第二話 イゾラド


 「消えたな」

 

 草むらの影でエスが呟いた。

 一見長閑な平原には先程まで紫色の雲と、それに群がる半裸の男達。

 所謂〈未接触部族イゾラド〉らしきモノが居た。

 今はエスのレンズの表示には何もなく、その視界には緑色の平原が広がり、奇妙だった光景はもう映ってはいない。


 「さて、調べますか」


 何もいないと判断するとエスは躊躇なく平原へと飛び出した。僅かに湿り気を残す土へ踏み込むと、数センチばかり足が沈み込む。

 土の感触をブーツの底で感じ取りながらエスは紫雲の真下を食い入る様に見つめている。

 

 「ちょっと、待っ──!」


 またも置いていかれそうになったユエシィも勢いよく平原に飛び出すが、柔くなった土に足を取られ、今度は背中から泥を浴びる羽目になっていた。

 その様を見てエスはやれやれとため息を吐く。


 「泥遊びに来たんじゃないぜ? 外に出るのが久しぶりだからって、そう気を緩められてもなぁ……」


 すっかり泥だらけになったユエシィは顔についた泥を拭い、きっ、とエスを睨みつけた。


 「俺のせいだってか? 

 いやいや子供かよ!? 

 ……あ。子供だったわ」


 ハッと口に手を当てる様な動作でエスはそう言った。

 それを聞いてユエシィは改めて後悔する。エスに責任を問うのは無駄だって事を。何せエスという男は査問会であっても、その態度を一貫している様な碌でもない男である。今更何を恐れ、何をするにも躊躇う必要なんてないのだろう。

 彼は、ユエシィにとっては未知であった。ユエシィが持たないモノを持っている。何者にも脅かされる事の無い燦然たる人間性を。


 とは言え、それとこれとでは話がまるで違う。確かにエスの人間性は一貫している。しかし、ただただ貫いているだけなのだ。


 真っ直ぐに、淀みない光の矢が疾っているのではない、彼の人間性は言わば歪みまくったダイヤモンドの針金だ。素晴らしいと思わなくはないが、とても正しいモノには思えない。そんな風にユエシィはエスの事を評価している。


 泥を払うとユエシィは足を取られない様にぬかるんだ足元を注視しながら、エスの方へと向かった。


 「転んでも慰めてやらねぇからな〜」


 ユエシィの方を見ずにエスは嗤笑している。そんな余裕綽々の彼と違い、彼女はただ転ばない様にするだけで精一杯である。

 くそ、と思いながら彼女もエスと同様にある物を探していた。


 それは先程雲から落ちて来た、丸い何かである。イゾラド達は紫雲に群がりそれを拾い集めていた。エスとユエシィは言葉こそ交わしていないが、もしかしたら拾い残しがあるかもしれない、そう考え足元を見つめ続けている。

 しばらく二人はそうして地面を眺めていたが、ふぅと息を吐いたエスが腰を労わりながら中腰姿勢を解いた。

 彼は彼で落ちたモノではなく、落としたモノそれ自体について考えていた。


 「ユエシィさんよー、イゾラドは兎も角として、あの紫色の雲はどう思うよ?」


 問われたユエシィも中腰をやめ、顔を上げる。


 「紫の雲ねぇ……あんたが知ってるかどうか知らないけど、ニホンじゃ吉兆の証みたいに言われてるのよ?」


 「へーー。

 んじゃアレは〈いいモノ〉と考えてもよろしいのかね」


 そう言われるとユエシィにもそう判断をつける事は出来なかった。いかんせん彼女には未知を既知に置き換える術が乏しい。

 カラーリングシステムもその点が欠点となり、結果的にこういう状況を作り出してしまっているり

 

 「それはどうだろう……」


 自分の作ったシステムが間違いを起こしたのを思い出し、言葉を濁してしまう。彼女は到底、自分の判断は正しいなどと言う確証は持てなくなってしまった。


 そうして曖昧な言葉を吐く彼女に呆れたエスは投げかけた言葉をそのままに再び地面と向き直った。


 「──ごめんなさい」


 ユエシィはエスに聞こえない様にそっと呟くと下を向いた。ぬかるんだ真っ黒い土を見つめ、自分の心情と重ね合わせる。


 私は、何の為に研究をして来たんだ──。

 

