第4話 痕跡と月
黒い真円の中は、外に広がる世界遺産である湿地帯の抱える緑色と澄んだ水色、そこに生息する生物達が形作る自然とはまるで正反対な空間が形成されていた。
一見は簡素に見えるが、至る所に現代の技術やそれを逸した異端技術が捉えられる。地球由来ではない鉱物で構成されているであろうこの空間は、恐らくは軍事施設であった。
四角い廊下は、鉄に似た黒い金属で形成されており、怪しい赤い光が奔っている。そこを照らすのは赤い光のみで他には明かりが無い。次元断層に造られたこの空間は機械で出来た臓物の様に複雑な構造である。
施設内部には幾人ものイゾラドが徘徊し警備している。しかし、滅多に現れない侵入者に対しての警備ではない、現在この基地の様な施設は迎撃態勢であるのだ。
数分前にイゾラドが数人向かった先に敵対者、つまりはエスという男が立っていた。
◇
無惨にも臓物をぶち撒け、辺りで転がっている死体が幾つもある。それらはここで為す術なく殺された者達、イゾラド達の死体であった。そしてまた一つ、死体が増やされようとしている。
小柄な肢体であるイゾラドは、ソフト帽を被った
「答えろ。お前らが攫った女はどこだ。
言っておくけどな、もうお前らがただの原始人だとは思ってねぇぞ?」
ししっ、と鳴くだけのイゾラドに対し、エスは顳顬を掴んでいる手に力を込める。彼はそこに何一つとした感情を込めていない。表情 うとしている。
元よりエス自身もこれらには期待などしていなかった。それ故に彼は何のためらいもなく、掴んだ頭蓋を握り潰した。赤色の液体がエスの腕や、持ち主の身体を伝って水溜りを作った。
機械的な空間にいくつもの凄惨な死体が転がる状況は危険な実験体が誤って放たれたかの如く、酷い状況である。薄暗く、赤い光がぼんやりとエスを照らすと、彼が怪物であるかの様に影を浮かび上がらせる。
動かなくなったイゾラドを壁に叩きつけ、彼は廊下の奥へと進んでいく。
視界の先は薄暗い廊下が延々と続き、他の部屋や通路がまるで無いかった。 一本道だがその先に終わりがあるようには見えない。
サインは少し歩いた所で、隠れた通路がないか壁を軽く叩き確認していたが、すぐにそれをやめた。
「ここじゃ何の意味もねぇ、次元断層に作られた要塞みたいだしな。
どうせここも侵入者用に造られたポケットだ、イゾラドが使いこなしてるとは到底考えられないから裏で親玉が控えてるんだろ。ならこっちにだってやり用がある」
辺りを見回して彼は右手を真横に突き出す、そこには青白い円形の空間が生まれ、内は漆黒が詰められている。そこに手を入れると、すぐに引き抜く。青白の円からは赤い布で全体を巻き付けられ、本来の姿を隠した刀剣が姿を現した。
それを手にし、剣先を床に降ろすと彼は目を閉じ一言だけ呟く。
「開け、〈飢の
声と共に赤布の一部が自律し、刀剣の一部、青白の円と同様に漆黒が内側にある。
数秒だけ漆黒を映すと壁一面の虫が這う様な、嫌悪を抱かせる、ざざという音が無数に辺りに広がり、音は赤布の剣の一部、まさに漆黒が露出した場所へと集合していく。
音が収まり静寂が戻ると同時──
ぬる、と赤い目がそこから覗き込んだ。
漆黒の中に楕円の形をした白い縁取、内に漆黒、中心に開き切った赤い瞳孔が浮かび上がっている。赤い目は正面、薄暗い廊下を見つめていた。
「至れ」
エスが一言告げ、赤い目が増殖する。複数の赤い目全てがあらゆる方向へと視線を動かし、そして止まる。
次の瞬間には廊下は崩壊していた。
正確には正しい姿へと戻った。次元断層は無限に等しい宇宙の可能性の一つを、世界から隠す事で成り立つ。たった今、エスが行ったのはそれと類似するものである。
正しい状態へと上書きされた、空間は先程までの薄暗い廊下が延々続くだけの場所ではなくなっており、見えていなかった別の通路や扉が出現した。
