第二幕 22話 Pray



 変容したアイスランドの大地に、一つの鉄塊が浮遊していた。

 全長十五メートルの箱を備えた飛行物はComの保有する対MO用の輸送機である。

 しかし、今そこに搭乗しているのは怪物ではなく、人。それも全員が神秘を回収ではなく、“破壊”に特化した人間たちである。

 それはComにおいて、神秘の破壊は例外措置、氷結城と内部の存在は最早Comにとって“害”以外の何者でもなかった。


 故に破壊する。今や大いなる秩序を保有するのはComという強大な神秘を管理する組織があってのもの。Comに仇なす存在は世界の敵である。


 神秘を狩る素質を生まれ持って持つ者達のみで構成された特殊部隊。

 保有する技術と人材、ただ在るならば害はなく、持つ者が現れるのであれば災いと化す。その全てを世界から消失させる者達。



 ──Comの例外措置であるところの彼らを〈厄狩り〉と呼ぶ。

 


 ローターが風を裂く音の中、輸送機の中では、ローブで全身を覆い表情すら隠匿している異様な集団が総勢七名、静かに座していた。


 操縦士は到着までの僅かな時間、この異様な集団を敵地まで送り届けるという任に不安を抱いていたが結局、ここまでで抱えた不安要素は、彼らがその場にいるだけで発している不気味さ以外には何もなかった。

 だが、ここに来ての悪天候に操縦士の彼は、異様な集団に向け問いかけねばならなかった。


「吹雪が強過ぎてこれ以上の接近は難しいと思われます。如何しますか?」


「距離は?」

 

 厄狩りの一人、白いローブの男が嗄れた声で静かに問う。操縦士は目算で氷結城までの距離を測り返答した。


「およそ千七百メートル、行軍するにしても吹雪が酷く推奨できません。プロトコルに従うならば、現状は待機になります」


 操縦士もこの吹雪ではこれ以上の進軍は有り得ないだろうと考えている。着陸する場所もなければ、接近も不可能な状況、いくら厄狩りと言えど、所詮はどこまでいっても人であると。


 しかし、その考えはその厄狩り達によって否定された。


「通常のプロトコルに従う必要は無い。覚えておくといい、我々は“例外”だ。神秘を屠るという命令以外は存在しない。つまりは“待機”という命令もこの場においては有り得ないということだ、分かるかね?」


 嗄れた声の男が操縦士の側で静かにそう告げて、続け様に「ハッチを開け」と命令する。


「ですが……!」


 それに対し狼狽える操縦士が厄狩りの声に従うのを渋っていると、別の一人の厄狩りが立ち上がり手を翳す。


 その、僅かな動作の直後、操縦士に異変が訪れた。


「あが、が……?」


 操縦士の身体は制御を失い首があらぬ方向へひしゃげ、目玉からは血が流れ、絶叫が響く、だというのに腕だけは操縦桿を握ったまま正しく飛行している。


 だが厄狩り達はみな、その異様な光景に何も言及するのはことはない。


「……これもまた、例外措置である」


 嗄れた男の呟きののち、男は厄狩り達の先頭に立ち、開かれたハッチから外へと足を踏み出す。


 何も無い中空をまるで、街道を歩くかの様に歩みを進め、後方の厄狩りもそれに続く。


 神秘を狩る者達が吹雪く空を歩き始めている事を、氷結城の内にいる者達は未だ誰も知りはしない。



 ◇



 ──私は、生きているのか?


 気付いた時、真っ先に考えたのはそれだった。痛みやほかの事など考えつかず、それは自分の打った無茶の代償は死以外では有り得ないと思っていたからである。


「私は、どうして無事なんだ。それにここは──?」


 見渡せば、そこはもう砂漠じゃなく一層のエントランスの様な無機質な氷の空間になっていて、異常な暑さも“神”の姿も存在していなかった。


「私は勝ったのか……? だが、どうやって」


 技を放った直後の記憶が存在しない……恐らくは負荷に耐え切れず失神したのだろうが、俺はこうして生きている。それは神に打ち勝った証左と言えるだろう。


「駄目だ、思い出せん」


 そうして一先ずは頭にかかる靄を振り払って、再度周囲を確認する。

 するとやはり、先へ進む道はあった。

 一層のモノと同様の暗闇がそこに。


「この道の先に神が何体もいない事を祈る」


 装備は……すべからく破損していた。この先に待ち受けている者がなんであれ、対抗するのは厳しくなる事が安易に想像出来る。


 だが、脳裏に浮かぶのは彼女の笑顔。

 私がこの身を捧げてでも守りたいと思うことの出来る女性の姿。


 この先に彼女がいるならば、私は進まねばならない。


「そうだな、神ごとき──幾らでも超えてみせよう。 そして、私が、私の手で彼女を救い出す──ユエシィ博士、今迎えに上がります……!」


 心を決して暗闇に閉ざされた階段へ足を踏み入れる。ぬるま湯に包まれるような感触を足に感じ、次第にそれが全身にまで広がる。完全に闇の中に浸かる──次に視界が開けた時、やはりそこはまた違う空間へと接続していた。


「機械化された空間か、それにこの気配は……」


「よお」


 気の抜けた声が前方から飛来し、声の元のいる廊下の先の闇に目をこらす。


「エス、か?」


 エスの顔にはいつもの白霧が無かった。その顔は想像していたよりも精悍で、薄く灰色がかった黒い髪は前髪が眉のあたりくらいの長さで、後ろ髪は長く伸びているのを一つに纏めて垂らしている。年齢は二十代後半といったところだろうか。

 いやそんな事よりも気になるのは、エスから感じる『力』の気配……それは先程私が戦った神すらも優に超えている。

 ──この短期間でこうも変わるものなのか?


