《第十二章 魔女と武闘家》後編


 「だからよぉ! あれは鍛錬の一環としてだな!」


 ノルデン王国の城下町にある居酒屋兼食堂の片隅でタオが声を荒げる。


 「ふん、どうだか」


 対面するライラはそっぽを向きながらイカのフリカッセを頬張る。

 食堂の壁には様々な絵の飾り皿が並び、ふたりの食卓には海に面した北方ならではの料理が蝋燭の灯りの下に並んでいる。

 名物ノルデンマグロのステーキをはじめとして、鮮やかなピンク色のサーモンのカルパッチョ、アンチョビをたっぷりと塗ったバゲット……。


 「だからと言って雷はないだろ!」


 タオが地麦酒を飲み干しながら言う。そのあと「親父! もう一杯な! あとこいつにもな」と注文する。


 「あんたなら何発受けても平気やろ?」


 ライラが白葡萄酒のグラスを傾ける。葡萄酒だけは他国の葡萄酒だ。

 寒冷地ゆえに葡萄が育たないためだ。

 タオやライラによる練兵、もとい訓練が終わったら、ふたりはだいたいここで夕餉を摂る。そして文句を言い合うのだ。


 やっぱり、この結婚は失敗やったかな……。そういえばシンシアちゃん、元気でやっとるんかな? あのアホ勇者はともかくとして……。


 くどくどと文句を並べるタオを無視してライラがひとり物思いにふける。

 と、そこへ麦酒と白葡萄酒のボトルが運ばれてきたので、受け取る。


 「お二人とも、相変わらず元気そうだな! これは俺の奢りだ! 喰ってくれ!」


 店主が食卓にどんと置いたのは橙色の米が眩しい、この店の名物、パエーリャだ。

 「おおっ!」とふたりとも目を輝かせる。

 平鍋に橙色の米の上にムール貝、鶏肉、エビ、ぶつ切りのイカとタコがまんべんなく乗っており、そこから湯気とともに美味しそうな匂いがふたりの鼻腔をくすぐる。


 「いつもおおきにな! ヤンソンはん。でもほんまにタダでええのん? なんか悪いんやけど……」


 ライラが申し訳なさそうに言う。


 「良いってことよ。あんたら方にはいくらお礼をしても足りないくらいさ」


 店主、ヤンソンはまわりに髭の生えた口をにかっと満面の笑みを浮かべる。

 どことなくドワーフに似たような風貌だ。


 「いただきます!」と同時に言うと、レモンを搾って皿にパエーリャをよそう。

 そして口に運ぶと魚介類の出汁とレモンの酸味がじわりと舌に染みこんでいく。


 「んまっ! やっぱ美味いわ!」

 「出汁が効いてるな!」


 さっきまでのピリピリした雰囲気は何処へやらという風にパエーリャをどんどん口へと運ぶ。

 ふたりが美味そうに食べるのを見て、ヤンソンはまたにかっと笑うと厨房へ戻る。


 「ふぅ~っ。甘露甘美……。ヤンソンはん、今回も美味かったわ!」

 「いいってことよ」とでも言うようにヤンソンが厨房から親指を立てる。


 「そういえば、来週の土曜どうするん?」


 ライラが爪楊枝で歯をせせるタオに聞く。


 「来週? ああ、建国記念祭か……」


 来週、ここノルデン王国の建国を記念した祭りが催されるのだ。

しかも今回は100年目という節目なので盛大な祭りになるだろう。


 「せや! ウチもアンタも休みやし、たまには遊び行かへん? 屋台もぎょうさん出るらしいし」


 「ん……」とタオの生返事。


 「あぁもぉ~っ! 毎回毎回修行だと断ってるけど、たまには息抜きもしたらどうなん!?

 何事もやり過ぎたらあかんよ? そのうち脳味噌も筋肉になっても知らへんよ?」


 「そ、それはそうなんだが……」と煮え切らない態度のタオ。


 「言いたいことがあるんならハッキリ言うたらどうなん!? まさか他に女が出来たとかそういうことなん?」

 「ばっ、違ぇよ! ただ……今回は返事はもう少し待って欲しいんだ……」


 態度を崩さないタオにライラは痺れを切らす。


 「あっそう! もうえぇわ!」


 ライラがぷいっとそっぽを向くと帽子の先端の三日月形の飾りがしゃらんと揺れる。


 せっかく、ええ雰囲気になっとったのに……。



 翌朝、ふたりはいつも通りに練兵に精を出し、夕食ではいつも通り文句の言い合いをする。

 だが、この日を境にして、タオの行動が怪しくなる。

 タオとライラふたりが住む、国王から拝受された屋敷の寝室からタオが夜な夜なこっそりとどこかへ出かけるのだ。

 便所にでも行くのかと最初は思ったが、それにしてはかなり長い。時には日が昇る前に戻ることもしばしばあった。


 あのアホ、やっぱり浮気しとるんやあらへんか……?


