第二幕 21話 Freak out



 

 薄暗い廊下に火花が散る。

 灰色の刀身と赫き狂気が擦れ合い、空間を熱気と殺意が満たす。

 憎悪たるヨルドと、力に呑まれたエスであったモノは互いの斥力をぶつけ合い殺し合いを繰り広げていた。


 呑まれし者エスはエスでは無い声で低く唸ると、両脚を広げ、地に這う形で〈牙〉を外向きに構える。そして矢の如くヨルドへと向かって跳んだ。


 まさしく獣と形容すべき挙動でヨルドに迫り、獣の放った蹴撃を大剣の腹で受け止めたヨルドの身体は大きく後方に退げられる。

 けれどヨルドの瞳に驚愕は無く、空虚に獣を見据えつつ更には受け止めると同時に獣の脚を掴んでいた。

 

 「獣の如き膂力、俊敏さ。それがお前の力か。他愛無いにも程がある」


 掴んだ腕を振り上げて獣を宙に浮かせると、何度も壁に叩きつけてソレを投げ捨てる。


 そして大剣──ヨトゥンによる追撃を振り下ろす。斬撃に感情を乗せることで威力を増すというVIA幻想兵装〈ヨトゥン〉の斬撃は、憎悪に覚醒したヨルドが扱うことで、その一撃一撃にMOすら完全消滅させる程の破壊力が加えられている。そしてその放たれる速度も尋常の域ではない。


 しかし、獣はすかさず横へと跳び、迫る死を回避していた。


 剣と壁が衝突すると鈍い音が鳴り、剣の振り下ろされた後にはエスでは破壊できなかった壁が粉々に砕け散っていた。


 「逃げ回るだけが〈力〉か?」


 ゆっくりと首だけを獣の方へと向けて問い掛ける、当然のごとく獣からの答えは無い。

 獣が応えるとすれば純然たる敵意と殺戮衝動のみ。

 煮え滾る衝動で駆動する殺戮の獣は、再度ヨルドへと襲いかかる。


 「GAaaaaa!!」


 獣の握る牙の手元、柄に取り付けられた引金が引かれ、がちん! と音が飛び出す、すると牙は大鉈から大蛇オオヘビへと変貌し見る者に凄惨さを幻視させる。


 右腕から振るわれた牙がうねり、生物じみて伸びると、それに追随する様に赤が七つ現れた。

 左手に握られた赤布の刀。そこから放たれた槍は牙を追う。


 獣の本能と連結した牙と七本の槍が、ヨルドへと向かい、その肉を抉らんとする。が、ヨルドはヨトゥンでその全てを容易く弾く。次の瞬間にヨルドは獣の眼前にまで距離を詰め、ヨトゥンによる突きがうねる鋼鉄ごと獣の肩を抉った。


 「GurrrraaaAAA!!!!」


 獣が吼え、血が飛び散ったが、次にはその血が意思を持ったかの様に針となってヨルドへと放射された。


 「か弱い抵抗だ。人には成れず、怪物にも堕ちきれないとはな。この程度の力しか無く、奪われ続ける“生”ならば生きているのも辛いだろう?」


 幾百の血の針をその身に受け、獣と同じく血に塗れても尚、ヨルドの瞳は未だ空虚さを漂わせ、獣の生を絶たんしている。


 「──精霊の血、ここまで進行してしまえば“お前”は戻ってこれまい。恐怖を知らずして、死ぬがいい」


 全身に刺さる血の棘を気にも留めず、絶叫する獣に近付いていく。


 「両脚」


 乾いた声色で呟き、示した箇所を獣から奪う。


 「右腕」


 ──獣の絶叫が木霊する。


 「左腕。そして……」


 ヨトゥンを獣の首に当て構える。


 「──心」


 両者の激突は再び、ヨルドの勝利で終わろうとしていた。

 刃に力が込められ、肉を裂いていく。首筋から血が微かに溢れ刀身を伝って床に落ちようとする。


 それは、その一雫が床に落ちた瞬間だった──。

 

 首に当てられた刃が停止する。ヨルドの膂力を超えた力によって。


 ヨルドの瞳から空虚さが搔き消え、憎悪を孕んだ暗い色に変わった。ヨルドの目の前の獣に戻る術など無く、エスの退場で自身を縛る“ゲーム”は終了となり、望む世界へ行くはずだった。

 それをヨルドは、眼前の死に体の男によって阻まれた。


 エスが意識を取り戻したという事実は、自身の圧倒的優位のこの状況を全てひっくり返された事に等しい。

 ヨルドの瞳に宿った“暗”はひとえに『運命を呪う』ものであった。


 「……何故貴様が、自我に目覚めた──! 願いを遂行するだけの代理人形風情がッ!」


 「目覚ましにしちゃうるさ過ぎんぞ。……俺はただ、夢から覚めただけだ」


 ヨルドに落とされた筈の右腕は既に再生しておりヨトゥンの刃を雑に掴んで、首から引き離す。


 「容量が上がったからか、前よりも力の伝導率が良いな……」


 次いで脚が再生し立ち上がると、飛び散っていた血液までもがエスの元へと戻り、時を待たず左腕も復活していた。



 一度は絶ったはずの絶望が、ヨルドの眼前で更なる絶望として顕現する。

 その絶望は彼だけのモノ。

 何一つとして別たれる事の無い真実。

 彼はエスと対峙する以前から、何故自らがこのゲームに選抜されたかを識ってしまっていた。

 エスとヨルド。両者は共に幾たびの死線を越え、力を求め、蓄え続けてきた。

 その先に待ち受ける、未来へと至るためとは知らず、ただ往く事を定めづけられた者同志であった。

 ただ一つ決定的な違いは歩みを止めたか、そうでないか。


 ──未知とは恐怖である。未知を既知へと置き換え恐怖を克服する。


 ……だが、時として智こそが恐怖足り得る。


 〈未来〉を識った者は歩みを止めてしまっていた……。

 


