第二幕 八話 Freaks



 「エス、貴様……その姿は一体……!?」

 困惑するアイネンと兎に角窮地を切り抜けたと次なる用意を整えるガン。

 「ユエシィはどうした?」

 先程の戦闘に巻き込まれていなければいいがとエスが周囲を見渡そうとした時、不意に背中を小突かれた。


 「私なら無事、あのMOずっとそっちの方にしか興味が向いてなかったみたいだったから……何か助けになれたら良かったんだけど、私じゃ、ね……」

 ユエシィが困った様に俯くが、エスはその頭に手を置いて彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 「ちょ、ちょっと……!」

 わたわたとエスの手を止めようとエスの方に目を向けた時、ユエシィの目には信じられないものが映った。

 「助かっているさ」

 言って口の端で笑うエス。

 当然ユエシィは自身の目を疑った。白霧が晴れたエスの顔を初めて見たとかでは無く、その顔に彼女は見覚えがあったからである。


 眉に掛かるくらいの長さの黒い髪に無精髭の生えた顔、少し垂れた目尻、どこかくたびれた犬を彷彿とさせるその顔。歳は取っているがその顔は確かに彼女の記憶にある、アインの顔と一致していた。

 「アイン……」

 気付けば彼女はエスの頬に手を伸ばし、彼の顔を自身に引き寄せる。


 彼女の唇がエスの唇に重ねられる。彼の首に手を回し、頬を染めながら愛おしそうに長い口付けをしていた。

 「な……!?」

 「ほう……やるな博士……」

 アイネンは口を開き愕然とし、ガンは好奇の目でその行動を見ていた。エスは身体を強張らせ奇妙な体勢でただユエシィの唐突な行動に思考を奪われてしまっていた。

 「……ぷはっ」

 満足気にその口を離しユエシィは潤んだ瞳で上目遣いにエスを見る。しかし、その顔は再び霧に覆われていてさっき彼女が目にした顔はどこにも無かった。


 「……あれ?」

 そこで違和感に気付いて周囲を見渡す。崩れ落ち嘆くアイネンとにやにやと笑みを浮かべるガン、そして目の前で硬直するエス。

 「……」

 束の間の静寂。その後に彼女は盛大な勘違いに気付く。

 「あああぁぁぁ〜……!!」

 顔を真っ赤に染めて彼女もまた崩れ落ちた。

 ──なんでこんな事をしてしまったんだろう、エスがアインの訳があるはず無いというのに、エスがアインに見えてどうしようも無かった、恥ずかしい、恥ずかしい、どうしよう。よし、死のう。

 あまりの恥ずかしさによる異常か、彼女は懐から短刀を取り出して自身の首に突き付ける。しかし、その手を後ろから抑える者が一人。


 「……まぁ忘れてやる。

 だからお前も忘れろよ」

 そうしてバッと背後のエスに顔を向ける。相変わらず表情などまるで分からない霧が顔を覆っているが、バツの悪そうに彼はユエシィに背を向けた。

 

 ◇


 「うう……よし!」

 恥ずかしさに悶えていたユエシィが立ち直って気合いを入れる。

 緩んだ空気も束の間、険しい道行きを彷徨わぬ様空気を引き締めた。

 一先ずの安全を得たエス達一行は氷の城まであと一キロと無い地点まで歩を進めていた。だがそれでもその場で留まる事を許されない程に吹雪は勢いを増し、彼らの視界も白く染まりつつある。一行は進行ルートを定め、一気に踏破する選択をした所であった。

 視界の先は黒と白。闇を塗り潰さんが如くに白銀が吹き荒んでいる。重い足取りではあるが一行は着々と氷の城へと歩を進め、視界の先に巨大な影がある事に気付いた。


 「あれが……」

 遠く視界の先に聳える氷結城を見上げ、一行は呟きを発した。暗闇の中に白銀に縁取られた黒い影だけがぼんやりと浮かんでいた。

 「遠いのか近いのかもわかんねぇな……どっちにしろとてつもなくデカいのだけは分かるけどな。あー距離感がおかしくなりそうな建物だな……」

 目頭の辺りを抑えるエスの言葉で他の三人も、氷結城の異常さを認識する。

 「我々の相手は一体なんなんだ……?」

 あまりに巨大な建造物を前に自分達が何と戦うのかを疑問に思ったアイネンが零す。

 「……」

 当然、その答えを持つ者などいない。どれだけ一行が考えを巡らせても辿り着かない疑問である。

 しかし、その中でエスには一つだけ心当たりがあった。それを口に出そうとは思わなかったが、それでもアイネンの疑問のせいかエスの思考は自動的に廻り出してしまっていた。


 一年前、ユエシィの記憶を取り戻す戦いでエス、雨村、ハナが乗り込んだ施設〈ゲヒルン・ミステリウム〉の魔導研究所マギア・ラボラトリ。そこでは精霊、ゼラーユエシィの実験記録、そしてMOについても研究されていた。その前のブラジルの次元断層にもMOが居て、そしてゲヒルンの痕跡が残っていた。

