第4話
葛城たちが戻ったことで、
京に戻れば葛城はたまさかにでも倭に通うようになる。つい先日までの葛城が不在の間の、平坦な静けさを求めることはさすがにできない。そして葛城が現れるようになると、倭の宮の者たちも不思議に活気づくのだ。
その活気に、自分が取り残されている事に倭は気づく。気づいても特に気になるわけではない。ただその活気をよそごとに眺めるだけだ。
そして少し、不思議に思う。
敗戦の不安。強大だという敵国への恐怖。活気の裏側には確かにそんなものがある。
しかし。
そういう、後ろ向きなものだけでない何かが、確かに感じられるのだ。
生きたい…いや生きている。
生き延びたい、生きてゆきたい。
その、伸びる若木のような真っ直ぐな欲望。
それが敗戦という国難の中でくっきりとあらわになり、揺れる世情を照らしている。そしてその生きようという欲望を明るさとして、国を支えているのがおそらく葛城なのだ。
倭の閨を訪れる葛城は疲れている。
それでいて飢えたように倭を求める。
倭はその求めに何を返すこともない。
倭にとって葛城は吹きすぎる嵐。通り過ぎる雨。やがては明ける闇夜だ。
だからただ静かにすぎるのを待つ。
倭と葛城の関係だけを言えば、驚くほど変わりないのだ。何が起こるのかを知っている分だけ、始めての夜のように混乱することはなくなったというだけで。
「そなたは不思議なほど変わらぬな。」
ある朝の立ち去り際に、葛城がつぶやいた。倭はいつもの通りにほんのりと笑んだようにも、泣きそうにも見える表情で葛城を見る。葛城は一瞬何か言いたそうな顔をして、しかし何も言わずに去った。
奥さまはなぜこれほどにおあつらえむきの「獲物」でいらっしゃるのだろう。
倭に仕えるようになってから、常磐は幾度そう思ったか知れない。
初めて側に上がった時、倭は惨い形での初枕を終えたばかりの少女だった。
本当の事を言えばその時は、葛城がこれほど長く倭の元に通うとは思わなかった。
日に当たったことのろくにないのがわかる肌は見事に白く、髪は豊かで黒ぐろとしていたが、貴種の女性の基準で言えば際立った美貌というわけではない。
細い体はいかにも幼く、泣き腫らした顔も子供っぽく、葛城を引きつけるような女の魅力を備えているようには思えなかった。
しかし、その考えは倭に仕えるうちに変わった。
三日夜を過ごし、露顕を迎え、さらに共寝の夜を過しても、倭は変わらなかった。
男に肌馴れたが故に滲むようなものを何一つ、倭はまとわない。
意識する、しないにかかわらない媚も、滴るような色香も、体をほしいままにされているが故の屈服の気配も、それに対する反発も。
ただ、好きではない義務を果たす冷ややかな静けさで、淡々と葛城を閨に迎える。
熱愛されているということはない。
そもそも葛城は、一人の女を深く寵愛するような男ではない。
だが、途切れがちといっても連続しては通ってこないというだけで、十日に一度ほどは必ず倭を訪れる。時にはそれが五日や三日になることもあった。長く訪れが途絶えるのはこの度の征旅のように、長く倭のそばから離れているような時だけだ。
経済的な保護も厚い。
葛城は倭に執着している。おそらくは最初の戦利品として。
そして戦利品として見ると、倭はお誂え向きの獲物なのだ。
葛城に染まることのない倭は、葛城にいつでも勝利の味を思い出させてくれるだろう。鬱陶しく頭を押さえつけていた異母兄をはねつけ屈服させ、その愛嬢を差し出させた時の生々しい喜びを、倭は変わることなく湛えているのに違いない。
いつまでも折れない花は、幾度でも手折れる花だ。
半島での戦闘が未曾有の敗北に終わり、遠征の軍が戻るときいて常磐は、必ず倭の閨に葛城は通うことになるだろうと予感した。
追いかけて、倭に難波までの出迎えを命じる文が届いた時には、すでに荷造りを済ませていた。
敗北だからこそ、いっそう葛城は倭を欲するはずだ。
案の定、難波に戻ったその夜に、葛城は現れた。現れて、数年ぶりに倭を手折った。
葛城と倭の閨には甘やかな睦言も、夜離れを恨む言葉もない。常に葛城は征服者として現れ、倭は幾度組み敷かれても折れることがない。
まるで常に勝利者の決まっている、小さな戦のようだ。そして敗残し、蹂躙されても尚、倭は誇り高く、決して葛城に染まらない。頑なに拒むことも反発することさえもなくありのままに、倭は葛城の支配を受け付けてはいないのだ。
葛城は倭を蹂躙し、征服する。
そして自分が倭を決して支配できないことに苛立ちながら安堵する。支配することのできない倭は、いつまでもいつきひめのままだ。本来なら手を触れてはならない聖別されたいつきひめを、幾度でもほしいままに手折れることは、葛城にはこたえられない歓びだろう。
まさに、葛城にとってお誂えむきの獲物。
今宵も葛城は来るという。
葛城は倭の宮では食事も湯浴みもしない。ただ倭を抱きに来て、終われば早々に戻ってゆく。
常磐は倭の髪をくしけずり、腕によりをかけて倭をみがきあげる。
あだめいたところのないように。
ただ清浄に、触れるのをためらうほどに清らかに。
倭がもっとも倭らしい、いつきひめにふさわしいたたずまいに。
白玉の簪、薄色の被礼、ごく薄くさした紅。
先触れの声に、倭の
ちょうど寒すぎる朝や寝苦しい夜に浮かぶような。
「奥様。」
そっと手をとって促す。小さなため息を一つもらして、倭は立ち上がった。
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