記憶の世界へ −3−


 焼け落ちていく家を見て安心しきっていた大人たちの顔色が、ありえないものを見たように青ざめていく。

『い、生きてる!? あの炎の中で!?』

『あれが、悪魔の力なんだよ! ……酔った戯言じゃなかったのか!?』

 ぎりぎりとバスタードソードを握るディーノの手に力がこもっていく。

 誰を狙ったわけでもなく、ただ一番近くにいた大人の一人に向かってバスタードソードを振り抜いた。

 炎の光を反射して輝いた白刃はくじんひらめいた瞬間、その首から上が宙を舞い、炎よりも赤い鮮血の雨が降った。

『憎い、憎いぞ……』

 どこからともなく、この記憶の情景にいる誰のものでもない声が、アウローラとイザベラの耳に響いた。

「これって、ディーノさんの声?」

 ただ剣を持っただけの年端としはもいかない子供を前に、大人たちは顔色を変えて蜘蛛くもの子を散らすように逃げ始めた。

 この時、少しでも遠くにいた者はまだ幸運だっただろう。

『うおおおおおおっ!!』

 力任せに振り回す剣の射程距離内しゃていきょりないにいた大人は、ある者は肩口から袈裟斬けさぎりに落とされ、あるいは胴から上半身と下半身を斬り分けられ、最初の者と同じように首を斬り飛ばされた。

『全てが憎い、俺以外の全てが俺の敵だ……』

 響いてくるこの声は、記憶の中でディーノ自身が抱いてしまった感情なのだと、アウローラとイザベラは確信した。

 ただの子供が持ち歩くだけでもやっとであるはずの鋼鉄の剣を軽々とあつかい、自分たちよりも大柄の人間をたやすく斬殺ざんさつしていく光景は、大人たちにとってまさしく悪夢であった。

 逃げ遅れた大人の半数が、ディーノの剣によってただの血肉のかたまりにされていく光景に、アウローラもイザベラも言葉を失っていた……。

 降りしきる血の雨を浴びて、その黒髪が見る影もないほど赤く染まったディーノはただ行く当てもなく、とぼとぼと剣を引きずりながら歩き出した。

 もうこの街にはいられない。

 この世界で誰よりも大切な人たちはいなくなってしまったのだから。

 街の表通りは閑散かんさんとしているどころか、誰一人として外を出歩くものなどいなかった。

 逃げおおせた街の大人が自分たちの家だけでなく隣人にも、生き残ったディーノが自分たちを殺しにくるに違いないとれ回ったのだろう。

 死を思わせる静寂せいじゃくの中で、ふとディーノの鼻は不快な臭いを感じる。

 それは記憶に新しい酒の臭いだ。

 建物の影から現れたのは、気分良さそうに千鳥足で歩く酔っ払いの姿。

『ひぇっひぇっ、あのガキのおかげでたんまり金がもらえらぜ、領主さまさまだぁ』

 手に持った酒をラッパ飲みしながら、当の本人が目の前にいることに油断しきって歩いている。

『おっ……死んだはずの悪魔が化けて出てきやがったかぁ? ざまぁ見やがれ、この俺をコケにしてっから……』

 その言葉が、ディーノの心に火をつけるには十分すぎた。

 アウローラの指輪を自分勝手な理屈で奪い取ろうとしただけじゃなく、こんなやつの腹いせのために両親は殺されたのか?

 バチバチとほとばしる紫色の光がバスタードソードに集まって行く。

 目の前にいるのは人間じゃない。

 自分のためだけに他人を食い物にして愉悦ゆえつひたるただの怪物だ。

 ディーノは一瞬で間合いを詰めて、楽しげに飲み干す酒瓶さけびんを持った右腕を斬り飛ばした。

 大通りを赤く染め上げる鮮血と身体中に走っただろう激痛げきつうは、酔っ払いの思考を現実へ無理やり引き戻していた。

『ぎゃあああああああっ!』

 おぼつかない足取りで逃げようとするが、石畳いしだたみにかかとをつまずかせて転倒しても後ずさりする酔っ払いの左足にくさびを打ち込むようにバスタードソードの刃を突き立てた。

『ヒィッ! い、嫌だ! 死にたくねぇ! 死にたくねぇよぉ!!』

 ズボンの股座またぐらを濡らしてみっともなく泣き叫びながら命乞いのちごいをする酔っ払いの足からバスタードソードを引き抜き、間髪かんぱつ入れずに上半身に向けて突き刺した。

