記憶の世界へ −10−

 上からはアウローラが、下からはイザベラが、それぞれの得意とするフィールドで空間を動き回るアトラナートを追尾する。

「こっちですわよ!」

 今のイザベラのスピードはアウローラの倍近くはあるだろう、アトラナートが牽制けんせいち込んでくる毒液はまるで当たらない。

 空を飛ぶことができずとも、猫のごとし俊敏しゅんびんさだけでなく、人間の範疇はんちゅうにおさまらない柔軟じゅうなんな動きをとらえるのは至難しなんの技だ。

「にゃあーーーーーーっ!!」

 指から伸びた鋭い爪は大グモの足の半分をいとも簡単に切断してみせる。

『オノレェェェェッ!!』

 スピードで翻弄ほんろうされてイザベラに注意がいったところで、今度はアウローラが攻める。

「ヴォルゴーレさん、わたしに稲妻を! はあぁっ!」

 糸と卵を生み出す腹部へと向かって槍を突き立て、そのまま稲妻を帯びた刃が縦に切り裂くと、体内で液状になっている糸がこぼれ落ちていった。

「ちょっとアウローラさん気をつけてくださいまし!」

 イザベラが落ちてくる液を全速力で走ってよけていた。

 片側の足がなくなり、動けなくなったアトラナートは近づけまいと毒液をアウローラに向けて撃つ。

 だが、それは先ほどまでの勢いがなくなっていた。

 アウローラだけに攻撃をしかければ、今度はイザベラが生まれたすきを狙ってくる。

 この波状攻撃を前に、獲物を絡め取る力をなくした大グモはなすすべもない。

 アウローラは再び槍を構え、刃に稲妻を落とす。

 イザベラは長く伸びた爪に稲妻をまとい、前傾姿勢ぜんけいしせいで突進する。

「うにゃーーーっ!!」

 アトラナートの頭部に向かってイザベラの目にも止まらない爪の連撃が引き裂き、おまけで顔面を踏み台にして飛び退く。

「やぁぁぁーーっ!!」

 そして生まれた隙をついてアウローラが全力で投擲とうてきした槍による追撃が頭を貫き、風穴を開けた。

『グッ、馬鹿ナ……バカナァァァァァッ!!』

 アトラナートはおぞましい断末魔だんまつまを上げながら消滅していく。

 全てが終わったと確信して、アウローラとイザベラが気を抜いたその瞬間だった。

 無数の糸が虚空こくうから伸びて二人の体が絡め取られる。

『我ダケデハ消エヌ! 深淵ノ世界で我ハ再ビよみがえルノダ! 貴様ラノ命、使ワセテモラウゾ……』

 消えゆこうとするアトラナートの残滓ざんしがアウローラとイザベラを道連れに引きずりこまんと、視界の奥には恐ろしいほど冷たい空気を感じる空間ががっぽりと口を開けていた。

「わたしたちは……負けないっ!」

「ええ、負けてたまるもんですかっ!」

 その最後の抵抗にアウローラもイザベラもその意思を折る事なく持ちこたえていたその時だった。

 アウローラたちがまとっていたヴォルゴーレのマナが消え、二人とも元の学生服姿に戻ってしまう。

 これまでなのかと言う考えがよぎったその時だった。

「ったく、今までよくも好き勝手やってくれたな」

 愛想もなく気だるげで、不機嫌さを隠しもせず、歯に絹着せないその声が、アウローラとイザベラに勝利を確信させていた。

『貴様ガ何故目覚メル!?』

「こんだけ騒がれて、おちおち寝てらんねーんだよっ!!」

 黙っていれば美形だが左頬の傷跡と眉間によったシワで台無しの顔に、闇夜のような黒い髪、紫水晶アメジストのような透き通った瞳。

『ディーノ(さん)!!』

 アウローラとイザベラが同時にその名を呼んだ。

 ディーノは、マナを手に集中させて行き、アウローラたちが急場しのぎで使ったようなものとはまるで密度が違う強大な稲妻が一振りの剣へと姿を変えた。

「消し飛べぇっ!!」

 振り下ろされた一撃は、裁きのごとくアトラナートの残滓もアウローラたちに絡みつく糸も、奥に見える深淵への入り口さえも真っ二つに斬り伏せて跡形もなく消滅していく。

『モ、戻レヌ! 深淵ニサエモ! 消エル……消エルノハ嫌ダァァァ……』

 アトラナートの完全な消滅とともに、黒一色の世界はガラスのようにひび割れていき、そこに現れた風景はこの場にいる三人ともが見慣れた場所だった。

「ここは、学園?」

「よりにもよってここか」

 ディーノは大きなため息をつきながらしゃがみこんだ。

 ここは心が作り出した場所であり、今のディーノが無意識にもっとも望んだ場所が現れたのかもしれない。

「にしても、お前らこんなとこまで来たんだな」

 アウローラにもイザベラにも視線を向けず、ふてくされたような口調でそうつぶやく。

「来るに決まってます! だって、ディーノさんを助けるためなんですから」

 アウローラは歯の浮くようなセリフを臆面もなく口にした。

「それとも、ディーノはこのまま誰も助けに来なければいいと思ってましたの?」

 イザベラは皮肉交じりにディーノを追求して来た。

「ったく。俺は墓場まで持って行きたかったんだよ。なのに全部見られた……見られたくないことまでな」

 それはまるで隠し事が見つかった子どものようで、いつものディーノとはまるで違うのだが、逆にらしいともアウローラたちは思ってしまう。

「お父様もお母様も、わたしは知れてよかったと思ってますけど?」

「違う……俺はお前らみたいに真っ当に生きて来たわけじゃない。こんな血で汚れた道なんて見せたくなかった! 父さんのようになる資格なんかないんだよ! お前らと一緒にいられる資格だってあるかもわからないんだ」

 アウローラもイザベラもこればかりはと思ってしまうが、それでも言わずにはいられないことがあった。

「だからといって、ディーノさんが報われてはいけないなんて、わたしは思いません。だって、本当は優しい人です。あの時のわたしに声をかけてくれたままの」

「今更それかよ」

「だーもう! いちいちいちいち、昔のことを延々と思い返して! 少しは今の自分の事も考えなさい! それを糧に未来へ進めばいいではありませんの!」

 どんよりとした空気を壊したのは、イザベラの一言だった。

 イザベラは逆に共有する記憶がない分、今のディーノの事を見ている比重が大きいからこそ踏み込める事もある。

「な、なんですのお二人とも……わ、わたくしの顔に何かついてまして?」

「べつに何でもねーよ。どうやって入って来たかしらねーがさっさと戻れ」

 いつものぶっきらぼうな口調に戻ったディーノは二人から視線をそらす。

「そうさせてもらいますわ! わたくし、お腹が空きましたの!」

「今度は戻ってからですね」

 アウローラとイザベラは青い光に包まれて天へと向かって去っていった。

「……あぁ。俺はもう、大丈夫だ」

 ディーノはゆっくりと目を閉じる。

 もうここに閉じこもっている必要はないと、確信していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る