《序章 時の流れはときとして残酷なもの》


 木々の葉が幾度も色を変えては枯れ、新しく生えてきてはまた枯れてを繰り返し、雪が降っては溶け、春の暖かさが訪れたかと思えばかんかんと夏の太陽が照らし、枯れ葉がひらひらと舞う秋の四季が幾度も繰り返され、勇者が魔王を討伐して故郷に帰り着いてから数年後……。

 勇者が帰還せし村はいつものように平和を謳歌していた。畑を耕し、家畜を放し、それぞれ日頃の生活を営む。

 村の広場には勇者の功績を称えて銅像が建てられている。その周りを子供たちが駆け回り、犬がわんわんと吠える。

 この平和な村にさて、我らが勇者はいずこか?

 村から少し離れた白い漆喰の一軒家の居間の床をシンシアがほうきで掃く。と、途端にそばの扉が開く。

 そこから出てきたのは勇者だ。だが、鍛え抜かれた鋼の如き肉体はもはや締まりが失われ、腹が突き出ている。

 寝癖でぼさぼさの頭を掻きながら出て来るその様は洞穴から這い出る熊そのものだ。

 魔王を倒し、世界に平和が戻るということは勇者としての役目は終え、普通の人に戻るということだ。

 その様からはかつての英雄の姿は微塵も感じられない。勇者はくぁっと欠伸をしてから幼なじみの妻に挨拶する。


 「おはようシンシア」

 「……おはよう。朝ごはん食べたら庭の草むしりしてくれる? 雑草が多いから」


 むすっとした顔でほうきを掃きながら言う。

 それに対して勇者は面倒くさそうに口を尖らせる。


 「草むしりなんか、こないだやったばっかじゃん。雑草なんか伸びるに任せときゃいいんだから」


 シンシアがほうきでとんと床を突く。


 「はぁ……パンツ脱いでくれる?」

 「? なんで?」と自らのステテコパンツを見る。


 「決まってるじゃない。悪い種を刈り取るのよ」


 いつの間に用意したのかシンシアが枝切りばさみをばちんばちんと鳴らす。


 「勇者の子種を残すという選択肢はないんかい!?」


 ふたりの愛の巣の庭にて勇者はぶつぶつと愚痴をこぼしながら雑草を刈り取る。

 傍から見ればまさかこの中年太りした男がかつて魔王を倒し、世界に平和を取り戻した勇者だとは信じられないだろう。

 数年前に式を挙げ、仲睦まじい若夫婦はいまや倦怠期に入っていた。

 幼なじみであり、妻でもあるシンシアからはいつしか『あなた』から『あんた』と呼ばれるようになり、今こうして数多の魔物を倒してきたこの手で雑草を刈り取るという役目を仰せつかっているわけだ。


