《短編集 ライラ&タオの場合》

 

 遙か北のほう、曇天どんてんと海から吹きすさぶ風が身に染みる寒さのなか、ノルデン王国の練兵場でタオを先導に兵士たちが正拳突きを交互に繰り出す。

 そして、それを見下ろすように建つノルデン城の図書室を教室代わりに大魔導師ライラは見習い魔法使いのいくつものとんがり帽子が並ぶなかで教鞭をとる。


 「理論はこれでひととおり説明したさかい、本番といこうかね」


 複雑な魔法式が書かれた黒板を背にライラが見習い魔法使いたちに言う。

 「はい!」と一同が一斉に答える。

 ライラがん、と頷くと教壇にレモンとオレンジをひとつずつ取り出す。


 「みんなにも配っとったけど、準備はえぇか?」


 一同が首肯したので「ほないくで」と進める。

 ライラがオレンジとレモンに手を添えると呪文を唱える。

 見習い魔法使い一同は固唾を飲んで見守る。呪文の詠唱が終わったのか、ライラが手を離す。だが、オレンジとレモンにはなにも変化は見られない。

 ライラがナイフを取り出してふたつの果物をそれぞれ半分に切って、切り口を一同に見せる。

 オレンジの切り口にはレモンの中身が、レモンにはオレンジの中身が詰まっていた。目の前で起きた手品のような魔術の鮮やかさにとんがり帽子たちから驚きの声が漏れる。


 「これが物質転位の術や。みんなもやってみぃ」


 一同が「はい!」と返事するとライラがやってみせたのと同じようにする。

 ライラが順に机をまわり、ナイフを入れて中身が入れ替わっているか出来具合を確かめる。

 ある者は中途半端に入れ替わっていたり、半分しか入れ替わっていなかった。


 「みんな、なんべんも言うとるけどこの術は集中力がかなめなんよ。その集中力が中途半端やったり、乱れたりしたらこんなふうになるんよ」


 ライラがレモンとオレンジを手にして注意する。そこへメガネをかけたふたりの見習い魔法使いが手を上げる。


 「先生、出来ました!」

 「お、やるやん! どれどれ?」


 だが、そこには色が入れ変わっただけのレモンとオレンジがあるのみで、試しにナイフを入れてみると中身は入れ替わっていなかった。

 ごちんとふたりのメガネの男の頭に杖が振り下ろされる。


 「い……ッ!」

 「あほ。色だけ変えてどうするんや! ちゅーか逆にそれはそれですごいんやけどな! あんたらの中身を入れ替えたろか?」


 ライラが笑みを浮かべながら杖をメガネの男たちに向けたので悲鳴があがる。


 「と思っとったけど、あんたらじゃ入れ替えても中身変わんなさそうやし、やめるわ」


 どっと教室内で笑いが起こる。


 鐘が鳴ったのでライラが「今日はここまで。次の授業までに練習しとくんやでー」

 「ライラ先生」


 女生徒のひとりから呼ばれたのでライラは彼女のほうを向く。


 「ん? どうしたん?」

 「あの、これ……ライラ先生とタオ師範に……いま流行っているんだそうです」


 女生徒がもじもじしながら差し出したのは二体のぬいぐるみだ。

 それぞれライラとタオをかたどったものだ。

 城下町を歩いていたらたまたま行商人が販売しているところを見かけて、購入したのだそうだ。


 「へぇ! ウチらのぬいぐるみなん? かわいいわぁ。おおきにな!」

 「先生にはいつもお世話になってますから」


 それでは、と去る女生徒をライラが手を振って見送る。



 ノルデン王国の城下町、ライラとタオがふたりで暮らす家はある。


 「ただいまー。はー疲れたわ」

 「おう、お疲れ」


 先に帰ってきたタオがライラを労う。と、ライラが手にしているぬいぐるみが目に入る。


 「どうしたんだ。このぬいぐるみ」

 「ウチの教え子がウチら一行をかたどったぬいぐるみを買うてくれたんよ」


 かわいいやろ? とライラがタオにぬいぐるみを見せる。

 タオが自分をかたどったぬいぐるみを手にする。


 「へぇ、よく出来てるな。あ、でも帯の結び方が間違ってるな」


 タオがぬいぐるみの道着の帯を指さす。


 「ぬいぐるみなんやし、そこはどうでもええやろ。あんたはそういうところがいちいち細かいわ」


 夕食を終えたライラは風呂場で湯船からあがると脱衣所で体を拭く。と、洗面台の鏡に映った自分の姿が目に入る。


 うーん……最近肉が付いてきたかな? 余分な肉を胸に移せればええんやけどね……。


 そんな都合の良い魔法魔術などあるわけもなく、ライラは腰回りに付いてきた肉をつねる。


 魔法って結構集中力いるからカロリー消費出来たらええのに……。


 あれこれ考えてもしかたないとバスタオルを巻いて脱衣所を出る。

 脱衣所を出て廊下を歩いて右側の扉を開けるとそこはライラとタオの英雄夫婦の寝室だ。

 ベッドに入って読書をしているタオが入ってきたライラに気付いて本から顔を上げる。


 「お前なぁ……脱衣所で着替えればいいだろ」

 「こっちのほうが広いんやし、別にえーやん」


 夫婦なんやし、とライラがバスタオルを解いたのでタオは慌てて読書に戻る。

 結婚してすでに数年。当然夜の営みは何度もしているが、硬派なタオはいまだにライラの豊満な裸を見ることに慣れてない。

 それでも少し本から顔を上げる。ライラが下着を身につけるところだ。

 ふとライラの体を見て気付く。


 「なぁライラ」

 「ん? なんや?」

 「お前、最近太ってきたな」


 禁句である。


 「は? なに言うとんの? 別に太っとらんし?」


 寝間着に着替えたライラが動揺しながらも否定する。


 「や、だって腰回りとか」


 その先の言葉は出なかった。ライラがタオに睡眠の魔法をかけたからである。


 「ほんまにデリカシーのない男や!」


 ぼふっと枕に顔を埋めるとそのまま眠りにつく。



 「ん……」


 ぽりぽりと頭を掻きながらタオがベッドから半身を起こす。

 隣のベッドを見ると空だ。ベッドテーブル上の置き時計を見てタオは慌てる。朝練の時間だ。

 道着に着替えながら階段を慌ただしく降りる。


 「悪い! 朝メシはいらねぇ!」と家政婦に告げる。

 タオが玄関から勢い良く出ると食堂に残されたのは家政婦だけだ。

 そして食卓には二体のぬいぐるみ――、物質転位魔法の応用、ライラによる物質移転の魔法でタオだけ綿がこんもりと詰められ、ぱんぱんになっているのと対照的に、抜かれた綿のぶんだけ細くなったライラのぬいぐるみが並んでいた。

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