緑の恐怖 −3−

 どうしてここに?

 植物によって生命の危機に追い込まれている三人組も、それを引き起こしているフリオも、ディーノを見る顔にそう書いてあるようだった。

「やっぱりこうなったか……」

 眉間にシワの寄った、気難しく人を寄せ付けない平常通りの顔のまま、ディーノはずんずんとフリオに歩み寄って、その左手を取る。

 その手の甲に埋め込まれた緑の宝石を見て、複雑そうに表情を歪めていた。

「契約したんだな?」

 ディーノの問いに対して、首を縦にも横にも降ることなく、ただ黙していることが肯定の返事だった。

 やられればやり返すことを願うのは、虐げられた人間にとっては当然の考えであり、それができるだけの力を手にすれば行動に移すのは必然だった。

「みんな力になってくれたけど、結局何も変わらない! モンテ君たちは反省なんかしないんだ。だから、思い知らせてやるしかないじゃないか!」

 フリオの言葉に、ディーノは遠い記憶を呼び起こされそうになる。

「それともモンテ君たちの方を助けに来たの?」

「バカ言え。あんなクズ頼まれたって助けるか、このまま魔獣のエサになった方がマシだ」

 他人を平気で踏みにじり、思い通りにならなくなれば性懲りもなく報復を企てるような人間を無償で救えるような聖人になれるほど、ディーノは人間ができてはいなかった。

「俺はお前を助けに来たんだよ。クズのために怪物になることはねぇ。前にも言ったろ? お前は”本物”だ」

 フリオの持つ輝きが闇に染まることなどあってはならない。

 自分と同じ怪物になってはならないと言う思いが、ディーノをここまで突き動かしていた。

「ディーノ君みたいに、本当に強い人にはわからないよ! 僕みたいに弱いヤツの気持ちなんか……」

「俺は……強くなんかない。ガキの頃はお前みたいな目にあわされてた」

 本当なら、思い出したくもないし語りたくもない。

 それでもフリオを止めることができるのならば、自分の恥など関係なかった。

 聞かれて困るほどの相手は、今この場にはいないのだ。

「自分だけじゃどうにもならなくて、毎日泣いてばかりだった……。どいつもこいつも殺してやりたかった」

 そう語るディーノの顔は、いつもの不機嫌さをあらわにしたものではない。

 身を引き裂かれる苦痛に耐えるような悲しげな表情で、言葉を絞り出していた。

「俺はとっくの昔に怪物だ。だから……お前にはなって欲しくないんだよ! 俺のような怪物になるべきじゃないんだ」

 ディーノの独白を聞いていたフリオは、信じられないと言わんばかりの表情を向けてくる。

「その手は花育てるためにあんだろ? 俺にはできねぇことだ」

 フリオは自分の両手を見る。

 宝石を埋め込み、その力を持って奴らの血で真っ赤に染めてやる気でいた手が何をすべきなのか、考えることをやめていた気がした。

「そそのかしたのは……てめぇか?」

 ディーノは左手に埋まった宝石を心臓とする幻獣に問いかける。

 魔降術の契約は利点ばかりではない。

 気の遠くなるような歳月をかけた修練と、契約を交わした魔獣や幻獣の相性が良ければ一騎当千の強さを手にするが、逆に契約した宝石との相性が悪ければ、友好的でなければ、従えることができなければ、心身を”喰われて”しまう。