 エスは心の内で今回もゲヒルン絡みの一件だと考えていた。同時にエスはもう一つの気にかかっている事に思考を動かす。


 ──記憶が戻ってかれこれ一年くらいだよな……まぁ前からあった事だが、いかんせん異常行動が多過ぎる。特にアレだ、あのアインとか言うヤツと俺を間違える事がやたらと多くなった。さっきのキスもそうだが……アインてのはアイツの恋人かなんかなのか? それに俺自身もどこか、おかしい。これもユエシィの影響なのか……? 駄目だ、頭が回らねェ。


 停滞する思考を振り切った所でエスは周囲の異変に気付いた。他の三人は既にそれに気付いて足を止めていた。

 「エス、まただ。怪物どもの気配がある……」

 アイネンに告げられ、エスは意識を集中する。確かにアイネンの言う通り暗闇の中に気配がある事を確認し、静かに驚愕する。

 それは、彼の想像を超えて存在していた。

 「……おい、ちゃんと見えてんだろうな・・・・・・・・?」

 エスはアイネンに気配がしっかり・・・・見えているのか問う。それに対しアイネンは「十はあるな……」と苦悶の表情で答えた。



 ──瞬間、戦慄がエスの身体を駆け抜ける。



 

 この場において、エスを除いて誰も正しく状況を認識出来ておらず自身らを取り囲む絶望に気付いていなかった。内に渦巻く衝動に耐えながらエスは他の三人に警告する。


 「──馬鹿野郎がッッ!! 百はいるぞッッ……!」

 アイネンよりも気配を感じ取る事に長けていたエスが叫び、アイネン、ガン、ユエシィにも同様の戦慄が走った。

 赤布の刀が紅炎を纏いエスは即座に煙焔フューマスの姿へと転身する。これであれば破棄形態の能力の一部を暴走する事なく制御下に置く事が出来る。しかし、この事態がそれだけで解決出来るとはエスには思えなかった。

 「来るぞッ!!」

 エスは声を上げると同時にガンに襲い掛かる異形を一刀に伏す。ガンは一瞬で自身の背後に迫る異形を斬り捨てたエスの能力に驚くが、気配を感じる事の出来ない彼女もこれで状況を把握したのか、戦闘態勢を取る。


 「──! すまない!」

 「……俺が先頭を切る。お前はユエシィを守ってくれ……!」

 「ああ、分かった」

 言って彼女はユエシィの側に立つ。そこへ異形の影が二つ現れガンに襲い掛かる。醜い肉塊の狂爪が明確な殺意を持ってガンに向けられるが、横から突き抜けた衝撃によって二つの異形は闇の中に消えた。

 「エスッ! もう立ち止まってられん、進むぞッ!!」

 「んな事分かってる! 兎に角走れ、強行突破しかねェ!」

 エスが駆け出すとアイネン、ガン、ユエシィも同調し吹き荒ぶ風雪の中へ飛び込んで行く。一歩、その一歩を刻む度に闇からは異形が現れる。それでもその歩みを止めず、彼らは夜を駆ける。

 より巨大な影を目指し、襲い来る異形をエスが裂き、アイネンが砕き、ガンが屠る。血が舞って、叫が轟き、灯火が揺らぐ。

 彼らは駆ける。夜に追われる様に、死に追いつかれぬ様に、今はただひたすら駆ける。


 ──いつしか響く「ただ往け」に従って。



 

「うおおおアアァアァァァッ!!!」

 一行が視界の先に姿を現した氷の城を異形の先に見る。言葉にならない叫と共にエスは血に塗れた姿でまた一つ異形を裂いて氷の城を捉えた。

 「見えたな……」

 肩で息をするアイネンがエスの側で呟く。

 「ああ……」

 同様に息を荒げながらもガンが頷いた。

 「……ここが」

 ユエシィが見上げる先にある氷の城、それは今はただそこに在って何かに守られている訳でも無く、城門は開け放たれていた。まるで彼らを誘い込むかの様にそこで待ち受けている。

 「罠だろうが、関係無ェ。んな事初めから承知の上だろうが」

 煙焔フューマスを解いたエスが口内の血を吐き捨てて氷の城を見上げる。


 ──もう気配は無くなっていた。百以上は有った異形達全て狩られたのである。風雪も止んでいた。彼らを取り巻くは頭上の暗闇と足元の銀の庭、そして聳える氷結城。今は阻む者無く、彼らは辿り着いた。


 「──往くぞ」


 見据えるは氷結城。極夜の冷気を纏う生死無常、凍壁のバベルである。

 今そこへ、彼らはその足を進める。

 一歩。また「ただ往け」と。


 

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