第13話 魔人
「マダだ……マだ、オワッて無イ──」
身体は爆発によって灼け爛れ、右腕が折れ、肋骨も数本折れ、既に戦える様な体ではないというのに、エスは再度立ち上がり少女を睨みつける。そこには彼らしさ、飄々とした普段の彼の面影は消え失せ、野獣の様な獰猛さが表出している。それが内の衝動なのかは不明だが、彼の闘志は未だ尽きてはいなかった。
「やけっぱちって奴ですか。マイナス一点ですねーコレは」
少女は構えも取らないまま、立ち上がるエスをただ見ているだけである。強者故の余裕か、その態度が眼前の獣を激昂させた。
「来たレ……〈牙〉ヨ……」
エスの声と共になにかの飛来する音が草原に響き渡る。少女はその音を聴くと同時に、エスから距離を取った。飛来する音の正体と目の前のエスが明らかに先程までと違う何かに変わった事、これが単なるやけっぱちの暴挙で無い事を彼女は感じ取っていた。
「む。これは──」
少女は空へと顔を向け、飛来する物体を凝視する。逆光でシルエットしか視認する事は出来なかったが、然程大きいものではない事が少女には知る事が出来た。
しかし、それに何の意味があるだろう。
空から鳴る耳をつんざく音の後、エスの正面に鉄の塊が激突するのを少女は垣間見た。僅かな一瞬。少女が鉄の塊を見た次の瞬間には、それが衝撃を放って周囲の地面を削り吹き飛ばした。
激しい土煙が舞い、一寸先の景色すら少女の瞳には土色の煙で遮られ、目視する事が出来ない。ぱらぱらと土の雨が降ってくる中で少女は目を見開いて視界が開けるのを待っている。
「ん……?」
少女は何かを感じ取ったのか、眉間に僅かに皺を寄せると一変、その表情に焦りが現れた。
彼女は咄嗟に姿勢を屈ませると、その頭上を鉄の蛇が掠め、彼女の髪の毛を幾本が断ち切り、蛇は土煙の中へと帰って行く。
彼女が今の一瞬を躱して次に視線を土煙の中心に向けると、そこには十数メートルのクレーターが作られ、その中心には再び破棄形態へと変貌したエスが先程の鉄の蛇と刀を携え佇んでいた。
鉄の蛇の正体はエスの右手に握られた、あまりにも武骨で荒々しい三日月型の武装であった。三日月の内に鈍の鉄の刃が無数に生えており、エスが空から降ってきたこの武装を〈牙〉と呼んだ理由である。
赤黒い布をはためかせ、クレーターの中心に牙と刀を携えて首だけを少女へと向けている。霧のせいで顔は見えないが少女にはエスが自身に標的を定めている事が理解出来た。
「これが別世界の英雄の力ってやつですか。ホント、とんでもない圧ですッ……!」
少女は額に僅かに汗を浮かべ、眼下のエスから視線を逸らさずにいる。少女の様子からエスがこれまでのエスとはまるで別人である事がうかがえる。少女の纏う翡翠の〈
土煙が完全に降りて視界が開くと少女とエス、両者は静かな殺気を纏って視線を交わした。
尋常の速度を超え、両者は激突した。
二人は再び超近接戦となると、少女が先に左の拳を光と共にエスの腹部へと目掛け放つ。エスはその拳を刀の赤い布で防ぎ、そのまま刀で突きを返す。破棄形態で放たれる突きは音速に並ぶ、音を置き去りに刀の切っ先が少女の心臓に迫るが少女もその突きを身を屈めて回避する。
「あぶないですよ!?」
そんな事を口走りながら少女は右脚で足払いを放つもエスはそれに合わせて飛び上がった。
「んなっ!?」
少女の口から間抜けな声が漏れる。
霧の向こうで赤い両眼を光らせたエスが両腕の牙と刀を見上げている少女に向け振り下ろす。衝撃は地面を抉りながら少女を吹き飛ばした。少女はいなしたつもりでいた、しかしエスは彼女の能力を無視し、彼女の出力以上の力で強引に押し込んだのである。
少女は膝を着き、揺れる意識を気力で定めると手の甲で顔を拭い正面の魔人に焦点を合わせる。
「これは、想定外──ッ」
呟きながら笑みを浮かべると少女は、魔人へと駆け出す。魔人はその彼女を待つかの様に立ったまま顔だけを少女に向け、宙空の尾を動かした。
