《第十二章 魔女と武闘家》前編

 

 どこまでも突き抜けるような青空の下、大勢の掛け声があたりに響く。


 「破ッ! 噴ッ!」


 空気を切り裂くように拳を突き、素早く引くと反対の拳も同じように突く。

 魔王を討伐した英雄、勇者の仲間がひとり、タオは百人以上の兵士を前にして正拳突きの稽古を取る。


 「次ィっ! 上段蹴り!」

 「押忍ッ!」


 全員が応えると、みな左足を軸足にして右足を蹴り上げる。


 「上段蹴りから上段受け! そして腰を回して正拳突きッ!」


 タオが指示すると兵士達はその通りに動く。

 型を一通り終え、タオが「止め!」を掛けると兵士達が一斉に休めの構えを取る。


 「よーし。準備運動はこれくらいでいいだろう。今から組み手を行う! 我こそはと思う奴は前に出ろ! それからお前らは正拳突き100本な」

 「押忍っ!」と女性兵士達が元気よく返事する。

 勇者と妻が暮らす家があるグラン王国よりはるか北の方、ノルデン王国の練兵場にてタオは兵士達を相手に組み手を取る。


 「押忍ッ! お願いします!」


 勇ましく前に進み出た兵士が構え、タオとの間合いを少しずつ縮める。


 「はッ!」


 兵士の正拳突きがタオの顔面めがけて繰り出され、それを回し受けで防御するタオ。


 「遅い!」


 タオがそう発するやいなや兵士の襟を掴んで足払いで倒す。地面に倒された兵士が次に見たのは眼前で寸止めされたタオの拳だった。


 「受け身がまだ甘いぞ」

 「おっ、押忍! ありがとうございました!」

 「次!」


 だが、次々にかかってくる兵士達もタオの敵ではなかった。

 タオの、実戦で鍛え抜かれた足捌きや体捌き、徒手空拳、多種雑多な蹴りが繰り広げられる。


 突、防、転、蹴、撃……。


 「すげぇ……やっぱ魔王を倒した英雄のうちのひとりだけのことはあるな……」と兵士のひとりが言う。


 「ああ、そんな凄い人に武術を教えてもらってるなんて幸運だな」と隣の兵士。


 「まだまだだ! 次!」


 タオが呼吸を乱さずに言う。


 「押忍! お願いします!」


 兵士達のなかでは一際巨体の男がぬぅっと前に出る。タオとの身長差はまさに雲泥の差だ。


 「のっぽのオットーだ。こりゃさすがの師範でも苦戦するかもな」

 「こりゃ見物だな」


 周りの兵士が口々に囁く。

 タオとオットーが相対し、互いに出方を窺う。

 最初に仕掛けたのはオットーだった。


 「ちぇりゃぁあッ!」


 オットーが左、右からとパンチを繰り出す。

 対するタオは顔面を両腕で防御する。

 オットーは巨体だけでなく腕のリーチも長い。それ故に、オットーの胴体に拳を叩き込むのも道着の襟を掴むのも困難だ。


 「つぇぁああッ!」


 オットーが力に物を言わせた正拳突きをタオの顔面に叩き込もうとしたときだ。

 タオの瞳がかっと見開いたかと思うと、オットーの正拳突きを回し受けで受け、素早く手首を掴んだかと思うと、すでにオットーの懐に入っていた。

 そのまま手首を捻ると、巨体がぐらりと倒れ、次の瞬間にはどぅっと地面に伏せられていた。

 周りからどよめきが起きる。

 オットーより体格が小さいタオが巨体を地面に伏せたのだから魔法としか言いようがなかった。


 「むぅ……あれが東方に伝わるアイキか……」

 「知っているのか!? ライアン!」


 兵士のひとりがライアンという名前の兵士に問う。


 「うむ。今のは間違いなくアイキという武術の四方投げだ。アイキは相手の力を利用する武術と聞く。タオ師範は冒険の最中に各国の武術を会得されたのだろうな……」


 実際、その通りであった。タオは師匠から教わった武術をもとに、勇者たちと冒険を共にしていくうちに様々な武術を会得、体得していったのだ。武道家から、古文書から、時には魔物からも学んだ。


