《第十一章 ローテン王国訪問記⑤》

 

 舞踏会を終えて晩餐の間に通された勇者の妻、シンシアはある危機に直面していた。

 目の前、テーブルの上には左右に数組のナイフとフォークが、上にはスプーンが置かれている。

 空豆のスープが出された時には2本のスプーンのうち、大きいほうを選んだからわかるのだが、問題は並べられたナイフとフォークだ。

 農村出身ゆえにシンシアはこれまでにテーブルマナーの作法を学んだことがない。

 長テーブルには若き王女テレーゼのほかに名士や名家の貴族が談話したり、典雅な仕草でグラスを傾けている。

 いずれにしてもシンシアには場違いなところだ。農村出身の自分を恥ずかしく思ってしまう。


 えっと……外側から? 内側から使うのかしら? それとも好きなものを使えばいいのかしら? いっそのこと聞いちゃおうか……? でも失礼かもしれないし、田舎者だって笑われたくないし……。


 そんな疑問と葛藤が頭の中をぐるぐると回る。以前に勇者の仲間たちと女子会をしたときはこんなにナイフとフォークは並んでいなかった。

 程なくして次の料理が目の前に出された。衣がかりかりに焼けた鶏肉だ。


 「これって……コトレット……?」


 シンシアが母親から教わった料理の名を口にする。


 「コトレット? いいえ、これはローテンシュニッツェルという料理です」とシンシアに料理を差し出した料理長が言う。


 「同じ料理でも国や地方によって名前や調理法が違うんだ」と隣の夫である勇者が説明する。


 「へぇ、そうなのね」

 「さ、食おうぜ。この料理めちゃくちゃ美味ぇんだぞ」


 勇者が内側からナイフとフォークを持ち始めたので、シンシアもそれに倣う。

 すると、向かいの老婦人が「あら?」と声をかける。

 「ナイフとフォークは外側から使うんですよ」と優しい笑みで教える。

 「そうだった、そうだった」と快活に笑う勇者とは対照的にシンシアは赤くした顔でキッと夫を睨む。


 もぅ! 恥かいちゃったじゃない!


 ローテンシュニッツェルを口に運ぶとシンシアのぷんすかとした顔がぱぁっと明るくなる。


 「美味しい……! 中にチーズが入ってる!」

 「お気に召して頂いたようでなによりです」


 料理長がシンシアに礼を言う。


 「これはどうやって作るんですか?」


 主婦として興味を引かれたシンシアがたずねる。

 興味を持ってくれたことに気をよくした料理長が嬉々として教える。


 「まず鶏胸肉を開いて、そこに薄いハムとチーズを入れるんです。次にといた卵にくぐらせてパン粉で衣をつけて油で揚げるんです。チーズは薄くて溶けやすいもののが作りやすいですよ」

 「卵をつなぎにしてるんですね。あたしの村では牛乳を使うんですよ。で、名前が田舎風コトレットなんです」

 「牛乳をつなぎにするのは初めて聞きました! 参考にさせていただきます」

 「あら、美味しそうな料理ね。料理長、今度その料理をメニューに加えてちょうだい」


 そのやり取りを聞いていたテレーゼが命じる。


 「あ、あの、そんな大層なものではないんですよ」とシンシアが困惑顔で言う。

 宴会が進むと、酒が回ってきたのか、勇者がナイフとフォークを剣と盾に見立てて冒険譚を語る。


 「――振り下ろされた魔物の刃を剣で受け止め、そこをすかさずタオとアントンが両挟みで攻撃をしかけ、正拳突きと斧の致命的一撃クリティカルヒット が炸裂する!」


 勇者の話を聞いている貴族達は「おお!」と感嘆の声をあげる。


 「タオとアントンはいまだに致命傷を与えたのは自分だと言って譲らないんですよ」


 どっと笑いが起こる。隣に座るシンシアが「みっともないから、やめて」と袖をくいくいと引っ張る。

 宴会は大盛況に終わり、それぞれが部屋に戻る。部屋に戻ったシンシアは侍女に大浴場へと案内され、湯船に浸かる。


 すごい……前にみんなで行った温泉より広いかも……。


 大理石で造られた浴場はシンシアひとりで入るには途方もない広さだ。

 湯船の中央には水瓶座を象った乙女像が設えてあり、乙女が持つ瓶から湯が流れている。


 でも、開放的で気持ちいい……。


 んー、と腕を伸ばしてリラックスする。

 その時だ。後ろから足音がしたのは。

 振り向くと、そこには王女のテレーゼが一糸まとわぬ姿で湯気の中をシンシアのほうへと歩み寄る。


 「お湯加減はいかがですか?」

 「あ、は、はいっ! とっても良いです」


 ふふふとテレーゼが笑うと爪先を立てて湯船に入る。

 そして「ふぅ……」と溜息。

 湯船の中で体を伸ばす。そしてシンシアのほうへ向き直る。


 「私ね、勇者様とシンシアさんが羨ましいなって思ってるの。いつでも自分の好きなときに冒険が出来るなんて。

 それに比べて私はこの宮殿で自分を偽って規則正しい生活を送ったり、大使や貴賓の方々と退屈な話をしなければいけない……」

 「王女様も大変なんですね」

 「テレーゼでいいのですよ。……ねぇ、私のお友だちになってくださる?」

 「え?」

 「私ね……両親は小さいときに亡くなってて、ずっとひとりぼっちで、ベルトルトが私の親代わりになって、色々よくしてくれて……。

 でも王女になると、各国から資金援助目当てで訪れる人が増えてきて……ほんとうに自由というものがひとつもなかったのです。音楽だけが私の安らぎ……」


 ぽつりぽつりと話すテレーゼの横顔は淋しげだ。


 「世界が魔王に支配されて、魔物に音を奪われた時はみんな絶望に打ちひしがれてた。

 でも勇者様と仲間たちが音を取り戻してくれて、本当に感謝しています」


 テレーゼがシンシアの両手を取りながらにこりと微笑む。


 「テレーゼさん……」


 若き王女の素顔を垣間見たシンシアはぎゅっと握る。


 「あたしでよければ、お友だちになります」

 「ありがとう……シンシアさん、貴女は優しいひとですね。よろしければ、勇者様との結婚生活を聞かせてもらえませんか?」

 「ぐうたらな夫の話なんて面白くないですよ?」

 「まぁ」とふふふと笑う。


 大浴場のなか、シンシアは夫、勇者の愚痴を零す。

 その度にテレーゼが笑い、つられてシンシアも笑う。


 「こんなに笑ったのは久しぶりですわ。勇者様もやはり人間ですものね。では、そろそろあがりましょうか」


 テレーゼが湯船からあがったのでシンシアもあがることにした。

 侍女によって寝間着に着替えさせられると、部屋に戻り、ベッドの上にぼふっと倒れる。


 疲れた……今日はほんとうに色んなことがあったな……王女様って、贅沢な暮らししてるからいいなーって思ってたけど、大変なのね……。


 しばし天蓋をぼんやりと眺める。


 「ねぇ、この生活って……」


 夫の勇者に話しかけようとするが、別の部屋にいることを思い出した。


 そっか……いつもなら隣のベッドにいるけど、今は隣の部屋だもんね……。


 疲れが溜まっていたのか、眠気に襲われ、シンシアが寝息を立て始めるのにそう時間はかからなかった。


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