記憶の世界へ −9−

「アウローラさんが、ディーノの力で?」

 目の前で起きたことにイザベラも驚きを隠せなかった。

 なぎ払った槍の穂先ほさきからほとばしったまばゆい閃光を食らった子グモの体は、燃え尽きた灰のように霧散むさんした。

(これが、ディーノさんの戦い方……)

 アルマもカードも必要としない魔術に内心では少し戸惑っていた。

 それらがなくても魔術が発動するのは魔降術の大きな利点だろう。

 しかし、イメージが全てを決めるからこそ、術者の戦闘経験やセンスが大きく左右する。

 敵はあくまでも対空能力のない無脊椎動物むせきついどうぶつ、腹部の器官から生成される糸に注意を払っておけば、常に上を取ることができるアウローラの優位は動かないが、あくまでそれは自分一人で子グモだけを相手にとっている場合だ。

 アウローラは大元であるアトラナートにも警戒けいかいく。

 制空権せいくうけんが自分にあるとしても、闘技祭でのイザベラの

時とバレフォルとの一戦とで、無警戒になっていた背中を上から狙われてしまった経験を思い返しながら、アウローラは一定の距離きょりたもってヒットアンドアウェイで子グモの数を減らしていった。

 そして、敵の数が減ったのを見計らって、絡め取られていたディーノに近づき、糸を切ろうと、槍を振るったが、刃は糸に食い込むだけで完全に斬ることはできない。

「この糸が斬れれば、イザベラさんも助かるのに……」

『中々ニヤルガ、我ガ娘達ハマダマダイルゾ』

 アトラナートは全く意にも介さずに、十数個の卵を生み出し方と思えば、ディーノとヴォルゴーレをしばる糸を通してマナが吸い取られて行き、あっと言う間に孵化ふかしてしまう。

 アウローラが敵を減らしたところで、ディーノとヴォルゴーレのマナが失われてしまうだけだ。

「アウローラさん! わたくしにかまわず、あの大グモをやってしまいなさい!」

「でもイザベラさんは……」

「自惚れないでくださいますこと? わたくしはあなたに助けてもらわなければいけないほど弱くないですわ!」

 それはせいいっぱいの虚勢きょせいだと言うことは、アウローラも察していたが、いちいちかまっていても状況は一向によくならない。

 アウローラは無言で首を縦に振ると、その場から飛び立って、標的をアトラナートに切り替えた。

 近づいてくるアウローラに向かって、アトラナートは頭を動かして毒々しい緑色をした液状の球を発射してくる。

 アウローラはそれを交わすと、射線の先にいた一匹の子グモが跡形もなく溶かされて行く。

『外シタカ……』

「自分の子供を溶かしておいて!」

『人間ごとキノ物差ものさしデ測ルデナイ」

 人語をかいしていても、その本質は相容あいいれない怪物であると、アウローラは思い直した。

 アトラナートが巣からはなれてこの空間を自在にい回って毒液を打ち込んでくるのをアウローラは飛んでかわす。

 まずはその足を潰すイメージを固めて急接近し、右半分にある四本足の付け根に向かって槍をまっすぐに突き出した。

 子グモより太く強靭な足だが、その中には骨が通っていない。

 作り出された光の刃が関節のぎ目を正確に貫くと、一本の足が分離して崩れ落ちた。

『グオオオオオッ!! 小賢こざかシイッ! オ前ハラヌ!』

 足を落とされたことに激昂げっこうしたアトラナートがさらに毒液を乱射してくる。

 かわすことはできるが、いかんせん手数が多く、光の盾を出現させて弾きながらさばくだけで手一杯になってしまう。

 自分一人だけでは決定打に欠けるこの状況はジリ貧になっていく一方だった。

「くっ、このぉっ! いい加減外れなさいっ!」

 アウローラとアトラナートが戦っている中で、イザベラは糸にくっついてしまった両手を外そうと躍起やっきになっていた。

 意気揚々いきようようと助けに来たはずなのに、ヴォルゴーレの力を借りて奮戦ふんせんしているアウローラに比べて、ただの足手まといにしかなってないイザベラは自分の迂闊うかつさと無力さに苛立いらだちを隠せないでいた。

 ディロワールになってしまった自分を助け出した恩を返すなら今を置いて他にないはずだと言うのに。

 目の前のディーノは意識を取り戻す兆候ちょうこうも見当たらない。

「あああああーもうっ! ディーノもいい加減起きなさいな! わたくしはともかく、アウローラさんが頑張ってますのよ! わたくしだって、あんな入り込む隙間もないような思い出を見せつけられてすっごくへこんでますわよ! でも、だからこそ今より磨き上げたわたくしを見て欲しい! 強くなりたいんですわ!」

 その瞬間、イザベラの両手にバチバチと雷光が走る。

『色男は辛いな。どちらを選ぶか私としても見てみたい』

 ヴォルゴーレはアウローラだけでなく、イザベラの事も力を貸すに値する存在だと認めたようだ。

 イザベラの体に起きた変化は、アウローラとはまた違っていた……。

 その両手は獣を掛け合わせたような爪と輝く銀色の毛並みにおおわれていく。

 両足はつま先だけで立ち上がれるほどの筋力を備える。

「ふにゃーーーーーーーっ!!」

 体の内側からあふれんばかりの力を解き放つかのように、イザベラはその両手を力ずくで糸から引き剥がし、指から伸びた鋭い爪がディーノをしばるクモの糸を切り裂いた。

 イザベラの体は軽々と飛び上がり、同じようにヴォルゴーレを縛った糸も切り裂くと、体を踏み台にして子グモの群れに突進し、目にも止まらないほどの速さで引き裂いた。

「うにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃーーーーーっ!!」

 自分が獣になったような身軽さと筋力、野生に近い力の感覚はイザベラには記憶があった。

「ね、猫のディロワール!?」

 アウローラは思わずその第一印象を口にした。

 イザベラの姿は人間とかけ離れた、猫を混ぜ合わせたような姿になっていたのだ。

 だが、以前の怪物的なものではなく、本来の猫が持つような愛らしさとイザベラの気品を引き継いだ醜悪さのない雰囲気でもあった。

「わたくし! わたくしですわ! とにかく、この変態グモを成敗しますわよっ!!」

 イザベラは両手の爪を伸ばしてアトラナートに向かって吠えた。

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