 そうなれば、フリオを救う方法はただ一つ。

 魔術の行使ができなくなるのと引き換えに、埋め込んだ宝石を砕く。

 少なくとも、自分と違って戦うことに価値を見出す人間でないし、フリオの目指す”本物”は魔術がなくても十分に達成できる見込みもある。

「違うよ。ドリアルデさんのせいじゃない」

 フリオは首を横に振って、はっきりとした口調で答える。

 先ほどまで、マグマのようにたぎっていたどす黒い怒りは感じられず、普段の調子を取り戻しているようだ。

『埋め込まれているのは、ディロワールではない。おそらく下級の幻獣だ』

 その様子を察したのか、ヴォルゴーレがディーノの頭の中で口を挟んで来た。

 このままいけば、ディーノはフリオに対しても容赦しないと危惧したのだろう。

『だって! あいつらいっつもフリオのこといじめるんだよ! 一回ぐらいぶちのめしてやったってバチは当たらないでしょ!!』

 業を煮やしたのか、フリオに取り付いた幻獣は背後に姿を見せて主張する。

 その人格や立ち振る舞いは、幻獣という名前からイメージする荘厳な雰囲気などとは程遠くまるで子供だ。

 だが、一歩間違えれば殺しかねないこのやり方は、人間の範疇で言えば明らかにやりすぎだった……。

「やっぱり、ドリアルデさんを殺すの?」

「それが一番確実だ」

 これから先、同じことが起こらない保証など誰にもできない。

 ならば、恨まれようとも自分が手を下すしかないと割り切ろうとした瞬間だった。

 ディーノたちを背後から大きな影が埋め、巨大な前足が二人に向かって振り下ろされて来た。

 殺気に気づいたディーノは、反射的にフリオの体を抱えてその場から飛びのく。

「こいつはどういうことだ!」

 やはり、言葉ではどうにもならないのか、沸き上がる怒りをフリオとドリアルデに対して向ける。

『わかんない! さっきまでうまくいってたのに!!』

 その叫びは、切迫した事態にうろたえる人間そのもので、少なくとも演技ではありえなかった。

 巨獣は明らかに自分たちに殺意の矛先を切り替えている。

『ここは源泉マナンティアルが近い。何が起きても不思議ではない』

 ヴォルゴーレの言葉から察するに、契約したばかりの未熟なフリオの魔降術と、この場所に集まった濃厚なマナ、そしてあの三人に対するフリオとドリアルデの怒りが危ういバランスを保っていたのだろう。

 しかし、フリオとドリアルデが正気を取り戻した結果、そのバランスが崩れて自分でも制御が効かなくなってしまったとディーノは推測した。

 自分のそばで肩で息をしだしたフリオは、見るからに苦しんでいた。

 肥大化したマナを、フリオ自身が制御することができない段階に来てしまっていることだけは間違いない。

『まずいな。このままでは少年とこの一帯のマナを食って際限なく成長するぞ』

「だったらやることは一つだ。よく見てろフリオ」

 ディーノは腹を括った表情で巨獣を前に剣を構えた。

「こいつが魔降術を使った成れの果てだ!!」

 一筋の稲妻がディーノに向かって落ちる。

 その体は竜と人間を混ぜ合わせたようなシルエット、体そのものが鎧のように硬質なものに変化した、白い体に紫の手足を持った怪物へと変化する。

 ヴォルゴーレのマナと一体化させ、一分間だけ戦闘力を増強させる切り札。

 できることならこの姿を晒したくはなかったが、出し惜しみをしていられる状況でもなかった。

 巨獣はディーノとフリオを狙って、イバラのツタを伸ばしてくる。

 バスタードソードを振りかぶって、ディーノは同時に前に出ると、そのツタを難なく切り裂き、さらに懐へと潜り込むと同時に刀身めがけて一閃の稲妻が落ちる。

 ディーノはそのまま力任せにバスタードソードを一回転してなぎ払い、無防備な脚を四本とも切り落とすと巨獣はバランスを崩し胴体から落ちて来る。

 素早く下から出て来たディーノは、背後から高く飛び上がって、その背中に狙いをつける。

 だがその瞬間、レノバを捕らえたものと同じ巨大な食虫植物と、アルベに食らわせた毒花粉の花が咲き乱れてディーノに襲いかかる。

 以前のテンポリーフォと違って、この巨獣は元が植物な分だけ動きそのものは鈍重だ。

 しかし、能動的にこちらを狩る術を持っていない代わりに、病原菌に対する免疫のようにこちらの攻撃を防御しようとしてくる。

「ぐっ……がはぁっ」

 風のマナでも操ることができれば、毒花粉を吹き飛ばして防御することはできたかもしれないが、魔降術は敵に応じて戦法を切り替えることができない。

 神経に影響を及ぼす毒だとわかっていても、ディーノはその渦中に飛び込むしかできなかった。

(忘れろ……俺はただの剣だ)

