二人目の七星 −2−

 マナを阻害そがいされる不快感の中で、フリオはこれまでにない緊張きんちょうを強いられていた。

 意識を集中して学生服を魔衣ストゥーガに変異させる。

 今自分にできるのは、種を媒介ばいかいにして木のつるを急激に成長させて先ほどのように攻撃を防ぐ盾にしたり、動きを封じることぐらいだ。

 魔降術に触れて三ヶ月、年齢的に遅い契約であることを加味かみすれば、むしろフリオの成長速度は常人よりはるかに速い。

 しかし、それだけでは目の前の怪物を倒すだけの力には至らなかった。

 ウェパールが再び動いた。

 腕をふるって打ち出されるのは、刃物のように凝縮された水だ。

 さらに、先ほどの油断もない一撃はフリオが再び張った蔓の壁をたやすく貫通させてしまう。

「ぐあぁっ!!」

 三本の水刃すいじんはフリオの両腕を切り裂き、鮮血が舞う。

 この結界の中では媒介なしに植物を精製できないことを考えれば、ウェパールは遠くからこの水刃を放っているだけで自分たちなど容易に殺すことができる。

『ほらほら、良かったのは最初だけかなぁ!』

 さらに数を増した水刃が襲いかかり、フリオは走りながらよける。

 その間にも水刃は魔衣ごと足や胴を裂いていき、フリオの体は赤く染まっていく。

 せめて敵を攻撃する魔術があれば、と考える中で思いついたものといえば、感情を暴走させて使った食虫植物や猛毒の花粉、ヤドリギの魔術。

 仮に使えたとしても、目の前の敵が人間と同様に有効かはわからないうえに、ぶっつけ本番で成功する保証もない。

 このままでは敵の思惑おもわく通りにじわじわと削られていくだけだ。

『憧れのディーノ君はあなたたちを助けになんて来れない。来れたとしても誰よりも優先するのは愛しのアウローラさん。それがかわいそうな君たちのま・つ・ろ♪』

 二人をあざけり笑うウェパール。

 だが、フリオにとってそれは絶望でもなんでもなかった。

「当たり前だよ。僕はディーノ君に助けて欲しいんじゃない! 対等になりたいから一緒に付いてきたんだ!」

 フリオは種を握った拳を向けて、マナを集中する。

 急激に成長した種は長杖ロッドを思わせるほど長く伸びて行く。

 枝や葉がむき出しで、アルマのような洗練とはほど遠く、むしろいにしえの時代を描いた伝記や、おとぎ話の登場人物が持つような神秘的なおもむきを感じさせる。

『そんな杖なんか出したって、こけおどしにもならないよ』

 余裕を崩さないウェパールへ向かって、フリオは一つのイメージを浮かべる。

 今まで食らった水刃を、今度はこっちが食らわせてやる光景に呼応するように、杖から急激に枝が伸びていき、明るい緑の若葉が生い茂った。

 どうしてかなどフリオには想像もつかないが、むしろ最初からそれを知っていたかのように、フリオは杖に向かって命じる。

 奴を倒せ、と。

 その瞬間に若葉たちは次々と枝を離れていき、嵐のごとくウェパールへと向かって襲いかかった。

『こ、こんなもの……ウギャアアアーーーーッ!!』

 ウェパールは小さな葉など恐るるに足らないと言わんばかりに、水刃を飛ばした。

 だが若葉はその気流に逆らわず、刃のような鋭さを持って、銀に輝くウェパールの肌を切り刻み、亜空間に漆黒の雨が降り注いだ。

『な、なぜ……いつの間にこれほどの魔術を!』

「わからないだろう? 悪いけど、僕にもわからない」

 魔符術が誰にでも使えると言う理念をもとに、術式と理論によって構築こうちくされたものであるなら、魔降術はその逆だ。

 契約した魔獣および幻獣と術者の精神が、言葉や文字であらわしきれない力を発揮する。

 感情や本能と言った生き物が持ちうる最も原始的なエネルギーが噛み合った時、理論を超えた爆発力が生まれたのだ。

 そして、フリオもドリアルデも、ウェパールまでもが予想していなかったことが起こる。

「にゃあーーーーーーーーっ!!」

 イザベラがアルマも何も持たずに突進し、ウェパールの顔面に向けて飛びりを入れたのだ。

 魔術どころか立っているのもやっとなはずの場所で、無謀むぼうとしか言いようのない攻撃は、あんじょうなんの手傷も与えることもなく、結果だけを考えれば、ただ無意味な行動でしかない。