 「俺はッ──俺達の未来はッァァァアア!!」


 激しい憎悪が重圧へ、刃を握る力が法則へ、一枚の金貨が深淵に続く穴だと識った時……人は果てしなく堕ちていく。


 ──瞬間にして完成した『さけび』をヨルドは現象へと変質させた。


 ……空蝉の悪夢が凝縮された様な感情の渦。それはヨルドを取り込み、ヨトゥンすら喰らい変質を加速させ、怪物へと到る。


 禍々しき黒の紋様を全身に帯び、ヨトゥンとの融合を果たした肉体は灰色に変色し、瞳は空虚さを捨て、代わりに狂気を棲まわせていた。

 その様は、いつしかのエスと同様──〈魔人〉と形容すべき姿に。


 魔人とエスを囲む空間は消失したが如く、両者の距離だけが空間であるかの様な密度。


 魔人ヨルドは言の葉を放つ。


 「──未来は閉ざされている。人らしさは消え、人らしきが跋扈する。余りにも生き難く、行き難い。

 誰もが欲するのはいつしかの静穏さだ。だが誰もそれを思い出す事が出来なくなった。

 そう、ただ静かで穏やかな世界を誰も覚えておらず、醜さに、恐怖に心を消耗するだけの世界。最早望んだ世界は空蝉の夢にしか存在しない……だが──」


 魔人の言葉はそこで途切れると、エスは魔人の放った圧に僅かに身体を圧される。そしてその意を汲み取ったエスは嘆く魔人とは真逆に口の端で嗤う。


 「──いいぜ、ろう」


 エスは血に塗れた姿で、笑みを讃えた。



 ◇



 お前の敵は誰だ。お前の敵はお前自身だ。お前の敵は誰だ。お前の敵はお前自身だ。


 目の前の全てを喰らえ。殺戮を果たせ。その果てでお前は自らを喰らえ。そうして世界は完成する。


 そんな声がいつも俺の中で響いていた。

 いつだって俺はソレを抑えるのに必死だった。それに委ねれば何もかも失ってしまう。だから失う事を怖れ、容易く自棄に陥る。

 いつしか失ってもいいと諦観の沼に沈み始めていた。


 この声に委ねれば俺は救われるんじゃないか。そんな想いと共に一度は沈んだ。


 だが、今は違う。


 俺は一人じゃない。共に戦っている。

 導いてくれる仲間の声がある。


 「全力だ。全力でカタを着ける、お前の親父にはそれくらいしないと勝てる気がしない……だが、良いのか」


 『──。こうなる事は分かった上であなたと居るんです、あなたこそそんな弱さはもう捨てた方がいいですよ』


 こいつエイファの覚悟を見誤っていた。そうだ、犠牲の上にしか何かを為せない。そうやって失ってきた物の上に俺達は立っている。

 失ったモノを糧に変えて俺は戻ってきたんだろうが。


 「──分かった。頼む」


 『分かったならいいです。代行詠唱ダミー・キャスト開始リード! ──超自我固定、エスとの接続完了、掌握権を獲得……VIA全起動フルオープン! いつでもいけますよっ!!』


 「ああ……!」


 彼女の声が内から響き、俺はその声に委ねる。

 赤布の刀の拘束具であるところの赤き布、その全てが剥がれ落ちる。真の姿である青白い鋼が身を剥くと血が騒めいた。しかし、すぐに沈静化して感覚の全てを高めていく……俺の内にある心の欠片の全てを感じられた。

 赤布は青白く変質し蒼く燃える焔となって俺の身を覆う。


 俺は、俺だ。誰の偽物だとしても俺は俺である事を、今なら理解出来る。


 ──最早、仮面は必要いらない。


 焔と風が凪ぐ頃、白霧は搔き消えていた。


 

 「開け、〈道〉よ」


 手を前に翳し白い糸のVIAを顕現させる。そこに触れ瞬時に魔人の背後を取る。

 青白い鋼を魔人の首目掛けて振るった。


 だが魔人も咄嗟に身を翻し刃を回避し、すぐに攻撃に転じてきていた。


 「〈アルマ〉」


 次の声で空間の歪みより俺と魔人の間に光が奔り、魔人の右腕を消失させた。


 「──ぐッッ……!!」


 瞬時に後退する魔人に対し、俺は右腕を魔人に向けて言葉を続ける。


 「〈星の音〉」


 右腕に大砲が形成され、圧倒的密度の音が放たれ魔人の胸を穿つ。

 魔人の身体は音によって吹き飛んでいく、そしてその先で待ち構える様に俺は〈道〉を開いた。


 飛ばされてくるヨルドを見据え、最後の言葉を呟く。


 「頼んだぞ、〈光芒エイファ〉」


 言葉に応え青白い刀身が光芒を抱き始める。

 ──その光は決して希望では無い、だが絶望でもない。地上から見上げる彼方の星の光の様に、未だ見えない、いずれ来るであろう彼方から届く未来の光だ。


 『エスッッ!!』


 「──ああ」


 俺が刃を振るった直後──。

 刃が至るその刹那、魔人は愛おしそうな目で迫る刃を見つめていた。きっと気付いたんだろう。刃に宿るエイファの心に。


 ……魔人の身体は虚しい音と共に地に伏して、動く事はなくなっていた。



 「俺とアンタは同じだ。だから、俺が進む道はアンタの歩んだ道にもなる──一緒には行けないが、見ていてくれ。俺の進む先を」


 ──どこからか風が吹いていた。

 

 

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