Case I 第七研究所
「以上がアスワンに現れたMOとなります──」
凛とした女性の声が薄暗い部屋に響くと、楕円を半切りにした形状のテーブルに着座していた十数名の白衣を纏った人物達は、それぞれが言葉を交わし始めた。
内容はそれぞれ違い、「あの程度なら無色でなくともいいのでは?」「また
先程まで説明を行っていた女性は名を〈ユエシィ〉と言い、彼女も彼らと同様に研究者であり、MO研究において博士号を持つ天才の一人。齢は二十六とまだ若いが、それ以上に驚きであるのはその容姿である。
長い銀髪に強い目付きをした澄んだ青い目、何より特徴的なのは平均的な九歳の女児と同程度の身長であり、色白な事もあって人形の様にしか見えない事だった。
きっと周りの研究者達もこんな小娘が博士号を持って自分らの上に立つ事など従来なら認めなかっただろうが、彼女の異様な雰囲気が彼らに妙な納得感を与える結果となった。
それをユエシィ自身はあまり納得していないが、それ以上に研究者同士の面倒に巻き込まれなかった事を幸いに感じている。
今日は先日に発生した新規のMOの報告をする為、集会が行われていた。
ここは世に遍く神秘を総じて既知の概念に置き換え、その力をコントロールする為に設立された組織、〈Com〉の研究施設の一つ。
集会は新規のMO発生や、新たなMO技術の導入・提案の際に行われている。そうしてそれを取り纏める事が研究施設に配属されている博士号を持つ者の業務なのだが、実際まともにそれをこなしているのは、この第七研究室室長ユエシィのみである。
「──各々言いたい事はありますでしょうが、愚者が破壊してしまった以上、以降の追求は全て無意味です。
もし今後もこういった事例を減らしたいのであれば現在よりも高性能の判定端末を完成させるしかありません。
以上をもって集会を終えます」
彼女──ユエシィはまだ騒がしい会議室を颯爽と出て行くと真っ先に自室へと向かって足を進めた。
真白い蛍光灯が灯る廊下では彼女の長い銀髪と白衣が映えるが、そんなものは誰に見せる訳でもない。無用の長物である。
自室前に到着し、やっと休める……そう思いドアノブに手をかけた所で背後に嫌な気配を感じ取った。
「おやすみ!」一方的に『気配』に告げて自室に逃げ込もうとするが、それは咄嗟に足を伸ばすとドアとの間に差し込まれユエシィの逃走は阻まれてしまった。
そうなるとユエシィは諦めて、改めてドアを開く。
「何の用よ……」 普段の凛々しい姿からは想像出来ない程のうんざりした顔を『それ』に向ける。そこには悩みの種である〈愚者部隊〉の一人、〈エス〉が立っていた。
「おいおい。わざわざ装備の感想を述べに来たんだぜ? 現場の人間を蔑ろにするのは良くないな」
そう言ってエスは彼女の許可なく部屋に入り込むと、表情の伺えぬ
ユエシィは毎度毎度エスのこのわざとらしく見下ろす動作が気に食わなかった。何せ彼女は目の前の男の直属の上司でもある。
相応の態度があるだろうと何度も憤慨したが、この男にはまるで通じない。
故に彼女はエスを敵視するのではなく、天敵として見なすようになった。
「黙り込んでどうした? まさかまだ上司だ部下だなんて喚き散らそうとしてるんじゃないだろうな?
