《聖伝の章⑥ 上の如く、下も然り》後編
竜の
通路の奥へと進む勇者は新たに付けた松明を途端、後ろの暗がりに向ける。だが、そこにはなにもない。
どうも誰かにつけられているような気がする……。
二つめの試練を越えてから、何かの気配を感じる。魔物かと思い、剣を片手に構えて待ち構えるが、一行に姿を現さない。
…………気のせいか?
神経が高ぶっているせいだろうと思うことにして先へと進み、魔消石がはめ込まれた岩壁を慎重に歩いて行く。
ノルデン王国の先代勇者の墓にもあったこの石は魔力をかき消す効果がある。魔法が使えず、剣一本のみで戦わざるを得ない身としては慎重に慎重を重ねる必要がある。
やがて開けたところに出た。だが行き止まりだ。目の前に壁があり、その下には水が溜まっている。
右側の石壁に石版がはめ込まれ、その下には機械仕掛けらしきものがあり、取っ手のついたハンドルがある。勇者は近づいて松明で石版を照らす。
『聖剣を求めし勇気ある者よ。下のからくり装置を以て水の中を進め。聖剣はその奥にある』
からくり装置を見るとハンドルの下から皮で出来たチューブが伸びており、その先は口に咥えるような形状になっている。
試しにとハンドルを回してみる。すると機械が作動して空気を吸い込む音がした。
チューブの先に手を触れるとそこから空気が漏れている。呼吸装置だ。
程なくしてハンドルが止まり、空気も止まった。どうやらハンドルを回した分だけ空気が供給されるらしい。
呼吸装置を咥えると勇者はハンドルをいっぱいまで回す。やがてそれ以上動かなくなると、勇者は松明を置いて水の中へと飛び込んだ。
水温は冷たくもなければ熱くもないが、水中では陸上と比べると身動きが取りにくい。
空気が送り込まれている皮のチューブを引っ張りながら奥へ奥へと進む。
遥か先のほうにぼぅっとだが、明かりが漏れている。目指すはそこだ。聖剣はその先にある……!
呼吸装置のハンドルがゆっくりと回転して空気を送り込むなか、試練の間の入り口から影がぬぅっと現れる。
ひたり、ひたり……。
ゆっくりと足音を立てながら、影は呼吸装置の近くまで来る。
ローブを
チューブは勇者に空気を送り込むべくするすると水の中へと引きずられていく。
途端、チューブの動きが止まった。影が掴んで止めたのだ。ローブで覆われた顔があるべきところは闇だった。そもそも顔がないのだ。
だが、その闇はにやりと笑みを浮かべていることだろう。
仄暗い水の中の通路を勇者は一歩ずつ着実に進んでいく。明かりまではあと少しだ。
がくん、と動きが止まる。チューブがこれ以上伸びないのだ。
引っかかったかと思い何度も引っ張るが、どうしてもこれ以上進めない。
どうする? 引き返すか……?
だが、引き返すにしても距離があるし、水面に出る前に空気が切れてしまうだろう。
出口はどうか? 無理だ。近くまで来ているとは言え、息継ぎなしであそこまではたどり着けない。魔法を使いたくても、ここでもはめ込まれた魔消石がそれをさせてくれない。
空気がもうすぐ切れる! 溺れる、死ぬ、死ぬ……!
水のなか、狭い通路で勇者は死の淵に立たされていた。
上の如く、下も然り。また下の如く、上も然り。
勇者が水路で絶体絶命に陥っているなか、仲間たちは死力を尽くして
「かぁーっ! 斬れ味が鈍ってきやがった!」
アントンがもう何十匹目かもわからない砂蠍の頭蓋に斧を叩き込む。魔物の体液でミスリルの刃がねっとりと絡む。
「アンさん、こっちも限界だ! なんとかしてくれ!」
タオが飛びかかってきた砂蟲を手刀で両断する。
彼の拳は篭手を嵌めているとは言え、硬い外殻に覆われた砂蠍に何度も正拳突きを叩き込めばおのずと傷だらけになった。
「ウチももう魔力が空っけつや!」
ライラが最後の魔法の矢を放つ。一本の矢は数体の砂蠍の胴体を射抜いた。
魔力を節約するためにまとめて串刺しにする戦法に切り替えたが、その魔力もなくなった。
無尽蔵に湧いてでてくる砂蟲と砂蠍がライラに襲いかかる。
だが、ひゅんっと空気を切り裂く音とともに数匹の砂蟲の胴体が切断される。
「ウチにはまだまだこれがあるさかい、覚悟しいや!」
港町の武器屋で購入したレザーウィップをびんっと伸ばす。
「もしもの時に買うといて正解やったわ!」
「みなさん! どうか持ち堪えてください! 勇者様はきっと戻ってきます!」
セシルが錫杖をしっかと握りしめる。彼女の法力もまた限界に近づきつつあった。
なんとか、勇者様が戻ってくるまで……持ち堪えてください……!
