蘇る稲妻

 激しくゆれる尻尾しっぽにかろうじて捕まってはいたものの、片手にバスタードソードを握っている状態ではそれ以上動くこともできない。

 せめて地上から動かなければ、そのまま尻尾に乗り上げてけ上がることもできるが、このままではなにも変わらない。

 手を離してしまえば、接近するチャンスはもうないだろう。


 天井に巨大な穴が口を開いた。

 その先に目を凝らせば、学園の校舎が見える。

 あの巨体でどうやって移動するのかと思っていたが、空間に穴を開けるのは別段シュレントの専売特許というわけではない。

 ディロワール自身が亜空間を作り出す能力を元々持っており、その応用がこれというわけだ。


 ヴォルゴーレがいれば、魔術があれば、身一つの自分はこんなにも矮小わいしょうなのか……。

 目の前にいるたった二人の子供すらも助けることのできず、ただ虫のように潰される、あの頃の……。

 ディーノの視界に浮かぶのはあるはずのない幻、自分を嬉々ききとして踏みにじる故郷こきょうに住んでいた悪魔の影。

(違う!)

 それはただの幻影だ。

 自分の弱さと後悔が見せるあきらめの気持ちが浮かび上がらせたもの。


 ディーノは左手に力を入れ、宙ぶらりんの体をひねり上げて尻尾の上に着地する。

 ただの人間ならありえない挙動きょどうでも、余計な思考に気を取られる前に、ディーノはその足を前に踏み出し、尻尾からその背中へと一気に駆け上がり、翼へと到達とうたつする。

 その瞬間、制服のポケットから黒い光がれ出て来る。

 確かこれは……。


『僕の胸ポケットに黒いカードが一枚入ってる。それが僕たちだけが持てる通行証』


 アンジェラがカルロから取り上げたそれを持ったままだった。

 無意識に制服の中に忍ばせていたことなど、頭からすっかり抜け落ちていた。

 遺跡と学園を自由に行き来できたように、ディロワールの間につながる抜け道を自在にすり抜けるための鍵がこのカードだ。

 そして、翼の間には何かを表示している四角い光る板がある。

 力任せにコードを斬ったり抜いたりするよりは、断然だんぜんマシだった。


 ディーノはそのカードを板に近づけると、文字列が変わり声が聞こえてきた。

識別しきべつ、ディロワール候補カルロ・スタンツァーニ。ご用件を』

 専門的なことは一切わからなかったが、ディーノは反射的に答えた。

「中に入っているソフィアとレオーネを解放しろ!」

『対象の心拍、興奮状態より緊急と確認、臨時メンテナンスモードに移行します』


 がくん、と合成ディロワールが大きく揺れて、地響きとともにその巨体が落下する。

 ディーノが反射的に翼をつかんでこらえると背中の一部が開いた。

「お兄さん!」

 そのまま中の方へ体を乗り出すと、ソフィアが抱きついて来る。

「待て、落ち着けっ!」

 ソフィアをおぶる形になって、もう片方のレオーネに手を差し伸べる。

「ディーノさん。こわかったよぉ」

 ソフィアとレオーネは、ディーノの顔がほころんでいることに気づいたが、それが普段のディーノでは考えられない表情ということにか気づいていなかった。

「わりーが、まだ喜んでられねーんだ」

 優しい言葉の一つもかけてやれれば違うと思いながらも、ぬか喜びさせるのは余計に残酷ざんこくだという気持ちが働き、結局突き放した物言いになってしまう。


 この場から一刻も早く離れなければならないと、ディーノは合成ディロワールの背中を駆け下りていく。

 カードのごまかしがいつまで効くのかわからず、今にも動き出すのではないかと思うと、ディーノは気が気ではなかった。

 今のディーノは自分だけでなく、ソフィアとレオーネの命を背負っている。

 空間の穴は消えてくれたが、そうなると今度はどうやってこの二人を安全な場所にかくまうか。


 そこまで考えていた次の瞬間、爆音とともに何かが空間の穴から飛び出してきた。

 炎の翼を生やした黒い影、いうまでもなかった。

 鎧のような体がボロボロになってるが、アウローラたちだけでは倒し切るに至らなかったのだろう。

『これは……ハハハハハ! まさか魔術も使えない君がこの状況をひっくり返したというのか!』

 バレフォルの姿を見たソフィアとレオーネはディーノの背中に身を隠す。

『信頼されているみたいで何よりじゃないか、勇者様! なにも知らないということは、幸福こうふくであり、そして残酷ざんこくだとは思わないかい?』

 バレフォルには焦りのそぶりは見えない。

 いや、この状況下でもディーノがまだ戦えないことに確信を持っているのだろう。

 カルロのカードであの機械を簡単にだますことができたのは、瑣末さまつな問題でしかないのかもしれない。


『君の本当の姿を知れば、その子たちがどんな顔をするのか、もう分かり切ったことだよねぇ。いっそこのままでいた方が、君も幸せなんじゃないかなぁ?』

 バレフォルはゆさぶりに来ている。

 心理的に追い詰めて、まだ無力な人間のうちに始末するために……。

 頭ではわかっていても、心が反応してしまいそうになるのは、まだ整理しきれていないからだ。

『でも、君が人間のままでいれば、ここに三つの焼死体ができあがるわけだねぇ』

 バレフォルがかかげた手の平に炎が集まり、合成ディロワールが吐き出したものとさほど変わらないサイズの火球がり上げられる。

 見た目が満身創痍まんしんそういでも、力がおとろえているわけではなかった。


 幾度いくども味わって来た死が近づいて来る感覚。

 しかし、それはこれまでの短い人生の中で味わって来たものとは全く違う。

 今、ディーノの後ろには、力を失った自分よりもはるかに無力な命が二つもある。

『それとも、見捨てて逃げてみるかい? そうすれば不安の種が一気に消えてくれる、万々歳ばんばんざいじゃないか』

 魔降術を失ったそもそもの原因が跡形あとかたもなく灰になる、自分がみにくい怪物と同じだと知られずに済む。

 耳に入って来るバレフォルの言葉は、弱った心に追い打ちをかけるように、じわじわとむしばんで来る。

 奴はこうやってディロワールを増やし続けて来た。

『さぁ、決断の時だ!』


 バレフォルが投げるように放った火球はさらに巨大さを増してディーノ達に迫る。

(俺は……俺は……)

 思い浮かんだのは、空を行く巨大な怪鳥かいちょう

 ソフィアと初めて会った時のことだ。

 誰も自分を知らない場所で力を使ったのはどうしてだったのか……。

 そして次に出て来るのは、あの悪辣あくらつなガビーノの住人が、アウローラの指輪を奪い取った時。

 確かにあの時ディーノには、幼少のアウローラとソフィアが重なって見えたのだ。


 ただ、助けたかった……。


 そして今、魔術が欲しい。

 剣だけでは、自分一人の力では足りない。

 いや違う、今は眠ってしまっているものも、ディーノの力だった。


『どうした?』


 頭の中で声がする。

 散々聞いて来た、聞き間違うはずのない声を。


「力、貸してくれよ。守りたいんだ……」


 それが、ずっと隠して来た、ディーノの本当の気持ちだった。


『答えは最初から決まっている』


 ディーノは大火球に向かって拳を突き出した。

 拳は紫色に輝き、稲妻をまとう。

 そして、やがて全身が白い鎧のような皮膚ひふへと変化して行く。

 爆炎が轟いた瞬間、大火球が稲妻によって粉砕され、白い煙が舞い上がる。


『終わってみれば、あんがい他愛のない……!?』

 煙が晴れた先にあったのは、再び現れた白い怪物の影だった。

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