 柔い土と今の自分の心は似ている。

 少し踏まれただけで、潰れてしまい、元には戻らない。

 緑だった表面が破れ、内側には黒い土。

 私の心がこの土なら私自身は靴底にこべりついた泥だ。いずれ乾いて、どことも知れぬ場所で剥がれ落ち、置いていかれる──。


 暗い気持ちがどっ、と押し寄せユエシィの心を蝕んでいく。内側の泥を掬い上げると、ひんやりとした感触が彼女の手に伝わった。

 

 「また泥遊びか?」


 肩越しにエスが彼女に向け言葉を放つ。そんなつもりじゃない、と言葉を返しそうになるが、また自分が惨めになるだけだと思い、掬い上げた泥を見つめる。


 彼女はその泥の中に、土色をしたガラス玉の様な物を見つけた。


 「あった」


 呟いてそれを手に取ると彼女はそれ以外の泥を放り捨てる。土色の球はビー玉程度のサイズで、透明感は無く、元から土色だったのだと分かった。

 これにどんな価値があるのか、予測もつかないが見つけた事に価値がある。彼女はエスにもそれを告げようと、彼に呼びかけ様とした。


 「見つけた──って、嘘?」


 エスの方を向くと、彼の正面には真円から覗くいくつもの目が光っていた。その入り口は昼間でも真っ暗く、入り口から少し先すらも黒で塗り潰されている。よくよく考えればそれもおかしい事に彼女は気付いた。


 その暗闇の穴から、首だけを出し二人を見ている目はどう見ても普通では無い。


 目が飛び出すのではないかという程に見開き、血走った目玉を時折ぎょろぎょろと動かしている。


 エスはそんな連中を刺激しない様、微動だにしない。恐らくは出方を伺っているのだろう。だが、ユエシィはそうはいかなかった。


 「きゃあぁぁ!」


 悲鳴。それが合図となった。

 一斉に真円の穴から人影が五つ飛び出す。

 左右に二人、正面に一人。穴を守る様に横に広がり、エス達の前に立ちはだかる。

 一転して緊張感に満たされた平原。エスはイゾラド達の姿を改めて観察していた。


 彼らは何かの皮で出来た腰巻と幾何学的な模様をその身に刻み込み、体毛が一切無い。身体の線は細いが、痩せ細っているのではなく、ここで生きていくのに適した筋肉量を維持しているのであろう。

 何より素早く飛び出して来たところを見るに、この土地において有利を得る為だとエスは推測する。


 「あーあ、やっちゃったなぁ……

 ユエシィちゃん」


 イゾラドと対面しつつエスは背後のユエシィに文句を垂れる。

  当のユエシィはと言うと、泥の上に尻餅をついて、怯えて我を失っている。エスは彼女に逃げろ、と命令したいところだが、彼女の様子を見るに言ったところで実行は出来ないだろう。


 「まぁどうせずっこけて終わりか」


 安易に彼女がそうなる姿が想像出来た。

 一先ず彼はユエシィの事よりも、目の前のイゾラド達に注意を向けた。

 彼らは武器らしい武器を所持していないが、それ故に得体が知れない。彼らの身長は小柄で、およそ百六十程度とエスは見立てる。

 

 「この足場の悪いとこで近接戦。

 まぁ、やれない事はないか……」


 しかし、とエスはイゾラドの一人を見る。

 正面に立つ一人は際立って異常だ。

 目玉が常にあちらこちらを向き、人間的でない。何に似てるかと言えば、昆虫か爬虫類に近しい動きだ。

 何を探しているのか、理解が及ばない。


 未知を感じると同時に、エスは握りしめていた泥を正面の相手に投げ付ける。

 しししっ! 奇怪な音を発し、イゾラド達は飛び跳ねた。彼らの目線は投げられた泥に向いている。

 その隙をついてエスは正面の奇人へと走り出す。既に右手は掌底の形を作り、奇人の胸部へ触れようとしている。


 「道よ、開け」

 

