《第二十四章 豊穣祭は賑やかに》⑥


 ついに三人目の審査員が札に手を伸ばし、それを掲げる。司会者が札を確認し、頷く。


 「最後の札が上がりました! ル・シフォン氏の札です! よってこの勝負、ル・シフォン氏の勝利です!」

 「実に甲乙つけがたい名勝負でした。シンシアさんも素晴らしかったのですが、私のなかでは僅かにル・シフォン氏のほうが勝っていました」


 観客からはどよめきが起こり、ガトー姉妹が抱き合って喜ぶなか、勇者はがくりとうな垂れる。


 またこの姉妹におもちゃ扱いされるのか……。


 妻シンシアのほうを見ると呆然として立っており、涙を流さぬよう堪えていた。勇者にはかける言葉が見つからない。

 

 「さ、勇者様。今宵は私達とたっぷり……」とショコラが戦利品の勇者にそう語りかけた時、


 「待った!」


 凜とした声が会場に響き渡り、全員が声のしたほうを見る。

 ル・シフォンだ。彼の口から次いで出た言葉は信じられないものだった。


 「この勝負、私の負けだ」


 再び会場がどよめく。むろんガトー姉妹も信じられないという顔つきで見る。


 「あ、あなた、自分が何を言っているのか、分かってますの……?」とショコラがぷるぷると震える指で専属料理人を指さす。


 「申し訳ございません。ショコラ様、ミカ様。勝負を始める前にシンシアさんに、料理には何よりも愛情が大事だと言われました。

 シンシアさんのご主人を思う気持ちを、戦ってみて分かったのです。今日、私は料理に必要なものがなにかを思い出しました……」


 ル・シフォンが姉妹の前へと進み出、その場で片膝をつく。


 「ショコラ様、ミカ様。あなた方がまだ幼いころ、私の作った料理を美味しそうに召し上がってくれたことは今でも覚えています。料理とは、このような形で勝負をするものではないはずです。どうか、ご主人をシンシアさんのもとへ帰してあげてください」


 お願いですと深々と頭を下げる。


 「ふ、ふざけるんじゃないわよ! 一度決まった勝敗を覆すなんて、そんなことが許されると思ってますの!?」


 クビよ! クビ! とまくし立てるショコラをミカが宥めようとするが、聞く耳持たないといった有様だ。

 会場からもブーイングが巻き起こり、司会者もどう収拾をつければいいのか分からないほど、混沌の坩堝るつぼと化していた。

 

 「もうよい! そこまでだ!」

 

 あたりに響き渡る声で会場の混沌が嘘のようにぴたりと治まり、全員が声のしたほうを見る。

 噴水のそばに精悍な顔つきの男が立っていた。


 「お、お父様……!?」とショコラが狼狽える。

 「え、お前のとーちゃん?」勇者がショコラと父親を代わる代わる見る。

 「お仕事で諸国に行かれたはずでは……?」

 「たった今戻ってきたところだ。街がなにか騒がしいと思って来てみれば……」


 ミカの問いに父、サバラン・ガトーが答える。


 「お、お父様。これには理由わけが……」

 「言い訳は無用!」

 「ひっ!」


 父が窘めるようにぴしゃりと言う。そして会場へと歩く。観客が左右に分かれて通り道を作る。

 シンシアのそばまで来ると、彼女の手を取り、口づけをする。


 「あなたが勇者殿の奥方様ですね。お会いできて光栄です。この度は私の娘たちが不躾なことを……」

 「あ、い、いえ、気にしてませんから……」とシンシアがしどろもどろになる。

 次いで跪いているル・シフォンの肩に手を置く。


 「すまなかった。留守の間、苦労をかけたな」

 「旦那様。もったいなきお言葉にございます……」


 最後に勇者のほうを向く。そして深々と頭を下げる。


 「勇者殿。私の不肖な娘たちをどうか許してください。早くに母を亡くし、仕事で忙しくて構ってやれなかった私の責任です……」

 「あ、うん……別にいいよ。もう気にしてないから……」

 「恐悦です!」サバランがまた頭を下げる。そして娘へと向き直る。


 「お前たち、帰るぞ! 帰ったらたっぷりと説教するからな!」

 「はい……お父様」


 姉妹ともどもしゅんとうな垂れながら父の後を付いていく。ミカが名残惜しそうに勇者を見るが、すぐ首を振る。


 「なあ……」と勇者が呼び止める。

 父サバランと姉妹たちが振り向く。


 「その、さ。いつでもいいから俺の家へ遊びに来いよ」

 

