《聖伝の章⑦ 闇の領域へ…… 辺境の冒険者たち》

 

 闇の領域――それは魔王の居城がある地。この領域では他の地域では見られない強力な魔物が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしており、腕に覚えのある冒険者たちの行く手を阻んでいる……。


 その闇の領域近くの辺境の城下町の入口に冒険者たち、勇者一行が足を踏み入れる。

 城下町は家々の窓や戸が閉められ、人々は家の中で音を立てないようひっそりと過ごしていた。

 無理もない。この辺境の町は闇の領域に近い位置にあるのだから。


 「まるで人の気配が感じられないようですね……」セシルが錫杖をしっかと握りしめながら言い、ライラが「そら魔王の城が近いからやん?」と答える。

 ふと見上げると家の二階の窓からこちらを見下ろすものがあった。だがすぐにばたんと窓が閉められた。


 「どうやら俺ぁたちは歓迎されてないようだのぅ」とアントンがぽりぽりと頭を掻く。

 「俺たちが魔王の手下だと思われてるんじゃないか?」とタオ。

 「みんな、とりあえずは城へ向かおう。ひょっとしたら一晩泊めてくれるかもしれない」


 一行の頭目リーダー、勇者が皆を見渡して言う。



 城は城下町の奥にあり、その入口である城門は侵入者のみならず、訪問者の来訪を拒むかのように鎧戸が下ろされていた。


 「旅のお方ですか? 申し訳ありませんが、何人たりとも通してはならぬという城主の命令でして……」と門番の兵士が申し訳なさそうにする。


 魔王の城に近いところにあるのだ。いつ魔物に総攻撃を仕掛けられるか分からない状況ではしかたない。


 「せっかくここまで来たのにとんだ無駄骨やん……」とライラががっくりとうな垂れ、とんがり帽子の先端の三日月の飾りがしゃらんと揺れる。


 「しかたない。泊めてくれるところを探そう。最悪、野宿出来るところを探すしか……」

 

 勇者がそう提案したところへ門番の兵士がおずおずと声をかける。


 「あの、宿屋をお探しでしたら私の祖母がやっている宿屋はいかがでしょうか? この御時世ですから宿泊客はほとんどいないはずです」


 兵士から宿屋の場所を教えられた勇者一行は宿屋の近くまで来た。

 ちょうど宿屋の主であろう老婆が箒で掃き掃除をしているところだ。

 

 「すみません。宿は空いていますか?」と勇者が声をかける。

 老婆が頷き、「5名様ですね?」と確認する。

 勇者一行は老婆を先頭に宿屋に入る。

 帳場で老婆が名前を書くようにと宿帳を差し出したので勇者が代表して名前を書く。


 「おばちゃん、宿代はいくらなん?」勇者の後ろでライラが尋ねる。

 老婆から宿代を教えられた勇者が財布から硬貨を取り出すと、カウンターに置く。すると老婆が手探りで探す。


 「すみませんねぇ。目が不自由なもので……魔物にやられてしまいましてね」

 「あ、す、すみません!」

 

 硬貨を老婆の手に握らせてやる。


 「あい。ありがとうございます。お部屋はそこの階段をのぼったところです。夕飯は夕方に食堂でお出ししますよ」

 

 勇者一行は階段を上ると、それぞれ部屋の中へと入った。



 夕刻。老婆が指定した夕餉の時間になった頃、部屋の扉から出てきたのはアントンだ。

 次いで隣の部屋からセシルが出てくる。


 「あ、アントンさん」

 「おお、セシルちゃんか」


 向かいの扉からライラが出てくる。


 「そろそろ夕飯の時間やない?」


 隣からはタオだ。


 「お、みんな出てるな。と、あいつがまだ出てないか。そういや村にいる幼なじみに手紙を書くとか言ってたな……」


 全員が勇者のいる部屋の扉を見る。すると扉ががちゃりと開いた。


 「あ、みんな揃ってたか。悪い」と頭を掻く。

 「あ、あの手紙は書き終えたのでしょうか?」と勇者に思いを寄せるセシルがおずおずと聞く。

 「ん、いやそれがなんて書けばいいかさっぱり思いつかなくて……メシでも食ったら思いつくんじゃないか?」

 「そう……ですか」


 早く食堂に行こうぜと勇者が階段を下りる。


 「だの。俺ぁはもう腹ペコだ」アントンが次いで階段を下りたので、残りの三人も下りる。


 

 食堂には食卓に人数分の皿とパンとチーズが、暖炉で沸かしているぐつぐつと音を立てる鍋からはスープの良い匂いが立ちのぼっていた。

 全員が卓につくと老婆がスープの入った椀を差し出す。

 

