《第九章 女主人リーナの一日》


 街の酒場の女主人、リーナの一日は昼前に起床することから始まる。酒場は夜遅くまで営業しているからだ。

 リーナはベッドから起き上がると、まず湯浴みをする。湯から上がると、豊満な胸の上に下着を着け、部屋着に着替えると朝食兼昼食の準備にとりかかる。

 かりかりに焼けたパンにバターを塗り、その上にハム、チーズ、目玉焼きを乗せるとぱくりとかじ る。


 次いで、濃いコーヒーを啜りながら眼鏡を掛けると新聞紙を広げる。

 まず確認するのは街周辺の魔物予報だ。

 英雄、勇者たちが魔王を討伐して平和になった世界でもはぐれ魔物や低級魔族は出るものだ。

 酒場には近辺の村人や街の住人だけでなく旅人も訪れるので、旅人達の安全のためにも魔物の情報収集は欠かせない。


 今日はスライム、ゴブリンくらいね……街道の外れに出没し始めたマンドラゴラについては注意したほうがいいわね……。


 頭の中にメモすると、食事の後片付けをする。

 部屋着から仕事着でもあるドレスに着替えると豊満な胸がやけに強調される。

 鏡台の前に座ると髪を整えて後ろに纏めると、次は化粧だ。別に化粧などしなくとも充分美人なのだが、彼女に言わせれば儀式のひとつなのだとか。

 「ん」と唇に紅を差し終えると、鏡で出来栄えを確認すると満足したように「うん!」と一言。

 部屋を出て階段を下りるとそこは酒場の一階だ。

 酒場の女主人、リーナが仕事場でまずすることは掃除だ。

 床の掃き掃除、テーブルとカウンターの拭き掃除を終えた頃、外から馬車が停車する音が聞こえる。

 「ちはー。毎度どーもです」と入ってくる若者が帽子を取りながら挨拶する。

 「ご苦労さま。頼んでたものは全部揃ってるかしら?」

 「へぇ。揃えられるだけ揃えてみましたが……」

 雑貨店の若者が馬車から荷を下ろしてリーナが中身を確認する。

 麦酒エール の樽、酒場で出される料理の食材、今が旬のニジカマスは酒で漬けた上に塩が振られている。他には葡萄酒、果実酒や火酒の酒瓶などなど……。


 と、リーナが気付いたように「あら?」と声を出す。


 「ポトカはこれしかないの?」

 「すいやせん。原料のごろごろ芋が不作続きでして……」


 ポトカはこの地方での名産、ごろごろ芋から造られる蒸留酒だ。

 「そう……それならしかたないわね」と代金の入った袋を渡す。

 「へぇ、ありがとうございます。今後ともぜひご贔屓に……」


 馬車を見送ってから店に入ると、酒瓶を棚へ、食材を厨房へと運ぶ。

 後は厨房長が腕をふるってくれるだろう。

 程なくして酒場に5人の若い女性が入ってくる。


 「リーナさんおはようございまーす!」


 5人揃って元気よく挨拶する。


 「おはよう。さっそくリハーサルよ」

 「ふぇえ? 今日もやるんですかぁ?」とひとりの女の子が困惑そうに言う。


 「当然でしょ? ちゃんと練習しないと。お客様は細かい動きも見ているものなのよ」


 リーナがぴっと人差し指を立てて言う


 「はーい」

 「ん。よろしい。じゃあ練習開始よ」


 酒場の舞台上で女性陣、踊り子たちがリーナの手拍子に合わせて踊る。

 くるくる回ったり、脚を上げたりと目まぐるしく動く。


 「はいはい! ミリー! もう少し足を上げて! マチルダ! 顔が笑ってないわよ! そこ! 振り付けが違ってるわよ!」


 踊り子たちに振り付けを教えるのも女主人リーナの仕事のひとつだ。と、そこへ酒場の扉を開けて入る者があった。


 「おーう。今日も張り切ってるな」

 「厨房長さん、食材は運んであるから、あとはお願いね」

 「任してくんな」と厨房へ入る。

 練習が終わり、踊り子たちは衣装に着替えるために控室へと入り、リーナは開店準備を進める。

 厨房長から今夜のメニューが渡されると、店の外に出、壁の黒板に本日のメニューを流麗な文字ですらすらと書く。


      ~本日のメニュー~


      •魚肉の揚げ団子

      •フィッシュ&チップス

      (本日の魚 ニジカマス)

