《第十一章 ローテン王国訪問記①》
「奥さん、良かったらうちの新聞取りませんか? 今でしたら石鹸がふたつ付いてきますよ」
「結構です。間に合ってますので」
昼過ぎのよく晴れた空の下で、シンシアがぴしゃりと断る。
「なんでしたら葡萄酒も付けますんで……」
「いりません!」
販売員の目の前で勢いよく扉をばんっと閉める。そしてはぁっと溜息をひとつ。
この時期になるとよく勧誘が来るのだ。と、扉をノックするものがあったのでそうっと開いてみる。
扉の前には見慣れない神官衣に身を包んだ聖職者らしき女性が立っていた。
「突然ですみませんが、あなたは神を信じていますか?」
「……宗教の勧誘ならお断りです。うちは教会に通ってますから」
新興宗教の勧誘も例に漏れず来るものだ。すると宣教師の女性はその宗教のロザリオを取り出すと、さっきとは打って変わって早口でまくしたてる。
「甘い! 審判の日は近づいているのです! いつまた魔王の脅威が再び襲いかかるやもしれません!
混沌から救われるには我が神か選ばれし勇者に頼るしかないのです!」
「ここがその勇者の家ですけど? そしてあたしはその妻です」
「へ?」
目を点にした宣教師はしばし、ぽかんと口を開ける。
「あ、その、えーと……失礼しました!」
そのまま逃げるように去る宣教師を見送ったあと、扉をまた閉める。
まったく……この忙しいときに……。
居間に戻ると卓に座る。卓の上には伝票、請求書、それらを記した家計簿が所狭しと並べられていた。
やっぱり今月も厳しいわね……。
銀行からの残高照会を見て再び溜息。魔王討伐の英雄である夫の勇者には国から年に3回の報奨金、いわゆる年金が支給されるのだが、それを差し引いても家計は苦しい。
元はと言えば、勇者が妻の相談無しに勝手に支給額を決めてしまったからなのだが……。
今さら支給額を上げてくれるようお願いするというのも、厚かましいようでなんだか嫌だ。
そもそも勇者がちゃんと働いていれば、こんなやりくりなどしなくてすむのだ。
はふぅと溜息をついてから卓に突っ伏す。
ああー! 一度でいいから贅沢な暮らししたいよー! 綺麗な服着て、美味しいご飯食べて、舞踏会とかで踊ってみたいよー!
卓の下で足をぱたぱた言わせていると、またノックの音だ。
シンシアがむっと顔をしかめる。そして勢いよく扉をばんっと開ける。
「もう! しつこいわね! 勧誘ならお断りよ!」
「ひぃ……っ、も、申し訳ございません……」
その場にへたり込んだ男は、勧誘に来たような風貌ではなかった。それどころか、良家の貴族に見える。
「あら? 勧誘じゃなかったの……?」
「わ、私はローテン王国から参りました遣いの者です……」
遣いの者はへたり込んだまま用件を告げる。
「……上記のとおり、感謝の意を表すとともに、勇者様と奥方様のお二方を、我がローテン王国へと招待するものといたします候」
勇者の家の居間で、書状を読み上げたローテン王国からの遣いは淀みなく読み終えると書状を丁寧にしまう。
「このベルトルト、勇者様と奥方様に謁見することが出来まして、光栄の至りでございます」
ベルトルトと名乗った初老の男は眼鏡を外して涙を絹のハンカチで拭う。
卓に座ったシンシアはぽかんとしていた。
「ローテン王国か! 懐かしいな! 王女も元気でやってるのかな?」
シンシアの隣に座する勇者が目を輝かせながら言う。
「はい。勇者様方のおかげでございます。私も含め、王女様共々勇者様をお待ちしております。もし、御迷惑でしたら……」
「いえ! 行きます! ぜひ行かせてください!」
シンシアが立ち上がるなり、ベルトルトの手を握りながら一気に言う。
「そこまでお喜びいただけるとは……このベルトルト、感無量でございます」
再び絹のハンカチで涙を拭う。
「とは言え、準備もございますでしょうから、私は一旦街の宿屋に戻ります。準備が整いましたら、お声掛けください」
ベルトルトが慇懃な仕草で別れを告げる。
ベルトルトを見送ると「さて! さっそく旅仕度よ!」とシンシアが拳を握り締める。
「別にこのままでよくないか?」と勇者が着ている布の服をつまむ。
「何言ってるの! 王女様に会うんだからちゃんとそれなりの格好をしないと。あたしが見繕ってあげるから、この機会にタンスの肥やしを活用しましょ!」
シンシアがタンスからぽいぽいと服を引っ張り出す。長らく着ていない服があっという間にベッドの上へと溜まっていく。
「なかなか手頃なのがないわね……あたしのは一張羅があるからいいとして……それよりなんなの? この変な服」
シンシアが広げたのは首元に豪奢な飾りがある、大胆な色使いの派手な服だ。
「よくこんなセンスのない服あったわね」
「懐かしいな。冒険の途中でコンテスト大会で着たやつだ」
「ま、これは問題外ね。どっちにしても今のあんたじゃサイズ合わないし……なにこれ? 服にしてはごわごわしてるけど……」
取り出したのは鈍色のベストだ。シンシアの言うとおり、質感が鉄のように硬そうだ。
「メタルベストだな。服っつーか防具だけどな」
「はい除外」とぽいっと放る。
「あら? なにかしら?」
がさがさと漁っていたシンシアが引き出しの奥から何かを取り出す。
それは女性用の下着、ビスチェであった。
「なんでこんなのがあるの?」と勇者をじろりと睨むシンシア。
「や、勘違いするなよ。仲間の荷物がいっぱいになってたから一時的に預かってたのを返し忘れただけで……」
ふーん、とシンシアが疑り深そうな目をする。
「というか、こんなのがあったらあたしにくれてもいいのに。男のあんたが持っててもしょうがないでしょ?」
「んー……そりゃそうだけど。サイズ合わなくないか? だいいち胸が」
次の言葉を発する前にシンシアの正拳が勇者の顔面にめり込む。
「なぁに? 何か言おうとしたの?」とにこにこ顔のシンシア。
「いえ、なんでもありません……」と鼻血を手で抑える勇者。
とにもかくにも、旅人の服にローブで合わせることにし、旅仕度を整え、街の宿屋に宿泊しているベルトルトを訪れたのが明後日であった。
「準備は整ったようですね。では馬車にご案内いたします。勇者様と奥方様をお送りする名誉をいただき、このベルトルト、大変感激しております」と例によって絹のハンカチで涙を拭う。
かくして勇者とシンシアを乗せた馬車は一路ローテン王国へと向かうのであった。
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