第7話 嵐の予兆

 神器の霊威はあまりに強く、ヤマトは一所に留まることもできなかった。時にわずかに留まれる地を見出すと、皮も剥がない丸木で急ぎ鳥居を作り、結界する。

 やがてその皮も剥がない丸木の鳥居は「黒木の鳥居」と呼ばれ、畏れられるようになった。

 (鎮まりたまえ)

 ただひたすらにそう念じ、仕えても、神器の荒ぶりはおさまる事を知らない。

 いつまで、こんな事を続けられるだろう。

 ふらふらと霊地を辿っての移動は辛く、それ以上に神器の霊威は重くヤマトにのしかかった。

 疲れは時にヤマトの内側を削り、ふと何もかもが消える時がある。

 苦しい、辛い、という感情。

 なんとかして神器を鎮めなければという焦り。

 いつまで、どこまでという果てしのない絶望。

 それらが平らにならされ、ただ空っぽの器になったヤマトに残るのは、仕えるという事だけだ。

 ただ、無心に神器に仕える。

 ただ、ひたすらに神器に仕える。

 疲れと摩耗の果てのそんな境涯で、ヤマトはふと、神器がいつもよりも荒ぶりをおさめている事に気づいた。

 (鎮まり給え。)

 今こそと押さえ込みにかかり、激しく神器の反発を受ける。

 そんな事を幾度繰り返した事だろう。

 幾度も、幾度も、ぼろぼろになりながら、やっとヤマトは気づく。

 無心に、ひたすらに、ただ仕えるのでなければならないのだと。

 神器とは人が押さえ込み、鎮める事ができるものではないのだと。

 ひたすらに仕えること。

 それだけをヤマトが志した時、終に神器の荒ぶりが止み、留まる事のできる霊地がヤマトの前に現れた。


 やまとひめ

 やまとひめ

 やまとひめ

 鞭打たれるような衝撃に倭は必死に耐える。

 (鎮まり給え)

 祈る度に衝撃はさらに強く、倭に叩きつける。

 なぜ?

 どうすればいい?

 そんな問さえも浮かばない。

 いや、その答えは知っているのだ。

 ただひたすらに仕えること。

 なだめようとも、抑えようとも、鎮めようともしてはならない。ただひたすらに神器に仕える事以外に、倭にできることはないのだ。

 その事が、倭の中にすとりと納まる。

 ただひたすらに仕えること。

 いかに神器が怒りに震えても、荒れても、その怒りのままの神器に仕えること。

 神器が遠くにあるとしても、ただ畏みて祀ること。

 神器は怒っている。

 猛っている。

 その怒りは強く、剣は叢雲を呼んでいる。

 叢雲は嵐をおこし、海を地を荒らすだろう。

 しかし鎮まり給えと願ってはならない。

 怒りをおさめ給えと祈ってはならないのだ。

 倭にできることはただ、ひたすらに畏れ、仕え、奉ることだけなのだから。

 ただ祈る。

 畏みて、仕えさせ給えと祈る。

 無心に、自分が消えてしまうほどにひたすらに。

 仕えさせ給え。

 仕えさせ給え。

 仕えさせ給え。

 神器は荒れる。叢雲を呼ぶ。

 雲は風を、雨を、嵐を呼び込む。

 荒れる。

 荒れる。

 荒れる。

 これほどの神威に、怒りに、人ができる事はただ畏みて頭を垂れることだけなのだ。

 荒れ狂う嵐を感じながら、倭はただひたすらに神器に寄り添い仕え続ける。




 「雨が。」

 常磐の声に、籠目は雨が降り出した事に気づいた。

 わずかの変化も見逃すまいと息をつめるようにして控える籠目は、感覚の全てを倭に向けている。

 それでも気がついてしまうと、雨音が辺りを満たしているのを感じるようになった。

 常磐が気を揉んでいるのがわかる。

 湿気の上がってくる床に倭は直接横たわっているのだ。

 雨は激しくなるだろう。

 それは確信だった。

 倭が神気を感じ、魂離れしている折に降り出した雨が、無関係なはずはない。倭を呼び、魂離れさせた神気がこの雨を降らせているのだろう。

 神気を鎮め参らせるのは倭の役目。いつきひめにしか成し得ない役目だ。

 その倭に仕える籠目にできるのは、ただ倭の身体を見守ることだけ。

 「奥さまから少し離して、火桶を用意してはなりませんか。多少でも湿気を払う事はできましょう。」

 常磐の提に案うなずくと、常磐は直ぐに大きな火桶を二つ、倭を隠した衣桁の外に据えさせた。炭をたっぷり燃やしているのか、冷たい湿気が緩んでくる。

 雨は強い。

 叩きつけるような雨の音。

 うねる風の音。

 嵐だ。

 いかなる神気がこの雨を降らせているのだろう。

 なにとぞ鎮ませ給え。

 籠目は倭に祈る。

 いつきひめ以外の誰にこの神気を鎮めることが出来るというのか。

 倭はぴくりとも動かない。

 板間に倒れたままの倭をただ真綿と布で覆っただけの様子に、常磐が気を揉んでいることはわかる。

 だが、この状態の倭の身体に触れるのはあまりに危険だ。何かの弾みで身体を離れた魂が戻って来れなくなることもあり得るのだ。

 ひめさま。どうかひめさま。

 倭に鎮ませ給えと祈る。

 同時に、倭の無事と早く魂の帰る事を神に祈る。

 常磐の心配はもっともだ。籠目も倭の身体を気にかけないわけではない。

 女には大敵の冷えと湿気の溜まる板間に、倭を寝かせて良いわけがない。せめて布団にきちんと寝かせれば、倭の身体の負担はずいぶんと減るのだろうに。

 しかし、倭に仕えるために一族を離れた籠目には、どこまでなら倭を動かして良いものか、見極めがつかないのだ。

 一族に助けを求めるべきか。

 しかし、一族は倭を助けてくれるだろうか。

 いつきひめとして育てられながら葛城に差し出され、その妻となった倭を一族はいつきひめとは認めていない。認めていないからこそ籠目以外の全てが去っていったのだ。

 その、いうなれば見捨てられた倭が今、いつきひめとして働いている。

 やはりひめさまはいつきひめでいらした。

 籠目がそう見込んだように、倭は穢れてはいなかった。あのひともなげな男は倭を本当に手折る事はできなかったのだ。

 倭の現状への懸念は懸念として、籠目の胸に喜びが湧く。

 ひめさまはやはりやまとひめだった。

 いつきひめの中のいつきひめ。まさに神霊に仕え、鎮めるためにあられるお方なのだ。

 倭は目覚めない。

 雨はいっそう強く、風は渦を巻き始め。

 嵐がこようとしていた。

 

 

 

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