 鮮血をまき散らし、闇夜に悲鳴を響かせようとも、ディーノはその手を止めず、もの言わなくなるまで、ひたすらに刺し続けた。

 自分たちも殺されるとわかっていながら、自業自得の酔っ払い程度のために身をていして助けに入る人間などいなかった。

 血まみれの死体を後にして、大通りから街を出ようとたどり着いた門は、厳重に閉じられ立ちふさがる門番がいた。

 こんな夜に剣を持った子供が一人、事情を知ろうと知るまいと、通すはずがない。

 だが、今のディーノの剣と雷は門番も門もたやすく切り殺して破壊していた。

 そこからは、筆舌に尽くしがたい凄惨な光景の繰り返しだった。

 あるときは襲ってきた獣を斬り殺して、その血肉を生のまましょくし、着ている服が痛めば、人間の街へ行って商店から盗み出す。

 金に困れば私服を肥やす山賊の隠れ家に押し入り、皆殺しにして溜め込んだ金品を奪い取る。

 寄る辺を失ったディーノは、ただひたすら戦い、殺し、奪う日々の繰り返しだった。

 そして皮肉にも、ディーノの剣と稲妻は、殺意をむき出しにした獣、あるいは

納める鞘のない抜き身の剣のように気をませた生活で、独自にられみがき上げられていた。

 この時ディーノは十歳、アウローラとの出会いから三年ほど経っていた……。

「これが、わたしの知らなかったディーノさんの過去……」

「うっ……こんなのってないですわ!」

 イザベラは思わず目を背けて口元を押さえ、凄惨せいさん殺戮さつりく嘔吐おうとしそうなほどの不快感を覚えていた。

「アウローラさんは平気なんですの!」

「怖いに決まってるじゃないですか! 原因どころかこの先を知るのも怖くてたまらない……だけど目を背けたら、またわたしは身勝手な自分に逆戻りしてしまうから!」

 肩をつかんできたイザベラがわかるほどに、アウローラの体は震えていた。

「とにかく、ディーノさんを追わないと」

 ガビーノの街から逃げるように、山奥と人里をさまよう中で、ディーノは今まで見たこともない森の中へ足を踏み入れていた。

「こんな森、ロムリアットのどこにありますの?」

「わたしも王都から出たことなんて、年ごとに数えるくらいしかありませんし」

 ディーノが入り込んだ森は、魔獣の気配はあまり感じられず、むしろマナの力が普通よりも強い場所特有の生態系だった。

 フリオなら、木や草花の様子からその特殊さを一発で看破かんぱしたことだろう。

 普通の人間なら、その異様さに恐怖を覚えて森から離れようとするかもしれない。

 今のディーノには死に対する恐怖さえも皆無に等しかった。

『ったぁく、一体ナニモンだぁ? 妙なマナを出しやがって』

 突然の声に、ディーノはバスタードソードを構える。

 目の前にいたのは、紫紺しこんの長髪をなびかせながら宙に浮いている一人の女性だった。

 大人ではあるが、正確な年はわからない。

 胸と股だけを隠した露出度ろしゅつどの高い黒革のレオタードという際どい衣装に黒のマント、手には煙管キセルを遊ばせるように持ち、顔つきこそ美人だが黒いツリ目と、悪童のように犬歯を見せてニヤリと笑う口がきつそうな印象を与えていた。

『うるさい……金か食い物をよこせ!!』

 ディーノは有無を言わさず、稲妻の一撃を女性に叩き込もうとした。

 山賊や魔獣程度ならこれだけでケリがつく一撃を、目の前の女は一見もろそうなキセルで容易たやすくいなすと、ディーノの体を爆炎が吹き飛ばしていた。

 ボロくなっていた服が焼け焦げて胸が露出すると、そこには紫に輝く宝石が埋まっていた。

『そいつはまさか……。っハハハハハ! まさかてめぇがこの森を訪ねてくるとはなぁ♪』

『なに笑ってやがる!!』

 起き上がったディーノは再び剣を振りかぶるが、あっさりとかわされてズボンをつかまれて吊り下げられる。

『まさか、ルーナのガキがこんな風に育ってるとは思わなかったぜ』

『なんで、母さんを知ってる?』

『知りたきゃついてこい。てめぇに本物の魔術を叩き込んでやる。それがあたしの責任みたいだからな』

 狩りで捕まった獲物のように、ディーノは女性に森の奥へと連れられていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る