「随分様変わりしたようだが、ここで一体何があった。それにお前、ナニを宿している?」


「今はそんなことお前に説明してる暇はねェ」


「成る程、貴様らしいな。なら話を変えよう、俺は『神』と戦った。それも時間を操る神だ。

 ……恐らくこの氷結城は神の能力で時の狭間に潜み、計画を練っていた。それがどれだけ途方も無い計画なのかは知らんが、時間操作を要する程だ。実行されればどうあっても世界は滅ぶだろう、今のところ何も分かってはいないがな」


「……やっぱ奴しかいねェな」


 エスは神妙な顔で呟き、上階を見上げた。


「奴? 何か知ってるのか?」


「ああ、心当たりがある。敵の親玉の名は『エルゴスム・ヌミノース』元魔術師にして、かつてComに所属していたハズだ」


「エルゴスム……待て、ハズ・・とはどういう事だ? 確かじゃないのか?」


「一年前、俺はユエシィの記憶を奪った連中を追ってゲヒルンの本拠地に乗り込んだ。そこで見つけた資料は大半がユエシィに関するモノだった。……ただ連中は『贋作』にしか辿り着けなかったみたいだがな、今ようやく合点がいった。エルゴスムとゲヒルンは違う者同士が『ユエシィ』を求めていたってこった。

 あのどチビに何を大層なモノ求めてんのか知らねェが、エルゴスムの本気度を見る限りアイツは本物なんだろうがな」


「贋作、だと。待て。まるで理解が追いつかん」


「理解する必要なんざェ。どうせロクでもない事に変わりはないんだからな。行って、ただぶちのめすだけだ」


 そう述べたエスの瞳には強い怒りの色が現れ、握った拳を震わせて上だけを見つめている。エスには分かるのだろう、より高次の察知能力で、空間湾曲に惑わされない感覚で、上で待つ存在の場所が。


 ──決戦の時は近い。

 だが、今の私がエスの足を引かずいれる訳がない。武具は壊れ、この身もまた能力によるダメージが酷く戦えたモノじゃない。死を恐れてはいない。私は、私だけが僅かな可能性であることを恐れていた。エスが死に、ガンも死に、立ち向かう者が何もいなくなる最悪を恐れていた。しかし、エスが生きているならば……今私に出来ることがあるのか? 

 この場において最も無力な存在は私だと悟った。そんなのはとても認め難かった。


「アイネン、余計な口出しかも知れねぇが……お前も来てくれ。上で待ってる連中には俺一人じゃ勝てねぇんだ。お前の力が必要だ」


「──悪いが、ガントレットもコレだ。戦う術が私には無い。無力なんだ」


「いいやお前には力がある。俺には分かる……形になりかけてる力が。それを今、引き出して見せろ。出来るハズだ」


「何を馬鹿な……幻想兵装をこの場で生み出せと言うのか?」


「出来る出来ないじゃねぇ。今はやんなきゃならねぇ時だろうが」


 その眼は真剣だった。あのふざけた態度のエスとは思えない真っ直ぐな瞳が私に突き刺さる。だが無理なものは無理だ、そもそも方法が分からないのだから。


 諦めかけたその時、鈍い衝撃が頬を弾いた。それがエスの拳だと気付くのに数秒掛かった。


「てめぇは死ぬ覚悟でここまで来たんだろ。その格好見りゃ分かる、てめぇ本当は道中で自分が死んじまっても構わないと考えただろ。だったら今も死ぬ気で俺に応えてみせろ!!」


 エスの怒声が廊下に響き渡った。言い分は滅茶苦茶でその要求も酷いものだ。だが言葉は真剣そのものだった。加えて私の抱えた矛盾を全否定していた。

 

「道理もへったくれも無いな。だが、気に入った。たまには私も暴れてみたいと思っていたんだ……まずは──」


 腕を引いて、重心を低く構える。雑念が掻き消え、己が一撃に全てを捧げる。


 放たんとしている拳は何に届くだろうか。


 今まで、私の拳には何も宿っていなかった。ただ無心に、無情に、ただ放たれただけの拳は敵を壊すだけだった。


 心なき力は壊すのみ、人であるならば……力で何かを成して人である事を証明するのみ。


 怪物では無く、己が内に神を宿す。


 ──私の拳は己が神に捧げる祈り。そうだ、祈りなのだ。


 祈りを、想いを、力に変える──!


 拳の初速は音を置き去りにしたが、想いは乗ったままだ。


「まずは、お前に捧げよう」


 エス目掛けて放った拳をエスに届かせると同時に弾けた。


 焼け焦げた匂いを感じ、拳を見やると私の腕には純白の鉄甲が纏われていた。


「それが、テメェの幻想兵装って訳か……中々、効くじゃねぇか」


 前方で呻くエスが血反吐を吐きながら笑っていた。


「ふ、殺すつもりで打ったんだがな」


「調子に乗るんじゃねぇ。だが、期待通りだぜ、アイネン」



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