第5話 立后

 御門である間人の不予を倭が知った時には、おそらく間人はすでにこの世の人ではなかった。まだ老いるには早すぎる間人の病は、それほどに素早く間人の命を奪った。

 征旅の途中での先の御門の崩御。

 白村江での敗北。

 そしてこの度の間人の崩御。

 暗い世相をさらに黒々と塗り潰すように続く禍事に、人々の表情も暗い。

 その暗さの中でついに葛城は御門の御位につこうとしている。

 弟の妻を奪ったという形の額田が、未だ葛城の皇子を産んでもいないとなると、石女とは言われていてもまだ醜聞のない倭の方に、正后の役目が回ってくる。そもそも今はおなじ女王であっても、もともとは皇女であった倭は王の娘である額田とはやはり格が違う。

 朝廷からの内々の打診を、倭はただ謹んで受けた。

 立后となればやはり様々な準備もいる。

 後見すべき親元のない倭がしかもこの明るいとはいえない世情で、賑々しく立后を誇示するようなことはなくても、やはりそれはめでたいことと扱うべき事柄ではあった。

 后のための装飾を施した輿。

 后の格に合わせた御帳台。

 御帳台の側に据えられるべき狛犬。

 后として参代する時の衣装。

 后というものはただの妃などとは違う。場合によっては御門の共同統治者であり、状況によっては即位もありえる御位なのだ。

 装飾品もみな蔵から出して、修繕や手直しなどにも追われた。

 「こうして見ますとたくさんございますね。」

 籠目が一面に並べられた装飾品にため息をつく。

 真珠、珊瑚、玉。

 螺鈿の櫛。銀歩揺。

 どれもそれほど派手ではないが、上質な品ばかりだ。

 「お衣装は紅をお召でございますからこちらの琅玕に大ぶりの真珠など、映えそうでございますね。」

 常磐は使えそうなものを選り分けながら、磨きに出すもの、修理や手直しをかけるものなどの選別にいそがしい。

 これを機会に古い衣装の選別などもかけようというので、倭付きの女たちはみな慌ただしくしている。

 その慌ただしい中で、当の倭だけがいつも通りに静かだ。

 その、倭の凪いだような感覚は、常にはない霊威が京の内に現れたのを感じていた。

 中でも殊更に強く感じる、本来はとても荒々しいものが鎮められている感触。これはいったい何なのだろう。

 「ねえ、熱田からの使者はもうおいでかしら。」

 ふと思いついて、籠目に聞いてみる。

 即位の折に最も重要な神器は三つ。

 玉は宮中で猿女が守っている。

 鏡は倭姫命が伊勢へと運んだが、その折に神威をも移した写しを残し、やはり猿女に守られている。

 ただ、剣だけは今も熱田に伝わって、御即位の折には宮中に運ばれる決まりだ。

 「そう言えば、熱田の方が来られているという話はございます。伊勢からもすでに参っておりますし。」

 では、この感触は熱田の剣のものなのだろう。

 倭姫はそれで納得した。


 やはり姫様はいまでもやまとひめでいらっしゃる。

 主の様子に籠目はその思いを強くする。

 倭は即位のために京に集まる種々を、どうやら感じ取っているらしい。中でも熱田の剣の事を気にしている気配がある。

 あの剣はやまとひめともつながりの深いものだ。

 強すぎる神威が身近にありすぎる事に悩んだ時の大王おおきみのために、倭姫命が持ち出したのは鏡と剣。その剣は倭姫が伊勢へ宮を定めた後に、甥の小碓皇子おうすのみこに譲られて各地を平らげ鎮めた。最後は小碓皇子の手より離れ、その妻の一人の美夜受媛によって祀られたのが熱田の社だ。

 強い神威を放つ剣にやまとひめである倭が惹かれるのはなんの不思議もない。

 籠目はいまも葛城を許していない。

 よりにもよってやまとひめを形代に取りながら、結局は倭の父皇子を処した事。そもそも倭を通いどころなどにした事に対しての、どうしようもない腹立たしさは、わずかも薄れてなどいない。

 だが、今この時の正后が他でもない倭に定まろうとしている事には、天の配剤を感じる。

 帯中日子たらしなかつひこ大王の正后息長媛おきながひめの例にもあるように、正后は時に神に言問う役割を負う。この国難の折に倭ほど正后にふさわしい妃が他にいるはずもない。

 (やはりひめさまはやまとひめでいらっしゃるのだ。)

 葛城に差し出された倭を見捨てた一族に、今こそ誇らかにそう言ってやりたい。

 即位とそれに伴う立后の準備はつつがなくすすみ、即位の式典の終わった後、倭は予定通り立后の宣旨を受けた。



 

 

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