《第八章 馬鹿でも風邪はひく》


 寒い冬が過ぎ、暖かい季節になった頃。魔王を討伐した英雄、勇者とその妻シンシアが暮らす家では、寝室にて勇者がベッドの上でげほげほと咳をしながらシンシアに看病されていた。


 「まったく……腹出しながら寝るからよ」


 そう言いながら勇者の額に乗せる濡れ布巾をぎゅっと絞る。


 「すまんのぅ……苦労かけて……」

 「年寄り臭いこと言わないでよ」

 「童話みたいにキスで治ったりしないかな?」


 咳をひとつしたあと、勇者が唇をにゅっと尖らせる。

 だが、シンシアはまるでゴミ虫を見るように顔を引きつらせると、舌打ちをひとつ。


 「うん。その顔で充分わかった」と勇者。

 と、けほっと咳をした勇者の顔に濡れ布巾が顔全体にかけられる。


 「シンシア、これなにか間違ってないか……?」

 「いいじゃない。馬鹿につける薬はないって言うし」


 勇者が自ら濡れ布巾を額に乗せると、思い出したようにシンシアに声をかける。


 「そいや、シンシア。俺が冒険で使ってた背嚢ザック に変わった形をしたガラスの瓶が入ってると思うから、取ってきてくれないか?」


 手で大きさを表しながらシンシアに言うと、シンシアが寝室を出る。

 程なくして部屋の外からシンシアの声がする。


 「背嚢ってこれのことね? どこに入ってるの?」

 「たぶん真ん中あたりのはず」


 がさがさと音が聞こえる。


 「ちょっと! ガラクタばっかなんだけど! ちゃんと整理してよね。まったく……

 あら? 何かしらこれ。枯れた葉っぱが入ってるけど……って薬草と毒消し草じゃない! これ! しかもいっぱい入ってるんだけど!」

 「あー、回復魔法覚える前に買い溜めしたやつだ。それ悪いけど捨ててくんないか?」


 まったくもうとシンシアの文句がしたあと、再びがさがさと音がする。


 「あった! ねぇもしかしてこれ?」


 シンシアが奇妙にねじ曲がったガラスの瓶を手に戻ってくる。中には鮮やかな青緑色の液体が入っている。


 「おーそれだそれ。悪いな」

 「いったいなんなの? それ」

 「エルフの秘薬。なかなか手に入らないレアなアイテムだぞ」


 コルク栓を抜きながら勇者が言う。


 「ふーん……ってまさか、それ飲むつもりなの?……ってもう飲んじゃってるし!」

 「ん? なんか言ったか?」


 あっという間に飲み干した勇者がごくりと喉を鳴らす。


 「うげぇっ! にが ッ!」


 あまりの苦さに舌を出しながら咳をする勇者の背をシンシアがさする。


 「もう! 変な薬かもしれないのに飲むなんて!」

 「大丈夫だって……エルフの薬だぞ?」

 「その自信と根拠はどこから来るのよ? それで、なにか変わった様子ある?」


 勇者がしばし自分の体を見てから答える。咳は相変わらず出る。


 「いや、なにも変わらないな……」

 「薬の効果が切れたのよ。きっと」


 おかしいなとぽりぽりと頭を掻く勇者を寝かせる。


 「とにかく横になってれば、明日には治ってるわよ」


 翌朝、寝室の窓から陽光が差し、雀のちちちという鳴き声でシンシアが目を覚まし、むくりと身を起こす。

 くしくしと目をこすりながら、隣のベッドで寝ている勇者を見やる。毛布を頭からかぶっているところを見ると、まだ寝ているようだ。

 勇者の熱を確かめるために、頭にかかった毛布を捲った時だ。

 そこから現れたのは、太って丸っこくなった顔ではなく冒険から帰ってきた時の、逞しく、凛々しい顔がそこにあった。


 「えええええええ!?」


 驚いたシンシアの絶叫が寝室に木霊する。



 「ふーむ……異常はないように見えるんじゃがのぅ……あるとすれば勇者殿が立派な体つきになっていることぐらいかの?」


 村の医者が診察を終えて言う。


 「ま、とにかく風邪は治ってるようじゃし、ほっといても問題はないじゃろ」

 「で、でも大丈夫なんですか? 一晩経ったらこんなことになってたんですよ?」


 うむーと老医師が唸る。


 「これはおそらく、副作用というやつじゃな。じゃが、エルフの薬には呪いがかかっているという話は聞いたことはないし、いつかは元に戻るじゃろ」

 「いつかって、いつなんですか?」

 「エルフの薬に関しては専門外でなぁ……一週間かもしれんし、一ヶ月かもしれんし、一年てこともあるでな」


 村医者が髭をしごいて言う。そしてすっくと立つと、勇者の肩にぽんと手を置く。


 「久しぶりに勇者殿の英姿を見られて嬉しかったよ。長生きはするもんじゃな。それはそうと美人の嫁さんを大事にせんと、逃げられるぞ?」と老医師が悪戯っぽくウインクする。

