《第十三章 木漏れ日の下で……》前編

 

 「あら、ま」


 シンシアの母が勇者とその妻が住む家の扉を開けるなりそう言った。


 「あ、ママ」


 勇者の妻、シンシアが勇者に逆エビ固めをかけながら言う。


 「駄目じゃない。勇者様に逆エビかけるなんて……勇者様のHPはもうゼロよ?」と母がやんわりと嗜める。


 「だって、このバカが……」


 母と娘のとりとめも無いやり取りのなか、勇者はシンシアの尻の下でひくひくと泡を吹いて気を失っている。



 「それで、どうしたの? ママが来るなんて久しぶりじゃない?」


 シンシアとその隣にやっと解放された勇者が並んで卓につく。


 「実はね、悩みがあってね……」


 ふたりの向かいに座った母が手提げ籠から瓶を取り出す。

 ごとりと卓に置かれたのはすこし大きめのガラス瓶だ。

 中には液体に浸された魚がぎっしりと入っている。


 「お隣さんのイレーナさん、覚えてるでしょ? そのイレーナさんが実家に里帰りして、お土産をくれたのよ。なんでも故郷の名物ですって」


 イレーナさんによれば瓶の中身はイワシのアンチョビだそうだ。


 「でね、ご覧の通り量が多いでしょ? イレーナさんからは勇者様たちとみんなでどうぞって言われたけど、食べきれそうにないし、ほっといて腐らせても勿体ないし……そこで世界中を旅した勇者様ならアンチョビを使う料理を知ってるんじゃないかしら? と思って持ってきたのよ」