 敵を斬るという目的だけに思考を研ぎ澄ませ、毒による苦痛から強引に自分の意識をそらす。

 体に鞭を打って迫り来る食虫植物を斬りはらって隙を作り出す。

 一撃を見舞おうとした瞬間、今度は別の花が無数に咲き誇り、クルミほどの大きさの種子が乱射された。

 矢のように飛んでくる種をまともに食らって空中でのバランスを崩し、ディーノは無防備なまま地面に落下してしまう。

 動きを封じれば楽に仕留められると思ったが、攻撃と防御が一体になっている様はまるで砦だ。

 それでも、退いたところで何一つ状況は良くならないと剣を構え直す。

 目の前にいるのはただの化け物ではない。

 フリオの怒りと憎悪の権化が、生みの親であるフリオにまでも牙を向き、森を出てもっと多くの人間を襲うかもしれない。

 ディーノにはそれが耐え難かった。

 何があろうと、どんな攻撃を出してこようと、こいつを今この場で仕留める。

 意識を集中させて、ディーノは再び巨獣へ向かって突進する。

 再び毒花粉と種の乱射が雨あられのように襲いかかってきたが、何が来ようとも構いはせずに前へ前へと足を踏み出す。

 目と鼻を襲う不快感も、種のつぶてによる痛みも、フリオが味わわされた苦しみに比べればどうということはない。

 剣を掲げた瞬間、防衛本能で攻撃を続けていた巨獣の動きがピタリと止まった。

「おとなしく……して……」

 ディーノの位置からは巨獣の影になって見えていないが、その数メートル後ろでフリオとドリアルデが残ったマナを振り絞って、巨獣の制御を試みていた。

 最後の力を振り絞ってディーノは剣に稲妻を呼び、渾身の一撃を巨獣へ向けて叩き込む。

 轟音とともに放たれた空さえも切り裂くような一撃が、巨獣の体を真っ二つにすると、森の中のもやを消しとばして光が差したようだった……。

 その一撃に全てを出し尽くしたディーノは元の姿に戻り、そのまま膝をついて肩で息をしていた。

「ディーノ君!」

 思わずフリオは駆け寄って声をかける。

「喚くな……」

 短く答えると、バスタードソードを鞘に戻して立ち上がる。

「これでわかっただろ。魔降術ってのはバケモノになる力なんだよ。だから、さっさと手放せ」

「違うよ。怪物の力だったとしても僕を助けたのはディーノ君だよ」

「……ったく。お前もアウローラも、カルロもシエルも……バカばっかりだ」

 毒づくディーノだったが、心底苛立っているわけでもなく、照れが混じっていると、この場に七不思議研究会の面々がいれば気づくかもしれないものだった。

「さてと、後始末しとかねぇとな……」

 巨獣が倒されてマナの影響がなくなったからか、ディーノは外傷こそどうにもならないが、体を蝕んでいた毒の症状は消えて体の調子は戻ってきていた。

 すっかり気を失っているモンテ達三人組の体を蹴り飛ばして起こす。

「さて、てめぇら自分のやったことはわかってるだろうな?」

 特にリーダー格のモンテは、苦虫を噛み潰して訝しげさを丸出しにした顔をこちらに向けてきている。

「俺はなにもやっちゃいねぇ。本当に恐ろしいのが誰か、わからねぇほどバカじゃねぇよな?」

 あれだけ好き放題に痛めつけてきたフリオから逆に殺されかけたのだ。

 まさか報復に痛めつけようとしたなどとアンジェラやユリウスに話せるはずもないだろう。

「てめぇらは森の奥に踏み込んででかい魔獣に襲われた。助けを呼びにきたフリオが俺に鉢合わせた。こんなもんでどうだ?」

 あくまでも取引を持ちかけているように言葉を選んでいるが、腹の底からドスを聞かせたディーノの声は、これ以上手を出せばこんなものでは済まさないという脅しをかけるものだった。

 アルベは恐怖に引きつった顔で何度も首を縦に振り、レノバが渋々顔を背けながらわかったと答え、モンテも折れる形で無言で首を縦に振った。

「戻ったら助けぐらいは呼んでやる」

 モンテ達三人も、毒花粉や植えつけられた宿り木は消えているが、外傷や骨折といった物理的に受けた攻撃の後は残っている。

 このままではまともに動くことはできないだろう。

「さぁ、帰るぞ」

 フリオだけにディーノはそう呼びかけると、魔衣ストゥーガのマントを一部破き、続いて自分の手を剣の刃で切って血を染み込ませる。

「こいつを左手に巻いておけ、今、魔降術のことを知られると多分面倒だ」

 魔降術士が体に埋め込んだ宝石は、術を発動させるとき以外は体の中に入り込んでいるが、教師を相手にごまかせるかはわからない。

 傷を負った応急処置に見せかけるためだとフリオは察した。

「それとこっちに来るとき、でかい魔獣が何匹か見えた。動けないお前らを狙って来るかもしれねぇなぁ」

 やや大げさな口調で三人にも聞こえるようにディーノが声をあげると、モンテ達はまだ終わらない恐怖に表情を歪めて無言で助けを求めてくる。

 それを背にしてゆっくりと歩き出した。

「ディーノ君、魔獣が来てるんじゃ?」

「んなもん嘘に決まってんだろ。言うだけならタダだ♪」

 三人の姿が見えなくなる頃合いを見て、悪ガキのようにディーノは歯を見せてニヤリと笑う。

 モンテ達のような不快感はそこにはなく、別格の力を持っていても自分と歳の変わらない人間なのだとフリオは思い知らされた気がした。


   *   *   *


「何事かと思ったけど、無事で良かった」

 転移の門の前に戻ったディーノとフリオはクラスメイト達から注目の的になっていた。

 それからアンジェラとユリウスに、モンテ達が魔獣に襲われた傷で動けないでいると伝えると、ユリウスが森の奥で彼らを見つけ出してそのまま学園の保健室へと向かった。

 残ったアンジェラが他のクラスメイト達をまとめて点呼を取る間にユリウスが戻り、それから各グループの採点を公表まで入れて今日の実地訓練は幕を閉じた。

「でも、ディーノ君。本当だったら一人で突っ走るのはとても危険なことなんだからね? こういう時は迷わず先生たちを頼ってもいいんだから」

 授業の終了後、ディーノはアンジェラからは減点を言い渡されるだけではなく、今までの前科を合わせてその行動の危険性を咎められることとなったが、フリオとモンテたちの動向でいっぱいいっぱいとなったディーノの頭に入ってくることはなく、生返事をするだけだった……。

(候補になる頃合いかと思ったが……。まるで英雄のようじゃないか)

 そして、もう一つフリオとディーノを観察している影の存在にまだ彼らが気づくことはない。

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