 「せ、先生!」と顔を赤らめるシンシア。


 ほっほっほと笑う村医者を見送ると扉を閉め、シンシアがふうっとひと息つく。そして凛々しい顔つきの勇者を見る。

 心なしか帰ってきた時と比べてより男前になっている気がする。力強い目でじっと見られると落ち着かない。


 「大丈夫か? シンシア」

 「ひゃい!? あ、え、えと、大丈夫……です」


 どきまぎしながら答える。声まで美声に変わってる。


 「そ、その掃除してくるから……ゆっくりしててね。安静にしてないとだから……」


 箒で床を掃きながらシンシアはどこか落ち着かなげだ。

 ちらちらと寝転がってる勇者のほうを見る。

顔や声が変わっても、ごろ寝までは変わらないようだ。ふと勇者がシンシアの視線に気付いて、彼女のほうを見たので、さっとそっぽを向く。

 顔を赤くしながらまた床を掃き始める。


 やだ……見られてるだけで感じちゃいそう……。


 

 夕食の支度中、棚から片手鍋を取ろうとするが、届かない。そこへ勇者が「これか?」と取ってやる。

 体が密着して思わずシンシアはびくっと身を強ばらせる。

 ほらよと片手鍋を差し出されて、「あ、ありがと……」としどろもどろに礼を言う。


 食事中でもシンシアは顔が赤いままだ。向かい合って座っているのでどうしても顔が視界に入る。


 「美味いな、このポテトサラダ」

 「あ、ありがと。嬉しい……」


 いつもなら、どーもの一言で済ませるのだが、今夜のシンシアは違っていた。ちらちらと勇者を見ると、視線に気付いた勇者がシンシアを見る。


 「どうした? 俺の顔になにか付いているのか?」

 「あ、ううん。なんでもない……目と鼻と口が付いてるだけだから……」

 「?」



 夕食を終えて、風呂から勇者がタオルで頭をごしごしと拭きながら居間に上がる。風呂から上がって、すでに寝間着に着替えたシンシアは冒険で数多の魔物と戦ってきた戦士の裸体を見て思わず溜息を漏らす。

 いつもなら腹の突き出た、だらしない体など見向きもしないシンシアがまじまじと見つめている。

 大胸筋、6つに割れた腹直筋シックスパック、腹斜筋と順に眺めていき、最後に股間に行き着いた時は思わず顔を赤らめながら目を逸らす。


 「さ、先にベッド入ってるね……おやすみ……」


 シンシアが寝室に入ると、勇者は寝間着に着替え始める。

 寝室に入った勇者はベッドに入ると毛布をかけようとする。その時だ。隣のベッドから明かりがついたのは。

 どうやらシンシアがナイトテーブルのランプに火をつけたようだ。


 「? どうした? 眠れないのか?」


 だが、シンシアはそれには答えず、ベッドから起き上がると勇者の側に来る。


 「あ、あのさ、一緒に、寝よ……?」


 両手を腰の後ろに回して顔を赤らめるその姿はなんともいじらしい。


 「え、いや別に良いけど……」


 すると、目の前でシンシアが寝間着を脱ぐと、小ぶりな胸が露わになる。


 「お、おい……」


 狼狽える勇者をよそに、下着をするすると脱ぐと生まれたての姿になる。そして石鹸の良い香りをさせながら勇者の寝床へと入る。


 「ほ、ホントに良いのか……? いつもなら避妊しろとか、今日はそんな気分じゃないって断ってるのに……」

 「いいの……だって」


 シンシアがかぁっと顔を赤らめる。


 「あたしが、したいの……」


 そう言うと勇者の整った顔に自分の顔を近づけると、唇を重ねる。


 「シンシアっ!」


 勇者が半身を起こして寝間着を脱ぐと、そこから鋼の如き肉体が露わになる。

その肉体を見て思わずシンシアが「ああ……」と溜息を漏らす。


 「きて……あなた……♡」シンシアが両手を差し出す。

 勇者がシンシアの躰に覆いかぶさると、数年ぶりの夜の営みを開始する。

 程なくして寝室から喘ぎ声とベッドの軋み音が聞こえてくる。しばらくすると静かになった。



 「すごかった……こんなの、ひさしぶり……♡」


 シンシアが勇者の逞しい胸に頭を預けて言う。


 「俺も気持ちよかった……シンシアっていつもはしっかりしてるけど、すごくえっちなんだな……」

 「あん。もぅいじわる……!」


 悪い悪いとぷんすかと可愛らしく怒るシンシアの頭を撫でてやる。

 そしてまた唇を重ねると、シンシアがはらりと垂れた髪をかきあげる。


 「ね、もっとしよ……?」


 再び寝室から喘ぎ声とベッドの軋み音が聞こえてきたのは言うまでもない。



 寝室の窓から差す陽光でシンシアは目を覚ます。


 「ん……」


 くしくしと目を擦る。寒さにぶるっと身を震わせると自分が裸だったことに気付く。

 裸のままで寝ていたことと、昨夜の激しい夜の営みを思い出して顔を赤らめる。

 夫の勇者はまだ寝ているようだ。毛布を頭まで被っているため、顔は見えない。

 新婚の時によくしていた朝の目覚めのキスをしようと毛布を捲る。


 「おはよう。あなた……」


 だが、そこには丸っこい顔の、だらしなく太った勇者がいた。

薬の副作用が切れたのと同時にシンシアの甘い一時も終わりを告げる。

 シンシアは涙目で枕でばしばしっとやり場のない怒りで何度も夫の勇者を叩く。


 「どうして一日だけなのよぉおおおー!」

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