放浪編 第1話 虚飾


 ブラジル連邦共和国、通称ブラジル。

 エスとユエシィが到着して、二日が経過している。

 彼女はベージュ色のワークキャップを被り、白のワイシャツ、深い紺色のジーンズを纏っている、長い銀髪を纏めてポニーテールにすると、周囲の目を奪う程の美人である。見るものはエスしかいない訳だが。


 第七研にいた頃のユエシィは殆ど外に出た事がない。人形じみた美しさが損なわれてはいるが、それでも彼女自身の持つ神秘的な容貌は埋もれていない。


 そんな彼女はこの国の気候を頭では理解していたが、実際に来たのは初めての事となる。二人は熱帯乾燥林の中をとあるMOの情報を求め、進んでいる最中である。

 

 「あっつい……」

 

 頭上の太陽は彼女の事情など考慮せずに激しい熱をぶつけてきていた。彼女は前を行くエスに目を向ける。


 その彼は先日の格好、モッズコートにソフト帽、黒いズボンを履いている。にも関わらず彼は汗一つかいている様子は無い。白霧の仮面だけは外していない為、実際の表情が分かるわけでは無いが。


 「その格好でなんで平気なのよ……?」


 そう言われ、エスが立ち止まる。彼の格好は確かにおかしいと言われればおかしい。

 彼女としてはこの様な熱帯で厚着をして目の前に居られるだけでも暑いのだから、迷惑である事に違いない。


 「フィールドワークは初めてか? 

 まぁ初めてだろうな。

 言っておくが、この辺りの気温は比較的低い方だぞ? だって言うのに──」


 そこまで言ってエスはユエシィの華奢な肉体を見てため息を吐く。


 「何よ」

 

 品定めする様な視線に不快感を覚え、彼女はエスを睨みつける。


 「あー……お前は適応能力が低そうだし。

ってまだお子ちゃまだもんなぁ、少し休むか?」


 表情の見えない分彼は仕草でもって彼女を刺激しようとする。


 「こんな林の中で休みたくないわよ。

 ていうかそのモヤモヤ取った方がいいんじゃないの? 

 現地の人に見られたら今度こそアンタ記憶プロセスで廃人ルートまっしぐらよ」


 と言いつつ彼女は五リットルの水筒を取り出して、水を飲み出した。ごくごくと喉を鳴らし、汗で失った水分を取り戻す。


 「お前本当に室長だったのか? この仮面は見る者によって見た目を変えるMO〈白霧〉って知ってるよな?」


 「あんたMOを個人で持ち歩いてるの!?」


 驚いて彼女は水を吹き出してしまった。

 MOを施設の外に持ち出すなんて事は本来許される行為では無い。

 そもそもComという組織の理念が神秘の管理である。それは人の目に触れぬ様にし、回収または破壊によって安寧を守る事を意味している。


 「てっきり〈異能高次器官〉でも持ってるのかと思ってたけど、違うのね……良くない事には変わりはないんだけど!」


 「今更気付いたとか可愛いなぁ。

 もっと人と交流した方がいいんじゃないかな、俺みたいに」


 「うるさい! 記録にも残ってないMOの事なんて私が知る訳ないじゃない!

 そんなの見た事ないんだから!」


 まるで子供の様にユエシィは喚き、持っていた水筒をエスに向け投げつけた。それを当然の如く受け止め、エスはユエシィに手渡しに歩み寄ると、その霧に包まれた顔をずいっと彼女の顔に近付けた。


 「な、なに!?」


 急に近付いて来たエスに対し、ユエシィは困惑を示す。顔が見えないとは言え、男性にこんな距離にまで迫られた事はない。そんな状況に戸惑っていると彼は耳元で呟いた。


 「屈め」


 そう言われると同時に彼女の身体が地面に近付けられる。エスが彼女の頭を押さえつけているのだ。エスとしては屈ませる程度だったのだろうが、身体の小さいユエシィはそのまま地面に倒れこむ事となり、泥を浴びる事となった。

 その状態に目も向けずエスは林の先、拓けた平原を注視している。


 ユエシィも泥塗れの顔を上げ、エスの見ている先に目を凝らす。


 そこには、半裸の人間が複数とその彼らの上には不自然に浮いている紫色の雲があった。雲からはぽろぽろと小さくて丸い物体が零れ落ちており、それを半裸の人間達が歓喜し、拾い集めている。


 「──何あれ」


 奇妙な様相に困惑を隠せないユエシィであったが、エスは黙って平原の様相を見続けている。


 以前雲から丸い何かが零れ落ちていたが、しばらくすると、半裸の人間達は平原に空いた真円の穴に入っていった。


 「ユエシィ、お前はあれをどう見る」


 紫の雲を注視しつつエスはユエシィに問う。彼にしては珍しく声音が落いており、逆にユエシィはいつもと違う様子に戸惑うも、たった今目にした異様な集団を思い返す。


 「イゾラドにしか見えなかった、でもあの紫色の雲は何かしらね……なんか丸い飴玉みたいなのを落としてたけど」


 ふむ、とエスは先程の半裸集団がいないのを見て林を進み出し、平原の方へと向かっていく。まだ紫色の雲だけが平原に残っている様子は相変わらず異様だ。


 「ちょっと待ってよ! どんな危険があるのか分からないのよ!?」


 ずんずんと進んでいくエスをユエシィは慌てて追った。エスは振り返る事なく、彼女に向けて話を始める。


 「効果範囲測定、対応陣形、限定兵装……

 分かるか? 今の俺達はたった二人。何も持っちゃいない。あるのはDERレンズと脳みそが二つ。そしてそれは今だけの事じゃない、これから先も続いていく。

 お前だけだ、楽観的なのは。査問会の影どもが俺達二人を追放した意味を理解してるのか?」


 「っ……!

 そんなの、分かってるわよ……」


 彼女は俯いて悔しさに強く拳を握る。

 立ち止まるユエシィをよそにエスは進む事を止めようとしない。それでも話は続いた。


 「いいや、分かっていない。

 分かっているなら危険を省みる必要は無いだろう。お前は常に楽観的なんだよ」

 

 ──あんたに何が分かる。


 そう思っても彼女には言い返す事が出来なかった。それはエスの語った言葉が彼女の本心を暴いていたからである。

 ユエシィは危険なMOと対面した事が無かった。正確には対処の分からない存在と遭遇した事が無い。

 彼女は本当の未知恐怖を知らないのだ。


 その彼女とは対極にエスは彼女の数メートル先を臆す事なく進んでいく。彼女にはその差が遥か遠くに見える。


 「立ち止まったな。そうだ、それが俺とお前の違いだ」


 「うるさいっ!! くそっ……」


 彼女は泣きそうな心を抑えつけ駆け出す。


 私は負けてない。

 怖くなんて無い。


 自らを虚飾して、漸く彼女の足は前へと進み出す。


 「そうだ。それでいい」


 エスは彼女が前に進み出したのを確認すると平原に出る手前の草むらで立ち止まった。


 

 そうして平原の上空に佇む、異様な雲……


 〈紫雲〉を視界に捉えた。エスの眼球に搭載されたDERレンズ、それには既に判定が出ていた。


 『対象:変化あり』


 次の瞬間、雲は消え去っていた。



 

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