 「組み手はここまで!」

 「押忍ッ! ありがとうございました!」


 タオの一声に兵士一同が応える。


 「どれ、100本突きのほうは……と」


 タオが女性兵士のほうへ歩み寄る。


 「70! 71! 72!」


 女性兵士たちが同時に数えながら正拳突きを交互に繰り出す。


 「こら、手首が曲がってるぞ」


 タオが女性兵士のひとりの手をぴしゃんと叩く。


 「お、押忍! すみません!」


 隣の女性兵士にも声をかける。


 「もう少し腰を落とせ。重心が安定してないぞ」

 「押忍ッ! ありがとうございます!」

 「そこ、もう少し脇を締めろ」

 「はいっ!」


 女性兵士のなかで胸の大きい女性の前にタオが立つ。


 「もっとだ! もっと脇を締めるんだ!」

 「はいっ!」


 正拳突きが繰り出される度に道着の下の豊満な胸がぷるんと揺れる。


 「いいぞ! その調子だ!」と鼻息の荒いタオ。

 「押忍ッ! ありがとうございます!」


 タオのよこしまな意図に気付かない女性兵士が礼を言う。と、晴れ渡った空にもくもくと雲が集まってくる。


 「なんだなんだ?」

 「さっきまで晴れてたのに」


 兵士たちが口々に言う。

 次の瞬間には厚い雲から一条の雷がタオに落雷する。


 「あばばばぁッッ!」


 骨が透けて見えるほど感電したタオが悲鳴を上げ、そしてそのままぱたりと倒れる。


 「師範! 大丈夫ですか!?」

 「師範!」

 「またライラさんのお仕置きか……」


 事情を知る兵士が城の上を見やる。

 開け放たれた窓から、一部始終を見ていた鋭い目つきのライラがいた。

 親指を首元に持っていくとそのまま横に走らせる。

 「ウチの目は誤魔化されへんで」とでも言わんばかりだ。

 魔女改め、大魔導師となったライラが窓をぱたんと閉めると、くるりと向き直る。

 そこは城内の図書室だ。古今東西の書物が納まっている本棚が並び、中心には長机が置かれている。

 机には魔法使いの黒装束に身を包んだ若き男女が座っており、ライラが放った雷の魔法に驚きを受けている。


 「さてと、どこまで話したんやったっけ?」


 教壇に戻ったライラが言う。


 「そうそう! 魔方陣のことやったね! ええか? 魔方陣には魔法式ちう火、風、水、大地、光の五元素をもとにした式と、それを応用する式の組み合わせが書かれてるんや。例えば……」


 ライラが後ろの黒板にチョークで複雑な魔方陣を描く。


 「これがなんの魔方陣か、分かるひとおる?」

 「はいっ! 水の魔法式と温度変化の魔法式が書かれているので氷の魔方陣です」


 挙手した女の見習い魔法使いが答える。


 「正解や! けどな、魔方陣はただ書いただけではなんの意味もないんよ。

 魔方陣に魔力を込めることではじめて意味を持つんよ」


 見習い魔法使いたちが一斉にノートを取る。

 一番手前の席に座るふたりの眼鏡をかけた男の見習い魔法使いが真剣に一点を見つめている。


 「いやはや、ライラ殿のお胸は目を見張るものがありますな」

 「まさしくまさしく」


 実際、ライラの豊満な胸は大魔導師の装束からはち切れんばかりだ。


 「あの魔王を倒した英雄のひとりから、しかも美人の大魔導師から教われるなんて、拙者我が生涯に一片の悔いなしでござる」

 「同士、声が大きゅうございますぞ」

 「そこ、聞こえとるで」

 ライラの杖がふたりの見習い魔法使いの頭をごつんと叩く。


 「いっ! す、すみません!」と同時に言う。

 「自分ら、罰として魔方陣の書き取り100回な」とライラがぴしゃりと言う。

 「はっはい!」と、心なしか何故か嬉しそうだ。


 「今日の授業はここまでや。次の授業までに魔導書の38ページから40ページ、よく読み込んでおくんやでー」

 「はい! ありがとうございました!」


 「ほな、またなー!」とライラがぞろぞろと図書室を出る見習い魔法使いたちに手を振る。

 誰もいなくなるとライラはひとり、ふぅっと溜息をつく。

 魔王を討伐した後にタオとライラは結婚し、冒険の途中で寄ったここ、ノルデン王国の国王からぜひ教官になって欲しいと懇願され、それ以来タオは武術の師範として、ライラは魔術の教導士となって働いている。

 ただ、ふたりが結婚したきっかけはもとはと言えばライラが勇者と間違えてタオに夜這いをかけてしまい、勘違いしたタオが責任は取るからと、そのまま流れで結婚したのだ。

 ライラがふたたび窓のほうへ行って開けると、タオの怒声が響く。


 「ライラぁっ! いきなり雷はないだろうが!」


 タオがライラを指さしながら怒鳴る。


 「ウチは知らんで。天罰でも下ったんやろ?」


 当のライラがしれっと言う。


 「とぼけるな!」と怒るタオにライラがべーっとあっかんべーする。と、息巻くタオに兵士のひとりが駆けよる。


 「師範! あれの準備が整いました!」

 「む、そうか! よし、これで準備が始められるな」


 兵士の報告にタオが目を輝かせる。


 「ちょいと! なんの話してるんや?」


 ライラが帽子を押さえながら身を乗り出す。

 「お前には関係ない」とタオがあしらう。

 むぅっと頬を膨らませたライラが杖を振ると、また厚い雲が現れ、ゴロゴロと鳴ったかと思えば、タオの近くへ落雷する。


 「わっ! バカ、よせ! シャレになってねぇぞ!」


 次々と落ちる雷を躱しながらタオが吼える。


 「ウチの雷は大陸一や!」


 逃げ惑うタオにライラが愉快そうに言う。

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