 なるほど、瓶の中の魚の量を見れば家族三人で食べるには多いくらいだ。


 「でもママ、それならご近所さんにお裾分けすればいいんじゃ……」


 娘の提案に母は「それがねぇ」と溜息をつく。


 「イレーナさんたら、ご近所の皆さんにも配っちゃってるのよ」とまた溜息をひとつ。


 「それで勇者様、なにか知恵を貸していただけないかしら?」


 問われた勇者はシンシアの逆エビで痛めた腰をさすりながら、「んー……」と記憶を探る。

 途端、思い出したように「あ」と声を出す。


 「なに? なにか思い出したの?」


 シンシアが夫に聞く。


 「うろ覚えだけど、冒険の途中で立ち寄った北のノルデン王国って知ってるか? ほら、ライラとタオが住んでるところの」

 「ああ、あの美食の国とも言われてる……」とシンシア。


 「そこの居酒屋で食べたやつがアンチョビを使ってたはず……」


 勇者が記憶を頼りにして話す料理の手がかりを母娘はふむふむと聞く。


 「話を聞く限りでは、グラタンの一種みたいね」


 話を聞き終えた母が得心が行ったように言う。

 「うん、あたしもそう思う」と娘のシンシアも同じ結論だ。


 「とにかく、この料理はオーブンが不可欠だから私の家で作りましょう」

 母の提案にシンシアが「賛成!」の声を上げる。


 「あんたも手伝うのよ。オーブンで使う薪割りお願いね」

 「へいへい」と勇者がやる気のない返事。

 勇者とシンシアが暮らす家から歩いて5分ほどのところに母の家はある。

 その庭で勇者が薪割りをするなか、母と娘は台所で料理の準備に取りかかる。

 母は玉ねぎを薄切りに、シンシアはごろごろ芋をせん切りにする。

 材料のカットが終わると、勇者が「薪割り終わったぞー」と玄関から声をかける。


 「ご苦労さま。じゃあオーブンに火を入れてもらえる?」


 母が指示すると勇者はオーブンの外側へまわって薪をくべる。

 シンシアが棚から底の深い耐熱皿を取り出すと、内側にバターを塗り始める。

 その間に母はフライパンにこれまたバターを引き、玉ねぎを炒める。


 「シンシア、バター塗り終わったらホワイトソースお願いね」

 「はーい」


 棚からフライパンを取り出すと、そこへ小麦粉、牛乳、バターを入れて火にかける。

 木べらで混ぜるとだんだんと乳白色のとろみが出来上がる。塩、胡椒を振って味を調え、スプーンですくって味を見る。


 「ねぇママ、これくらいでいい?」


 どれどれと母が味見する。


 「ん、もう少し塩を入れたほうがいいわね」


 ホワイトソースが完成すると今度は耐熱皿にせん切りにしたごろごろ芋を敷き、その上に玉ねぎとアンチョビを交互に載せていく。

 最後にごろごろ芋を並べるとホワイトソースをたっぷりとかけ、シンシアがパンの皮を卸し金でぱらぱらとパン粉をまぶしていく。


 「さて、あとはオーブンで焼くだけね。上手く出来るといいけど……」


 母が鍋つかみの手袋をはめて重厚なオーブンの扉を開くと、シンシアがそこへ耐熱皿を入れる。

 がちんと音を立てて扉が閉められる。


 「これでよし、と。時間かかるから他におかず作っちゃいましょ」と母。


 数品のおかずを作り終えた母とシンシアと勇者が卓を囲みながら、茶を飲んで座談で盛り上がる。


 「でね、あたしがブロッコリーを半分に切ってって言ったら、このバカどうしたと思う? 縦半分に切るところを横半分に切っちゃったのよ」

 「下の部分食べられないと思ってたんだぜ」


 勇者の料理の失敗談でふたりがどっと笑う。


 「だって俺、滅多に料理しねえんだもん」

 「料理しない人でもさすがにそれくらいは分かるわよ?」とシンシア。


 母がふふふと笑うと、オーブンから良い匂いが漂い始める。

 「もうそろそろかしら?」と母がオーブンの扉を開け、出来具合を確かめる。

 耐熱皿のグラタンはじゅうじゅうと音を立て、ところどころでぶくぶくと小さな泡が出ている。

 オーブンから取り出すと、ごろごろ芋と玉ねぎとアンチョビの香ばしい匂いがそこかしこに漂う。シンシアが卓に鍋敷きを敷くと母が耐熱皿をその上に置く。

 その出来栄えに勇者とシンシアが「わぁ」と驚きを露わにする。


 「見た目は良いとして、味はどうかしら」と母がスプーンで一口ぶんすくって味見する。


 「うん! 美味しい! 初めて作ったにしては上出来だわ」


 シンシアが皿を出して料理を取り分ける。


 「いただきます」


 勇者がぱくりと口に運ぶ。


 「ん! これこれ! この味だ!」

 「美味しい……! アンチョビがアクセントになってる!」

 「上手く出来たようでよかったわ。これでご近所の皆さんにもレシピを教えられるわね。それで勇者様、この料理に名前はあるのかしら?」


 母にそう問われた勇者は記憶を探り始める。


 「名前はあったかもしれないけど、その料理を作ったコックがヤンソンって名前だったような……」

 「それならこの料理は『ヤンソンさんのグラタン』ね」と母。


 数十分後。


 「ふぅ~っ喰った喰った」と勇者が突き出た腹を撫でる。


 「あたしもお腹いっぱい……」

 「それでも結構残ってしまったわね」


 耐熱皿を見るとなるほど半分近く残ってしまっている。アンチョビの瓶も三分の二くらいは残っている。

 どうしたものかしらと思案している母にシンシアが提案する。


 「ねぇ、あたしたちの家の庭でピクニックなんてどう?」

 「いいわね!」

 「決まりね! あんたもそれでいいでしょ?」


 シンシアが夫のほうを見ると、勇者は満腹で満足したのか、こくりこくりと眠りはじめていた。


 「ほんと、このバカは熊みたいね」

 「薪割りで疲れたのよ。今は寝かせてあげなさいな」


 シンシアはやれやれというふうに溜息をつきながら夫を見、母はそんな娘と息子を微笑ましそうに眺める。


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