 これにはさすがの姉妹たちも驚き、シンシアは信じられないというように口をあんぐりと開けていた。


 「し、しかし。このふたりはあなたを……!」とサバラン。

 「ちょっと! なに考えてるのよ! 前にあんなことされてまだ懲りないの!?」


 シンシアが夫に詰め寄る。


 「や、だってさ、かーちゃんはいなくて、とーちゃんは仕事で忙しいんだろ? このふたり寂しいだけなんだよ。遊び相手が欲しいだけなんだよ」


 ショコラとミカのふたりは涙を流していた。ひさしぶりに人の優しさに触れたのだろう。すぐに勇者のもとへ駆けよると礼を述べる。


 「勇者様! ありがとうございます!」

 「シンシアさんもごめんなさい!」


 父も勇者の前に跪き、頭を深々と下げる。


 「勇者殿の慈悲に感謝いたします!」


 すでに会場は異論を唱えるような空気では無くなっていた。

 

 「ま、まぁ。お茶くらいなら出すから、いつでも遊びに来なさいよ」


 シンシアがふて腐れながら言う。


 「ありがとう! シンシアさん!」


 ショコラがシンシアの手をぎゅっと握りしめる。そして、司会者のほうを向いて頷く。


 「ただいま主催者から承認を受けました! よってこの勝負、シンシアさんの勝利です!」


 会場全体がどっと歓声に溢れる。


 「今度会うときはぜひお客さんとして来てください。存分に腕を振るってご馳走しますよ」

 「ありがとう。あなたもうちに来てくれたらもてなすわよ」


 両者が固い握手を交わすと周りから惜しみない拍手が巻き起こる。

 こうして料理対決は幕を閉じた。



 「あー疲れた!」

 「お疲れさん」


 勇者がシンシアをねぎらう。


 「ね、せっかくだからさ。屋台でなにか食べましょうよ」

 

 屋台で黒毛豚の腸詰めをふたりで食べた後は祭で賑わう街中を歩く。

 

 「そこのお二方、よろしければ珍しいものを見ていきませんか?」


 燕尾服にシルクハットを被った小太りの男が呼びかける。

 勇者とシンシアは興味津々で見世物小屋のテントの中へと入る。


 「さてさてこれよりお二人にお見せしまするは、世にも珍しい神秘的なものです。いまだかつてない体験をとくとご覧あれ」


 役者のごとく大仰な身振りで前口上を述べるシルクハットの男の隣には三脚で固定された正面にレンズがはめ込まれた木箱が設置されている。


 「お二方、そちらへ立ったままお待ちください。はい、そのままで結構です。強い光が出ますが、動かないでくださいね」


 男が木箱を操作すると、彼の言うとおり強い光が発せられた。


 「はい! うまくいきましたよ!」と勇者とシンシアのふたりに紙のようなものを手渡す。

 そこには白黒だが、半目になった勇者と緊張の面持ちで立っているシンシアが写っていた。


 「おい、俺たちが紙のなかにいるぞ!」

 勇者の反応に満足したシルクハットの男は満面の笑みを浮かべる。


 「転写機と呼ばれる最新の発明品です。どうぞ無料タダで差し上げますよ」


 写真と呼ばれる紙を受け取ったふたりはテントを出る。するとどこからか陽気な曲が流れてきた。

 音を辿っていくと広場のほうで流しの演奏家たちがめいめいの楽器でポルカを奏で、みなが音楽に合わせて踊っていた。


 「あたしたちも踊りましょ!」とシンシアに手を引かれる。

 勇者とシンシアがそれぞれ男女別の振り付けで踊り、腕を組んでくるくると回る。

 こうしてふたりで踊るのはローテン王国の舞踏会以来だ。

  

