嵐の前の静けさ
「ここは……?」
目を覚ましたディーノが視界に収めたのは、真っ白な天井だった。
「お目覚めかい?」
ベッドの脇にいたのは、オレンジの髪に自分よりも長身、そのにやけた顔を久しく見ていなかった気がするクラスメイトだった。
「てめぇ、どのツラ下げてここにいる?」
「このツラだけど♪」
なんの悪びれることもない笑顔をカルロは崩さない。
どうやら自分はどこかのベッドに寝かされているらしく、少なくとも寮の自室ではなかった。
ベッドの周りは清潔感にあふれる白のカーテンで囲まれていて周囲の様子は伺えない。
「保健室だよ。初めてじゃないだろ? 眉間のシワどうにかしないんなら、運び賃もらっちゃうよ」
戦いの後に意識を失った事はわかった。
度重なった戦闘に加えて、ヴォルゴーレとの一体化を短い間隔で連続で行ってしまったゆえの消耗。
敵を倒したところまでは覚えているが、アウローラ達の様子も気がかりだ。
そして何よりも、今までの黒幕かもしれない男が目の前にいる。
「順々に答えるから安心してよ」
わかりやすく変化するディーノの表情を見て、カルロはため息ひとつつきながら答える。
「ディーノが倒れてだいたい一時間ぐらい経ってる。時間が時間だからみんな帰ってるよ」
内側からカーテンを開けて窓の外を見れば、暗闇が世界を染め上げていた。
「アウローラちゃんの傷は普通に治ったのに比べて、随分と無茶したもんだ」
いけしゃあしゃあと言葉を並べ立てるカルロに、ディーノの苛立ちは増していくばかりだった。
「誰かさんと戦ったおかげで、色々と面倒なことになってな」
「そう思うんなら、シエルちゃんに言っちゃったって僕は一行に構わないけど?」
食い下がってくると思いきや、カルロは言い訳も弁解もなくあっさりと言ってのけた。
その行動に一貫性が見られず、ますますわけがわからなくなってくる。
あの場で退いたのは足止めが目的だったとしても、戦いが終わって三人で戻ってきた瞬間、自分たちを一網打尽にする絶好の機会だったはずだ。
なのに、保健室で自分は解放され、アウローラ達にも危害を加えていない?
芋づる式に多くの情報が集まっているはずだというのに、噛み合わない、繋がらない、答えがまるで見えてこない。
そもそも、バレフォルと名乗ったディロワールは、本当にカルロなのだろうか?
「悪いけど僕は先に帰るよ? 宿題が残ってるんだ。動けないんならアンジェラちゃん呼んでくるけど?」
「別にいらねぇよ」
すぐさまディーノはベッドから起き上がると、カルロについて寮へと急いだ。
* * *
一方その頃……。
「うわぁ、かーいー部屋」
「あ、このネコさんは確か、ヴィーネジアのカーニバルで売ってるぬいぐるみですよね?」
アウローラとシエルはある生徒にあてがわれている一室にて、思い思いの感想を漏らしていた。
「い……一生の不覚ですわ」
ピンクを基調としたベッドや白いレースが入ったカーテン、所狭しと並べられた猫のぬいぐるみたちがおとぎ話の国を彷彿とさせる。
初等部の生徒の部屋だと言っても通用しそうな、少女趣味全開の部屋が、イザベラ・フォン・ヘヴェリウスの城だった。
「しょーがないじゃん。学園は閉まっちゃったし、誰かに聞かれるのも困るんだから」
イザベラはこれまでディロワール化した生徒と違って、記憶が残ったままでいる。
ならば、知らないままで放置してしまう方が危険だと考え、シエルがアウローラも付き添わせて半ば強引についてきたのだ。
『そういう事、勘弁しなってご主人♪』
衝撃の正体が明かされたブチ猫がからかうように追従するのを、イザベラはがっくりと肩を落としながら受け入れるしかなかった。
そして、アウローラとシエルは今まで自分たちがしてきたことの説明を始める……。
「一応、あたしたちの知ってる限りの事はだいたい話したけど」
「与太話……とは言えないのでしょうね」
おおよそ一時間後、寮の一室で女子が三人と猫一匹、普通ならば楽しげな会話が夜通し続く光景を想像できるであろう。
しかし、イザベラがシエルとアウローラに説明された内容は、パジャマパーティーと言うにはあまりにも程遠い。
マクシミリアンによるアウローラの誘拐および監禁、公にはなっていないが学級新聞に取り上げられたいじめ常習者の三人組、そして先程までの自分。
この学園に潜む何者かが、生徒を”ディロワール”と言う名の怪物に仕立て上げている。
真実を知っているのは、シエルをはじめとした”学園七不思議研究会”の面々だけであり、教師すらもあてにはできない状況にある。
少し前までの自分ならば、所詮は生徒の間で広がった怪談話だと一笑に付していただろうが、それがまぎれもない現実だと身をもって味わわされている。
「あの怪物もそうですけど、ディーノのあの姿は一体なんなんですの?」
イザベラの疑問はもっともであった。
当事者であったアウローラとシエルは、本人の態度からあまり込み入ったことを聞くのは避けていたが、これまで関わりの薄かった彼女だからこそ真っ向から問い質せるものだった。
「わたしたちもはっきりと聞いてはいないんです。ただ……」
『ただ?』
言いよどむアウローラに、シエルとイザベラが口を揃えて聞き返す。
「あくまで推測なんですけど。魔降術を極めるとあのような姿で魔術を使うようになるのではと」