あのなぁ、そんな事気にしてるからいつまでもお子ちゃまなんだぞ」
──ぶち殺してやりたい。
そんな感情がユエシィの奥底から込み上がってくる。しかしそれも初めての事では無かった。以前にも同様の事でエスをぶち殺そうとした事がユエシィにはある。
その時は実験段階だったMO技術を持ち出して、エスの自室ごと別世界に吹き飛ばそうとしたのだ。無論結果はご覧の通り、エスがここでピンピンしている以上、彼女は失敗に終わったのである。それどころかその時、彼女はその行動で十枚の始末書を書かされていた。だがその失敗は後にDDグレネイドの礎となっている。
こうしてユエシィは、この男とはどこまでも相容れないのだと彼女は絶望した。
そして─れこれは彼女が生まれて初めて抱いた絶望だった。
「はーーー……」沸いた怒りは先日の事故をフラッシュバックさせると、次第に怒りは無力感に変わり、目の前の天敵を前にして完全に矛先を失った……。
「……まぁいいわ。わたしも丁度あんたに用事があったのよ」
「なんかしたか、俺?」
なんかしてる自覚があんのか、とユエシィは突っ込みたくなったが、すぐに収まる。
彼女にはこれ以上話を膨らませる気力などとうの昔に使い果たしていた。
「有りまくり。まずこの間の試作品の事」
人差し指を立てエスの前に突き出す。それを見てエスは「それそれ」と頷く。
「DDグレネイドだろ。あれは良いね、小汚い怪物の肉とか血とか糞とかが飛び散らなくて済む」
うんうん、と感心するエスを前にユエシィは呆れかえっていた。
「そこじゃないんだけど」
「ん? ああ、確かにそうだ。一番大事なのはあれが画期的な掃除機だって事だ! あれが全員に支給されれば、ムカつく奴とかぶち殺したい相手の顔を二度と見なくて済む! ──平和になるねぇ!」
それはユエシィに対する明らかな挑発であった。確かに先日ユエシィは本気でエスをぶち殺そうとDDグレネイドの前身である装置を彼の居室に向けて使用した。思いの外エスも結構危なかった様で、根に持っているらしい。
本来なら試作品レベルのサンプルで貴重なモノを全部使い果たすなんて、と注意する予定だった……のだが挑発に乗る気力も面倒な話を続けるつもりなんて先程から微塵も有りはしない。ユエシィはもう一度深くため息を吐いた。
「分かった、ごめんごめん。んで、次の話しても良いかしら?」
「しょうがねぇなぁ──とりあえず昼はお前の奢りで水流してやるよ」
「もうそれで済むなら、昼くらい幾らでも奢ってやるわよ。続けるわよ」
兎に角早く話を切り上げたいがためにユエシィは投げやりな返答をしていた。エスはと言うと指をパチンと鳴らし、言ったな? と言うと黙ってユエシィの話に耳を傾けた。
「?? まぁいいわ、二つ目。昨日のMOについてよ。実際戦ったアンタなら分かると思うけどね、アレ、回収出来たわよね?」
エスに詰め寄るとなるべく圧を与えられる様背伸びをして顔を近付ける。それに対しエスは微動だにせず、すると言えば顎に手を当てふぅん? と不思議そうにしている。
「あんなの回収したって役に立たんだろ」
少し間が空いて、背伸びを続けているユエシィの足がぷるぷると震え出した頃、何の悪びれもなくエスはそう言った。
それを聞いて背伸びを解くとユエシィはもう一度ため息を吐く。
「あのね、アレが神話由来なのは分かってたでしょ? 神話由来のMOが私達に齎してくれる恩恵とか、技術って凄いものがあるのよ? アンタはそれを台無しにした訳って事。分かる?」
「それはダウンフォールの指示を出したオペレーターの連中に言ってくれよ。俺達は指示通りに動いただけ。分かんねぇかなぁ……分かるよね?」
エスは子供みたいに首を傾げる動作でユエシィを愚弄すると、やれやれと言って駄目押しにため息を吐いた。
そしてとうとう、彼はユエシィの限界点に到達してしまったのである。
「死ね!!!」
出せる限りの声を張り上げ、彼女の右拳に力が込められる。エスよりも三十センチ下から彼女は彼の顎を目掛け、拳を高く振り上げると、それは見事にエスの下顎へと届き、彼女は脚に力を込め跳び上がる。
顎を打ち抜き、そのまま着地すると仰向けに倒れたエスに唾を吐きかけ、彼を部屋から蹴り出した。
「くたばれ! モヤモヤ男!」
それはそれは見事なアッパーであったと、しばらくの間第七研では話題になるのであった。
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