第14話 シナリオ・ブレイク・ファースト


 「……」


 ゆっくりと目を覚ましたエスの視界には見覚えのある木製の天井があった。思考は定まらず、ボヤけているが近くから漂う珈琲の匂いと話し声には気が付いていた。


 「ッ……!」


 首を動かそうとした時、尋常ではない痛みがエスを襲った。すると「あっ」と女性の声がエスの耳に届く。

 

 「……? この声は……」


 ユエシィの声では無い──ならば誰だ、とエスは困惑した。

 エスは碌に身体も動かせず天井を見上げる事しか出来ない。その横でたたっ、と駆け寄る音の後、先程の女性の声がエスへと語りかける。


 「あー動いちゃダメですよ。エスくん」


 その声にエスは聞き覚えがあった。それも直近の出来事だ。忘れている訳もなく、エスは何故コイツがここにいるのかという疑問が浮かぶ。


 声の主がエスの横たわるベッドに近付き、その幼い顔でエスを諭そうとする。


 「なんでお前が──」


 エスが問おうとするのを遮り、話を始める。


 「おはようエスくん、まぁまぁまぁ酷い有様ですねぇ〜……どうしてそんな事になったのか分かります? ていうか覚えてます?

 ……覚えていないのなら説明しましょう!

君は自分の能力を超えた力を使ったんですよ。しかもその力に呑まれた!

 身体、めっちゃ痛いですよね?

 それは力の反動ですから、当分の間はまともに動けないと思いますよ。

 ついでに言えば私もかなーり痛めつけましたし」


 少々煽り気味に草原での出来事の始終を話し終えると、少女はダイニングテーブルへと戻って珈琲を啜る。


 「……説明になってないだろ」


 エスには自身が衝動に呑まれていた事の記憶が無い。ただこの少女に敗れた事だけは鮮明に覚えており、少女の語る『力に呑まれた』事は自身の身体に広がる鈍い痛みがしかと物語っていた。


 「いやーそれなりに楽しめましたよ。まぁ思いの外ですけどね」


 少女は誰に向けて喋っているのか、それともエスに語りかけているのか、エスにはそれを見て確かめる事が出来ず、音を聞くことでしか何も判断出来ない。


 「ふむ。エス、か。悪くないな、中々役に立ちそうな男じゃないか」


 僅かにれた男性の声。

 少女にはどうやら語りかける先があったようで、嗄れた声の男は少女の話に喜びの感情を含めて返す。


 エスはその二人のやり取りに引っかかる所があったが、それ以前として本来ここにあるべき声が一つ足りない事に気付き、得体の知れぬ二人に対して問いかける。


 「……ユエシィはどこだ?」


 その質問に二人の会話が止まる。

 すると嗄れた声の男がエスの質問に答えを返した。


 「安心しろ、彼女はここにいる」


 次いで男は「ただし」と続けた。


 「彼女は脳死状態だ」


 刃を突きつける様に男はハッキリと告げた。


 「──嘘だろ」


 そう微かに口を動かすと、エスは身体の痛みなど無かったかの様に起き上がり、辺りを見回してユエシィの姿を探す。


 「ここだ」


 男に促されエスは彼女の姿を発見する。


 ソファで横になったまま、ただ眠り続けるだけの彼女の姿を。その彼女に近付いてエスは震える手でユエシィの頬に触れる。その体温がまだ温かい事を確認するも、彼女がもう目覚める事は無いのだ、そう考えると彼の胸は張り裂けそうになった。


 「間に合わなかった──俺は」


 自責の念に駆られる彼の横で、嗄れ声の男がため息を吐いた。


 「悲嘆に暮れているところ悪いが、解決手段はある。その為の俺達だ」


 「そうですよエスくん。師匠が何とかなるって言ってるって事は何とかなるんですよ」


 嗄れ声の男の横ではハナが鼻を鳴らして言い放つ。


 「……黙れッッ!!

 俺は間に合わなかった……俺が間に合わせなければならなかった!

