《第二章 男と女の価値観は得てして相容れないもの》前編

 

 勇者が帰還せし村、そこから少し離れたところに勇者と、その妻である幼なじみのシンシアが暮らす家はある。

 シンシアは毎日の日課の掃除をしているところだ。ハタキでぱっぱっと埃を取って箒で床を払い、あとは濡れ雑巾でしっかりと拭く。

 雑巾をぎゅうっと桶の上で絞りながら、はぁっと溜息をつく。

 ちらと傍らでごろ寝をしている亭主である勇者を見てまた溜息をつく。

 仲間たちと数多の魔物を倒し、数々の困難をくぐり抜けて元凶である魔王を討伐して世界に平和を取り戻してこの村に帰ってきてくれたのだから贅沢は言うまいとは思うのだが、冬眠中の熊のように日がな一日ごろごろとしているぐうたらな亭主を見ると持って行きようのない怒りがふつふつとこみ上げる。

 新婚ほやほやの時は良かった。ねぎらいの意味で食事や掃除など身の回りの世話を甲斐甲斐しく行ってきたのだが、そのツケがこの形で回ってこようとは。

 しかもその世話をしたのは他ならぬ自身であるのだから何ともはや。

 勇者としての役目を終えた、今の生活の収入を支えているのは冒険斡旋所ギルドで募集している依頼クエストを達成した際に受け取る報酬などがあるが、一番収入の大部分を占めているのが国王からの年に3回の報奨金(年金)だ。

 報奨金と言えばさぞかし高額なのであろうと思うだろうが、国王から報奨金支給の話が出た際に、


 「陛下、私は多くは望みません。慎ましやかな生活が送れればそれでいいのです。残りは民の皆さんに分け与えてください」


 と勇者の余計な一言(?)でいまこうして細々とした生活を送らざるを得ないのだ。

 しかも妻に相談もなくだいたいこのくらいで良いだろうと金額を勝手に決めてしまったのだからよけいにタチが悪い。

 今さら国王に報奨金の額を上げてもらうようお願いするのも厚かましいようで嫌だ。

 さらにこのバカは近衛師団長の職の話まで蹴ったのだ。

 妻と仲睦まじく過ごしたいと言えば聞こえはいいが、その揚げ句がこれなのだ。

 たまには贅沢もしたいものだ。だが今の収入ではそれさえも敵わない。

 悩みの種が尽きないシンシアはさらに深い溜息をつく。

 そこへ勇者のすかしっ屁でシンシアの堪忍袋の緒が切れる。


 「あら? ここもしっかりと絞らないと」


 日頃の雑巾絞りで鍛えられたシンシアの握撃が勇者の突き出た皮下脂肪をぎりぎりと絞る。


 「いだだだだだっってぇよ!」

 「ごろごろしてないでたまには仕事してよ?