 「さ、スープです。辺鄙なうえに魔物がはびこってるのでこんなものしかお出し出来ませんが……」

 

 紅色のスープだ。見慣れない具材の野菜も入っている。


 「いただきます」全員がスープを啜る。


 「美味い!」

 「美味しい……!」

 「んまっ!」

 「うめぇなぁ!」

 「美味いな。この野菜は初めて見るな」


 料理の得意なタオが見慣れない具材を口に運ぶ。老婆によると火焔菜ビーツという野菜だそうだ。

 

 スープを啜り、パンとチーズを腹に収めたあと、勇者が口を開く。


 「いよいよここまで来たな……明日は闇の領域だ」

 「そうですね……このあたりは他では見られない魔物も出ていますし……」

 「おまけに魔素がどんどん濃くなっとるで。体中にビシビシと感じるわ」

 「魔王だろうがどんな魔物が出てこようが俺の拳で叩きのめすぜ」

 「俺ぁもはやくオリハルコンの斧の斬れ味を試したいのぅ」


 冒険者たちが口々に言うなか、老婆は心配そうにする。


 「ごちそうさまでした」と一行が食器を下げて部屋に戻るなか、ただひとりセシルだけは「お手伝いしましょうか」と厨房へと入った。

 

 流し場で皿を洗いながらしばし老婆と会話をしていると、老婆からお祈りを捧げたいので教会へ連れて行っていただけませんかの頼みがあったので、彼女は快く引き受けた。


 

 その教会は街の外れにある。セシルは老婆の手を取って教会まで付き添いながら歩く。

 やがて教会の両開きの扉の前まで来るとセシルがぎぎぎと音を立てて開け、老婆を中へと招き入れる。そして長椅子のひとつに腰かけさせると自分もその隣にすとんと座る。

 礼拝堂は魔物や盗賊によって荒らされたのだろうか調度品や蝋燭があちこちに荒らされ、十字架は床に転がっていた。屋根からは空いた穴から星空が見え、そこから光が漏れていた。


 「立派な礼拝堂でしょう?」老婆がそう聞いたので、セシルは「はい」と優しい嘘をつく。

 老婆が手を組んで祈りを捧げる。老婆にはかつての礼拝堂がそのまま残っているように見えることだろう。

 祈りが終わったのか、こちらへくるりと顔を向ける。


 「あなた方の旅の無事を祈っていました。それと孫の健康も」

 「お孫さん……」


 ああそういえば門番の兵士がそう言っていたような……。


 「あい。今はお城に勤めてますが、時おり様子を見に来てくれています。その、失礼だとは思いますが、あなた様の顔を触ってもよろしいですか?」


 セシルが「どうぞ」と言い、老婆の節くれ立った手を自らの顔に触れさせる。


 「ありがとねぇ。髪は金髪ですか? 目の色は何色でしょうか?」

 

 セシルが自らの容姿を伝える。老婆がうん、うんと頷く。


 「あなたの可愛らしい顔が浮かびますよ」


 そして少女の手を握り、ふたたび神に冒険者たちの無事を祈った。

 

 

 セシルと老婆が教会で祈りを捧げているなか、一行のひとり、タオは宿屋の裏庭にて、ひとり鍛錬を行っていた。


 「破ッ! 噴ッ!」


 正拳突きを繰り出し、次いで上段蹴り。


 ふーっと息を吐いて丹田に力を込める。そして背後の大木に蹴りをくれる。その衝撃で数枚の葉がひらひらと舞い落ち、タオの拳、突き、手刀、蹴りが捉え、ばらばらになって落ちる。だが、残った一枚の無傷な葉が地面に落ちた。


 まだ駄目だ……こんなものじゃ……。


 そんな武闘家を部屋の窓からライラが見つめていた。


 ほんま、とことんまでストイックやね……。


 窓を閉め、カーテンを引くと寝床の中へと入る。ナイトテーブルにはランプが煌々と灯っており、壁に立てかけた魔法の杖にはめ込まれた水晶が反射して光っている。

 もともと彼女の師匠、銀髪ぎんぱつの魔女の愛用の杖だが、今ではライラの手に馴染んでいた。

 

 せんせい……。


 結局、最後まで名前を教えてくれなかった師匠に思いを馳せながら魔女は毛布のなかで体を丸くし、瞼をぎゅっと瞑る。


 一方、ライラの部屋の向かいの部屋ではドワーフのアントンが斧の刃を月明かりに照らしながら点検する。

 冒険の途中で手に入れた武器だ。世界で一番固い物質と言われているだけあって、オリハルコンの刃は刃毀れひとつなかった。

 

