第3章エピローグ:本当の気持ち
イザベラが正気を取り戻して二日、学園にも当の本人にも大きな事件はなく、ディーノたちの周囲にまた平穏な生活が戻りつつあった。
だが、ディーノの心中は穏やかではない。
七不思議研究会の部室には、カルロを除いた面子が集まっている。
確かにディロワールは倒し、イザベラを救うことはできたが、今のままでは事が起きてから対処してのいたちごっこが続くだけだ。
しかも、裏で糸を引いているのはこの場にいないカルロかもしれない。
素知らぬ顔をして自分たちを弄びほくそ笑んでいるとしたら、今まで考えていた最悪から大幅に斜め上をいく。
一緒にいたシエルとフリオは気づいているのだろうか?
気づいていたとして、カルロのことを敵とみなし、冷徹に戦うことは出来るのだろうか?
きっとできないだろう。
出会って間もない、特別親しくはない、むしろうっとうしいとさえ思っている自分ですら、そうであって欲しくない、信じたくないと心の片隅では叫んでいる。
「ディーノさん。何か心配事があるんですか?」
そんな自分は顔に出やすいのか、アウローラが心配そうな顔で聞いてくる。
「あのバレフォルとか言うディロワールを俺が倒すなり捕まえるなりすれば、少しはマシになると思っただけだ」
「”俺たちが”とは言ってくれないんですね……」
アウローラは悲しげに呟く。
彼女だけは直接接触はしていないが、それでも戦わせるわけにはいかない。
「なら、あの姿の俺に一対一で勝てるのか?」
「それは……」
「死体が増えるだけだ」
端的に、現実的に、アウローラを戦いから遠ざけるように言葉を選ぶ。
『無理はするな……ディーノ。彼女たちはお前を責めたりはしないだろう』
頭の中でヴォルゴーレの声が響く。
一心同体の幻獣にだけは揺れ動くディーノの思考も感情も全てが筒抜け、一生隠し事はできない。
(俺がやるしかないんだよ。こいつらが傷つくぐらいなら……)
『アウローラ嬢に向けて、素直に口に出したらいいではないか』
(黙れ)
当事者たちを除いたクラスメイトたちが普段通りに授業を受け、休み時間はのんきに談笑している光景が、溶けかかった薄氷のように崩れ落ちていく。
言い表す事のできない不安がディーノの胸中に根付き始めていた。
「そいつを探すのもだが、イザベラを口封じのために狙うってのも、十分に考えられるな」
今までの敵と違って記憶が残っているなら、敵が自分たちとのつながりを断ち切るために消しにくる可能性は否定できない。
あくまでディーノはそれを示唆すればアウローラたちは彼女を守る方向に考えが向くだろうと考えたのだが……。
「ディーノ、ずいぶんイザベラに入れ込んでるよね? まさか本当に……」
シエルの問いかけがディーノに返され、アウローラが深刻な顔をしているのがわかる。
確かに、ここまで彼女以外の異性を気にかけるのは初めてのことかもしれない。
「大した話じゃねぇよ。ほっといたら寝覚めが悪りぃだけだ」
「それだけに見えないから聞いてるの!」
ああ言えばこう言う。
一体どう答えればシエルは引き下がってくれるのだろうかを考えたが、変なごまかしをしてしまうよりは、きっちりと話した方がいいとディーノは思い直した。
「”本物”を目指す奴は嫌いじゃねぇ。言えるのはそれぐらいだ」
* * *
研究会の部室から扉一枚で隔たれた先、今まさに話題の真っ只中にある人物が一人、複雑な表情を浮かべながら廊下でうろうろと往復していた。
(……ど、どうしてよりにもよって)
入りづらい。
イザベラは自分なりに大きな決意と覚悟をもってここまできたつもりであったのだが、まさか自分のことを話されているとは考えていなかった。
シエルがディーノに対してあれこれと質問している。
扉越しに聞こえてくる会話の内容は確かに気にはなるが、本人の口から出てくる答えを知ってしまうことが怖い。
顔から火が出るとはよく言われるたとえだが、今まさにそれを実体験で味わうなどと誰が思うだろうか。
それでも、深淵の奥底にある真実を求め、しゃがみこんで食い入るように扉に耳を押し当ててしまう自分がいた。
心臓の鼓動は太鼓を鳴らすかのような大音量で体全体に響き渡り、扉に触れていた手はじっとりと汗に濡れ始める。
『”本物”を目指す奴は嫌いじゃねぇ。言えるのはそれぐらいだ』
ドア越しに聞こえてきたディーノの返答に、イザベラは心の内で疑問を浮かべる。
何を指している言葉かまではわからないが、少なくとも嫌われているわけではないと言う希望が芽生えてくる。