 「はぁー……キツいなこりゃ……」


 やおら半身を起こすと、とんとんと腰を叩く。そして作業に取りかかろうとした途端、シンシアが息を弾ませながら勇者の下へと向かってくる。


 「ねぇ! 手紙が来たの! みんなから!」と封筒を振りながら言う。


 「おお、もうそんな時期か」


 「みんな」とはかつて勇者と共に戦った仲間たちのことだ。

 魔王を倒し、平和が訪れ、別れを告げた今でもたまに手紙のやり取りをするのだ。

 そして、勇者の言う「時期」とは魔王を討伐した日を記念してみなで酒の席を囲って近況報告も兼ねて平和な時を祝おうというものだ。

 果たして手紙の中身は祝いの席の招待であった。


 「えーと、毎回行っているお祝いですが、今回は男女別に分かれてやろうと思います。ですって」

 「なんだそりゃ? いつもはみんなで祝ってるだろ?」

 「なんでも男女別にしてそれぞれ積もる話をしようとか。

 お互いに異性がいると話せない話題もあることだし、それに私も招待されてるのよ。これなら互いに3人ぴったりでちょうどいいわよ」


 ひらひらと便箋を振りながらシンシアが言う。


 「なるほど。巷で流行っている女子会ってやつだな。んじゃそうと決まったらぱっぱと片付けるか!」


 街へは村から歩いて30分ほどでたどり着く。街に辿り着いた勇者たちはそれぞれ指定された店へと入っていく。

 勇者は冒険者や旅人たちの憩いの場にもなっている酒場へ。

 シンシアは女性らしくお洒落な料理店へと入っていった。


 酒場の喧騒たる酔客や小人族、戦士や魔法使いなどの間をすり抜けながらかつての仲間たちの下へと向かう。


 「いよーぅ! こっちだこっち!」と声を張り上げるのはドワーフのアントン。


 「相変わらずだらしのない体だな」と武闘家のタオ。

 「ほっとけ」とタオのちょっかいをいなしながら席に座る勇者。

 すでに食卓には麦酒と数々の料理が並んでいた。


 山角牛の骨付き肉、茹でた野菜とごろごろ芋のサラダ、ニジカマスの塩焼き、黒毛豚の腸詰め、あぶりチーズなどなど……。


 もっとも毎回注文するものは同じなのだが。

食事に手を付ける前にまずは恒例の乾杯の音頭を取る。


 「平和と最高の仲間パーティたちに!」と杯をがちんと合わせる。

 すると周りからも乾杯の音頭があがる。



 一方、シンシア含む女性たち、もとい女子会の方ではシンシアが顔立ちの整った給仕に席へ案内されているところだった。


 「あ、シンシアちゃんや! こっちこっち!

待っとったで!」


 ぶんぶんと手を振るのは魔女あらため大魔導師となったライラ。

 その隣で「お久しぶりです。シンシアさん」とぺこりと頭を下げるのは大神官となったセシル。

 シンシアが席に着くと案内した給仕が失礼しますと断ってから料理の説明を始める。


 「当店ではコースとなっておりまして、本日のお料理は、温野菜のサラダ、バルケア海から採れた新鮮なバルケアサーモンのムニエル、イラリア地方産牛肉のサーロインステーキ、お口直しとして修道院の神の加護を受けたチーズを召し上がっていただきましたあとは朝日鶏の卵でつくられたブリュレを召し上がっていただきます」とすらすらとよどみなく説明する。

 このような店に入る機会が少ないシンシアには聞いたこともない料理ばかりだ。

 それを察したセシルがにこりと微笑むと大丈夫ですよ。ここの料理は美味しいものばかりですからと安心させる。


 「ほな、まずは乾杯やね。恒例の音頭ちゅーか口上があるんやけど今回は女子会やし、たまには違う口上でええんやない?」

 「それでは平和と素敵なレディーにというのはどうでしょう?」とセシルが提案する。


 「お、ええなそれ! ほんじゃ……」


 「平和と素敵なレディーに!」と葡萄酒の入ったグラスをかちんと合わせる。




「でよぉ、おらぁの放った斧の一振りでな」

「馬鹿言え。あれは俺の正拳突きが致命的一撃クリティカルヒット だったんだ」


 アントンとタオの語るかつての死闘の回想話だが、酒が入るとふたりはいつもこうだ。


 「ねーちゃん! 火酒だ! うんと強いやつな!」とアントンが顔を赤くしながら注文する。


 「そいや、カミさんとはうまくいってんのか?」と、据わった目のタオが麦酒の入った杯を持ちながら言う。

 「まあ、ぼちぼちってとこかな?」と頭を掻きながら勇者が答える。


 「ライラみたいな口調で言いやがって……あんなかわいい子なかなかいないから大事にしないとだな……」とタオがぶつぶつとこぼす。


 「そういうおめぇこそライラちゃんとめでたく結婚したんだろーが」


 アントンが運ばれてきた火酒をぐいっと呷る。


 「まぁな……でもよ、今回は男しかいないから言えるんだが、俺がライラと結婚したのは男としてけじめというか、責任を取らなきゃいけないって思ってだな……」

 「?」


 勇者とアントンのふたりがきょとんとする。


 「魔王を倒して近くの城で宴のあと、俺たち一人ずつにあてがわれた寝室で寝たろ?