 妙な掛け声と共にエスは掌底を奇人の胸部に合わせる。

 僅かな空隙を縫う様な一撃。

 掌底が胸部に触れると奇人の身体は浮き上がり、真円の縁にぶつかって赤い液体を滴らせた。


 次いでエスは左右に目をやる。両側に分かれた二人一組のイゾラド達は目の前で砕かれた一人には一切の目もくれず、エスだけを見澄ましている。


 再び間が生まれ、エスとイゾラド達の間に緊張感が走る。

 ──携帯型電磁加速砲ライトレールガン持ち出しておけば良かったな、思考しながらエスはユエシィの方に目を向ける。

 エスの後方数メートルで彼女はやっと我に返り、周囲の状況を把握した。


 「っぁ……」


 声にならない声が彼女の喉から漏れると、イゾラド達の目は彼女に集中した。


 ──不味い。


 エスがそう感じ取り、後方に下がろうとしたその時、正面からもう一人イゾラドが現れ、エスに襲いかかった。


 「マジかっ!? 

 とりあえず逃げろ! ユエシィ!!」


 エスは新手のイゾラドをいなし、地面に叩きつけ頭部を砕くが、残りの四人がユエシィの方へと迫る。


 「いやっ!!」


 咄嗟に走りだそうと足に力を込める彼女だが、それを泥が阻んだ。

 ぬるん、と彼女の足元を掬い、彼女は胸から泥の上に叩きつけられた。

 泥土の中、背後に迫るイゾラドを想像し、彼女の頭は真っ白になった。


 「う、あ」


 徐々にエスとの距離を引き離されている事に彼女は気付き、呻きながらも手を伸ばす。


 その細い両の足首をイゾラドの二人が一つずつ掴み、彼女を引きずり出す。

 二人のイゾラドは彼女をエスとは真反対の方向に引きずって行くが、後の二人はエスが追いかけるのを阻む様に臨戦態勢を取った。


 「はは、まーじで転びやがったよ」


 必死で手を伸ばしている彼女を前に、エスは想像していた事が現実になった事に対して苦笑するだけだった。

 彼の眼前には未だに奇妙なイゾラド達が目玉をぐるんぐるんと回して、異様さを醸し出している。

 

 「死なれんのは困るしな。

悪いが──破壊最優先で行かせてもらう」


 エスはソフト帽を深く被ると、大きく一歩を踏み出す。それに合わせる様にイゾラドも左右に分かれ、両側からエスを挟み込む様に迫ろうとした。


 「残念。不正解だ」


 その声と共に左側にいたイゾラドの胸にナイフが突き刺さり、泥の上に倒れる。それを見た右側の動きが一瞬止まると、エスは即座に懐に迫った。

 し……! と音を漏らすのを最後に、イゾラドの身体は宙へ舞いながら血を吹き出し、地面へと落ちた。


 投擲したナイフを死体から引き抜いて、エスはユエシィが連れ去られた方向を見る。

 既にユエシィと彼女を連れ去ったイゾラド達の姿はなくなっており、見通しのいい緑の平原が見渡す限り広がっている。


 エスの想定よりも何倍も速く、イゾラド達はその場を去っていた。何故彼女だけが連れて行かれたのか、エスは考える。


 彼の経験則の知識では群れを成す異常存在の多くは繁殖用として、雌の人間を連れ去る傾向にある。大体の場合発見時は手遅れで、

既に何かしらのヤバいものを孕んでたりするのが大半だった。

 彼は以前に、そういったMOと関わった事があり、その時は心底最低な気分になったものである。


 「ってもそれだけで異常存在なら、変質者も回収案件になっちまうか。

 そう簡単に楽観出来ないな」


 連中の飛び出してきた真円も気になるが、エスは彼女を連れ戻す事を最優先に、消えていった方向へと駆け出した。

 

 

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