記憶の世界へ −7−

 スパーグレを斬り倒すと、森は嵐が去ったかのようにマナの流れはおだやかになっていく。

『はぁ……はぁ……』

 命のやり取りから解放されて緊張の糸が切れると同時に、変貌へんぼうしていた自分の体が元の人間に戻る。

 あの一撃にディーノは残っていた体力のほとんどもつぎ込んでしまい、疲労困憊ひろうこんぱいで近くにあった木に背中をあずけてへたり込んだ。

『まさか、生き残れるとは思わなかったぞ』

 この指輪がなにがなんでも生きびてやると言う強い意志いしを呼び起こしたからこそ、今こうして生きていた。

『あれは一体なんなんだよ? まさか、俺は本当にバケモノだったのか?』

 幼い頃の嫌な記憶がよみがえる。

 なんらかの理由であの街の連中が知っていたとしたら?

 父も母も自分の巻きぞえで殺されてしまったことになる。

『それは、これから決まる。だが一つだけ言えるのは、これがお前の心に思い描かれた力の形という事だ』

『さっぱりわかんねぇ……』

『なに、これから学んでいけばいい。これを機に名乗っておこう。私はヴォルゴーレだ』

『ずいぶん頭のいい幻聴なんだな』

『つれない事を言うな。これでも子供の頃からずっと共にいたと言うのに』

『もう、どうでもいい……』

 頭の中に響く声を除けば大きな危険もなく三〇日目を迎えたディーノをヴィオレが迎えにきた。

『どうやら、つかめたみてーだな♪』

 そんなことはつゆ知らずのヴィオレががけの上から降りて来たのが腹立たしいのは、修行の前と変わらなかった……。

『何度も死ぬかと思った。あんたは俺に何をさせたいんだ』

『ヴォルゴーレは並の魔獣じゃねぇから、その点は何も心配してなかったぜ♪』

 調子のいいヴィオレだったが、ほかの魔獣ならともかく、スパーグレだけはおそらく一〇〇回戦えば九十九回は食い殺されていた事だろう。

『この一ヶ月の修行はな、自分と世界のマナの循環じゅんかんを理解して、契約けいやくした魔獣、幻獣の存在をわからせる事だ。んで次は』

『誰も頼んでねぇよ……』

 ディーノにしてみれば、こんな森は一日でも早く出てしまいたかった。

 これ以上付き合っていれば、命がいくつあっても足りない。

『じゃあお前行くあてあんのか?』

『……ぐっ』

 それをヴィオレに追及されると、ディーノは返す言葉もない。

 今のままこの森を出たところで、獣と大差ないような生き方に逆戻りするだけだ。

 それに、この首から下げた指輪を見ていると、これまで歩いてきた道はここへきていなかったら、形はどうあれ行き着く先は破滅に繋がっていると言うことは想像できるようになった。

 少し歩みを止めて冷静になれば気づけたかもしれないが、それができなくなるほどに、ディーノの心は赤黒い雲におおわれていた。

『話は決まったようだな。まぁ心配すんな取って食いやしねーよ♪』

 これが、ディーノがヴィオレに師事する最初の一歩だった。

 そこまででディーノの記憶の景色は徐々に消えていき、周囲は黒一色の世界に変化する。

 アウローラとイザベラはお互いの姿を確認できるが、それ以外には何もない。

 ここから先は、自分たちだけで進まなくてはならないのだろうと理解した。

「ヴィオレ先生が、ディーノさんを人間らしくしてくださったんですね」

 アウローラはディーノの半生はんしょうを見せられ続けた中で、ようやく訪れた安らぎに胸をなで下ろしていた。

 自分は何も知らないでいたことと、ディーノが昔を語りたがらないおおよその理由もわかった。

 こんな話は他人に楽しく語るようなものじゃない。

「アウローラさん、なにか光ってますわよ?」

 イザベラに指摘された制服の内側には、首から下げた指輪だ。

 そう、アウローラにとっては大切な思い出の指輪であったが、ディーノの意向に従って自分の手に戻ってきたのだ。

「……アウローラさん。あなたもしかして」

 イザベラがアウローラを見るその目は、恋のライバルに対する嫉妬しっとと対抗心とは違う種類のものだった。

 なにかが頭の中でつながったと言うようなものだ。

「以前から少し気になってはいましたの。その指輪、マクシミリアンもこだわってましたわね」

 アウローラにとっては思い出したくもない婚約者の名前を上げて、イザベラはさらに続けた。

「なぜ公爵家の彼が、地方の田舎貴族との婚約にあそこまでこだわって、ディーノを目の敵にしていたのか……」

「イザベラさん。今はそう言う話をしている場合じゃ……」

「わたくしは別にどうでもいいですわ。でも、ディーノにこれから先ずっと隠し通すおつもりですの?」

「それは……」

 アウローラにとって、イザベラのその一言は最も痛い部分をついてくる。

「そもそも、ユングリングなんて家名、学園の図書館で国の人名録を調べても引っかかりませんでしたわ」

 ヘヴェリウス家もまたロムリアット王国では有数の古くから続く伯爵家はくしゃくけだ。

 平民出身のシエルやディーノはともかく、イザベラならば気づいてもおかしくはなかった。

「そしてもう一つ、幼少より渡されるマナを秘めた指輪を婚姻の証として持ち出す慣習。あなたが名を明かさなかった理由もつじつまが合いますわね」

「まだ、話すわけにはいかないんです……ですからこのことは」

「そんな泣きそうな顔にならなくても、べつにゆすろうなんて思いませんわよ。子供の頃からとんだ人を敵に回したものですわほんと……」

 そこまでイザベラが話終えると、スタスタと歩いて行ってしまう。

「イザベラさん、行き先わかってるんですか?」

 こんな暗闇を当てもなく歩いても、そもそも目的地すらわからない。

 イザベラはピタッと足を止めて、顔を若干赤くしながら戻ってきて、どうやら照れと勢いだけで動いたようだ。

 行き先に悩んだその時、指輪から金色の光が一筋伸びて行く。

「もしかして、道を指し示してくれてるんでしょうか?」

「アウローラさんだけじゃなくて、ディーノともつながっているみたいですから、可能性は高そうですわ」

 お互いにうなずき合い、光が指し示す道を二人は走っていった。

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