めた」

 進学先を聞いて無意識に「女子校か……」と少し言葉が漏れてしまう。

「なに? 一緒の学校に行きたかったの?」

「まぁ、色々世話になったからな。何かで恩返しできればって思ったんだけど……」

「試合に負けた後も練習に付き合ってくれたじゃない」

「あれだけじゃまだ足りないだろ」

 映像を用意したりデータを取ったりしてくれた。あれが無ければあの日の試合はもっとあっさり敗れていたと思う。負けはしたが、あの白熱した試合は雪村のおかげでもあるのだ。

「まぁ、全国に行けていれば気にしないでって言えたんだけど……」

 地区予選を勝ち抜き、地区大会も突破した。そのまま勝ち進んであと一つ勝てば全国大会に出場というところまで女子は行ったのだ。しかしわずかに力及ばず、全国大会出場を目前で逃してしまった。

「でも負けた相手、全国大会準優勝だったんだろ? そことフルセットにまでもつれたんだからすごいよ」

 初戦敗退の男子という立場だが、純粋に先生が良かったことを褒めた。しかし雪村は全国大会に出場するという目標が達成できなかったことが悔しいようで、褒められてもそれほど嬉しそうな表情をみえない。

 だからこそ彼女はスポーツ推薦で強豪校へ行き、高校で全国大会出場を果たしたいのだ。

「双葉女子学園って強いのか?」

「ここ数年、四強から落ちたことは無いかな」

「はは、強いところに行くなぁ」

「伊野部が行く法条だって安定して八強でしょ?」

 お互いに違う学校へ進学するが、バレーボールの強豪校へ進学するのは同じだ。

「そうだ、神田も法条に行くって聞いたけど本当なの?」

「本当だよ」

「野球じゃなくて?」

「バレーボールするってさ」

 野球部で長く活躍してきた神田。高校の野球部でも活躍できるだろう。しかしそれを取りやめてまでバレーボールをすると言っている。

「あと他のメンバーも、もしかしたら高校に行ってバレーボールするかもしれないって言っていたかな」

「へぇ、バレーボール大人気じゃないの」

「本当に大人気で驚いた。マイナー競技で苦労していたとは思えないくらいに驚いたよ」

 バレーボールをみんながやりたいと思っているかといえば、必ずしもそうではない。あの白熱した試合が原因だ。あの試合の興奮や経験をバレーボールという競技にみんな求めているのだ。

「私の妹もずっとインドア派だったのに、来年海港中学に入学したらバレーをやろうかって悩んでいたから、生で見たらすごい試合だったんだろうね」

「まぁ、俺も思い出したら鳥肌が立つ……ってか、雪村の妹。俺達の試合を見に来ていたのか?」

 幸村の妹の話は前に聞いたが、試合を見に来ていたとは思わなかった。

「男子の試合を撮影して、差し入れもしてもらったの。会わなかった?」

「……差し入れ?」

 差し入れと聞いて思い出せたのが一人。背の低い丸々とした人。正直あの時はよく見る余裕が無かったのだが、よくよく思い返してみると雪村とは似ても似つかない。

「え? あの栄養ドリンクの? 雪村の妹だったのか?」

 全く予想外の真実に驚きが隠せなかった。

「驚きすぎじゃない?」

「いや、驚くだろ」

「まぁ、似てない姉妹ってよく言われるから驚くのも無理は無いか」

 雪村と似ても似つかない妹。その姿を思い出して、似ている体型が持田コーチだった。

 以前雪村が持田コーチの外見について女子のメンバーと話していたとき、雪村は少しご機嫌斜めだったことを思い出した。もしかすると妹のことと何か関係があるのかもしれない。

「まぁ、女子の方はいいよ。代替わりしたわけだし、これからも続くだろうから」

 雪村はそう言ってこちらをじっと見てくる。

「男子はどうするの? 神田の弟、本気でバレー部に入る気なの?」

 男子バレー部の試合を見に来た神田の弟は夏休みの間に野球部を辞め、夏休みの途中からバレー部に通うようになった。同級生を二人誘ってまだ三人だが、この三人は本気で男子バレーボール部をやる気でいるらしい。

「当人達はやる気十分、って神田から聞いた。暇があったら教えてやってくれとも言われたんだよな」

「伊野部みたいに経験者じゃないのに、まぁ当人達にやる気があるならいいけど」

 バレーボールが楽しそうだからやる。始めるのはそれくらいがきっかけでいい。最初から全国大会を目指すとか、トップアスリートを目指すとか、そんな高い目標がないと初めてはいけないなんてことはない。

「伊野部、早く来い! 何をしとるんや!」

 体育教官室から顔を出した毛利先生が待ちくたびれたのか、早く来いと大声で急かしてくる。

「あっ、じゃあ進路の話に行ってくる」

 毛利先生が待つ体育教官室に急ぐ。

「あ、そうだ雪村」

 その途中で足を止めて一度振り返ると、呼び止めた雪村と目が合った。

「今までありがとな」

 たくさん世話になったお礼をなんとなく今言いたくなって、わざわざ呼び止めてまで言ってしまった。

「……ふふっ、どういたしまして」

 少し笑った雪村。多くの男子が彼女のファンになっているのがわかる気がした。

 体育教官室へ向かう自分と、教室へ帰っていく雪村。進路はこんな形で違う道を歩むことになる。しかしバレーボールはお互い変わらずに続けていく。進学先も違うし男女で別れれば試合会場も違う。しかしお互いにバレーボールをしていれば、高校に行ってもまたどこかで会うこともあるだろう。

 海港中学男子バレーボール部としての活動は終わった。でも神田の弟が後を引き継ぐ気でいる。男子のバレーボール部が存在しなかった中学校に、新しく男子バレーボール部の歴史が始まったのかもしれない。

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海港中学男子バレーボール部 猫乃手借太 @nekonote-karita

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