 真夜中にあいつライラが部屋に入ってきてな……もちろん俺は何をやってんだ! って怒鳴ったよ。けどよ……。あいつ俺に覆い被さってきてよ。

 長い間冒険してきたから欲求不満が溜まってたもんだから、つい俺も……で、そのまま一夜を共にしたんだ……」


 言い終えたタオの顔がかあっと朱くなる。


 「なんと……」

 「そうか、だからふたりともよそよそしかったのか」と勇者が納得する。


 「そうか、あのライラちゃんがなぁ……」と髭をしごくドワーフ。

 「というかアンさんも早いとこ嫁さんもらったほうがいいと思うぜ」とタオ。

 うんうんと勇者も首肯する。


 「あんれ? まだ話しとらんかったかの? こないだ結婚したと」

 「そうかそうか……って結婚したのかよ!?」と勇者とタオ。


 「俺ぁにゃもったいないほどの娘っこでの」そう言うと自慢の顎髭をしごく。


 「おい、聞いたか?アンさんが結婚って……」

 「ああ、確かにこの耳で聞いた」


 この時、ふたりのイメージするアントンの嫁は背が低く、短足で髪を三つ編みにしたドワーフの中年女性の姿で一致した。

 ふたり同時にくるりと首をアントンのほうへと向ける。


 「まぁ何はともあれ、結婚おめでとうだな!ドワーフの嫁さんもらって」

 「おめでとうアントン。末永く幸せに!」


 三人で杯をがちんと合わせる。


 「ありがとよ。うんにゃ嫁さんはドワーフでのぅてエルフなんだがね」

 「ぶっっ」


 勇者とタオが同時に麦酒を吹き出す。


 「え、エルフってあのエルフか!? 森の守り人とかハイ•エルフとかいう……」


 ごほごほと咳をしながらアントンを指さしてタオが言う。


 「んだ。そのエルフだ」


 からからと笑うアントンを勇者とタオは恨めしそうに見る。


 「なぁタオ……」

 「ああ……」


 勇者とタオは互いの腕を組んで手にした杯をふたり同時に飲み干す。


 「今夜はヤケ酒じゃぁああッ!!」とふたりの怒号が酒場に響く。

 当然だ。なにしろエルフと言えば金髪碧眼で細長い耳をした、この世のものとは思えぬ美貌を誇る種族だ。

 そんなエルフを嫁にするなど夢のまた夢に等しい。おまけにドワーフとエルフは犬猿の仲なのがこの世界では常識だ。

 そんなふたりがいかにして結ばれたのかはまた別の話に。




 「はぁーっ。甘露、甘美。めっちゃ美味かったわ」ライラがデザートのブリュレを頬張りながら言う。

 そして葡萄酒を喉に流し込むとふぅーっと一息つく。


 「あたし、こんなお料理初めて食べました!」とシンシアが嬉々として言う。


 「うふふ。気に入って頂けたようで何よりです」


 酔いが少し回ったのか頬に朱が指したセシルがグラスを両手で支えながら葡萄酒を口に持って行く。


 「で、今回は女子会やから女子しかおれへんし、ウチな、ここでしか話せない話あるんやけど聞いとってくれる?」


 ライラがグラスに葡萄酒を注ぎながらシンシアを見て言う。


 「は、はい」


 ライラから改まった口調で言われ、シンシアは思わず身を固くする。


 「よっしゃ。っと、もう葡萄酒が空やん。

 給仕はん、葡萄酒おかわりな! セシルちゃんももう一杯飲むやろ?」


 葡萄酒をひと息に飲んでふーっと息を吐く。


 「ここだけの話、ウチな、あんたのだんなのこと、好きやったんよ……」


 そう告白したライラの頬にはぽっと朱が差している。


 「え……? いやでもタオさんと結婚したんでは……?」と突然の告白に驚きを隠せないシンシア。

 と、そこへ給仕が葡萄酒のおかわりを持ってきたのでライラがセシルのグラスに酒を注ぐと自分のグラスにも注ぐ。


 「いやウチな、魔王のアホをいてこまして近くの城でみんなで宴でどんちゃんやったあと、あいつ勇者の部屋に行こうとしたんよ。

 酒めっちゃかっくらってたから、よぅ覚えとらんのやけど、なんちゅーか体が燃えてて……」


 かあっとライラの顔が赤くなる。シンシアは話が追いつかないのか呆然とした顔だ。

