初夏の一幕
七月を迎えたイルミナーレ魔術学園は、学年の終わりと長い夏休みを前に、生徒たちはいつにも増して湧き上がり、初夏の陽気にも負けない熱気が教室に立ち込めている。
しかし、それを素直に喜ぶことのできる者ばかりではなかった。
眉間にシワのよった仏頂面を浮かべながら教室に入り、誰と会話するわけでもなく窓際の席に座る男子生徒。
十九人いるこのクラスだけでなく、学園の位置する王都、あるいはこのロムリアット王国を探してもめったに見ることのない漆黒の髪。
紫水晶を思わせる瞳は顔つきも相待って獲物を狩る獣を彷彿とさせる。
黙っていれば顔立ちそのものは美形の部類に入るが、左の頰に斜めに入った大きな切り傷、そして立ち振る舞いと雰囲気から近寄りがたいオーラを発していた。
「おはようございます、ディーノさん」
隣の席に座っていた一人の女子生徒が少年の名を呼んで挨拶を交わす。
「あぁ……お早う、アウローラ」
深く澄んだ青の瞳にアクのない整った顔立ち、青色のリボンでまとめた腰まで届く長い金色の髪が特に目立ち、女性にしては背が高く、腰回りは細く脚はスラリと伸び、胸は控えめだが細身の体型に違和感を与えることはなく、羨ましげに見るクラスメイトは決して少なくはない。
委員長という肩書きからか、元々の真面目さからか、誰よりも早く登校して頼まれたわけでもないのにちょっとした掃除や花瓶の水替えなんかもやっており、クラスのほぼ全員が彼女に出迎えられる。
「やっぱり今日も……ですか?」
「それしかねぇだろ」
ディーノとアウローラは周りから違和感を持たれない程度に言葉を交わしながら、少し離れた席で三人の女子に囲まれて雑談に花を咲かせる女子生徒に視線を送った。
燃え立つようなバーミリオンのロングヘア、つり目できつい印象を与えるがアウローラに勝るとも劣らない美貌と、同級生の中では群を抜いているであろうプロポーションが目を引くクラスメイトのイザベラ・フォン・ヘヴェリウス。
彼女が学園七不思議研究会に入部してから一週間がすぎた。
今現在のところ、敵の新たな攻撃もなくイザベラの容態も大きな変化はない。
大半の生徒たちにとっては、なにげない日常が続いている。
しかし、ディーノ達はそれが見せかけだけの平穏だということを知っていた……。
(俺が向こうの立場なら、絶対にアイツを消しにかかる)
この学園には通っている生徒をディロワールと言う怪物に変え、悪事を行わせている存在が暗躍している。
ディーノたちはこれまで三度遭遇し、いずれも撃退してきたが、その三度目となったイザベラだけは例外と言える出来事が起こった。
ディロワールは、体に埋め込まれた黒い宝石を砕けば人間に戻せるが、それと引き換えに変化していた前後の記憶を失ってしまう。
だが、彼女は黒い宝石を自分の意思で弾き飛ばした結果、記憶が残ったままだ。
当面の目的はイザベラを警護しつつ、バレフォルと名乗ったディロワールの正体を探ることだった。
個人か集団かは定かでないが、どちらにしろ撃退して無力化すれば情報が手に入る。
そして、ディーノはその目星をつける人物が一人だけいた。
「おいーっす♪ 今日も眉間にシワ寄ってるねぇ♪」
調子のいい挨拶と共に後ろから背中を叩かれる。
「誰のせいだと思ってやがる? カルロ?」
ディーノは後ろに立っているクラスメイトの男子に不機嫌さをあらわにした顔で返した。
背はディーノよりも一〇センチ近く高い細身の体型、オレンジ色の跳ねたくせっ毛、舞台演劇で主役を張れそうな顔立ちだが、致命的な一点が引っかかり女子からはそこまで相手にはされていない。
「アウローラちゃんもお早う♪ 今日も一段と綺麗だね。なんだったら放課後スイーツでも食べに」
「朝っぱらから何やってんのよっ!!」
挨拶を済ませるや、いきなり口説きにかかったカルロの後頭部に飛び蹴りが直撃して前の壁に激突するまで転がっていく。
栗色のポニーテールに空色の瞳が目立つやや童顔の女子、体型の凹凸はアウローラよりもはっきりとしているが、小柄な背丈から時折年下と錯覚させられる。
