《間章 港町の旅人》後編


 船長の言うとおり、その酒場はすぐ目に付いた。海賊船をそのまま再利用しているので、その大きさは酒場としてはかなり目立っている。

 船にかけられたタラップを上がると頭に青いバンダナを巻いた給仕ウェイターらしき男が出迎える。


 「ようこそ! 人魚の涙セイレーン亭へ。お一人様ですかい?」


 元は海賊であったろう荒くれ者の給仕が努めて丁寧な言葉遣いで話すので、私は笑いを堪えるのに必死だった。

 甲板には客がそこかしこに設置された卓につき、食事をしながら雑談していた。

 給仕に案内された席は船尾側の船縁に近い席であった。

 椅子に腰かけると給仕からメニューを手渡される。


      ~人魚の涙亭メニュー~

  

    ・名物! サバサンド

    ・本日捕れた新鮮な魚のカルパッチョ

    ・豪快! マグロのステーキ

    ・エビと貝の海の幸のリゾット


 どれも美味そうだ。迷ったが、やはりここは名物だというサバサンドを頼んでみる。

 

 「かしこまりました」と給仕が去ると、私はふぅと一息つく。

 さざ波の音が耳に心地よく、空にはカモメがみゃあみゃあと鳴いている。

 ふと船縁、左舷のほうに目を引くものがあった。

 大砲だ。展示品だろうか?

 そう思っているとさっきの給仕が「お待たせしました」と皿を運んできた。

 熱々のバンズにサバがレタスとトマトと一緒に挟まれている。

 私は両手で掴み、がぶりと頬張る。かりかりのバンズにしゃきしゃきとしたレタスの食感、サバの旨味がトマトの酸味と合わさってじゅわりと口の中で広がる。


 「こりゃ美味い!」

 「ありがとうごぜぇます。海賊のまかない飯でさぁ」


 もはや言葉遣いを直す気がない給仕がにこにこと微笑む。

 私は良い機会だと思い、彼に気になったことを尋ねてみる。


 「あの大砲、どうしてあそこにあるのかな?」

 

 元海賊の給仕はぱっと顔を輝かせる。


 「よくぞ聞いてくれました! 不思議に思ったのはお客さんが初めてではないんでさぁ! あの大砲は勇者一行と一緒にクラーケンと戦ったときに使った大砲でさぁ! しかも設置された場所もおんなじで!」


 いたく興味を引かれた私は詳しい話を聞こうとしたが、「そうしてぇのはやまやまなんすが、なにぶん忙しい身でして……」と断られてしまった。


 がっくりする私に給仕が助け船を出す。


 「詳しい話を聞きてぇんなら、夜またここにおいでなせぇ。マーレ船ちょ……じゃなかった店長なら詳しく話してくれまさぁ」

 「マーレ店長は今はいないの?」

 「へぇ。店長は夜にしかお出でにならねぇんで。この下の船倉でバーテンダーをやっとります」

 「へぇ! じゃあ今夜伺うよ」

 「ありがとうごぜぇます」



 その夜、宿屋の食堂で夕餉を摂った私はふたたび人魚の涙亭へと向かった。

 タラップを上がると昼間とは別の男が出迎えた。


 「ようこそ。人魚の涙亭へ」


 丁寧な言葉遣いと仕草が堂に入っている。


 「あなたも元は海賊だったんですか?」

 「はい。セバスチャンと申します。副船長を務めていました」

 「それにしては海賊らしくないですね」

 「ははは。実はもとは海軍にいましたが、軍船が沈没して漂流していたところをマーレ船長に拾われまして……」


 と、長話をしてしまいましたねと詫び、船倉へと案内してくれた。

 船倉は意外と礼拝堂のように広く、天井にはランプの明かりが、壁を背にした棚には種々雑多な酒瓶が並んでいる。

 

 「らっしゃい! おや、見ない顔だね」


 カウンターの中から威勢の良い声が飛ぶ。

 元海賊船の船長、もとい店長というから恰幅の良い海の男を想像していた私は面食らった。

 波打つ黒髪の上には赤いバンダナ、右眼には眼帯の元海賊船の女店長マーレはカウンターに座るよう促し、鯨の乾し肉をサービスだと言って出してくれた。

 

 「あんた旅人かい?」

 「ええ、まあ……」

 「なら、ここに来たからには取っておきのを飲ませるよ!」


 そう言うとマーレ店長は棚からグラスを取り出すとグラスの縁に塩をまぶす。

 次いでラム酒を取り出してグラスに注ぎ、半分にカットされたライムをさらにぶつ切りにしてグラスにあけ、そこへ砂糖を加えたかと思えばペストルでライムを潰し始めた。

 最後にマドラーで軽く混ぜると完成だ。


 「お待たせ。ウチの名物、『人魚の涙』さ」


 いただきますと言ってグラスを傾ける。

 縁にまぶされた塩が舌を刺激し、そこへライムの酸味をともなったラムの爽やかな後味がやってくる。


 「美味しい……!」

 「気に入ったようだね」と店長がにかりと笑う。


 私は昼に気になったことを尋ねようと思い、店長に声をかけた。


 「あの、甲板にあった大砲のことなのですが、店長は勇者一行とともにクラーケンを倒したとか……」

 「アンタもその話を聞きに来たクチかい? ちょいと待ってな」


 そう言うとマーレ店長はふたつのグラスに赤葡萄酒を注ぎ、船倉の奥の厨房から出て来た双子の給仕に声をかける。


 「サム、これをお客さんに持ってってやんな! シム、お前は酒の補充だよ!」


 「シムです!」

 「サムです!」


 双子が同時に訂正する。


 「どっちでもいいさ! さっさとやんな!」


 葡萄酒のグラスを渡すと店長はくるりとこちらへと顔を向ける。


 「それで、用件はなんだったっけ? そうそう! クラーケンのことだったね」


 マーレ店長は事のあらましから子細に語ってくれた。勇者一行と海賊のクラーケンの死闘はまさに血湧き肉躍るといった内容だった。


 「というわけで、クラーケンを仕留めたのさ」

 「すごい……」


 ありがとなと店長がにかりと笑って礼を言う。空になった私のグラスに気付いて「なにか飲むかい?」と聞かれたので、私はラム酒を頼むことにした。

 琥珀色をしたラム酒を傾け、酒精をふぅと吐く。


 「その、店長は旅にというか、航海に出ようとは?」


 海賊稼業から足を洗ったことはすでに武勇伝で聞いている。


 「そうさねぇ……海を見ていると、たまにそんなことを思ったりするけどね……」


 アタイも一杯やっていいかい? と問われたので、私はどうぞと首肯する。

 ショットグラスにラム酒を注ぎ、くいっと傾ける。

 そしてふぅと一息つく。


 「……魔王が死んで平和になったあとでも色々な海を回ってきたからね……そろそろ潮時というか、錨を下ろす時じゃないかと思ってね……」


 ことりとグラスを置く。


 「で、今まで他人様に迷惑かけてきた分、罪滅ぼし……ってぇわけじゃないけどお返しがしたいと思ってね。ここに店を開いたのさ」


 そう言いながら私のグラスにラム酒を注ぐ。


 「この船にいるみんなはアタイの家族みたいなもんさ。やっと帰る家が見つかったってところかな?」


 そう言ってにかりと笑うマーレ店長の顔はまさにお袋のそれだ。

 私はマーレ店長の空になったグラスに酒を注いでやる。


 「勇者一行と人魚の涙亭に乾杯!」


 カチンと杯を合わせる音が響く。

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