      •山角牛のステーキ

      •かぼちゃのスープ

      •リーナ特製ごろごろ芋サラダ


 小人族サイズもございますので、お気軽にどうぞ!


 立て看板を設置してカウンターに戻った時はすでに日はとっぷりと暮れていた。

 程なくして扉から常連客がぞろぞろと入ってくる。


 「リーナちゃーん、会いたかったよー!」

 「今夜もキレイだねー」


 愛想よく挨拶し、時には躱しながら様々な客と対応する様はまさに店主のかがみ であった。舞台上で踊り子たちが踊り始めると酒場はますます活気に溢れる。


 「ミリーちゃーん!」

 「可愛いよー! こっち向いてー!」


 わいわいと男客が盛り上がるなかで、リーナはカウンターで酔客を適当にあしらいながら、酒をグラスに注ぐ。

 そこへ扉から太った男が入ってくると、カウンターに座る。


 「あら? 勇者様。その様子だとまたケンカしたのね?」


 勇者はなにも言わずにこくりと頷く。リーナが棚からグラスとポトカを取り出すと、勇者に注いでやる。


 「だってよぉ……俺だって頑張ってんだぜ? それをあいつは……」


 ぶつぶつとこぼす勇者の愚痴をリーナはうんうんと聞く。


 「そうね、シンシアちゃん頑固なところあるものね。けど、男の人は女の子のわがままを許してあげないと」

 「でも……」


 ちっちっとリーナが人差し指を振る。


 「ケンカ出来るって本当は良いことなのよ?

お互いを大事に思ってるからこそ出来ることなの。よかったら、ご飯食べていって。わたしの奢りだから」


 少ししてから勇者の前にスープが出される。


 「大丈夫よ。食べて、家に帰って謝ればすぐに元通りよ」


 勇者の愚痴や悩みを解決するのもまた女主人リーナの仕事だ。

 夜が更け、常連客がふらふらと出た後の酒場は嘘のように静まりかえった。

 ふぅっとひと息ついて、眼鏡を掛けると帳簿を開いて売上金の確認をする。

 算盤そろばん を弾いて、帳簿に金額を記入していく。

 売上金から仕入れ、厨房長や踊り子たちへの給与、家賃を差し引いて利益を求める。

 帳簿への記入が終わるとひと息つく。

 そして傍らのポトカをグラスに注ぐと一息に飲み干す。


 今日もまずまずといったところね……振り付けも新しいのを考えないと……今度、月替わりで各国の麦酒を仕入れようかしら?


 帳簿をぱたんと閉じて、金庫に鍵をかけると欠伸をひとつ。

 階段を上って部屋に戻る前に酒場を見渡す。

 十年以上前に、旅に出た最愛の人から譲り受けた酒場はしんと静まりかえっている。

 まるで元の持ち主をずっと待っているかのようだ。長い年月が過ぎてもまだ帰ってこない。

 十年以上も経てば、どこかで魔物に襲われて亡くなっているだろうし、病で倒れたかもしれない。

 最悪、別の国で別の女と結ばれて戻らないかもしれない。

 だが、リーナはそれでも待ち続ける。今やこの酒場は彼女にとっても、この街にとってもなくてはならない存在となったからだ。

 いつの間にか、頬につうっと流れた涙を拭うと、部屋に入って扉を閉める。

 湯浴みを終え、寝間着に着替えるとベッドに入る。

 サイドテーブルのランプを消そうとしたが、今夜はそのままにしておくことにした。

 ほんの少しの温もりが、最愛の人に抱かれているような錯覚を感じられるように……。


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