記憶の世界へ

 アウローラとイザベラは気がつけばどこかもわからない砂浜にたたずんでいた。

 どこまでも続いていそうな水平線は、んだうみのエメラルドブルーと雲ひとつない空のパステルブルー、二つの青で形成されていた。

 オルキデーア学園長の魔術で光に包まれ、一瞬意識を失ったかに思えた次の瞬間にはここにいた。

「ここが、ディーノさんの心の中なんでしょうか?」

「なんかちょっと拍子抜けですわね」

 イザベラはもっと戦々恐々せんせんきょうきょうとするような心象風景しんしょうふうけいを想像していたのかも知れない。

 アウローラも実のところ、思い出以上のことは知らないままだ。

 波打際なみうちぎわと反対方向を見ると、白い石造りの建物にオレンジの屋根で統一された街並みが目に入る。

 この美しい景観けいかんで有名な港町が”ガビーノ”だと言うことは、アウローラもイザベラも知識ではあった。

「これがディーノさんの故郷なら、ここに原因が?」

「いつまでもここにいても仕方ありませんわね。街の方へ行ってみましょう」

 砂浜から上へと登る階段を見つけて路地の方に出る。

 しかし、そこには住人らしき人影が見えず閑散かんさんとしていた。

「人っ子一人いませんわね」

「本物の街じゃないからじゃないですか?」

 しばらく歩いて見ると、楽しげにはしゃぐ数人の子どもがアウローラたちの目の前を横切っていった。

「追いかけてみましょう」

 ほどなくしてたどり着いた草木の整えられた広場で、先ほどの子供らが輪を作っているのが目に入った。

 最初は楽しそうだと思っていたが、声が聞こえるぐらい近づいて、その認識は間違いだったことに気づく。

『やーいやーい! 悪魔の子〜♪ 真っ黒ディーノは悪魔の子〜♪』

 楽しげに踊っているように見えて、輪の中心に向かって泥で作った玉や石を投げつけていたのだ。

 アウローラとイザベラが見間違えようのない、黒い髪に紫の目の子供。

『う……うわあああん!』

『悪魔が泣いた〜♪ 悪魔が泣いた〜♪ もっとやんねーと家が呪われちゃうぞ〜♪』

 無抵抗な一人を取り囲んで、いわれのないことを踏みにじる口実にする、いくら子供だとはいえ、いな、むしろ子供だからこそこれは許せない。

 すぐ隣にいるイザベラはわなわなと拳を震わせている。

「やめなさーーーーーーいっ!!」

 真っ赤なオーラを放つほどの怒りをあらわにしてイザベラは輪の中へと突っ込んでいくのだが、まるでイザベラが初めからいないかのようにその体はすり抜けてしまう。

「イザベラさん大丈夫ですか?」

 勢い余ってすっ転んだイザベラにアウローラは駆け寄る。

「え、ええ、どう言うことですの?」

「たぶん、もう過ぎてしまったことだから、わたしたちは干渉できないんじゃないでしょうか?」

「うぐぐ、こんなものを見せられて何もできないなんて! アウローラさんは何平然としてますの!」

「してられるわけないじゃないですか!」

 やがて、子供らは飽きてしまったのか、笑いながらその場を去って行き、子供時代のディーノだけが残される。

『うっ……うううっ』

 手の甲で涙をぬぐいながら、トボトボと歩いていくディーノをアウローラたちは複雑ふくざつな気分になりながらも追いかけた。

 よく見れば、その左のほおには最大の特徴とくちょうである傷跡きずあとがまだない。

 その経緯けいいをアウローラは知っていたが、きっとまだ先の話だろう。

 ディーノが歩いている表通りにはまばらに大人の姿が見えたが、誰もディーノに声をかけることもない、むしろさげすむような目線を向けながら、影でボソボソとつぶやいている。