 そもそもお前らは何なんだ。何故ここにいやがる。特にそこの女、お前は俺に襲い掛かってきただろう。何が目的だ! お前らもゲヒルンの手先なのか!? そうなんだろう!」


 声を荒げエスは刀を抜いた。怒りと失意で我を失ったエスが嗄れ声の男へと迫る。

 刃の布が剥がれていき、エスの眼に赤い光が灯っていく……。


 「落ち着け。俺達は何もお前の邪魔をする為に現れた訳じゃない。まずは話を聞いてくれないか?」


 男が諭そうとするも、エスは止まらず男に対し刃を振り上げた。


 「やれやれ。手荒だが仕方あるまい」


 男はエスの振り下ろした刀を一重で躱すと、彼の刀の握る手を素早く手刀で打つ。刀はエスの手から落ち、次の瞬間には男はエスの身体を吹き飛ばしていた。


 エスには何をされたのか理解出来なかった。彼の意識はベッドへと強制的に叩き付けられ、消失寸前であった。胡乱な瞳でエスが最後に捉えたのは男の掌に金色に似たオーラが纏われている事だけだった。


 「ちょっと師匠、荒過ぎません?」


 既に満身創痍のエスに対してやり過ぎなのでは、とハナが心配する。


 「なに、心配する必要はない。気で衝撃は最小限に留めた。それと同時にエスの体内に俺の気を渡したんだ、次に目覚める時には多少はマトモになってるだろう」


 男はそう言うとテーブルに着く、ハナも同様に席に着くがその視線は倒れたエスへと向けられている。彼女は彼女なりにエスの心配をしていた。


 「でも、これでいいんですかね……」

 ホントにこれで何か変えられるんですか?」


 今度は不安を湛えた瞳を師匠へと向けてハナが問う。しかしその答えは師匠──雨村にも同様に予測のつかないものである。


 「今更言うな。

 俺達は出来るだけの用意をするだけだ。そこにどんな結果が待とうとも天秤の傾く側、それがどちらであろうと、この世界を続けていく為には、やらなければならない。

 お前も分かってるはずだろう?」


 「でも──!」


 続きを口に出そうとしてハナはハッとする。彼女もここで覚悟を曲げれば、待ち受けるのは『最悪』だと分かっているのだ。だからその先を雨村の前で口に出す訳にはいかなかった。

 想いは押し込められ、掌を固く握らせていた。


 ハナは、雨村の覚悟を理解している。彼がこれまでどれだけ傷付き、何を失ってでも為さなければならない事がある事を。雨村自身がこの現状を一番望んでいないであろうことも。


 「すまない、ハナ」


 謝る雨村に対し沈黙するハナ。

 沈黙だけが空気を満たしていた。

 


 ◇



 「つまりゲヒルンからユエシィの記憶を取り返せば元に戻るんだな?」


 エスの対面に座る雨村が「ああ」と頷く。


 「今の彼女の中身は、ほとんど残りカスみたいな物しか残ってない。ゲヒルンの連中には特定の記憶だけを抜き取る技術力は無かったみたいだな、だから根刮ぎ奪い取った。

 結果、彼女の中には残滓だけが残り徐々に彼女から彼女らしさを失わせていった。

 そして最後には記憶はゼロになり、彼女の脳は停止した。

 言わば、身体を動かす為の基本的に備わっているシステムごと奪い取った様なものだ。学習能力、言語能力、思考、想像……そういった人を人たらしめる部分だな。今の彼女は生命活動だけは維持しているが、覚醒する事がなく、食事も取れない以上長くは持たない」


 雨村の説明を聞きながらエスはそれならば、確かに記憶さえ取り戻せば彼女は元に戻るだろうと考える。そこへ雨村が一つ付け加えた。


 「だがそれらが戻った時、彼女が元の彼女になるかは分からない。可能性としては彼女はお前と出会う以前か、全くの別人格が形成される方が高い。なにせお前と過ごした時間は失われてしまった訳だからな。それでも構わないな?」


 その問いにエスは戸惑う事なく頷いた。


 「無論だ。俺は行く、コイツも連れてな」


 エスが立ち上がり刀を腰に携えると、ユエシィの身体を背負った。


 「そうか、それならば俺達も力を貸そう。奴らの居場所は突き止めてある。さっさと取り返してしまおうじゃないか」


 「そうですね!

 エスくんと師匠、そして私!

 最強メンバーですよコレは!」


 ハナと雨村もエスに続いて宿を後にした。


 敵はゲヒルンミステリウム。

 

 姿知れぬ、叡智を求める者達。彼らが求めるのは何か。

 ユエシィから奪った記憶は何に使われているのか。それらを知る為に三人は組織のある地下へと潜る。

 その地下が既に人外の跋扈ばっこする魔窟へと変容している事を知らずに。

 

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