 大神官のセシルはと言えばうふふと笑いながらグラスを傾けるだけだ。


 「で、だんなの寝込み襲おうとしたら、それがタオのアホやったんよ……このまま引き下がるのもアレやし、酔い回ってたからもうこいつでええかと思ってな……」


 ライラが話したことを後悔するように両手で顔を隠す。


 「え、で、でもおふたりは結婚したんでしょう?」

 「それがな、あのアホ、責任は俺が取るからって息巻いててなし崩し的にとんとんと進んで結婚式挙げたんよ」


 話し終えるとああ~っと髪をくしゃくしゃにする。


 「でも、なんか話しててスッキリしたわ。聞いとってくれてほんまにおおきにな……ってこんな話、神官であるセシルちゃんの前で話すことやあらへんな」と笑う。

 「あ、いえお気になさらずに……」とシンシアがわたわたと両手を前で振る。

 その時だ。セシルの持っていたグラスが倒れて中身が食卓にぶちまけられたのは。


 「あーあーせっかくの葡萄酒が。もったいな!」

 「セシルさん大丈夫ですか?」とシンシアがナプキンでワインの染みを拭こうとした時だ。


 ひっく……。


 ライラとシンシアが同時にぴたりと動きを止める。

 そしておそるおそるセシルのほうを見る。

 これまでにないほど顔を真っ赤にし、目をとろんとさせたセシルがそこにいた。

 神官に相応しい、清廉潔白で淑やかな佇まいはいずこへと消え失せていた。


 「なすてなんで……?」


 しゃっくりをあげながらライラの話す方言とはまた違う言葉で話す。

 以前に彼女は北部の出身だと聞いたがおそらくはそこでの方言なのだろう。


 「なすて、わぁには恋人出来ねの?」そのまま涙目になる。


 「セ、セシルちゃん?飲み過ぎたんやないの?」

 「だ、大丈夫ですか?」

 「みんな結婚すてで、わぁだげ独身で、すげねさびしいじゃあ……」


 しまいにはびぃびぃと泣きはじめる。


 「セシルちゃん一旦落ち着こうか? 周りのお客さんもこっち見とるし……」


 ライラはなだめながらも疑問に思う。


 おかしい……たしかにセシルちゃんは酒強ぅほうではないんやけど、ここまででは……。


 ふと食卓のシーツについた染みの匂いを嗅いでみる。

 「あかん! これ葡萄酒は葡萄酒でも葡萄地酒ブランデーや! 誰や! 間違えて持ってきたんは!?」


 その間もセシルは強い訛りでびぃびぃと愚痴をこぼす。シンシアがいくら宥めてもなしのつぶてだ。


 「せ、セシルさん、落ち着いてください。結婚したからといって良いことばかりとは限りませんよ?」

 「そ、そうや。むしろ大変なことのほうが多いんやで?」


 途端、セシルが泣き止んだかと思うとぶるっと身を震わせる。

 そして食卓から空になったグラスを掴むとおもむろに僧衣の裾をたくし上げようとする。

 その意味を察した二人は慌てて止める。


 「ちょっ! セシルちゃん!? 気は確かなん!?」

 「そうですよ! いくらなんでもここでは……っ!」


 慌てふためくふたりにセシルは制止するようにすっと腕を伸ばす。そしてさっきとは打って変わって信者に説くような、凜とした声で話す。


 「ご心配には及びません。仮にも私は神に仕える身、いわば聖職者です。

 ですから私の身体から出るものはすべからく清らかなで聖なるものなのです。

 そう、これは決して汚らわしいものなどではなく、むしろ聖す……」


 言い終わらないうちにセシルががっくりとライラの肩にもたれる。

 ライラがとっさに睡眠の魔法をかけたのだ。


 「シンシアちゃんごめんな? つい忘れてもうたけどこの子、酔っぱらうとちょっと淫乱になるんよ……これがなければとっくに大司教アークビショップ になれてたんやけどね……」

 「は、はぁ」


 ちょっとどころではないような……と思ったが、考えるのをやめた。

 と、そこへ給仕がおずおずと三人の前に出て来る。


 「お客様方、当店の不手際で別の酒をお出ししてしまい、大変申し訳ありませんでした!

