魔降剣士と紅蓮の悪魔

ある学生の記憶

 人は平等なんかじゃない。

 権力、財力、そして才能、それらを持った者だけが全てを手にし、持たざる者から吸い上げるだけ吸い上げる、人類の歴史が始まって以来続く搾取の螺旋。

 人は社会で生きている限り、誰もその理から逃れることはできない。

『こんな初歩の魔術しか使えないなんてね~』

『学園に来る意味あんの~?』

『いや、いる意味あるでしょ♪ おかげで下から二番目までは埋めてくれるんだから』

 持たざる弱者は、いつどこででも踏み台だ。

 初歩の魔術ぐらいしか扱うことのできない自分もそのうちの一人に入る。

 幼い頃、自分は特別な才能を持って生まれ育ったと信じて疑うこともなかったが、その時はまだ知ることもなかったもう一つの真実。

 上には上がいるということ、才能を持っているのは自分一人ではなかったこと。

「落ちこぼれ」

「落伍者」

「不適合者」

 それが自分のあだ名となり、自分の中に黒い感情を芽生えさせていくのにそう時間はかからなかった。

 自分の力で入ることの叶った場所、それは見せかけの清涼感に包まれただけの苦痛に満ちた牢獄だ。

 この牢獄から出られるのならば、なんだってする。

『落ちこぼれの君たちにいい方法を教えてあげるよ』

『生まれ変わったら魔術の才能が出ると信じて、屋上から飛び降り自殺~♪』

 哄笑こうしょう

 嘲笑ちょうしょう

 嗤笑ししょう

 地獄のような毎日に嫌気がさすのは一度や二度ではなかった。

 授業が終わっても、誰と一緒に遊ぶでもなく、ひたすら書物を読み漁り才能のない自分に少しでも可能性を見出すために知識を欲していた。

 書物の世界に没頭すれば、雑音は消える。

 そこに書かれた文字達は決して侮蔑してくることはなく、魔術の向上につながらなくとも、知識そのものを吸収していくことは楽しかった。

 自分が腐らずに済んだ理由は、落ちこぼれがもう一人いたこと。

「ふんっ! このっ! 出なさーい!!」

 長杖ロッドのアルマとカードを振り回し、毎日のように特訓に勤しんでいるのは、赤紫のロングヘアーが目立つ女子生徒。

 伯爵家の令嬢のはずだが、悲しいほどに魔術の才能に乏しく、この学園に入学できたことが不思議なぐらいだ。

 心無い生徒からは、親の権力と財力で裏口入学したとまで囁かれている。

「君も懲りないな」

 諦めようという気にはなれないのだろうか?

 そんな疑問が尽きることはなかった。

 彼女は自分よりも下、最下位の連続記録を入学して以来更新し続けていたからだ。

「なによ? 笑いに来たの? あたしはぜーったいに諦めないんだから!」

 自分の何を信じればここまでバカになれるのか……、一生理解することはできないことだと口には出さずに自己完結させる。

 いずれは現実と言うものを思い知り、この学園を去る事になるのは同じだろう。

 そんな自分にも、転機は訪れた。

 夏、学年の進級を挟んだこの季節は一番長い休暇が入り、学園という現実から逃げることができる。

 もう戻らなくてもいいかもしれないと、ただ行く当てもなくひたすらに王都から離れるように北へ向かった。

 ロムリアット王国は南北に長く伸びた半島が国土の大半であり、半島の根元に位置する山脈を挟んで諸外国のある大陸へとつながっている。

 本の虫となっていた自分が行き当たりばったりの旅など、彼女とさほど変わらない馬鹿げた行動に、時折自嘲じみた感情が湧き上がった。

 その旅の果てにたどり着いた場所の詳細は覚えてはいなかったが、記憶だけははっきりとしている。

 そこは白と紫に支配された、ガラスの結晶でできたような洞窟だった。

 自分の目にした書物の中には一行たりとも載っていない、もし発見したことをしかるべき場所に報告すれば、ちょっとした礼金でも手に入るのではないのだろうか?

 魔獣や幻獣の住処か、あるいは人の目に触れていない源泉マナンティアルだろうか?

 ガラスの洞窟のさらに奥へと歩みを進めて行く。

 自分がもといた出口に戻ることも考えず、進み続けるうちに金勘定よりも、好奇心のほうが優っていく感覚。

 たとえ魔獣の餌になろうとも、自分にもう家族はいない。

 養ってくれていた親戚も、もしかしたら厄介払いのために学園に送り込んだかもしれないのだ。

 才能を見出して送り出したと言う理由ならば、周囲に対する印象を落とさないための口実として十分成立することだろう。

「これは……」

 ガラスの壁に埋まっていた『ソレ』は、周囲の白と紫の空間と見比べれば、影のようにくっきりと浮かび上がる漆黒。

 この空間において最も異質な存在であるのは間違いないだろう。

 全長は二メートル以上、骸骨のような顔に牙だらけの口が目立つ顔と頭には二本の角、背中にはコウモリのような翼、野獣のような爪が目立つ手足、筋肉の隆起した人間に近い体をしながらも獣を混ぜ合わせたような、これはまるで……