気力で結界をなんとか維持する。結界が解けてしまえばたちまち砂蟲と砂蠍の大群に襲われるだろう。
だが、四人の戦士たちは諦めていない。みな、思いをひとつにして迫りくる魔物と対峙する。
勇者様は、あのアホは、あいつは、あの男は……
「絶対に戻ってくる……!」
上の如く、下も然り。ローブを纏った影はチューブをたぐり寄せている。ハンドルはすでに回転を止め、空気も止まった。
そろそろ溺死した頃だろう。実際チューブは抵抗もなくするすると引っ張られている。
顔のないローブからケフフフと笑い声が漏れる。程なくしてチューブの先が水面から現れる。だが、その先端は斬られていた。切り口からして剣で切断したのだろう。
苦し紛れに切ったのか……? いや違う……! この切り口は確信を持って切り落としたものだ。けしてがむしゃらなどではない……!
影は勇者を追うべく、するりと水の通路へと飛び込む。
水路の出口からぶくぶくと泡が立ったかと思うと、すぐに水面から男が顔を出してぷあっと口を開けて空気を吸い込む。
勇者はぜぇぜぇと喘ぎながらなんとか酸素を肺に取り込もうとする。
水路でチューブが動かなくなった時は死を覚悟したが、とっさの機転で腕をいっぱいに伸ばすとチューブを剣で切断し、残ったわずかな空気で通路を進み、最後のひと呼吸を肺に吸い込んでチューブを捨ててここまで泳いできたのだ。
三つめの試練を乗り越えたが、勇者も体力の限界に近づきつつあった。
それでもなんとか立つ。聖剣を手に入れるために。帰りを信じて待ってくれている仲間たちのためにも。
立ちあがると目の前に石版が見えた。近づいて刻まれた文を読む。
『聖剣を求めし勇気ある者、これまでの試練を乗り越えし者よ。ここより先は最後の試練なり。
己を信じて、先へと進みよ。決して後ろを振り返ってはならぬ』
「遂に最後の試練……か」
石版の奥は先が見通せないほど暗い。まさに光など差したことのないような闇だ。
幸い通路は狭いので壁に手を当てながら進めば迷うことはないはずだ。
しかし、最後の試練にしてはあまりにも簡単すぎる……。後ろを振り返ってはいけないのも気になるが、待っている仲間たちのことを思うと考えている時間はない。
勇者は闇の中へと飛び込んだ。
………………いったいどのくらい歩いただろう? 自分の手すらも見えないほど暗い、闇の中を壁に手を触れながら慎重に進む。
この闇では方向感覚は狂い、時間の感覚も怪しくなってくる。
上に進んでいるのか、それとも下へ進んでいるのか? 仲間たちは無事だろうか? シンシアやおばさんは元気でやってるのかな?
あれこれと考えが頭に浮かんでは消える。なにか考えていないと頭がおかしくなりそうだ。
光が欲しい。ほんのすこしの明かりでもいい……。次第に息苦しさが増していく。時々後ろを振り返りたくなる衝動をなんとか堪えて先へ進む。
出口はあるのか? いやそもそも聖剣自体まだあるのだろうか……?
いや、絶対ある! 頭を振って弱気になるなと自らを戒める。
ひたり。
後ろから聞こえる足音に思わず勇者が止まる。
気のせいか……?
剣を構える。
ひたり、ひたり……。
気のせいじゃない! 後ろに何かがいる……!
振り向いて確かめたいが、それでも前を向いて進む。
とにかくなにかがいる……!
息を殺して柄を握り直す。
「まだ探しているのですか?」
その声に勇者はぎょっとする。聞き慣れた女性の声――――セシルだ。
振り向こうとするが、かろうじて堪える。
「もういいかげん諦めたらどうや? 男には諦めも肝心なんよ?」
聞き慣れない方言は間違いなくライラだ。
上で待っているはずの仲間がなぜここに……!?
「魔王を倒すなんて、やっぱり無茶なんだよ」
今度はタオだ。
「俺ぁもそう思うぜ。聖剣探しは他のひとにやらせりゃええ」
最後にアントンの声。
違う……。これは幻聴だ。そう勇者は自分に言い聞かせる。
「聖剣を手に入れることが出来なくても、勇者様は頑張りました。誰も責めるひとはいませんわ」
セシルの、神官らしく凜とした声が背中で響く。
「せやで。誰もあんたを責めるひとなんていないで」
やめろ。
「だからもうここでやめるんだ。もういい。お前はよくやった」
やめてくれ。
「さ、こっちを向いて一緒に帰るんだ」
違う、違う違う違う……!
「ねぇ、いつになったらあたしの所に帰ってきてくれるの?」
聞き間違いようがないその懐かしい声は幼なじみのシンシアだ。
違う……! あいつはそんなことは言わない!