今月の家計、かなり厳しいんだからね。街の冒険斡旋所ギルド に行けば仕事あるんだし……。

 隣国のギルドで毎回ゴブリン退治しか引き受けない冒険者でもけっこう稼いでるって聞くわよ?」


 平和になった今でも低級魔族やはぐれ魔物は出るものだ。


 「わかってるって、わかってるよ……」とひらひらと手を振る。


 「わかってない!」


 シンシアの握撃がさらに強まる。

 勇者の悲鳴が部屋中に響きわたったあと、シンシアがぱんぱんと手をはたきながらすっくと立つ。


 「そういえば明日、廃品買取りの日だったわね。あんたもなにか要らないのあったらさっさと出してよね」

 「はひ……」


 ひりひりと痛む腹を押さえながら情けない声を出す。


 翌朝、いつものように寝癖でぼさぼさの頭を掻きながら寝室から出る勇者はくぁっと欠伸をする。


 「シンシアー朝メシは……っていないのか?」


 食卓に向かうと朝餉が出ていないところを見るとまだ準備していないようだ。


 「シンシアー? どこ行ったー?」


 返事はない。たぶん所用で村のほうかお隣さんのところにでも行っているのだろう。

 こういう時はたいてい時間がかかるものだ。


 まったく、女ってやつは……。


 がりがりと頭を掻く。と、寝室の隣の扉まで来ていたことに気付く。

 この部屋は勇者が冒険の間に手に入れた道具や武器武具の類いや思い入れのある品が収められている部屋だ。

 シンシアから言わせればただのガラクタやゴミにしか見えないというが、勇者にとっては大切な冒険の思い出の品々なのだ。

 時々、この部屋に入っては一人きりで静かに冒険の思い出に記憶を馳せるのだ。

 ほとんどがシンシアの小言から逃れるための現実逃避に使っているのだが。

 シンシアが帰ってくるまでまだ時間はあるだろうし、他にすることもないのでどうせなら暇を潰そうと扉のノブに手をかけ、いざ勇者いわく宝物庫へと足を踏み入れる。

 だが、そこには数々の道具や武器武具の類いはなく、ただ選ばれし者にしか装備できない白銀に輝く甲冑一式と聖剣を除いてなにもかもがらんとして無くなっていた。


 「え……?」


 と、そこへ所用から帰ってきたシンシアのただいまーと帰宅を告げる声が玄関から響く。

 宝物庫からよろよろと出た勇者は妻であるシンシアに問い詰める。


 「シ、シンシア……ここにあった武器や道具とかは……?」


 ぷるぷると震える指で宝物庫を指す。


 「ああ、それならついさっき廃品買取りの人に買い取ってもらったわよ」と悪びれずに言う。


 衝撃の事実に勇者は驚きを隠せない。


 「なっ!」


 なにするだァーーッ!?


