《第三章 男のベッドの下には秘密がある》


 魔王を討伐して世界に平和が戻り、我らが勇者が帰還せし村の少し離れたところにある一軒家で勇者の妻、シンシアは寝室の掃除をしているところであった。

 夫である勇者は外で薪割りをしているところだ。


 「うぅ~家の中にいても寒い……早く暖炉に火を入れないと……」


 腕をさすりながら箒がけする。寝室にはシンシアと勇者のベッドが二台置かれており、結婚当初はひとつのベッドで寝ていたものだが、今では別々に寝るようになった。

 というのも勇者がぶくぶくと肥えてきて狭くなったからなのだが。

 きちんとシーツを整理しているシンシアと比べて勇者は寝相が悪いのかシーツははだけ、枕は床に落ちている有様だ。


 はぁ……。


 溜息をつきながらも勇者のシーツを直してやる。次いで、落ちていた枕を拾おうとする。


 「あら?」


 枕が落ちていたそば、ちょうどベッドの脚の裏に隠れるように何かがあった。

 何かしら? と屈んで腕を伸ばして手に取ってみると、それは一冊の本であった。

 何回も読み返しているのか、表紙はタイトルが読めないほどに擦れていた。

 日焼けしたページをぱらぱらとめくってみる。

 どうやら内容は冒険小説らしい。ページをめくる指を止めると、ちょうど主人公の勇者が城から姫を助け出し、宿屋に泊まる場面に当たった。


 「姫、狭いところで申し訳ありませんが、今夜はここで休みましょう」

 「あなたが一緒にいてくれるのなら、私わたくしはどこでも構いません」


 安っぽい小説ね……おまけに主人公が勇者なんだ……。


 そう思いながらも続きを読む。


 「姫……」

 「勇者様……」


 しばし見つめ合った後、ふたりは唇を重ねる。


 「ん……っ」


 互いに舌を求めあうように絡みつかせ、離すと唾液が一本の糸のようにつーっと垂れる。

 頬を紅潮させた姫はもはや、ひとりの女として勇者の前に立ったまま純白のドレスを脱ぎ捨てる。下着をはらりと床に落としたときには一糸まとわぬ裸体となった。

 勇者もすでに服をかなぐり捨てるように脱ぎ、姫の前に立つ。


 ぱんっとシンシアが本を閉じる。


 これって、もしかしていわゆる「えっちな本」ってやつでは……。


 物語の姫と同じようにシンシアも顔を紅潮させていた。


 そりゃ、あいつ勇者 も男だものね……

別にこんな本持ってておかしいわけじゃないけど……。


 気になるのか、禁断の魔術書を開くようにおそるおそるとページをめくる。


 露わになったふたりは互いを抱きしめ、ふたたび唇を重ねる。と、姫の手がするすると勇者の下腹部のほうへ


 「シンシアー」


 呼ばれてびくっと肩を震わせたシンシアはぱたんと本を閉じる。

 そしてそのままとっさにシンシアのベッドの枕の下に隠す。


 「な、なに?」


 どくどくと高鳴る動悸を抑えながら努めて平静を装う。


 「や、薪割り終わったんだけど」

 「あ、そ、そうね。じゃあ暖炉に火を入れてくれる?」


 おう、と返事して寝室を出る勇者を見送ってからシンシアは深い溜息をつく。


 まさかとは思うけど、実話なんてことはないわよね……?



 暖炉の火が爆ぜるなか、ふたりは居間で夕食を摂る。勇者はいつも通りだが、シンシアはどこか落ち着かなげだ。

 そわそわしたりちらちらと勇者のほうを見る。そんなシンシアの視線に気付いた勇者が声をかける。


 「なぁ」

 「ひゃっ、な、なに?」


 びくっと肩を震わせる。


 「さっきからオレの顔ばっか見てるけど、顔になんかついてるか?」

 「あ、そ、そういうわけじゃないけど……」


 ぎぎぎと擬音が聞こえそうなほどぎこちなく顔を逸らす。


 「ね、ねぇ。冒険している間にどこかの国のお姫様を救ったりとかは……したの?」


 「? んー……そうだなぁ、あ、そういや一回あったな」

 「っ!?」

 「と言っても幽霊になってて、彼女の願いを聞いて叶えてやっただけだけどな」


 聞けば現世に未練があって成仏出来ないところをたまたま通りかかった勇者たちが望みを叶えると、たちまち成仏したそうな。


 「あ、そ、そうなの……そっか、幽霊か……」


 まぁ、あんなまさに絵に描いたような話、そうそうあるわけないわよね……。


 後片付けをしたあと、浴室で湯浴みする。そのあと寝間着に着替えると就寝するのがいつもの習慣だ。

 だが、今夜、シンシアは隣でいびき をかきながら熟睡している勇者を起こさないようランプに火を灯す。

 ナイトテーブルに置かれたランプを灯りにシンシアは枕の下から本を取り出すと、続きのページを開く。


 これはあくまで後学のためであって、別に興味があるとかそういうわけではないから……。


 そう思いながら続きを読む。


 「勇者様……」

 「姫……」

 「来て……勇者様……」


 姫が両手を勇者のほうへと伸ばす。勇者は姫の華奢な躰に覆い被さる。


 「んあッ」


 喘ぎ声が実際に聞こえてきたのでシンシアが布団の中でびくっと身を強ばらせる。

 やがて隣のベッドの勇者の寝言だとわかると、はぁーーっと長く溜息をつく。


 紛らわしいことしてんじゃないわよ。バカ!