 建国記念祭まで明日に迫った日、タオはいつも通り練兵場で稽古と組み手を、ライラは図書室で魔法の講義だ。

 魔導書に書かれた呪文を読み上げるライラは気が気ではない。

 夫であるタオが浮気している可能性があるのだから当然と言えば当然だが、確証はない。

 夜にこっそりと出るタオの後を追ってみようかと思ったが、武闘家のタオのことだ。気配を察知し、素早く身を隠されてしまうだろう。


 「ねぇ、最近のライラ先生、様子が変じゃない?」

 「知らないの? タオ師範と痴話喧嘩したみたいだよ」


 見習い魔法使いたちがひそひそと噂を囁く。


 「そこのふたり、魔導書の42ページの呪文を音読な」

 「はっはい!」


 名指しされたふたつのとんがり帽子がすぐさまくるっと前を向く。

 音読する見習い魔法使いを置いてライラはつかつかと窓のほうへ歩く。そこから練兵場が見渡せるのだ。

 相変わらずタオは兵士相手に組み手だ。次から次へとかかってくる兵士をいともたやすくぽんぽんと投げる。


 はぁ……ウチ、なにやっとんやろ? アホみたい。


 「……物思いに耽るライラ先生もまたお美しいですな……」

 「自分も激しく同感ですぞ。同士」


 ふたりの眼鏡をかけた見習い魔法使いがひそひそ声でかわす。


 「そこの眼鏡ふたり、授業後に呪文の音読100回な」


 ライラが振り返らずに言う。

 「はっはい!」と何故か嬉しそうな眼鏡のふたり。


 「ん?」


 ライラがタオの指、片手の人さし指と親指に絆創膏が貼られているのに気付く。

 武闘家なのだからケガをすることは珍しくないだろうが、親指と人さし指だけ絆創膏というのは不自然な気がした。


 ……? まぁえぇか、あのアホの心配しても仕方あらへんし……。


 魔法の講義が終わったあと、ひたすら呪文の音読をする眼鏡ふたりを残してライラは階下に降りて、タオと合流すべく練兵場へ向かう。

 その時だ。練兵場の離れたところに前はなかったやぐら のようなものを見つけたのは。櫓は3階建てで、梯子で登れるようになっている。


 ……? なんであんなとこに櫓なんか……。


 実際、その櫓は設置されている場所も高さも櫓としての機能を果たしていないように見えた。

 と、そこへ縄を肩にかけたタオとばったりあう。


 「よ、よぉ」

 「あ、け、稽古はもう終わったん?」


 夕日が沈むなか、ふたりはぎこちなく話す。


 「ウチも講義終わったとこやし、これからヤンソンはんのとこ行くんやけど、アンタも来るやろ?」

 「あー……悪い。先に行っててくれないか? まだやることがあるんでな……」

 「ふぅん? ほな、また後でな」

 「ああ、また後でな」


 タオと別れた後、ヤンソンの店に着いたときには暗くなっていた。

 注文しておいた料理が並んでもタオはまだ来ない。

 白葡萄酒を飲み干すと一息つく。


 「あんたの旦那、まだ来ないんかね?」

 ヤンソンが聞く。


 「あのアホはデリカシーちゅーか、ロマンチックちうものがわかっとらんよ」


  酔いが回ったライラが管を巻く。


 やっぱり、ハッキリ言うたほうがええよね……。


 あの時、夜這いをかけたのは間違いで、本当に好きだったのは勇者だったと。


 「一度、ハッキリ言うたほうがええのかもね……」

 「ん?」

 「なんでもあらへん。ヤンソンはん、悪いんやけどウチ帰るわ。代金はあのアホからふんだくってな」

 「あいよ、また来てくんな」


 屋敷に帰ったライラは湯浴みすると寝間着に着替えて床に就いた。

 眠りに落ちてからどれくらい経ったろう。寝室の扉が開く音が聞こえたので、ライラが目を覚ます。

 振り返らなくともタオが帰ってきたことは分かる。ライラはとりあえず寝たふりをすることにした。

 足音がライラの近くまで来た途端、ぴたりと足音が止む。

 ライラは寝たふりを続ける。言いたいことは山ほどあったが、ひどく疲れているのでそんな気力はない。

 しばしライラを見つめていたであろうタオは、自分の寝床に入ったのか、隣でベッドが軋む音がする。

 程なくして寝息が聞こえた。


 こんな遅くまでなにやっとるんよ、アホ……。


 声にならない声でぽつりと呟く。



 翌朝、すなわちノルデン王国の100年建国記念祭の当日。

 タオとライラが住む屋敷の、ふたりで朝食を摂るにはいささか広すぎる食堂でタオとライラは無言のままで家政婦が用意してくれた朝食を頬張る。紅茶を飲み干すと、はじめてライラが口を開く。