 許さん! と言わんばかりに拳をわなわなと振るわせながら咎める。


 「な、なによ! いつもゴロゴロしててガラクタと遊んでばっかで……少しは私の身にもなってよね! 家計の足しにするんだから別に良いでしょ!」

 「だからと言って勝手に売ることはないだろ!」

 「あんたのその、聖なる鎧とか聖剣はもしものために取っておいたんだから別に良いじゃない! 他のは街に行っても買えるようなものばっかでしょ!?」

 「なかなか手に入らないレアなものまであったんだぞ! それを……!」


 互いに一歩も譲らない思いでそれぞれの言い分で喧嘩が続く。


「もういいわよ! 勝手にすればいいじゃない! もう知らない!」


 ぷいっと束ねた亜麻色の髪を靡かせながらそっぽを向くとすたすたと玄関のほうへと向かう。


 「ちょっ、どこ行くんだよ? まだ話は終わってないんだぞ!」


 シンシアがくるりと首を勇者のほうへ向ける。


 「実家に帰らせていただきます!」と荒々しく扉をばんっと閉める。

 シンシアが去ると再び静寂が戻る。そのなかで勇者が勝手にしろと毒づく。


 一方、シンシアは手ぶらで実家へと歩いていた。

 と言っても勇者とシンシアの家から実家までは歩いて5分ほどなのだが。

 ほどなくして実家が見えてきた。

 シンシアが扉をノックしてただいまと声をかける。

 居間から母親が顔を覗かせてきた。


 「あらま! いったいどうしたのよ? 勇者さまは?」


 朝食の仕度を終えたところらしく前掛けで手を拭う。


 「別に、どうもしないわよ。あんなバカ勇者」


 ぷんすかと顔をしかめながら食卓につく。


 「おやまぁこの娘ったら、世界を救った英雄さまにそんな言葉を……」とシンシアのために紅茶を注ぐ。


 「平和になった今ではただのぐうたらな亭主よ」


 はぁあ~っと溜息をつくと卓に突っ伏す。


 こんなことなら結婚するんじゃなかった……。

 なんでよりによってあいつが世界を救う勇者になれたのよ。しかもホントに世界救っちゃってるし。

 もっとしっかりした人が勇者になるべきなのよ……と不平不満をこぼす。


 やれやれと母親が首を振る。

 こういうことは別にこれが初めてではない。喧嘩するといつも家に来るのだ。

 そして最後は勇者が謝りながら家に迎えに来ることもよく知っている。


 「まぁお茶でも飲んでいきなさい。冷めるわよ」


 また一方、勇者のほうはと言えば残り物で腹ごしらえを終えたところだ。

 物足りないが、いつも食事を作ってくれるシンシアが家出してしまったのだから仕方ない。

 居間で書物を読みながらごろ寝をするが、どうにも落ち着かない。

 いつもならシンシアの小言が入るのだが、それすらもない。

 結婚してから喧嘩は何度もあった。シンシアが家出することも初めてではない。

 だのに、この空虚感には未だに慣れない。いや慣れてはいけないのかもしれないが。

 いつもなら数時間すればほとぼりが冷めて勇者のほうからシンシアを迎えに行くのだが、今回は大事な思い出の品々を勝手に売られたのだ。

 すぐに迎えに行ってやるものか。シンシアが謝ってくれるまでずっとここにいるつもりだと腹を決める。

 とはいえ、食事はどうにかせねばならない。冒険の間は宿屋や酒場で摂っていたし、野宿の際にはタオやセシルが調理担当だった。


 そういやタオの作ったメシ、美味かったな……特にあのピーマンと豚肉ときのこの炒めものの。


 タオの生まれである異国の料理に思いを馳せるとまた腹の虫がぐうっと鳴る。

 やれやれと頭を掻く。

 村にも酒場や食堂の類いはあるが、今はそんな気分ではない。

 決して大きくはない村だ。シンシアと鉢合わせにならないとも限らない。


 しかたない。街のほうに行くか。


 そう決心すると文字通り重い腰をよいしょと上げる。



 三日月が夜空に輝く街の下で勇者は食堂で腹ごしらえを済ませて突き出た腹を撫でながらてくてくと歩く。

 英雄である勇者はいつどこに行っても英雄割引の恩恵を受けられるのでたらふく食べられるのだ。

 むろんそんな浪費はシンシアが許してはくれないだろうが。

 腰に下がった小銭入れの袋をちらりと見る。

金貨が1枚、銀貨が2枚、小銭がいくつか。

 これならあと三日は持つだろうが、それで充分とは言えない。

 なにしろ今回はシンシアの世話にはなるまいと決めたのだ。と、酒場が目の前に入る。

 酒は食堂で麦酒を飲んだきりだ。

 ごくりと喉を鳴らす。


 ま、いっか。今夜はあいつもいないことだし………。


 舞台上で踊る踊り子たちを眺めながら酔客たちが喚声を上げる。


 いいぞー!もっとやれー!


 ミリーちゃーん!こっち向いてー!


 もっと足あげろー!


 後ろで英雄である勇者が通りかかっても気付かないほど熱を上げている。

 勇者はそんな連中を無視してカウンターに腰掛ける。

 すぐに容姿の良い、すらっとした女店主が現れる。

年は20代そこそこだろうが、噂によれば30代とも40代とも言われている。

 だが、その美貌は年を感じさせない、大人の気品や魅力に溢れている。

 この酒場に来る目的の大半が彼女目当てなのもおおいに頷ける。


 「いらっしゃい。あら、勇者様じゃない?」


 久しぶりねと豊満な胸をこれ見よがしにとカウンター上で組んだ腕に乗せる。


 「お、おう。ちょっといろいろあってな……」


 胸の谷間を凝視しながらどぎまぎする。


 「その顔、女難の相が出てるわね。私で良ければ話聞くわよ?」


 女店主、リーナは後ろの棚から酒瓶を取り出すと杯に注いでカウンターに置く。

 勇者は出された蒸留酒をぐいっと一気に呷る。そして酒精をかぁっと吐き出す。


 「聞いてくれよ。実はさ……」



 「うんうん。それは災難だったわね」

 「だろ? 苦労して集めた大事な道具アイテムなのにさぁ」


 勇者の顔はすでに真っ赤だ。


 「確かに災難ね。でもこうは考えられないかしら? あなたの苦労して集めた道具も大事だけど、そんな大事な物を売ってまで一緒に暮らしたい誰かさんはシンシアちゃんにとっても大切な存在じゃないかしら?」

 「……っ!」


 リーナが動揺する勇者を見てふふふと笑う。


 「女の子はね、素直に言えない時もあるのよ。特に好きな人の前ではね」


 うっ、と勇者が声を詰まらせる。


 「でも喧嘩したし、ひどいことも言ったし……」

 「なら贈り物をあげたら? そういうの結構喜ばれるわよ?」

 「や、でもそんな簡単にいくわけが」


 リーナがちっちっと指を振る。


 「女の子はね、いつだって王子様を待つ生き物なのよ」

 「………」

 「今日はもうここまでにしたほうがいいわよ。特別に今夜はあたしの奢りということにするから」とウインクする。

 「ありがとう、リーナさん……」と照れくさそうに礼を言う。

 がりがりと頭を掻く。やがて勇者は決意したようによし! と自らに活を入れるかのごとく気合いを入れると酒場をあとにする。

 その背中にリーナが頑張ってね! と声をかける。

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