 ついに明日は闇の領域……そして魔王の首元にこの刃を……。


 ドワーフの戦士は斧の柄を握る手に力を込める。


 最後に勇者は部屋の書き物机で幼なじみ宛ての手紙を書いていた。

 途中まで羽根ペンを走らせたかと思えばいきなり丸めて捨てる。


 だめだ……なんて書けばいいのか思いつかない……。


 むろん手紙はこれまでの旅で書いてきたが、今回は思うように書けない。

 なにしろ明日は魔王の城がある闇の領域へと入るのだ。だから手紙を出せるのはここまでになるだろう。

 それだけではない。あの魔王と対峙して勝てるのかもわからないのだ。そう思うとペンを持つ手がぶるぶると震える。

 勇者は白紙の便箋に目を落とす。村で帰りを待っているであろう幼なじみの顔が浮かぶ。


 いや、ありのままの思いを書くんだ。飾り立てた言葉など薄っぺらいものでしかない。手紙は近況を伝えるだけでなく、自分の想いを伝えるものでもあるのだから。


 そう意を決した勇者はふたたびペンを取ると便箋に想いを刻み込むように書く。

 しばらくして手紙が仕上がった。いささか恋文めいた手紙になってしまったが、なに構うものか。

 便箋を封筒に入れ、しっかりと封をする。この辺境の宿屋からはたして村にいる幼なじみのところへ届くかどうかはわからないが、これが今の自分に出来る精一杯だ。

 書き物机のランプの火を息で吹き消すと勇者は寝床へと入った。

 

 

 翌朝、勇者一行は宿屋の外にいた。


 「ありがとうございました」と勇者がぺこりと頭を下げる。そして踵を返す。

 町の出入口まで来たとき、セシルがぴたりと歩みを止める。


 「どうした、セシル?」勇者の問いには答えずにセシルが振り向く。


 「あのっ!」


 宿屋に戻ろうとしていた老婆がこちらを振り向く。


 「私たち、きっと帰ってきますから! だから、心配しないでください!」


 神官の少女の固い決意を耳にした老婆が手を振る。


 「ご武運をお祈りしていますよ!」


 セシルがぺこりと頭を下げ、一行とともに町の外へと出る。



 闇の領域と外界の境界線にあたる地点にて一行は並んで立つ。

 魔素が濃いせいか、ところどころから紫色の濃霧が視界を遮るかのように立ちこめていた。


 「みんな、準備はいいか? 引き返すなら今のうちだぞ」


 勇者が皆を見渡す。


 「私は勇者様にずっと付いていくと覚悟を決めています!」セシルが錫杖をしっかと握りしめる。

 「ここで引き返したとあっては魔女の名がすたるってもんや」ライラが帽子の鐔をくいと上げると、先端の三日月の飾りがしゃらんと揺れる。

 「こちとら武者震いがしてるくらいだぜ!」タオがばしっと拳を掌に叩きつける。

 「俺ぁはおめぇらよりも長命だからな。覚悟はおめぇらが生まれる前から出来てる」アントンが斧を担ぐ。

 全員の意思を確認した勇者は頷く。いい仲間を持った。一緒に旅が出来て本当によかったと心から思う。

 勇者が鞘から剣を引き抜く。魔王を倒す唯一の武器、聖剣だ。刀身がきらりと輝く。


 「みんな、闇の領域へ行くぞ!」


 勇者の鬨の声に仲間たちが「おう!」と応える。




 魔王が倒されて世界に平和が訪れてから数年後……。


 「お客さん、もうすぐですよ。ここら辺は魔王がいた頃は闇の領域と呼ばれてたんですよ」

 

 男が馬上の旅人に言う。


 「しかし、珍しいですね。今ごろ、こんな辺鄙なところまで旅人の方が来るなんて……」

 「その口ぶりだと以前はお客さんがたくさん来たみたいだね?」

 「そりゃあ、魔王城があったところですから! 一時期は宿屋の予約がなかなか取れない時もありましたからね!」


 男が誇るようにふふんと胸を反らす。


 「へぇ! 宿屋の主としては鼻が高いな」

 「と、言いたいとこなんですが……もともとは俺の祖母がやってた宿屋なんですよ。三年前に亡くなって、後を継いだってわけです」


 元門番の兵士が頭を掻く。


 「祖母はよく亡くなる前に聞かせてくれましたよ。勇者一行を宿屋に泊めたのは一生の誇りだと」


 だから、祖母はきっと満足していると思いますと締める。

 ふと目の前が開けはじめてきた。


 「お客さん、ここですよ。ここが魔王城があったところです。ほら、あそこの瓦礫が魔王城ですよ」と指さす。


 馬上の旅人、『私』は手帳に旅の記録を書き留める。すでに手帳はこれまでの旅の記録で分厚くなっていた。

 私はこの魔王討伐の英雄たちの記録を形にするべく、大事そうに手帳を懐へとしまった。

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