「あーっ! もう見苦しい! なんなんですのこの街は! 見た目は小綺麗こぎれいなのに住んでる人間は劣悪れつあくじゃありませんの!」

 アウローラは内心、こんな風に素直に自分の感情をぶちまけられるイザベラが少しうらやましかった。

 表通りを過ぎて次第に人影はなくなっていき、街の中心からはなれた小高い丘をゆるい階段で登っていく。

 その先にあったのは、古びてはいるがどことなく温かみを感じる木造きづくりの小さな家だった。

 時間はもう夕方に差し掛かって、ディーノは家の中に入っていく。

「アウローラさん……わたくしたちはどうしましょう?」

 よく考えればドアは閉まっている。

「もしかしてなんですけど」

 アウローラはドアノブにも触れず、そのまま足を踏み出すと、体がすり抜けて家の中に入り込み、イザベラもそれにならってあとを追う。

「やっぱり。さっきイザベラさんが人に触れられなかったから、物も同じなんじゃないかと思って」

「なるほど。それでディーノはどこへ?」

 玄関から右側は3つのベッドがある寝室、反対側からは料理の香ばしい匂いがしてきたことから台所と食卓だろう、構造としては奥に簡易な浴場と便所があるぐらいの一階建てだった。

「……使用人の詰め所でももう少し広いですわ」

 その日を食うのに困るほどの極貧とまでは言わないが、アウローラもイザベラも、ここまでの生活水準は想像していなかった。

 明かりのついている食卓の方へ向かうと、そこにはアウローラたちの知らない女性が台所にいた。

 しっとりとした長い黒髪に同じ色の目、どこか不思議さを感じるものの柔和な雰囲気を帯びた美しい女性だった。

「この人が、ディーノさんのお母様?」

「なんとなく、アウローラさんに似てますわね」

『あらあら、こんなに汚しちゃって。お風呂は沸かしてあるから、早く入って来なさい。今日はお父さんが帰ってくるから、頑張っちゃった♪』

 何もとがめることなく、息子を笑顔で迎え入れる母に、ディーノはさっきまでの泣き顔が嘘のように風呂場へと向かっていた。

 そして、しばらく待つと、ガチャリと言う音と共に誰かが入ってくる。

 銀色の髪に紫色の目、その姿はイザベラならよく知っている。

『ルーナ、今戻ったよ』

「エンツォ様……昔のままですわ」

 ディーノが戻って来たら、食卓を囲んで夕食にする。

 それはどこにでもいる三人家族のようで、特別なことなんてない団欒だんらんに見えた。

『ねぇ、お父さん。またどこかに行く?』

『いや、しばらくはここにいるよ。そうだ、行って来たお屋敷にはな、ちょうどお前ぐらいの女の子もいたなぁ。もし次があったら一緒に来るか?』

 ディーノは楽しそうに頷いた。

「たぶんこれ、エンツォ様がわたくしの家にきた後のことですわ。お兄様たちに剣術の手ほどきをしてました」

 しかし、イザベラはあれから二度とエンツォに会うことはなかったのだ。

「つまり、これから先で何かが起きる?」

 場面が切り替わっていき、ディーノは父エンツォに剣術を教わり、あるいは母ルーナから読み書きや計算を教わっている。

 きっと、街できらわれているのがわかっているからだ。

『ねぇ、お父さん』

 剣の稽古けいこをしていたディーノがその休憩中、エンツォに声をかける。

『どうして僕とお母さんが悪魔って言われなきゃいけないの?』

『見たことがないから、怖がっているんだ。私もルーナに出会った頃は疑っていた。だけど、ディーノが悪いことをしないで堂々としていれば、きっといつかはわかってくれる』

『お父さんのお話みたいに、困ってる人を助けたり?』

『ははっ! そうだな。じゃあ続きをやるか』

 本のページをめくるようにここからいきなり場面が切り替わる。

 夕暮れ時の大通りにディーノはいた。

 また悪ガキにいじめられていたと言うわけではなかった。

 そして、街の中心と言える広場にあった噴水の傍らで、寂しそうに座り込んでいる金髪の女の子に、ディーノは戸惑いながらも近づいて声をかけた。

 そして、それだけでアウローラは全てを理解した。

『泣いてるの?』

 女の子も恐る恐るディーノの方を向く。

『かえれなくなっちゃった』

「この子、わたしだ……」

 ディーノにとってもアウローラにとっても、これが全ての始まりだった。

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