「私を」「ウチを」「俺を」「俺ぁを」「あたしを」
五人の声が重なる。
「信じてくれないの? 信じないのか? 信じて?」
「やめろ!!」堪らず勇者が声をあげる。
ぬうっと闇から手が伸び、勇者の肩に手を触れようとする。
「俺は、絶対に! 聖剣を手に入れる!」
すうっと息を吸う。
「俺は勇者だ!!」と力強い声。
途端、目の前がまばゆく輝き始めた。久しぶりの強い光に勇者は手で目を覆う。
「GWYEEEEEE!!」
勇者の背中で仲間や幼なじみの声音で惑わしてローブを纏った影――、
光に目が慣れた勇者はゆっくりと目蓋を開ける。
目の前に飛び込んだのは、聖剣だ。台座に刺さった
「これが、聖剣……?」
《選ばれし者よ、勇者よ。よくぞ試練に打ち勝った》
勇者の頭の中で声が響く。
《我こそが聖剣なり。魔王を倒す唯一の武器にして、ただひとつの希望なり。さあ、勇者よ。今こそ我を手に取るのだ》
頭の中で響く声が止む。勇者はごくりと唾を飲み込んで聖剣へと近づく。
金色の柄に手を触れようとした時、激しい地響きがあたりを揺るがす。
「なんだ……!?」
長い夜が明け、砂丘の遥か先の地平線から太陽が顔をのぞかせると辺り一面が反射して砂紋が露わになる。
砂上には砂蟲と砂蠍の死骸があちらこちらに散らばっていた。
竜の顎のまわりでは一行がそれぞれ疲労困憊の体で息を切らしていた。
夜行性である砂蟲と砂蠍が住み処に戻る夜明けまで死闘を繰り広げたのだ。
「みなさん、大丈夫……ですか?」セシルが仲間たちに問う。
「ウチは平気や……」
「俺もなんとか、な……」
「俺ぁより、勇者の奴が心配だぁな」
どさりとアントンの手から斬れ味を失ったミスリルの斧から得物を替えた短剣がこぼれる。
と、辺り一面を震わせる地響き。
「今度はなんだぁ!?」アントンが兜を押さえながら言う。
「気を付けろ! 下からなにかが来るぞ!」タオが構える。
一行が疲弊しきった体をなんとか動かして来るべき脅威に備える。
砂がぼこんっとへこみ、そこから黒光りの外殻で覆われたものが露わになる。
「GWYYYYYYYY!!」
「冗談じゃねぇぞ……こんな時に」
タオが篭手をはめ直して構えようとするが、流砂では思うように身動きが取れない。大蟻地獄の複眼が獲物を捉える。竜の顎の入り口の前でへたり込むセシルだ。
唾液を垂れ流しながらふたたび雄叫びをあげるとセシルのまわりが流砂となり、大蟻地獄のほうへとなだれ込み、セシルはずるずると砂の怪物のもとへと引きずり込まれる。
「あ、あ……」
錫杖を強く握りしめるが、それで無くなった法力が戻るわけではない。
「セシルちゃん、逃げ……!」
「GWYYAAAAAA!!」
ライラの声は空しく大蟻地獄の咆哮にかき消される。彼女を助けようにも位置が遠すぎる。
大蟻地獄はセシルを噛み砕かんと顎を震わせて襲いかかる。
神官の悲痛な叫びが彼女の口から漏れようとした刹那。
大蟻地獄の口から刃が生えた。
「GWYYY!?」
刃のまばゆく輝く光とともに大蟻地獄の胴体は真っ二つに裂けた。
そこから飛び出したのは太陽の光を受けて煌めく聖剣を構える勇者――――。
砂地に降りたつと聖剣を振って血振りをくれる。
「ああ……」神官の目から涙が零れる。
「大丈夫か? 待たせたな」勇者がセシルに向き直る。
「やりおったの!」アントンががははと笑う。
「遅ぇんだよ。バカヤロー」タオがにやりと笑みを浮かべる。
「ほんまにハラハラさせよって……!」ライラもとんがり帽子を押さえながら笑う。
勇者は聖剣の切っ先を上空へと向ける。陽光を浴びて刀身に輝きを放つそれは、まさにこの暗澹とした世界で唯一残された最後の希望と言えた――――。
そして現在……。勇者が聖剣で魔王を討伐して世界に平和をもたらしてから数年後……。
「ここ?」
「あ、もう少しそこ……」
「ここか?」
「うん、そこ。もっと奥まで……」
勇者が腕を奥まで入れて横に動かすとちゃりんと音がした。
「よし! 取れたぞ」
勇者が妻のシンシアにコインを渡す。棚と壁のすき間にコインが挟まっていたのを聖剣で取り出した勇者は剣を鞘に納める。
そして寝室の隣にある部屋、勇者曰く宝物庫、シンシアに言わせれば、ただのがらくた置き場となっている部屋のドアを開けると隅っこに剣を置いてぱたんとドアを閉める。
《…………我の扱い、ひどくね?》
聖剣は隅っこでそう呟く。
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