自分たちの使う魔符術と違って、魔獣や幻獣の宝石を直接体に埋め込むことで発動させるという魔降術の特徴と現状でわかっている情報をまとめた上での解だった。
『まぁ、半分は正解かな?』
「ブチちゃん……と呼ぶべきではございませんのね』
「それはこっちも聞きたいよね。なんでイザベラが拾ったの?」
幻獣を自称するブチ猫に対して、シエルはもっともな疑問をぶつける。
ディーノの師匠が遣わしたという目的が真実だとして、本来ならば、真っ先にディーノとの接触をはかるべきであるにもかかわらず、実際に初めて存在を認識できたのは戦いも終わりに差し掛かる頃になってからだ。
『敵の目をごまかしたかったのさ。それにオイラの力を使いこなせるパートナーが欲しくてね』
「それじゃあ、イザベラさんには魔降術の素質が?」
『と思ったんだけど、今はまだ保留』
アウローラの推理にシュレントは頷きながらも、続ける。
『本来は子供のうちから契約はするもんだし、最悪の場合は命に関わる。それほど重いんだよ、魔降術はね』
ディーノという凄腕の魔降術士や、最近その力に目覚めたフリオを身近に見ていたからこそ薄れかけていた認識。
魔符術よりも強力な分、人間でない存在を己の内に取り込むには相応のリスクを伴うのだ。
『それに、最低限の空間移動なら契約なしでもオイラが使えるからね』
シュレントがそう結論づけることで、三人の会話はお開きとなったのだが。
「じゃあ、ふとんとパジャマ持ってこよー♪」
『は?』
シエルの突拍子も無い一言に、イザベラとアウローラはあっけに取られた声を同時にあげていた。
十分と経たない内にシエルは自室から寝具一式を持ってきて、部屋の一角に陣取っていた。
「見張りだってば、み・は・り! ほら、イザベラは記憶が残ってるみたいだから、また狙ってくるかもしれないし、どうせなら楽しくした方が良くない? 恋バナとか?」
「な……あ、あなたは何を言い出すのですか!! わわわわたくしはあんな下民のことなど!!」
イザベラは耳から湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にしながら、シエルの言葉を全力で否定しようとするが、通算にして三度目、ほぼ暴露していることに気がついて両手をついてうなだれた。
それをアウローラは複雑な面持ちで見つめている。
期末テストをきっかけに、イザベラはディーノに対する見る目が変わっているのは間違いないだろう。
ディロワールと化したイザベラが自分の力で精神の支配を拒み、宝石を弾き飛ばしたのは、ディーノの言葉がきっかけだ。
色眼鏡をつけることもなく、変に気取ることもない、思いの丈をまっすぐに貫き通すような言葉に、アウローラ自身同じように救われた。
あの時はシエルの魔術を使って、ディーノの声にマナの力を乗せたらしいが、今回は間違いなくディーノ自身の力に他ならない。
それはすなわち、イザベラに対してそこまでするだけの価値を見出しているということだ。
「だいたい、わたくしがどれだけ失敗したと思ってますの? わたくしなど眼中にないことくらい、見ればわかるでしょう! 婚約者ならもっと堂々としていればいいのではなくて?」
イザベラはアウローラへ激励するような自嘲の混じりの言葉をぶつける。
急激に変化する状況に対して、自信をなくしかけているのが、浮かない顔に出てしまっていることをアウローラは気づかないでいた。
「と、とにかくわたくしは別にどうとも思っておりませんわ! それと、見張りたいのなら勝手になさい!」
拗ねるようにイザベラは自分のベッドに潜り込んだ。
結局、アウローラも二人を放っておくことはできず、なし崩しに奇妙なパジャマパーティーに参加することになった。
「はぁ……」
会話は続かず一時間もしない内に、部屋は消灯されて暗闇が支配する。
イザベラは今日一日の出来事を思い出して、ベッドの中でため息をついていた。
結局、ディーノには二度も助けられてしまった。
頭の中で思考がめぐる中で、イザベラの思考が行き着く先には、白と黒の剣士がいる。
幼い頃の憧れた人と、それに似ても似つかないもう一人の少年。
顔はそこそこ良くても口は悪いし、一部を除いた他人に対して愛想もない、こんなことでもなければせいぜい同じクラスの男子程度だったろう。
だけど自分のことを何も咎めず、何も求めずに助けてくれたことは記憶の中に住まう白銀の剣士と一緒だった。
『お前の欲しい”一番”はこんなもんじゃねぇだろ!!』
一番……その言葉に囚われて、アウローラを手にかけてしまえば、二度と戻ることのかなわない深い深い闇に引きずり込まれてしまっただろう。
黒猫に惑わされ、失いかけた”誇り”を呼び起こしてくれたのは、間違いなくあの場にいたディーノだった。
「……っ!!」
そこまで考えた時、鼓動の音がひときわ大きくなった気がした。
人並み以上にある胸が、違う意味で締め付けられて熱くなるような錯覚に、イザベラは枕元に置いてあるぬいぐるみを抱きしめてうずくまる。
「どんな顔をして彼に会えばいいんですの? わたくし……」
答えの出ない問いかけを虚空に放ちながら、イザベラの意識は次第にまどろんでいった。
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