「悪魔……?」

 神話や童話に登場し、人間の世界を蹂躙しに現れる怪物。

 自分の知るそれはあくまでも、創作の類のものであり、人間の悪意、あるいは歴史に残る戦争や災害を読み手に伝えるためのわかりやすい隠喩メタファーとして描かれたものだ。

 空想の中にしかないと思っていたものが、今現実に存在しているというのは到底信じがたい。

 考え得るのは、自分が見ているのはただの夢。

 旅の行程で生じた疲労によって行き倒れてしまい、この洞窟も目の前の存在も自分の心が作り出したただの幻影に過ぎないということ。

 目を覚ます保証はないが、今頃自分は獣の餌になっているか、どこかの集落に運び込まれているかというもっともらしい顛末を期待する。

 だが、目覚めの時は訪れないばかりか、現実離れした光景に後ずさった自分の体に、壁の一部であるガラスの結晶がちくりと突き刺さる。

 その痛みがこれは夢でないことを告げるサインだった。

『これはこれは、何年ぶりのお客さんだろう?』

 頭の中に声が響く。

 怖気が走るような低くしゃがれた、それでいて同時に安心感を覚えるような不思議な声だ。

 自分でないものがこの場にいるとしたら、目の前で埋まっている生きているか死んでいるかの判別もつかないこの異形のもの以外の何者でもない。

 人間ならば眼球に位置する部分が、燃えるように爛々と輝き始める。

『ふぅん、なるほど。随分と辛い思いをしているんだねぇ……、落ちこぼれかぁ』

 なぜわかる?

 そんな疑問しか抱けない自分に、変わることのない調子で語りかけてくる。

『力が欲しくはないかい?』

 まるで、十年来の友人のようにそう持ちかけてきた。

『彼らを見返してやりたくはないかい?』

 自分を嘲り笑う奴らを思い出す。

 そいつらを逆に屈服させてやるだけの力、それは魔術の力に他ならないだろう。

 普段から芽生えていた黒い感情が、この怪物を前にして浮き彫りになっていく。

『私と契約しないかい? 条件はそうだね……ここから動くことができなくなって久しい。ここから出るために君の体を貸して欲しい。もちろん君の意思を乗っ取ったりはしないと約束しよう』

 この怪物の中に眠る強大な何かが、そのイメージが刷り込まれていく。

 何よりも自分が欲しているものを与えてくれるとなれば、考える必要はなかった。

 どうせ捨てたも同然の命なのだから、どうなろうと構わないと思っていたのかもしれない……。

『契約、成立のようだね……。受け取りたまえ、私という存在を』

 怪物はそれだけ言い残すと、真紅の炎を発しながらその姿を拳大の宝石へと変化させていく。

 光さえも飲み込むような黒い宝石が自分の胸の中へと入り込み、身を焼かれるほどの灼熱が身体中を駆け抜けていった。

 その後、自分がどうやって戻ったのかは良く覚えていない。

 ただ、夏休みの終わり頃に学園へ戻ったことだけは確かだった……。

 そして季節は巡り、赤と茶色が目立ち始める。

『この中にダサダサな豚が二匹いまーす当てて見てくださーい♪』

『それ簡単すぎィ♪ クイズになんないじゃーん』

 学年が進級しても、そいつらは何も変わってはいない。

 自分たちが上だと疑わずに、代わり映えのない侮蔑の声が上がる。

 とある日の実技の授業、自分が心待ちにしていた時がやってきた。

 実戦訓練、今までそうしてきたように自分を痛めつけて愉悦に浸ろうとする表情に、踊る心を抑えきれなかった。

「爆ぜろ」

 紅葉の季節に燃え上がったのは、地獄のように舞い上がる赤黒い炎だった。

 命も何もかも投げ打った契約の果てに得た力を振りかざすこの一瞬、自分の人生の苦しみはこの時のためにあったのだと確信した。

 同じクラスの誰も敵うことのないほど強大な炎を前にして、愉悦の表情は恐怖に変わった。

『ば、バカな。そんなバカな! 落ちこぼれがなんで!? そうだ、これは夢だ! 夢に違いない!』

 現実離れした光景を受け入れられない声を発する口を、二度三度と爆炎で塞いでやれば、そこには沈黙だけが残った。

「落ちこぼれに負ける君たちは、果たしてどう呼べばいいのかな?」

 雑音が止んだ。

 そしてささやかれ始めた自分の新たな名前、それは……。

『”紅蓮”……』

「ありがたくもらっておくよ。”虫ケラ”のみんな」

 その言葉に異を唱えられるクラスメイトは、誰もいなかった。

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