 「アンタ、夕べ遅くまでなにやっとったん? ウチ、待っとったんよ」

 「すまない……」


 タオが気まずそうに謝罪する。


 「まぁえぇわ。それより今日は一緒にいてくれるんやろ? 大道芸人とか屋台とかぎょうさん来てるらしいで?」

 「すまん。どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」


 バンッ


 ライラがテーブルを叩く。


 「アンタはいつもいつもそればっかりや! 稽古だの鍛錬だので忙しいと理由をつけて!

 こんなことなら……!」


 あのアホ勇者と結婚したほうがましやったわ! と出かかった言葉を飲み込む。


 「もぅ……えぇわ」

 「すまん……」

 「お祭りはひとりで楽しんでくるわ!」


 おろおろする家政婦にライラが「ごめんな」と謝る。


 「ライラ!」


 ライラの背中にタオが引き留めるように声をあげる。


 「今日の……夕刻に、練兵場に来てくれ。頼む……」

 「……練兵場に、なにがあるのん?」と振り向かずに扉を開けるライラが言う。


 「詳しいことは言えないが、とにかく来て欲しいんだ。それから魔法の杖も持ってきてくれないか?」

 「……行けたら行くわ」


 ライラがそう言い置くと、扉をパタンと閉める。

 ノルデン城の下に広がる城下町は世界中の料理や雑貨店、駄菓子の屋台がひしめき合っていた。


 「らっしゃい! らっしゃい! グラン地方名物の黒毛豚の腸詰めはここでしか食べられないよ!」

 「そこの美人のお姉さん! お代はいらないから似顔絵描かせておくれよ!」

 「ノルデン王国土産に飾り皿はいかがー? 三枚買うとお得だよー!」


 また、そこかしこで大道芸人や道化師が客に芸を見せて驚かせたり、笑わせていた。

 綿菓子を片手に私服のライラはひとり、祭りを堪能していた。


 「あはははっ! アホやなぁ」と笑わせてくれた大道芸人におひねりをやる。

 「へぇっ、おおきに!」と大道芸人がライラの方言で礼を言う。


 「ふぅ~っ。さて、今度はどこを見て回ろうかね?」


 ライラがきょろきょろと見やる。と、時刻が気になったのでノルデン城を見上げる。

 ノルデン城には時計塔よろしく文字盤が設置されているのだ。

 時刻は昼過ぎを指しており、夕刻までにはまだ時間がある。


 どうしたもんかね……?