お詫びとして飲食代は不要と支配人から言づかっております」と深く頭を下げる。


 思いがけない僥倖にふたりはぱっと顔を輝かせる。


 「ただ、誠に申し上げにくいのですが、出来れば神官様の……その、聖水の加護を頂けないかとおっしゃっています」


 もちろんさっさと退散したのは言うまでもない。


 「はぁ~っ……えらい目にあったわ。ウチらが英雄でなかったら出禁喰らっとるで。ほんまに」

 「あはは……」


 ライラとシンシアが睡眠の魔法にかかったセシルを挟むように抱えながら店を後にする。


 「でもたまにはこういうのも悪くはあらへんな。今度は個人的にってのはどうやろ? あ、もちろんセシルちゃんにはあまり酒は飲ませないようにするさかい」


 ぜひ! とシンシアが賛成する。

 ふふふと笑いながら歩くと、前方からアントンがぬっと現れたので足を止める。


 「おーぅ。ライラちゃんとシンシアちゃん、それとセシルちゃんでねぇの。まーた酔い潰れたんかい」


 ずるずるとこれまた酔い潰れた勇者とタオを引きずりながら、からからと笑う。

 潰れた亭主を見ながらライラとシンシアが同時にはぁーっと溜息をつく。

 ライラが夫であるタオの頭を杖でごつんと叩く。


 「ってぇ!」

 「ほなもう宿屋に帰るで。アントンはん、悪いんけどセシルちゃん頼める?」


 「お安い御用よ」とアントンがセシルを背中におぶう。

 その傍らで勇者が頭をぽりぽりと掻きながらむっくりと半身を起こす。


 「んぁ? もう宴は終わったのか?」寝ぼけまなこで間の抜けた声を出す。


 「まったく……このバカは……ほらもう帰るわよ」


 額に手を当てながら勇者の襟首を掴む。掴まれた勇者がぐえっと情けない声をあげる。

 シンシアがくるりと踵を勇者の仲間たちのほうへと返す。


 「みなさん、本日はお招きいただきありがとうございました。不甲斐ない主人ですが、これからもよろしくお願いします」とぺこりと頭を下げる。


 「ええってことよ。またご飯食べに行こな!」とにかっと笑うライラ。

 「次の飲み比べは負けんぞ」と両腕を組むタオ。

 「シンシアちゃんも大変だのぅ。手間のかかる旦那で」とからからと笑うアントン。

 「ふにゃあ……シンシアさん……また、お会い、しましょ……ぅ」とアントンの背中でひらひらと手を振る寝ぼけまなこのセシル。


 「おぅ! みんな、また来年な!」と勇者が拳を突き出す。

 みなと再会を誓い合った後、村に着いたときにはとっぷりと暗くなっており、明かりといえば満月から差す月光、村の家の窓から漏れる蝋燭かランプの灯りと入り口の左右にある松明のみで、松明を目印にふたりはてくてくと並んで歩きだす。


 「はー飲んだ喰った。どうだった? シンシア。女子会とやらは?」

 「良かったわよ! 街にあんな美味しい料理があるなんて知らなかったし、また行ってみたいな」

 「ん、そかそか」


 ただ……話した内容は教えないほうがいいな(いいわよね)……。


 珍しくふたりの考えることが一致した。そのため、ふたりは気まずそうにする。

 シンシアがちらりと勇者のほうを見る。

 この人はあんな素敵な仲間たちと一緒に戦って、帰ってきてくれたんだ……この村へ、あたしのところへ。今夜は素敵な夜だったな……。

 遥か頭上の満月を見上げる。


 そういえば初夜の時もこんな満月だったっけ……。


 そう思うとシンシアは顔を少し赤らめる。

 ふと、勇者がシンシアが顔を赤くしていることに気付く。


 「どうした? 顔、赤いぞ」

 「別に、何でもないわよ……」


 勇者に指摘されてますます赤くなる。


 「そうか?」

 「そうよ」


 ふたたび歩き出す。ふと勇者の酔いの回った頭にタオの言葉がよぎる。


 あんなかわいい子、なかなかいないから大事にしないとだな……。


 ぽりぽりと頭を掻く勇者。


 ったく、なんだってこんな時にあいつの言葉を思い出すんだか……。


 ちらりとシンシアのほうを見るとまだ顔を赤くしている。

 なぜ顔を赤くしているのかはわからないが、きっと酒が回ってきたのだろう。

 そう思い込んだ勇者は手をシンシアのほうへ差し出す。


 「ん、」

 「? なによ?」

 「酔ってるみたいだし、危ないから手を握ったほうがいいかと思ってな」


 ほら、とさらに手を出す。


 「別にそこまで酔ってるわけじゃないけど……」


 そう言いながらも勇者の手を握る。手を握りながらまた歩き出す。


 思えば手を握って歩くの何年ぶりだろう?


 シンシアが勇者のかつては力強かった手が今は丸っこい手、かつては逞しかったが今では肉の付いた二の腕、そして丸くなった横顔を見る。

 平和が戻って、魔物があまり出なくなった今、太っててもだらしなくても、やっぱりこの人はわたしの大切なひとだ……。


 シンシアはきゅっと奥歯を噛む。


 「ねぇ……良かったらこれから……」


 途端、勇者がぴたりと足を止める。そしてそのまま動かない。


 「な、なに? どうしたの?」

 「やべ……馬の糞踏んだ……」


 見ると勇者のブーツにべっとりと糞が付いている。しかも産まれたてのほやほやだ。

 そんな自分の旦那をシンシアは冷めた目で見る。


 「サイテー……」

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