「色々隠してたみたいだな。
この規模なら状況判定は、まぁ〈
……ユエシィの反応は、下からか」
さて、とエスは赤布の剣を掴み青白い円に投げ入れる。次に左側にも同様に円を開くと、そこから短刀を取り出す。
柄から刀身までの全てが真白く、両刃の短刀である。
「釣りの時間だ」
その短刀はエスが柄に力を込めると、徐々に青く染まっていき、刀身が真っ青になったところでエスは短刀を床へと向けて投擲する。
床にぶつかり弾かれるかと思われた短刀は、床をすり抜け潜り込んで行き、視認できなくなった。青の短刀を持っていたエスの右手には蒼く光る線が床へと続いている。それはエスの右手と短刀を繋いでいる。
エスは右手の線が伸びていくのを見つめ、感覚を澄ませている。短刀の進んでいく感覚を感じとり、その先にあるものを探している。
「見っけ」
エスが呟くと、その隣に白い光が発生する。光は徐々に人型へと変わり、それが分かる頃には光は収まり、そこには長い銀髪の少女が横たわっていた。
目隠しをされ、四肢に金属製の拘束具を装着し、泥まみれの少女。ユエシィである。
「なに、なにが起きたの……」
声を震わせ、うずくまるユエシィの目隠しをエスが外すと彼女は突如開けた視界に驚きながら周囲を見回す。そうして自分を攫ったイゾラド達がいないのを確認し、安心したところで、頭部に衝撃を受けた。
「いったッッ──い」
拘束具のせいで頭を押さえる事が出来ず、声しかあげられないが、衝撃を受けた背後を振り返る。
彼女の視線の先には、白い霧の顔、黒いソフト帽に暗い緑色のモッズコートを着て、黙っているエスが立っていた。
「足を引っ張るのがお前の仕事か? おかげで幻想兵装を二度も使う羽目になった」
「待って、本当に、なにがなんだか──」
未だ状況が理解出来ず、困惑している彼女をよそにエスは拘束具を素手で容易く引き千切っていく。
その様子を眺めながらユエシィは、単純な疑問をエスへ投げかけた。
「──あんた本当に人間なの?」
エスは無視して拘束具を全て破壊すると、黙ってユエシィへ顔を向けた。
白い霧に覆われた霧状の面は到底人には見えない、だがユエシィが聞いているのはそういう事ではない。もっと本質的な部分で、人間かどうかを問うているのだ。
白い面でエスはユエシィの顔をしばらく見た後、背を向けて歩き出したところで、短く答えを告げた。
「お前次第だ」
「私、次第?」
ユエシィは歩いていく背中を見ながら自問した。
その答えがまるで問いに答えていない事はともかく、また適当な返事をしやがって、と怒りを胸に立ち上がった。
「っていうか置いてくな!」
「勝手に立ち止まってたんだろ。
それよりもな、お前臭うんだよ……
漏らした?」
追いついてきたユエシィに対し、エスはそう言って自身の鼻をつまんだ。実際には霧の表面で手が鼻をつまむ形をしているだけだが。ユエシィは赤面し、右手に力を込める。
「漏らしてないッ!!」
渾身のアッパーがエスへ向けて放たれるが、エスはそれを上半身を反らして回避する。
「危ない危ない、図星か?」
エスは続け様に仰け反った体勢のまま、目下のユエシィの怒りを煽ろうとする。
それを聞いたユエシィは怒りが頂点に達し、激怒の表情のまま無言で左足を持ち上げた。
直後放たれた左足は凄まじい速さで、エスの股間を打ち抜いた。
「──死ね」
その場に倒れたエスを踏みつけてユエシィは先へと進んでいった。
「全く、助けてやったのにこの扱いか。
……やれやれ」
すぐにエスは立ち上がると、ユエシィの後ろをついて歩いていった。
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