 「やっぱりあたしはこっちのほうが好き!」

 「俺もだ!」


 農村ではやはりワルツよりもポルカだ。


 

 音楽が終わってみなで拍手したあとはお開きとなり、ふたりは広場を出る。

 帰る前に勇者がリーナさんの店へ行こうと提案する。


 「いらっしゃい。あら、ふたりで来るなんてひさしぶりね」


 酒場に入ってきたふたりをリーナがそう声をかけ、カウンターに座らせる。


 「リーナさん、今日はありがとうございました!」

 「いいのよ。おかげで良いものが見られたしね♡」


 三人でグラスをあわせて乾杯する。

 

 

 リーナの酒場を出、ふたり並んで街道を歩く頃にはすでに夜だ。満月の月明かりがふたりの歩く道を照らす。


 「今日はホントにいろいろあったわね……」

 「だな。料理対決でお前がなかなか戻ってこないから心配してたぜ」

 「ん、ごめん」


 しばし並んで歩く。と、シンシアがぴたりと止まる。


 「? どうした?」

 「……なんか、お酒回ってきたみたい……」

 

 シンシアが朱が差した頬に手を添える。


 「そか……なら少し休もうか?」

 「? こんなとこで休むとこなんてないじゃない?」

 「それがあるんだな」


 勇者がにやりと笑みを浮かべてシンシアの手を取って街道の外れを歩く。


 「ちょっと、どこ行くの?」


 草むらを掻き分けてどんどん前へと進む夫に聞く。


 「心配すんなって。あと少しだから」

 「もぅ……」


 ふと、シンシアの頭に疑惑がよぎる。


 こんな人気の無い、おまけに暗い林の中で休むって……まさか、えっちなことするつもりなんじゃ……。


 どくどくと脈打つ胸に手を当ててぎゅっと握る。


 「着いたぞ」

 「うぇっ!? え、もう着いたの? でもここって……」


 見る限り、そこにはなにもないただの原っぱだ。そこへ勇者が寝転がる。

 

 「ほら、シンシア。ここに寝て」ぽんぽんと自分の隣の芝生を叩く。


 やっぱりえっちなことだ……。

 

 「あ、あの、こういう外でするのは開放的で気持ちいいと思うけど、あたしはその、そういう高度なのはまだちょっと早いというか……」としどろもどろで言う。


 「? いいからここに寝なって」

 

 しかたなく勇者の隣に横になる。


 「それで、どう……するの?」

 「上見て」と勇者が上を指さす。


  勇者が指さす先には、夜空に煌々と輝く満月にその周りを数多の星々が散らばった宝石のように煌めいていた。

 

 「……きれい」

 「ガキの頃さ、よくここに行って星を眺めてたんだ。それで帰りが遅くなっておばさんによく怒られたけどな」


 勇者が星のひとつを指さして、あれは旅人が目印代わりにする星座だと教えた。

 星に関するいわれや昔話などなどシンシアに語って聞かせる。


 「……冒険に出ている時、こうして星を見上げて、ずっとお前やおばさんとか、村のみんなはどうしてるかな? って思ってた……」

 「うん。あたしも星を見て、あんたがどこでどうしてるのかなって思ってたよ……」

 

 シンシアが勇者のほうを見ると彼と目がばったり合ったので、思わず顔をさっと星空に向ける。心臓がどくどくと高鳴る。これは酒のせいだ。うんきっとそうだと思いながら立つ。

 

 「そ、そろそろ帰りましょ。これ以上暗くならないうちに……」と慌ててスカートに付いた葉っぱを払う。

 「おう」と勇者もよっこいしょっと腰をあげる。


 

 家までの帰路を歩くなか、果たしてふたりはひさしぶりに手を繋いで歩いていることに気付いているのだろうか?

 その答えは星空に浮かぶ満月と、星々だけが知っている。

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