「その程度でわたくしが折れるとでも思いまして!? アウローラさんをほっぽって助けにくるようなら、むしろわたくしはディーノを蹴っ飛ばしてますわ!」

『え、なに? 論点すり替わってない?』

 威勢いせい良く啖呵たんかを切ったイザベラだったが、ウェパールは困惑こんわくしているだけで、絶対的な有利を得たわけでも、形勢が逆転しているわけでもない。

 だが、当のイザベラは勝ち誇ったような顔をしている。

「魔術が使えなくたって、気持ちで負けなければ負けじゃありませんわ! 自分の弱さに負けてディロワールになった過去は消えない! でも、悔しい気持ちも苦い記憶も、前に進むための力にすればいいだけですわ!」

『ぐっ……わけわかんないねもう! 高飛車なだけのお嬢様だと思ってたのに、とんだ大バカで笑っちゃう! だったらその顔を意地でも絶望に染めてあげる!』

 今この場でなんの力もない丸腰の人間であるイザベラと、魔降術を習得したとは言え未熟な魔術士にすぎないフリオ。

 たやすく狩れる獲物だったはずの二人に翻弄されるウェパールの声に、明らかな激情が芽生え、現れた無数の水刃がイザベラへ向けて乱射される。

「イザベラさん逃げて!」

 フリオがとっさに木の壁を作ろうとするが間に合わない。

 たとえ、イザベラがどんな心持ちであろうとも、肉体的には生身の人間である彼女がまともに食らえばバラバラの肉片になってしまう。

 だがその瞬間、イザベラの周囲に無数の穴があき、水刃は残らずイザベラの体をすり抜けていく。

『一体なにが!』

『残念だったね』

 まるで最初からそこにいたかのように、イザベラの左肩に乗っていたのは灰色の猫。

 シュレントが空間を飛び越えてこの場所へたどり着いたようだ。

『まったく、こんなバカらしい啖呵を聞いたのはいつぶりか忘れたよ』

「シュレちゃん? どうしてここへ?」

『大したことじゃないよ。敵の本陣を探るはずが、弾き飛ばされてここへ来たってだけさ。でも、面白いものが見られた』

 イザベラはしれっと答えるシュレントをきょとんとした目で見返す。

『決めたよ。オイラと契約しよう』

 シュレントが放ったその言葉に、イザベラは理解できないと言った顔で硬直していた。

『なんだよ? 散々言ってたことじゃないか? やっぱり怖気おじけ|づいた?』

「だって、今までずっとダメだって言ってたのに」

『そうだね。ちょっとした気まぐれだよ。今をのがしたらオイラの気が変わって、アウローラと契約したら耳と尻尾つけてディーノとイチャイチャにゃんにゃんって展開も』

 冗談めいたシュレントの未来予想をイザベラは頭の中で想像してしまう。

 冷静に考えれば、まったくと言っていいほどありえない光景なのだが、イザベラだからこそこんなバカげた想像にも真剣に悩むことをシュレントは承知の上だ。

「そっちこそ、後悔しないでもらいますわよ! あなたと契約しますわ!」

 イザベラが意思を示した瞬間、シュレントは猫の目のように光の線が入った丸く桃色の宝石へと姿を変え、イザベラの胸元へ吸い込まれるように入り込んでいく。

 そして、イザベラの姿が劇的に変化し始めた。

 体を白と桃色の体毛が覆って行き、足の関節が形を変え、手には鋭い爪と肉球が、人間と猫を混ぜた獣人じゅうじんと呼ぶのがふさわしい姿だった。

 かつてのディロワールとなった時の猛獣じみた禍々まがまがしさはまるでなく、むしろ優雅さや気品を感じる血統書つきの高級猫だ。

 しくもそれは、ディーノの記憶の世界でヴォルゴーレの力を借りてなった姿によく似ている。

「イザベラさんも、魔降術を!?」

『アッハハハハハ! 何かと思えば、この間のオセと大差ないじゃない! あれだけ偉そうなこと言っておいて、結局はディロワールもどき『ふにゃーーーーーっ!!』べふぁっ!』

 高笑いしながらウェパールが挑発の言葉を言い終える前に、イザベラは全力の猫パンチをその顔面に叩き込む。

 ウェパールの体は派手にきりもみしながらアーチを描いて顔面から落ち、地面と熱い接吻せっぷんをしていた。

「もどきかどうか、しっかりと見せてあげますわ! 行きますわよフリオ!」

「う、うん! わかった!」

 あっけにとられかけたフリオだったが、イザベラの一喝いっかつで気を引きしめ直して杖を構えた。

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