《最終章第1部 ~別れは突然に……~》

 

 その日はいつもと変わらない朝だった。


 「いつまで寝てんのよ!?」


 妻シンシアから無理やり起こされ、食卓について朝食を口にする。


 「ほら早く食べちゃって! 洗濯物干さないといけないんだからね!」


 シンシアがごほっと咳をし、その後に胸を押さえる。


 「なあ大丈夫か? 昨日から咳出てるんだろ?」

 「おとといからよ」

 

 また咳だ。今度は連続して出る。


 「先生に診てもらいなよ」

 「ん、そうする。洗濯物干したら行くね」



 「んじゃ、行ってくる」と朝食を食べ終えた勇者が玄関からシンシアに見送られながら、冒険斡旋所ギルドへ仕事に行くのもいつもと変わらない。



 ギルドの扉を開けると受付嬢のエリカが「おはようございます!」と挨拶し、二言三言交わしてから依頼書を取り出し、依頼を受けた勇者の背中に「頑張ってくださいね!」と励ます。


 

 一方、シンシアは庭にて洗濯物を干しているところだ。広げたシーツを物干し竿にかける。

 

 「んーいい天気」


 シーツを整えようとした時、咳がまた出た。


 はやく先生のところに行かないと……。


 突然、喉の奥から空気の塊のようなものがごぼっと出たので慌てて口を押さえる。

 げほっげほっとむせながらシーツを見ると、白い布地に鮮血が飛び散っていた。

 押さえていた手も深紅で染まっている。シンシアが呆然とするなか、無情にも咳は絶え間なく続き、思わずしゃがみ込むと足下の草々に紅い華を咲かせる。



 「お疲れさまでした!」


 昼過ぎ、受付嬢エリカの労いを背中に受けながら勇者はギルドを出る。

 報酬の入った革袋を腰に下げて街を歩いていると店のショーウィンドが目に留まった。オルゴール専門店らしく種々雑多なオルゴールが展示されていた。

 お馴染みの箱形や手回し式、ネジ式のもある。そのなかで男女が互いに抱き合っているのがあった。

 

 そういえば、もうすぐあいつの誕生日だっけ……。


 「おや、勇者さまではないですか?」

 

 髭を生やした店主の老人が店から出てくる。


 「そのオルゴールが気になりますか?」と男女が抱き合っているオルゴールを指さす。

 「うん、こういうのは初めて見るけど……」


 店主がにっこりと笑う。


 「さすがは勇者さま。お目が高い。ここのねじを回しますと、ほれ……」


 キリキリとねじが巻かれると涼やかな音色が流れ、男女が台座の上をくるくると踊るように回る。


 「こりゃすごいな!」

 「私の自信作でしてな」と店主が誇る。


 しばらくしてから包装紙で包まれた箱を手に勇者は街道を歩く。

 

 あいつ喜ぶだろうな……。


 いつも誕生日を忘れてプレゼントを用意出来なかったか、後渡しになることが多かったが、今回は当日にきちんと渡せそうだ。

 そう思いながら歩くと村が見えてきた。広場を抜け、家々も抜けて小道を行くとふたりの家だ。

 だが、勇者は胸騒ぎを覚える。なにか様子がおかしい。庭に人影が倒れているのが見え、勇者は駆けよる。


 「シンシア!!」


 包装紙の箱が地面に落ち、その拍子でオルゴールが鳴る。勇者が妻を抱き抱えるなか、その場としては不似合いな音楽が流れつづけ、やがてぴたりと止まった。

 

 

 勇者と駆けつけてきたシンシアの母はふたりで居間の卓について待っていた。

 寝室では村医者がシンシアを診察しているところだ。シンシアの母が勇者の手を取って「大丈夫よ」と慰める。

 その時だ。寝室の扉が開いて村医者が出てきたのは。


 「先生……娘は……?」

 「奥さん、落ち着いてくだされ。今は小康状態を保っているところじゃ。出来る限りのことはしたが……」額の汗を拭ってふたりを見る。

 「医者は、医術は万能ではない……もはや奇跡にすがるしかない状態なのじゃ……あの子に話しかけてやってくだされ。それがあの子の薬になる」


 寝室に入るとシンシアがこちらを向く。


 「シンシア、大丈夫かい? どこか痛む?」

 「ううん大丈夫よ。ママ。だいぶ良くなってるわ」


 母の後ろから夫である勇者がすまなそうに出てくる。

 

 「その、ごめん……もっと早く帰っていれば……」と詫びる勇者にシンシアが「平気よ」と慰める。


 「もしなにかあればすぐに言うんじゃぞ」と村医者が寝室を出る。

 

 「ね、ママ。悪いけどしばらく彼とふたりにさせてくれる?」

 「いいわ。もしなにかあればすぐに言ってね」と娘の額にキスする。

 母が扉を閉めると寝室では勇者とシンシアのふたりきりになる。

 少しの間、沈黙があった。


 「な、なぁ。俺、王様のところに行って、腕の良い医者を連れてきてくれるよう掛けあってくるよ」

 

 寝室を出ようとする夫の腕を掴んで引き留める。勇者が振り向くとシンシアがふるふると首を振る。

 

 「平気よ。そんな大げさなことじゃないわよ。それより座ったら?」

 「う、うん……」


 椅子を引き寄せて腰かける。


 「ね、暇だからさ、あんたの冒険聞かせてよ。ちゃんと聞いたことないんだから……」

 「……ん、わかった……どこから話そうかな……」


 旅立ってから数々の仲間と出会って、共に魔物を倒し、伝説の武具を手に入れ、海賊船に乗って大陸に渡り、魔王に対抗しうる聖剣を手に闇の領域に入ったところまで話した。


 「……というわけで俺たちは魔王を倒したんだ」

 「すごい……まるで本に出てくるような冒険ね……」


 話を聞き終えたシンシアが顔を天井へ向ける。こほっと咳をひとつ。

 

 「あたしも、そんな冒険してみたかったな……」とどこか遠くを見つめるような目をする。


 「な、なぁ」

 「なぁに?」


 勇者が言いにくそうにするが、やがて意を決して口を開く。


 「治ったらさ、俺の仲間みんなで旅に出ようぜ。アントンの嫁のレヴィさんも一緒にさ……お前の快気祝いだ」

 「素敵……じゃあ早く治さないとね」

 「ああ! だから……はやく病気治すんだぞ」


 無理やり笑顔を貼り付けながら言う。


 「それにさ、ほらローテン王国のテレーゼさんとも約束したろ? また遊びに行くって」

 「うん!」

 「だから……約束だ。治ったら、俺たちと一緒に旅に出るって……」

 「うん、約束する!」

 「よし、じゃ誓いの指切りだ」 


 勇者が小指を立てるとシンシアも自らの小指を出して絡める。

 魔王討伐の旅に出るときにも交わした指切りだ。だから御利益は確かだ。


 ゆーびきーりげんまーん。うそついたら剣一本のーます。ゆびきったー…………。

 

 

 

 

 

 

 

 その三日後、シンシアは死んだ。眠るようにして……。

 

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