「シエルちゃんもお早う♪ でも照れ隠しにしてはちょっと過激じゃ『誰がよっ!!』ぐはっ……!!」
即座に復活したカルロの股間に向かって、シエルは追撃の前蹴りを放ち完全に沈黙させる。
馴染みのやりとりに、クラス中が笑いに包まれていた。
「ディーノ君、なにか考え事?」
黄土色の髪は眉にややかかるぐらいに下り、ディーノやカルロに比べるとやや小柄な背丈、眼鏡をかけた控え目な雰囲気の男子が声をかけてくる。
「俺はもともとこんな顔だ。知ってるだろフリオ」
フリオとはいじめから助けたことに始まり、ディーノと同じ魔降術の契約をしたことから、紆余曲折を経てなし崩しに師弟のような関係となっている。
学園に来てから、随分と自分の周囲は騒がしくなったものだと、ディーノはそれまで一人でいることに慣れていた分、複雑だった。
そもそもシエルが立ち上げていた”学園七不思議研究会”と言う趣旨のはっきりしない同好会に寄り集まった結果、ディロワールに深く絡み始めたこともある。
研究会に最初からいたシエルとカルロは未だにケンカのようなやり取り、と言うより羽目を外したカルロにシエルが蹴りを入れている光景が続いている。
しかし、ディーノはカルロの軽薄な言動も行動も虚構にすぎないと踏んでいた。
ただの学生とは思えないほど、カルロは理解が
ディーノの魔降術を知っていたことはまだしも、ディロワールの存在にも順応しているのだ。
実際に襲われたアウローラや、正体を知らずとも失踪した兄の軌跡を追っているとわかったシエルならともかく、面白半分で付き合っているという動機自体があまりにも不可解すぎた。
しかし、それもカルロがバレフォルの正体、あるいは敵と繋がっていると仮定すれば辻褄があってしまう。
もしこのまま長い休みに入ってしまえば、恐らくディーノたちの前から姿を消し、足取りを追うのが困難になるだろう。
カルロが学生を演じているうちにケリをつける必要がある、そう考えるとディーノの表情は自然と強張っていった。
「みんなー、ホームルーム始めるよー! 夏休みが楽しみなのはわかるけど、授業はきちんと受けるようにね」
担任教師のアンジェラの一声で、クラスの全員がきっちりと席に座って空気が変わる。
期末テストが終わって留年するクラスメイトもいないが、ディロワールの件を知らない立場でも教師としての責務があるため気は抜けないのだろう。
「今週末に初等部の交流会があるんだけど、今月はうちのクラスが担当だから、今決めようと思うの」
月に一回、第一週の末に高等部の学生が初等部を訪問する行事がある。
授業というよりはレクリェーションに近く、その内容は時と場合によって様々という話だった。
初等部は五年まで学年があり、それぞれを三〜四人で行くと言う決まりだった。
アンジェラは教壇に箱を設置して、クラスメイト一人ずつ中に入ったくじを引かせていく。
そんな中でディーノはふと、以前助けた初等部の女子を思い出す。
あの時はそんなことは関係なしに助けたのだが、その後も少しばかり接点があり、卒業するまでにこんな機会はいくらかあるのかも知れないと考えた。
ディーノの番になり、引いたくじには五年生と書かれていたが、さすがに今回はそう簡単にかかることはないだろうと踏んでおり、特に不安になることもないだろうと思っていたのだが……。
「じゃあ、五年生はディーノ君、カルロ君、アウローラさん、イザベラさんね」
別の意味で不安材料が増えていた。
ただでさえ疑っている相手と未体験の行事、一緒に行かなくてはならないという不安がつきまとう。
大勢の子供の前で事を起こされれば、満足に戦うことはおろか、子供やアウローラを人質に取ることも可能だ。
そうすればディーノやイザベラを労せずに始末することができる絶好の機会だった。
だが、周りに悟られてはならないと自分に言い聞かせる。
普段ならば煩わしいとしか思えない授業の時間が早く来て欲しいと思っているこの有様はある意味で笑いを誘うかも知れないと、自嘲まじりな考えが頭を巡っていた。
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