普段の自分を見知った上で、散々なことを言われるのではないかとビクビクしていたが、肩の荷が下りて安心した矢先のことだった。
「何をなさっているのですか?」
突然背後からかけられた声に、イザベラはビクッと跳ね上がるように立ち上がった。
「けっ! けけけけっ! け決してわわわたくしは、あやあや怪しい者では!」
「思いっきり怪しいって」
「不審者の中の不審者、まさに不審者の女王」
これでもかと言わんばかりに狼狽しまくるイザベラの視界にいたのは、ディロワールとなる直前、空回りの大作戦に興じた女子、ミネルバ、ヒルダ、ファリンの三人だった。
「一体、何をしに来たんですの?」
イザベラは相手を認識するや、疑わしさを微塵も隠さないジト目の視線を三人に送る。
「いえ、私たちもイザベラさんに迷惑をかけてしまいましたから」
「そそっ! 今まであたしら考えてなかったからさ、イザベラの気持ち」
「だから、最後にこれだけはやって置きたいとみんなで決めた」
今までとは明らかに違う神妙な顔つき。
一体何をしようと言うのか、イザベラにはさっぱり見当もつかない。
「ほらほら、リボンとスカート乱れてる」
「髪もちゃんと整えて、これでよし」
「では、行きますわよ? せーのっ!」
ヒルダとファリンがイザベラの身だしなみを改めて直し、そしてミネルバが部室の扉を開ける。
状況についていけないイザベラの後ろへと回り込んで、同時に手をついて教室の中へと押し込んでいた。
「きゃぁっ!」
小さく悲鳴をあげたイザベラは境界を抜けて、四人の目の前ですっ転んだ。
ディーノたちはあっけに取られて、イザベラに視線を送るものの、どう反応していいのかもわからないのか沈黙が部室を支配していた。
「あ、あなたたち何をするんですの!」
「最終ラブラブ大作戦……背中を押す(物理)」
ファリンがそう呟くと、三人とも親指だけを伸ばした握り拳、いわゆるサムズアップのサインをイザベラに出して、一目散に走り去っていった。
「え、えーと、大丈夫ですかイザベラさん」
いち早く我に返ったアウローラが駆け寄ってイザベラを助け起こし、制服に付いた埃を払う。
「べ、別に怪我などしていませんわ!」
「ひょっとして聞いてた?」
シエルが気まずそうな顔でイザベラに問いかける。
本当なら手早く用だけを済ませようと思っていたのだが、そうは問屋が卸してくれなかったようだが、肝心の相手がちょうど話しかけて来てくれたことは僥倖だとイザベラは思い直す。
「き、来たのはたたたたった今ですわ! それよりもお話がありますの!」
四人の顔つきが変わる。
事態が事態だったことから、何か抗議に来たと取られているかもしれない。
果たして、この申し出を受けてくれるかだってわからない。
そんなことを考えるイザベラだったが、その視界にディーノの姿が収まると、小さく呼吸を整える。
ここで怖気付いてしまえば、ここに来た意味がなくなるどころか、以前の自分に逆戻りだ。
制服の懐から一枚の紙を取り出して、シエルに差し出す。
「これって……」
「入部届けですわ」
「えええええええっ!?」
短く告げると、シエルは我が目を疑いながら書面を見て、素っ頓狂な叫びをあげた。
「何か特別なことでも必要ですの?」
「そ、そう言うわけじゃないけど、本気?」
「冗談でこんなことすると思いまして?」
シエルはしきりに自分の頬を引っ張ったり、周りの面々を見回したりと、今目の前で起きたことに理解ができないようだった。
「大した理由ではありませんわ! わたくしはディロワールとか言う怪物にまた狙われてしまうかもしれないのでしょう? ならこうして一緒にいた方が見張りやすいのではなくて?」
イザベラは慌てるシエルを見て落ち着きを取り戻し、表向きの理由をスラスラと説明していく。
「そ、そっか……そうだよね」
事実と事情を重ね合わせた合理的な理由と納得したのか、シエルはうんうんとうなづきながら胸をなで下ろしているようだった。
「そ、それと!」
イザベラはディーノとアウローラに対峙して、その紫と蒼の目をまっすぐに見据える。
まるで闘技場で決闘に赴く戦士のような気迫がみなぎっているようだ。
二人を、と言うよりもディーノを見ているイザベラの顔は若干赤く染まっているようにも見えた。
「わ、わたくし! 手に入れたい”一番”ができましたの! あなたにはこれからのわたくしを見ていて欲しいのですわ。そして……負けませんわよ、アウローラさん!」
吹っ切れたようにイザベラは宣言する。
「わ、わたしだって譲ったりしません!」