魔人は駆ける少女に向け八つに別れた赤黒い尾を順に放っていく。少女の走る
「空間イドウか……古イ業ダ……」
槍を戻して魔人は少女の使う技を見下すと、まだ幾重にも赤い布の纏わりつく刀を片手だけで居合の様な型に持ち替えた。
「片手で居合ッ!?」
少女は魔人までの距離を縮めた所で、魔人のとった行動に驚嘆した。片手で居合を行おうとする存在などと対峙した経験が少女には無い。しかしそれでも少女は駆ける脚を止めず、魔人の前で身に纏う光を全身に拡げる。
魔人は少女との距離が間近になろうとも構えた刀を振らなかった。その『隙』にしか見えぬ構えが少女に致命的な行動を取らせる事となる。
少女は魔人の次の手を全力でいなし、そこに一撃を叩き込むつもりでいた──だが、余りにも隙だらけなこの『隙』に対して彼女の中に一瞬の迷いが生じる。
両者が互いに手練れである戦いだからこそ通用するブラフ。少女が迷いを断ち切った時、その時には既に魔人の刀は振り抜かれていた。
刀は音も無く振り抜かれ、少女が無防備となった一瞬に横薙ぎの一閃が奔った。
一拍の静寂ののち、少女は身体の幾つもの箇所を同時に強い衝撃に襲われる事となった。一瞬の内に何撃を放ったのか、少女は遅れてやってくる衝撃に対し、防御の姿勢を取る。
少女にはその場で防御の姿勢を取る事しか許されない。魔人はそこへ追撃の牙を放ち少女を激しく転がした。
「俺とオマエデは、場数ガ違う……潔ク死ね」
地面に転がった少女に向け魔人は言い放って少女の返答を待っている。少女は軋む身体の痛みに耐え、立ち上がって
「さっきとは立場が逆転しちゃいましたね……おっかしいな、私結構強いのにな……ていうか、あなたエスくんじゃないですよねぇ?」
少女は笑いながら魔人に言葉を返す。
「其レが答エか」
エスとは違う声が魔人の口から放たれ、牙と八つの槍が少女へ襲い掛かる。
少女の眼前には絶望的な状況が作り出されている。少女はその状況に笑って迫る槍の一つを叩き落とす。
「ふはッ……良いですよォあなた、ハナちゃんポイント五十ポイント上げちゃいます。ホントに、ひっさびさなんですよ……あなたみたいな強いヤツ……だから──」
「ドウした」
七つの槍と牙が少女へと迫る──。少女はその槍と牙の待ち受ける路を直線に駆け出す。
「──私だってまだまだ本気出してませんからねッッ!」
一つ。二つ。三つ。槍を弾きながら少女は進む。直ぐに控えた槍が少女へと迫る。
四つ。五つ。六つ。少女は槍を叩き落とし駆ける。
「それに……これ以上は手遅れになっちゃいますしね」
呟いて少女は最後の槍を落とす。残るは歪な軌道を描いて迫る牙のみ。それを見据えながら少女は残る力を次の一撃に注ぎ込む。
駆けながら少女の纏う
星の光は、あらゆる神秘に干渉する力を持つ。即ちエーテルを直接叩き込み、対象の神秘を封じる事も、活かす事も出来る。
「まだ君にはやってもらう事があるんだから、もう帰ってきてもらうよ──」
それこそ星の英雄最強と呼ばれる少女の能力、その名を〈
「
少女の放つ光が周囲を包み込んでいく。その光の中、対峙する魔人と少女。少女の右拳は巨大な光の拳になり、魔人に向けられる。
「絶ッッ!」
一撃目が迫る牙ごと魔人の身体を殴りつけ、魔人を仰け反らせる。
「滅ッッ!」
次いで二撃目のアッパーが魔人を空へと高く吹き飛ばす。同時に少女も跳び上がり、魔人よりも高い位置で三撃目を振りかぶる。
「──掌おおおおぉ!!」
少女の叫び声と共に光の拳が極光と共に魔人の肉体に打ちつけられる。
本来であれば絶大なエネルギーを持って破壊する力だが、少女は今その破壊エネルギーの大半を干渉の力へと変換していた。
「──戻ってきなさい」
少女の声だけが辺りに響いた後、破棄形態は崩れ去り、抉れた地面の上に意識の無いエスが横たわっていた。
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