《第十章 雨の日には……》

 

 曇天から雨が絶え間なくざぁざぁと降るなかで、シンシアは勇者と暮らす家の窓から眺めている。そして溜息をひとつ。


 「このぶんじゃ当分やみそうにないわね……」


 居間には取り込んだばかりの洗濯物がぴんと張られた綱に干されており、暖炉の火がぱちぱち音を立てる。


 ま、でも今日は幸い洗濯物が少なかったから、すぐ乾くだろうけど……。


 掃除はすでに終わり、夕飯は残り物がまだあるので、主婦としてやることはあまりなかった。

 妻の夫、すなわち勇者はと言うと暖炉の前で丸くなった体を横たえていた。どうやら本を読んでいるらしい。


 ほんとに、このバカはいつもヒマね……。


 そう思いながらも勇者の隣にごろんと横になる。気付いた勇者が本からシンシアへと顔を向ける。


 「珍しいな。お前までごろ寝するなんて」

 「あたしだって、たまにはごろごろしたいのです」

 「ん、そうか」と返事するとまた読書に戻る。

 シンシアはむぅっと膨れると勇者の肉の付いた背中に言う。


 「ねぇ、暇だからなにか冒険の話してよ」

 「今良いとこなんだ。また今度な」

 「じゃあ、じゃんけんしよ? あんたが勝ったらなんでも言うこと聞くから……」

 勇者が「乗った!」と言うやいなや、がばっと身を起こす。

 「じゃあ、じゃんけんぽん!」と同時に手を出す。

 勇者はグー、シンシアはチョキだ。


 勝った!


 勇者が快哉を叫ぼうとした時だ。シンシアのチョキが勇者のグーを挟むようにすると、そのまま力に物を言わせてこじ開けにかかる。

 ぎぎぎと擬音が出そうなほどに、ハサミがだんだんと岩をこじ開け、しまいには指が開いてパーの形になる。


 「あたしの勝ち!」


 シンシアがこじ開けたチョキでピースしながらウィンクする。


 「いやいやいや! おかしいだろ!?」


 ちっちっとシンシアが指を振る。


 「この世には、岩をも切り裂く鋏があるものなのよ。ね?」


 ね? じゃねぇっつーの……。


 「やめたやめた! 反則で勝っても意味ないし!」


 勇者がごろんと横になる。


 「ごめんごめん。次はちゃんとやるから……」と手を合わせながら謝る。


 「ん、じゃ次はあっち向いてホイな。言っとくが、さっきみたいなのはナシだからな」

 「いいよ。んじゃ、じゃんけんぽん!」


 今度は勇者がグーで、シンシアがパーだ。


 「あたしの番ね」

 「おう、どっからでもかかってこい」


 勇者はにやりと不敵な笑みを浮かべる。


 甘いな、シンシア……確かに体力は衰えたが、幾多の戦闘で鍛えられた動体視力はいまだに健在! 見切って躱してやる!


 「じゃあ、あっちむいて……ホイッ!」


 だが、勇者の動体視力を上回る速さでシンシアの指、いや平手が勇者の頬を横に一閃させる。

 ぱぁんっと乾いた音とともに勇者は首を90度左へと回される。


 「あたしの勝ち!」

 「シンシア……これあっちむいてホイだよな?」


 ねじ曲がった首をなんとか真正面に曲げながら勇者が抗議する。


 「うん。あっちむいてろホイよ」

 「さっきからまともに勝負してないじゃねぇか!」

 「へへーんだ」とシンシアがあっかんべーする。


 「勝負は厳しいもんなんだから」と腕を組んで誇らしげに言うシンシアに勇者が肩を掴んで床にどさっと押し倒す。


 「あ……」

 「残念だけど、このままやられっぱなしで終わる俺じゃないからな?」


 シンシアの手首を抑える手に力を込めて動かないようにする。

 床に押し倒されたシンシアは身動きひとつしない。

 勇者の顔を見つめるシンシアの口が僅かに開いたかと思うとぽつりと呟く。


 「いいよ……好きにして……」


 シンシアが頬に朱を差しながら言う。そして目を静かに閉じる。


 「ほ、ホントにいいのか……? ガチだぞ……」


 そう確かめる勇者にシンシアが、「ん」と薄桃色の唇をわずかに突き出す。


 「ホントに、するからな……?」


 シンシアの手首の拘束を解いて、床に手をつく。

 暖炉の火がぱちっと爆ぜる。

 床に手をついたまま、勇者も目を閉じて自らの唇をシンシアの唇と重ねようとする。

 にゅっと突き出された勇者の唇があとわずかで届こうとする時だ。

 ぴしゃんと勇者の両頬が叩かれる。驚いて目を開くと、目の前でシンシアがにこりと笑う。


 「ひっかかった」


 そしてするりと勇者から抜け出すと、すっくと立ち上がってエプロンの紐を締め直す。


 「おかげで良い暇つぶしになったわ。夕飯の支度するから、洗濯物たたんどいてね?」


 そのまま台所へ向かうシンシアを見送るとやれやれと勇者が溜息をつく。


 こいつには一生敵わないかも……。


 綱から洗濯物を外して畳み終わった頃に、台所から良い夕餉の香りが漂ってくる。

 台所のそばの窓の外はすでに雨は止み、夜空には数多の星が瞬いていた。

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