《第十九章 勇者VSニセ勇者》前編

 よく晴れた日の午後、勇者とその妻が暮らす家の居間にて、勇者は食卓に肘をつき、両手を口の前で組みながら流しで食器を洗う妻のシンシアの後ろ姿を眺める。

 細く、しなやかな肢体に形の良い尻を舐めるように見る。

 その目はまさに獲物を狙う獅子の、虎視眈々としたそれであった。

 視線に気付いたのか、シンシアがくるりと振り向く。後ろで束ねられた髪がふわりとなびく。


 「なに?」

 「いやなんでもない」

 「そう……」


 流しへ向き直ると食器洗いを再開する。

 勇者はまたシンシアをじっくりと眺める。勇者は新婚ほやほやだった時の記憶に思いを馳せる。

 あの時はよかった。彼女も今のような鬼嫁ではなかった。

 例えば、食器を洗っている彼女の後ろから腕を回せば、「もう、いま忙しいのに……」と言いながらもキスしたものだし、風呂だって初めは一緒に入って体の洗いっこもしたし、そのあとはベッドへ……。


 だが、今の彼女に後ろから腕を回そうものならたちまち「触らないで!」と裏拳が飛ぶ。

 勇者は意を決してシンシアに話しかける。


 「なぁシンシア……」

 「なに?」と振り向かずに言う。

 「や、そのさ、俺たち結婚して何年か経つだろ?」

 「そうね」

 「だからさ、その、ひさしぶりにしないか? って。いや、すこし前にしたことはしたけど……」

 「なにを?」

 「その、えっちを」


 最後まで言い終わらないうちに勇者の頬をなにかが掠め、壁に刺さるとびぃんと弾む。

 飛んだのは裏拳でなく包丁だ。


 「ごめん、よく聞こえなかった。なんて言ったの?」


 これまた振り向かずに言う。


 「なんでもないです……」


 勇者の頬から血がつぅっと垂れる。

 そこへ玄関の扉がノックされたので、シンシアが「はい、どうぞ」と答える。

 入ってきたのはシンシアの母だ。


 「あら? やっぱり勇者様ここにいるわよねぇ」

 「?」


 シンシアと勇者のふたり同時にきょとんとする。


 「ついさっき、お隣さんから勇者様が街で武勇伝を語りながら演武してるって聞いたのよ。でも勇者様はここにいるのよね」


 母がおかしいわねと頬に手を当てる。


 「勇者を騙るニセモノが出たってことかな?」と勇者。


 勇者一行が魔王を討伐して平和になった今、英雄伝は吟遊詩人が街中で詠い、武勇伝は旅人が酒場などで吹聴してそれが広まっていくものだ。

 だが、我こそが勇者でございと武勇伝をそれらしく語り、見物人から金を巻き上げる不逞の輩もいると聞いたことがある。今回もその類だろう。


 「どっちにしても放ってはおけないな。よし、そのニセ勇者を懲らしめてやる」


 ばしっとすっかり丸くなった拳で手のひらを叩く。

 村から街へ延びる街道を勇者とシンシアが並んで歩く。


 「それにしても一体どんな人なのかしらね。そのニセ勇者って」

 「俺のニセモノだから当然俺によく似てる人だろ? でも大事なのは見た目じゃなくて中身さ」


 勇者がどんと胸を叩く。


 「中身って内臓的な?」

 「そっちの意味じゃねぇよ!」


 やがて街道を抜けると街の入り口に着く。するとすでに人だかりが出来ていた。

 街の中心、噴水がある広場からよく通る声が聞こえる。


 「魔王よ! 貴様を倒して世界に平和を取り戻す!」

 「来るがよい! 勇者よ。その剣を貴様の墓標にしてやるわ!」


 勇者を名乗る男は剣を振り回して立ち回りを演じる。


 「僕の必殺の一撃を受けてみよ!」


 はぁああと力を込めるかのように剣を構えると上段に構えて魔王を一刀両断せんと振り下ろす。


 「ぐわぁあああ……! お、おのれ勇者めぇええ!」


 魔王役の男はがくりとその場に倒れる。


 「かくて、こうして僕は魔王を倒し、世界に平和を取り戻したのだ」


 剣を片手で天を衝くように持って口上を述べるは勇者役の美男子。

 その美貌には老若問わず、女性から溜息が漏れるほどだ。

 拍手が沸き起こり、程なくしてふたりの役者の前に置かれた籠にお捻りのコインが放り込まれる。

 ふたりの役者はぺこりとお辞儀をする。


 「あいつが俺のニセモノか。あれなら俺のほうが何倍もマシだな。なぁシンシア」


 勇者がそばに立つ妻に声をかける。だが、当のシンシアは勇者の声など耳に入らないかのように美男子の勇者にぽぅっと見取れている。そしてぽつりと呟く。


 「すてき……」

 「あの、シンシアさん……?」


 本物の勇者がここにいますよ? と自分を指さすが、それすらも目に入らない。


 気にいらねぇ……。


 勇者が雑魚キャラのようなセリフを呟くと、美男子の勇者へとのしのしと歩く。


 「おい! 誰の許可を得て勝手なマネをしているんだ!?」


 すぐにやめろと文句を言う勇者に観客から非難の声が上がる。おもに女性だが。


 「ちょっとあんた! 勇者様になんてことを言うの!」

 「そうよ! 勝手なマネしてるのはあんたのほうじゃない! この駄肉!」


 シンシアはと言うと、そっぽを向いて他人の振りをしている。


 「うるさい! 俺が本物の勇者だ! みんな、こんなニセモノに騙されるんじゃない!」


 だが、体が引き締まった美男子とたるんで腹の突き出た男ではどちらが勇者に相応しいかと言えば、むろん前者だろう。百人が百人、いや万人いても結果は同じだろう。

 騒ぎを止めたのは美男子勇者だ。


 「キミたちやめたまえ! 寄ってたかって文句を言うなんて淑女レディーのすることではないよ!」


 背景に花が似合うような顔立ちに凜とした声に女性陣が「はぁ~い♡」と態度をころりと変える。

 ますます勇者の不満が募る。


 「こうなったらどっちが勇者に相応しいか勝負だ!」


 びしっと美男子勇者を指さして宣戦布告を突きつける。


 「良いでしょう。あなたが本物の勇者と言えども手加減はしませんよ」


 キャアアアと女性陣から黄色い声があがる。もちろん美男子勇者に向けてだ。

 そのなか、勇者の妻シンシアは冷めた目をしている。


 「バカみたい……」

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