 勇者が起きる気配がないことを確認してから続きを再開する。


 すごい……最近の小説って性描写が過激なのね……。


 シンシアはベッドの中で下腹部が熱くなるのを感じた。どくどくと動悸が高鳴るなか、次のページをめくる。姫と勇者の組んずほぐれつが繰り広げられていた。


 わ、すごい……こんな表現ってあるんだ……。


 いよいよ二人は快楽の頂点へと達しようとしていたその時、


 ブピッ


 音がしたのでシンシアはふたたび、びくっと身を強ばらせる。やがて漂う悪臭で勇者の寝っ屁だとわかった。


 さっきから良いところで邪魔ばっかして……!


 勇者の鼻をつまむと苦しそうにうーんうーんと顔を歪める。

 ぱっとつまんでいた指を離すと勇者は何事もなかったように鼾をかきはじめる。


 なんか、馬鹿らしくなったわ……。


 本を閉じると、元あった場所に置く。自分の寝床に戻ると毛布を頭から被る。

 だが、顔は依然として真っ赤で動悸も治まっていない。


 あんな本読むんじゃなかった……ていうか、ホントにあのバカは……あんな本読むくらいなら、私で……。


 そう思い至った途端、枕で顔を覆う。


 もう! なに考えてんのよ! 私!


 恥ずかしさで顔を紅潮させたシンシアは次第に眠りに落ちていった。



 翌朝、シンシアの朝餉の仕度の音で勇者は目を覚ます。

 ぼさぼさ頭のまま居間に入ると果たしてシンシアが食卓に朝食を並べているところであった。


 「お、おはよう。早起きね」

 「ん、おはよう。って、顔赤いぞ」

 「そ、そう? 暖炉の火が効き過ぎてるせいかしら?」


 ぎくしゃくと挙動不審のシンシアは顔を逸らす。


 「そうか? 火、消えかかってるけど……」

 「さ、先食べてて! 洗い物するから」


 そそくさと勇者に背を向けて洗い物を始める。と、そこへシンシアの肩に勇者の手が置かれる。


 「ひゃっ!?」と頓狂な声が思わず出る。

 「大丈夫か? 昨日からおかしいぞ」

 「べべ、別になんでもないから……」


 ぐいっと引かれると勇者と対面するかたちになる。


 「熱でもあるんじゃないのか?」


 自分のおでこでシンシアの額に当てようとする。至近距離で勇者の顔を間近に見るシンシアは動悸が速くなるのを感じた。


 ば、ばか……っ!


 思わず、どんっと突き飛ばす。


 「……っ、おいシンシア、お前……」


 目の前のシンシアは顔を真っ赤にし、ふらふらと立っているのもやっとかと思うと、そのまま倒れるところを間一髪で勇者が抱きかかえる。



 「うー……まさか、風邪引いてたなんて……」


 額に濡れたタオルを乗せられたシンシアはベッドに寝かされ、側では勇者が介抱していた。


 「季節の変わり目だからな。それで引いたんだろ」

 「いいわよね。あんたは風邪引かなくて」


 勇者を見ながら、むすっとした顔で言う。


 「そういえば、あんた回復魔法使えるんでしょ? それ使えばあっという間に治るんじゃない?」

 「あれはケガとかの外傷向けだからな。こういう病気は人間の持つ自然治癒でないとな」

 「うー……」

 「ま、働き過ぎで無理がたたったのもあるだろうし、今日はゆっくり寝たほうがいいぞ」

 「そういうあんたは働かなさすぎよ」

 「違いないな」と笑う。

 くすっとシンシアも笑う。


 「そういや、シンシア。ゆうべなんで姫を救ったことあるのかどうか聞いたんだ?」


 う、と言葉に詰まるが、意を決したように聞く。


 「その、変なこと聞くかもしれないけど、結婚してからかなり経つけど……今でもあたしのこと、好き……?」

 「? 当たり前だろ。俺が好きなのはシンシアひとりだけだ」

 「っ……!」


 シンシアは毛布を引っ張り上げてますます紅潮した顔を隠す。


 「バカ……」


 窓の向こうではちらほらと粉雪が冬の到来を告げていた。

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