返すアウローラは、いつもの温和な委員長の顔ではない、まるでおもちゃを取られそうになる子供のようにムキになった調子で声を上げていた。
その様にシエルとフリオは苦笑いを浮かべているのだが……。
「なんだか知らねぇが、別に俺に言わなくていいだろ」
宣言に込められた意味を、ディーノだけはまるで理解していなかった。
シエルは盛大にこけ、フリオも諦めたようなため息が混ざり、アウローラとイザベラも呆れが混じった顔になる。
「と、とにかく。せいぜいわたくしを頑張って見張りなさい。”
イザベラが口にした聞き覚えのない呼び名に対して、全員の頭に『?』マークが飛び出す。
「なんだよそれ?」
「魔降術を使う剣士なのでしょう? それとも
闘技祭の直後、一時そんな風に呼ばれていたことは確かにあるが、そんなことはすっかりと忘れてしまっていた。
「でも、いいじゃん! じゃあ、今日の活動記録はディーノの呼び名決定ってことで、イザベラの部員活動第一歩だね♪」
先ほどまで深刻なことを考えていたはずだと言うのに、すっかりといつもの空気に戻ってしまっていた。
「じゃあ、ついでにお茶会もやってっちゃおー! あの赤マントをとっちめる景気付けってことで、フリオ君お茶とお菓子の準備ー♪」
「ぼ、僕なの!?」
などと言いつつ、六つの机をくっつけた上にテーブルクロスを弾き始める。
これもシエルが持つ生来の明るさがなせる技なのだろうか?
「わたし思うんです……。シエルさんがいなかったら、きっとわたしつまらない毎日を過ごしていたかもって」
そんな風に語るアウローラは友人というよりも、妹を見るような暖かい表情を浮かべている。
「ディーノさんがどんな悩みを抱えてるかはわかりません。でも、わたし達みんな一緒にいます。少しくらい笑って楽しんだっていいと思うんです」
アウローラの言葉に今までだったらどう思っただろうか?
きっと一も二もなく否定して、ただ戦うことだけを考えていたかも知れない。
「ほら、アウローラもイザベラも座って座って♪ ディーノはここね♪」
向かい側はシエルとフリオが、そしてディーノはアウローラとイザベラを両隣で挟まれている。
「それじゃあ、第八十回学園七不思議研究会のお茶会を始めまーすかんぱーい!」
「お茶会に乾杯はいりませんわよ。いつもこの調子で?」
いつもはアウローラがしていたツッコミをイザベラがしている光景が、ディーノにはやけに新鮮に見えた。
イザベラはテーブルの上にあるクッキーを一つ取ると、おもむろに自分の方へと向き直る。
「ディ、ディーノ……お、お口を開けてくださらない」
照れながら言うイザベラにディーノはわからないと言った表情で返す。
「あ、あーん……」
クッキーを目の前に持って来るイザベラに対してアウローラはすかさず動いた。
「ディーノさん! こ、こっちも美味しいですよ!」
アウローラが別のクッキーを持ち、同じようにしてみせる。
二人とも笑顔ではいるのだが、ディーノの目には二人の体から真っ赤なマナの光が炎のように燃え上がり、彼女達の目線の間にバチバチと青白い火花が散っているような気がした。
「別に自分で食える」
ディーノは二人の差し出したクッキーを手に取って同時に口へ放り込んだ。
その有様に向かいにいたシエルは、腹を抱えて大笑いし、アウローラとイザベラは呆れとも落胆とも取れるようにうなだれていた。
「前途多難だね。アウローラさんたち……」
この手の話題から最も遠いだろうフリオまでもが、苦笑いを浮かべて呟いていた。
* * *
カシャッ!
旧校舎の向かい、新校舎の屋上からドタバタした部室を、新聞部部長のテレーザ。フォリエが
「テッレーッザちゃーん♪ 調子はどうだい?」
オレンジ色の髪よりも、黙っていれば女子を引きつける顔よりも、軽薄さが何よりも目立つ男子生徒が声をかけて来る。
「予想外の結果になっちゃったねぇ♪」
「そうでもないけど? 三角関係勃発ってのもそれはそれで記事になりそうだし」
悪びれることもなく、テレーザはカルロに返す。
それはまるで、喫茶店で目当てのスイーツを逃してしまったが、その影に隠れた裏メニューでも見つけたような口ぶりだ。
「で、いつまで続けるんだい?」
カルロはいつもの軽薄な調子から声のトーンが落ち、その目つきも鋭さが増し、口元からは笑みが消え失せる。
「さぁ、胸に手を当てて聞いてみれば?」
黄昏の一時、校舎に降り注ぐ光が炎の色に染まり、佇む二人を燃え上がらせているようでもあった……。
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