 と、そこへライラに声をかけるものがあった。


 「先生? ライラ先生ですよね?」


 年の若い女の子たちが尋ねる。


 「うん? そうやけど……ってウチの生徒やん!」

 「きゃーやっぱり! いつもと違う服装だったからわかんなかったです! でもキレイですよぉ!」


 きゃいきゃいとはしゃぐ見習い魔法使いたちが嬉しそうに跳ねる。


 「あれ? タオ師範はご一緒じゃないんですか?」ともうひとりがタオの姿を探す。


 「あのアホはどうでもえぇわ。それより、一緒に屋台見て回らん?」

 「もちろん! 願ってもないです!」


 ライラの提案にふたりは大はしゃぎだ。


 「ほな、行こうか!」


 ライラと見習い魔法使いたちの三人は様々な屋台を練り歩き、大道芸人の出し物を楽しんでいた。


 「はぁ~っ。やっぱ大勢やと楽しみが増えるわ」


 ライラが串に刺した近海の魚の塩焼きを頬張りながら言う。


 「私たちも楽しいです! 次どこ行きましょうか?」

 「そういえば、もうすぐ花火大会始まるんじゃない?」


 「あ……」とライラが思い出したように言い、城の時計の文字盤を見る。針はすでに夕刻を指していた。

 タオとの約束の時刻である。


 「どうしたんですか? 先生?」とふたりの見習い魔法使い。


 「ん……ごめん。ちょっと用事あるの思い出したわ。花火大会はふたりで楽しんでな!」


 そう言うとライラは踵を返すと、屋敷へ戻り、玄関に立てかけてある杖を引っつかむと扉を閉めた。

 ライラが息せき切って練兵場に着いたときには暗くなっていた。

 果たしてあの櫓があるところにタオが立っていた。

 タオの後ろには大きな、ズタ袋のようなものが広がっている。


 「遅いぞ。ライラ」とタオ。

 「これでも急いでたほうやで」

 「時間がないからとっとと始めるぞ」

 「始めるって……ウチ、まだなにも聞かされてないんやけど?」


 だが、タオは無視して櫓にいる兵士に呼びかける。


 「みんな! 準備はいいか?」

 「準備万端です!」

 「いつでもどうぞ!」

 「用意出来てまーす!」


 三階建ての櫓から各階にいる兵士が応答する。

 最上階はのっぽのオットーだ。


 「よーし! じゃあいくぞ!」


 タオがズタ袋を兵士に手渡すと各階の兵士がバケツリレーよろしく最上階まで運ばれる。

 ズタ袋は三階まで達するほど大きかった。一枚の布では足りなかったか、あちこちつぎはぎで布を付け足している。そして、袋の下には4本の縄がぶら下がっており、その先には正方形の板の四辺に固定されている。

 タオが正方形の板の上に立つと、ライラにこっちに来るよう手招きする。


 「いったいなんなん? これ……」

 「ここでお前の杖の出番だ」


 タオに言われるがままに杖の先から魔法で炎を灯す。


 「もっとだ! もっと炎を大きくするんだ!」

 「黙っとき! 気が散る!」


 ライラが詠唱するとより大きな炎が火柱となった。

 すると、ぺしゃんこのズタ袋がみるみるうちに膨らみ始める。


 「ちょ! なんなんこれ!? だんだんでかくなってきてるんやけど!」


 兵士たちが支えていた袋は膨張し、やがてタオとライラの足下の板がふわりと浮かぶ。


 「ライラ、しっかりつかまってろ!」


 そして、そのまま上空へと浮かんでいく。

 櫓の兵士たちが「成功だ!」と喝采をあげる。


 「どうなってるのん!? これ、浮かんでるやん!」


 「詳しいことはわからないが、俺の故郷くに では、これよりもっと小さいやつを飛ばして豊作を祝う祭りがあるんだ」


 少し間を置いてからタオが続ける。


 「すまん、お前を驚かせたくて今日まで内緒にしてたんだ。

 兵士に手伝ってもらって櫓建てたり、何枚もの布をつぎはぎしたりして、やっと出来たんだ。

 その、お前にいつもロマンチックがわかってないって言われてるからな……」


 縄に掴まるタオの指に巻かれた絆創膏が痛々しさを物語っていた。

 魔法の炎によって空気が膨張し、どんどん上空へと浮かぶと、夜風がひやりと身にしみる。

 程なくしてノルデン城が見えた。


 「もうそろそろだな」とタオが城の方を指さすと、城の上空で眩い閃光が煌めき、破裂音とともに夜空に華を咲かせた。

 建国100年記念を祝う花火大会が始まったのだ。

 夜空に極彩色の花火が彩られては消えていき、また打ち上げられては儚く消えていく。


 「綺麗や……」とライラがぽつりと言う。下から見る花火とはまた違った趣だ。


 「ライラ」 


 タオに呼ばれてライラがくるりと顔を向ける。


 「お前が、好きだ」


 唐突に言われたライラが顔を赤らめる。


 「な、なに考えとんの? 自分!?」

 「お前とずっと一緒にいたいと思ってる」


 真顔で言われたライラが恥ずかしさのあまり、顔を背ける。

 遠くではまだ花火が瞬いている。


 「ずるいで……自分……」


 帽子を被ってくればよかったとライラは後悔する。


 魔女の帽子なら赤くなった顔を隠してくれるのに……。


 「なぁライラ」

 「なんや?」

 「今朝、なにか言いかけたことがあるんじゃないか? こんなことならって……」

 「あー……」


 ライラの頭の中で言い訳がぐるぐると渦を巻く。考えた挙げ句に出た言葉が唇から漏れる。


 「知らん。忘れたわ」

 「そうか……」

 「タオのくせに生意気や」

 「なんだそりゃ」

 「うっさい。ボケ、カス」

 「なんで俺がそこまで言われなきゃならねぇんだ!」

 「女の子、泣かすもんやないってことや……あほ……」


 嬉しさからなのか、恥ずかしさから来るのかわからない涙を流しながらも彼女の口からは八重歯がのぞいていた。

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